市井にて
「こんなところでなにしてる?」
市場の喧騒の中、はっとして振り向くと、そこにはよく知っている冴え冴えとした美男子がいた。
「アーグフルト殿下!」
今日は、天気がよかったので、リンジーにお願いして剣の稽古をつけてもらっていたのだが、宮殿で堂々とするわけにもいかず、まだ婚約する前にディエゴに連れてきてもらったジュリアード郊外の河原に来たのだが、その帰りにリンジーとともに変装して市場の屋台でおいしいものをほおばっていたところだったのだが…。
ファビアの口には今ほおばった甘いクレープというお菓子のクリームがべっとりとついているはずで…。
「なんだそのはしたない顔は。それでよく兄上の隣に立とうと思っているな。お前は!」
相変わらず冴え冴えとしたクールな顔立ちには似合わない表情豊かな人だなとファビアは思う。
眉をつりあげてまくしたてるように言うので、チラチラと道行く人がこちらを見ている。
アーグフルトもディエゴにたがわずイケメンで皇族のオーラはあるので、見つかったら大変だ。
だいたい自分だって変装しているということはおしのびで来ているということではないか。
それなのに何をわたしだけダメみたいに…。
「あの…ここで大声を出すのはよくないかと。少し向こうに行きましょう」
ファビアが周りをチラチラ見ながら言ったので、アーグフルトはさすがに自分が大声を出しすぎていたことに気づいたらしい。
少し顔を赤くすると、ふんと横を向き、市場の外れのほうを指さした。
「あっちに俺の馬車がある。そこまで行くぞ」
そしてファビアの手をぐいっとひっぱる。
え?
ちょっと!
リンジーが少し慌てているが、相手は皇子だ。反論はできないので、そのままアーグフルトとファビアの後ろから着いてきた。
結構な距離をぐいぐいと早く歩くので、ふつうの令嬢ならついて行けずに転ぶところだわと思いながらも付いていくと、市場の脇の隠れた場所に無印の粗末な馬車が停まっていた。
入れと顎で合図し、一応エスコートして馬車に入れてくれた。
「で?なぜあのような場所にお前がいる?」
ファビアの前にどかりと腰を下ろし、腕を組みファビアを見下げている。
「それはこちらが聞きたいのですけれど。アーグフルト殿下こそなぜこのようなところにいらしゃるのです?」
「俺はっ!薬草の種を仕入れにだな」
「薬草ですか?はて。このような市場に薬草の種など売っているのでしょうか?」
ファビアも負けじと胸を張る。
「お、おまえ。どういう意味だ」
「あら、わたしも殿下と同じですと言いたいだけです。屋台のごはんのおいしさには勝てませんもの」
にっこりと笑うとアーグフルトが面食らったように目を見開き、そのまま横に視線を逸らした。
「まぁ確かに。うまいが…。だがおまえはまだ兄上の婚約者で…この国の人間ではない」
「だからこそですわ。今の間にしかこういうことできませんもの」
「ふんっ。今の間にだと。だいたいおまえのような令嬢らしからぬ者が兄上の隣に立って皇太子妃になるなど俺は許さないからな」
再び視線をファビアに戻すと、いじわるい顔をし、アーグフルトはさらに言った。
「ダイアナ嬢のほうがよっぽど兄上に似合っている。知っているか?兄上は小さいころダイアナ嬢と幼馴染で結婚を約束していたんだぞ」
「……」
ファビアがムスッとしたからだろう。アーグフルトが勝ったとばかりに上から目線でさらに言い募る。
「彼女はすばらしい淑女で、ああいう令嬢こそ皇太子妃であるべきだ。お前のようなおてんば娘が皇太子妃だなんて愚の骨頂だ」
ダイアナ皇太子妃。
前世も含めて会ったことはまだないけれど、いずれ会うことになるわよね。
会ったこともない令嬢だけれど、かつてはディエゴが妻にしていた人だ。モヤモヤがないわけじゃない。
けれど、そんなこと言ってられるわけじゃないし。
そういえばもう舞踏会は二週間後に迫っている。
けど…。
「だいたい、舞踏会はどうするのか決まったのか?」
うっ…
痛いところを突かれる。
そうよ。
ディエゴに手紙を書いたのに…全く連絡がないのよ。
南部は鎮圧に向かっていると聞いてはいるけれど…ディエゴが無事かどうかもわからないし…。
「黙り込んでいるところを見ると、兄上から返事もないのだな。やはりおまえは兄上から軽んじられているじゃないか」
くっくっくっとアーグフルトが笑う。
軽んじられているなんて言われて、けど、最近ではもしかしたらそうなのかなと思ってしまっている自分もいて、ファビアはさすがにかちんときてしまった。
「ええ。その通りですわね」
くやしくて下を向く。
「お、おいっ」
突然ファビアが泣きそうな顔をして下を向いたからかアーグフルトがあせったような声を出した。
「おまえ、そんなことくらいで…泣くなよ」
「泣いておりません」
涙は出なかったが、ディエゴに会えない寂しさと、ディエゴがどうなっているかの心配と、それにほんとうにファビアのことなんてどうでもいいんじゃにないかという恐れと…そんなものが相混ざって泣きそうな心境であることに違いはなかった。
けど、こんなことでへこたれるもんか。
あんなひどいことをしたわたしはここにいられるだけでも幸せなんだから。
「そんなことで泣きはしませんわ」
ファビアは心を持ち直すときっと顔を上げ、アーグフルトを見た。
「わたしは泣きません」
凛として言うファビアにアーグフルトはしばし見惚れていたのだった。
次回、20日に更新します。




