謎の男 ジョー
今回、長めです。
転生してから不思議なことにファビアには見聞の能力が備わっていた。
それに気づいたのは転生後の誕生日パーティーでのことだ。
人の話し声の中で悪意を持った声だけが鮮明に聞こえるのだ。
結構遠くのものでもそれだけを拾う。
例えば隣の部屋の中の声なども悪意のあるものだけが聞こえる。
その他にも動物と話ができるようにもなった。
最初は戸惑ったが、それのおかげで人を信用するかしないかの判断が容易にできるようになった。
例えば、キャロライナからはそんな声を聞いたことがない。
けれど、ホールの中ではそういう声はいろんな場所から聞こえている。
こういう場所ではそういう声だらけなので、あまりにも多すぎて聞いていたら疲れるし、どの声なのか判別もできないので、なるべく聞かないようにしているのだが、今は回廊で人がおらず静かだったから目立って聞こえたのだと思う。
スパイ?
この宮殿にスパイが紛れ込んでるわ。
この言語は…カンディアナ語だわ。
レイナルド殿下の留学先のカンディアナのスパイが?
どうしよう。
陛下に知らせるべき?
けれどわたしなどが言っても信用はしてくださらないだろうし…。
考えながら歩いていたら、前から人が来たことに気づかなかった。
目の前に人が立っているのを見て驚く。
「きゃっ!」
思わず声をあげると、そこには黒髪に碧眼の青年が立っていた。
うっ…。
思わず声をあげそうになったのは、その顔があまりに美形だったからだ。
少しばかり肌の色味は濃く、20歳過ぎくらいだろうか。ファビアより少し上に見える。
まだ青年と呼んでもいいくらいのその若さではあるが、その顔立ちは冴え冴えと美しく精悍で、謎の色気まで漂っている。
外国の人かしら?
この国にはこんなに肌の色が濃い人はいないわ。
もっと南の方の人?
何も言わずにじっとファビアを見ている。
な、なに?
ファビアは転生以来、初めて人間の視線にたじろいだ。
その海のように濃い碧眼から発する視線は何を探っているのか想像がつかない。
虚無のように見えて、何か奥深くで考えているようにも見える。
「さきほど王太子とダンスしていた者だな」
なぜか耳に心地よく響くその声は少し外国なまりがある。
やはり…。
「ロンズディール公爵家が娘、ファビア・ロンズディールにございます」
深々とカーテシーで挨拶した。
外国の人とはいえ、この国に来ている以上、ガーディアンのしきたりで挨拶するのが礼儀だ。
「この国のしきたりはよくわからない。俺は、ジョーだとだけ名乗っておこう」
ジョー?
絶対本名ではないわね。
なぜ名乗らないのかしら。
相手が偽名とは言え、名乗ったので、顔をあげると、やはり射貫くようにこちらを探るようにファビアのエメラルドの瞳をまっすぐ見る。
めちゃくちゃ…やりにくい。
こんなに瞳の奥を見てくる人…。
「ジョー様。ぶつかりそうになり失礼いたしました。わたくしこれにて失礼いたしますわ。少し疲れ…」
「待て。こちらに」
突然、初対面の男なのに、その男はぐいっとファビアの手をとるとひっぱって回廊の柱の陰のほうに匿う様に隠した。
しばらくすると、何人かの男の声が聞こえてくる。
「いやー。ファビア嬢。綺麗だったな。ダンス申し込みたかったぁ」
「今からでも探そうぜ。きっとどこかにいるはずだ」
「けど、レイナルド殿下がもう一番目に踊ったぜ」
「別に決まったわけじゃないだろ?」
ガヤガヤと貴族令息たちの声が柱の向こうで聞こえて来たかと思うとそのまま反対方向へ去っていく。
まさか、わたしを匿ってくれたの?
「あの…すみません。ありがとうございます」
柱の陰でその男と密着するようにしていることに耐えられず、下を向いたままファビアはお礼を言った。
「もうちょっと待った方がいい」
するとまた声がする。
「くそ。どこに行ったんだ。1曲ダンスをと思ってるのに…」
な、なんなの?
なんでみんなわたしを探すの?
目立たないようにしていたはずなのに…。
その声の主は近くを通っているのか、ジョーの身体がさらに密着してきて、ファビアの心臓は悲鳴を上げ始めた。
な、なんなの?
前世でレイナルド殿下と結婚していてもこんなに近づくことほとんどなかったし、それにレイナルド殿下はもっと…華奢で…
けれど、この男。めちゃくちゃ鍛えてる?
すっごい胸筋なんですけどっ!
しかもすっごいこの香水…
いいにおい…
しばらくして完全に去ったのか、ジョーが身体を離してくれた。
「す、すみません」
そういうのがやっとだった。
「ああ。構わない。もうダンスはコリゴリという顔をしていたからな」
「ええ。よくおわかりで」
顔を恐る恐る上げるとかなり上の方にその精悍な顔立ちがある。
背が高い…。
「目立たないようにしていたつもりだったのですけれど…」
ファビアが思わず言うと、ジョーはキョトンと目を丸くしてそして、そのあとクククッと笑いを堪えるように肩を震わせた。
「お前はバカか?」
「は?」
初対面の男にバカと言われる筋合いはない。
ムッとしてグイッとその男の胸を押した。
「そろそろよろしいでしょう?疲れたので休憩室に参りたいのですが?」
「いいのか?またハイエナのように男が寄ってくるぞ。ほらまた来た」
またどこやらの令息がキョロキョロしながらそばを通っていく。
うっ…
「バカだと言ったのはお前が何もわかってないからだ。ダンスを申し込まれたくなかったらここにいろ。俺もちょうどよかった」
「どう言う意味です?」
キッと睨みつけた。
「ダンスは面倒だ」
そう言うとジョーはクラバットを少しくつろがせた。
その仕草にドキッとしながらも考えてみるとこの男、このルックスだ。
ダンスを申し込まれすぎて辟易していたのかもしれない。
この国で女性が男性にダンスを申し込むことはない。
女性の父親や兄弟からさりげなく促されるのだ。
「適当に流せばよろしいではありませんか?ジョー様ならやんわり断っても問題にはなりませんわ」
外国人だ。
しきたりがわからなくてもいい。
それに…どう見てもこの服の仕立て。そしてこの男が発するオーラは高貴な者のそれだ。身分の高い人間に違いない。おそらく外国の来賓だろう。
断ったところで何も問題はないはずだ。
「いちいちやりとりするのが面倒だ。この国は特に回りくどくて困る」
ガーディアンのことを悪く言われて少しムッとしたが事実なので仕方ない。
とにかくこの国は長い間平和に貴族が過ごしすぎていて、しきたりや男尊女卑など面倒な古い考えが幅を利かせすぎている。
その貴族の平和ボケが破滅を招いたとも言えるのだ。
「的を射たご回答すぎて何も言えませんが、それがこの国の良さでもありますわ」
ジョーはすっと目を細めてファビアを見下ろしている。
だから。何?
ほんとにジーッと見るのやめてほしい…
「祖国を愛していると?」
「ええ」
ぐっと目を見開いて言い切る。
だって…祖国を守るために…わたしは転生したんだから。
しばらく睨みつけていたら、ジョーは一瞬目を逸らすと、再びキッと強い視線でファビアを捉えた。
ドキッ…
「はっ…愛国心か。バカバカしい。お前のことを!…」
声が大きくなったのでファビアがビクッと身構えたのがわかったのだろう。ジョーは静かに言った。
「いや…いい」
そしてスッと視線を逸らすとさっきより身体も少し離したような気がした。
「あ、あの…」
ジョーの後ろからその時声がして、ジョーはファビアを隠すように身体を返して振り向く。
ファビアからは見えないが、どこぞのご婦人らしい。
また娘の売り込みにきたのだろう。
「何か?」
ファビアと話していた力強い口調ではなく、やわらかい人当たりの良い話し方にファビアは内心驚く。
わざと少し身体をずらし、ファビアのドレスの裾だけ見えるようにしたらしい。
ご婦人は慌てたように
「し、失礼したしました!」
と言うと、パタパタと去って行った。
「ったく…どいつもこいつも」
ちっと舌打ちしてから、しばらく考え込んでいる風だったジョーはいいことを思いついたとばかりにファビアの方へ振り返った。
「いっそ。俺とお前が踊ればいいのではないか?」
「は?」




