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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蜘蛛の胎盤

作者: 黒川 魁

オムニバス作品の一作目です。これだけでも作品としては完結しているので楽しんでもらえれば幸いです。気が向いたら二作目以降も投稿します。

僕の頭には蜘蛛が住んでいる。

小さな小さな蜘蛛が一匹、毎日かさかさうごめいている。何を食べているのかわからないが大きくなっている様子もない。朝、僕が起きると蜘蛛も目覚める。僕が学校に行きたくなくて駄々をこねると内側から噛みついてくるので未だにズル休みはしたことがない。


夏休みのある日蜘蛛が巣作りしていることに気がついた。

朝からやたらとせわしなく動き回っている。縦糸と横糸を間違えてしまったりしないだろうか。うっかり僕の脳味噌が踏まれてしまったりしないだろうか。頭の中が騒がしいと嫌なことばかり考えてしまう。


僕は気を紛らわすため昆虫採集に出かけることにした。九つの頃から標本を作っているが夏の虫は特によい。光沢感、勇ましさ、鮮やかさ、どれをとってもどの季節より秀でている。難点と言えばこの湿気だ。乾燥剤がいくつあっても足りない。

「いってきまあす」


虫編みと虫かごを自転車に乗せていつもの遊び場に向かう。今日は罠を置いてあるところだけ回って帰ろう、鋭い斜陽の刺さる下り坂を通る帰り道を思い出しそう心に決める。夏の日差しが反射して、剥げた自転車もきらきら輝いている。


僕の遊び場につくと先客がいた。大きなニジイロトカゲだった。それも人の背丈ほどの。


「こんにちは、蜘蛛の坊や」


「僕は人の子だよ」


「君に言っているんじゃない」


大きなトカゲは僕の蜘蛛に用があるらしい。


「蜘蛛は今忙しいんだ。きっと呼んでも聞こえないよ」


「そうかい、それじゃまた」


じっと僕の瞳を見つめするりと木漏れ日に溶けていった。僕は木の一本にも手をかけず逃げるように帰ってしまった。


 「なんだったんだろう」


家に着くなり大トカゲの不気味さがぶり返してくる。それにおなかが空いてしまった。蜘蛛はまだ動きまわっている。物心着いた頃から一緒に過ごしてきたが僕の頭の中に住む前にはどこで何をしていたのだろう。思わずかぶりを振るとちくりと蜘蛛に噛みつかれた。ふと目に付いた標本箱を手に取る。本能に訴えかけてくるような魅力だ。お腹が空腹を訴えている。思考が鈍くなっているのを感じる。なぜだかすごく芳しい香りがする。もっと近くに、と願った僕は自分の体を制御できなくなっていた。ふと、薬剤のツンと鼻につくにおいで我に返った。足下には標本箱が転がっている。落としてしまったらしい。拾い上げると母の僕を呼ぶ声が聞こえた。


「ごはんできたよ」


母は部屋にはいってくるなり箱を取り上げ僕を居間に行くよう促した。


「その箱机の上に置いておいて。下手に触らないでね」


「はいはい。全く、空箱を床に捨てるなんて」


高校へ上がれば母に部屋を漁られなくなるのだろうか。小さく不満を漏らしながら食卓に着いた。いつの間にか空腹が収まっていたが、僕は気づかなかった。


 最近標本が減っていることがある。平日は寝る前に整理することがあるので捨ててしまっているのかもしれない。それにしても少ない、例年と変わらない数を捕まえたはずなのに。それに、薬品の調合を変えた覚えがない。今年が別段暑かったわけでもないのにどうしてそんなに廃棄がでようか。

悩みは悶々と頭を悩ませてきたが、すぐに頭の片隅にすらいなくなった。もうすぐ秋だ、甲虫たちを収めたすかすかな箱を眺めていると、晩夏の虫の合奏がそれを刷り込んだ。この秋の虫たちも誰かの手によって標本になっているのだろうか。


「こんばんは。今日は雲がかかった良い天気だね」


「だ、誰」


突然声をかけられた。振り向くと大トカゲが、くたりと首を折りお辞儀をしている。


「今日はちょっとしたお誘いだ」


「僕に?」


さっと僕の頭に触れる。蜘蛛がかさりと動いた音が聞こえた。


「明日、満月が一番高く上がった頃に迎えにくるよ。君たちの誕生日を祝わせてほしいと言う者がたくさんいるんだ」


「ちょっと待ってよ、明日は僕の誕生日だ」


「いいや。彼らの誕生日だよ」


大きな瞳がじいっと見つめている。否、僕の後ろに並ぶ標本たちに釘付けになっているようだ。


「虫、すきなの?」


「あ?ああ、とても。彼も私も虫には目がなくてね」


「へえ……」


「明日もたくさん並ぶ予定だから、ちゃんと待っているように」


トカゲはしばらく物惜しそうに標本を眺め、夜の闇に溶けていった。


 「満月が一番高いところに……」


一日はあっという間に過ぎ、明るい夜がやってきた。蜘蛛は一日中あわただしく動き回っていたが特に気になることはなかった。ぼうっとベッドで腰掛けていると窓を叩く音が響いた。


「やあ待たせたね」


「昨日もこうして入ってきたらよかったのに」


「今日は荷物があるからこうしただけさ」


真っ赤な蝶ネクタイをつけた不格好なトカゲは確かに片手に何か持っている。


「小さいガーゼと金槌?」


「おくるみさ。今日は誕生日だからね」


「え……」


気づくとしっぽで僕の体は絡められていた。トカゲがニヒルな笑みを浮かべ僕をめがけて金槌を振り下ろした。とっさに目を閉じ衝撃を待つが一向にやってこない。


「君には宿主として今まで坊やたちを守ってくれた恩がある。無理やり坊やたちを迎えるのはよくない。一緒に生まれてくるのを待とう」


トカゲの力がゆるんだ。部屋の隅まで逃げると大声で助けを呼ぼうとしたが吸盤のような指を押し当てられ口をふさがれてしまった。さらに腰が抜けて逃げることも叶わなくなった。


「恩ってなんだ。蜘蛛はずっと一緒に過ごしてきたんだ。お前は何も関係ないじゃないか」


「その蜘蛛は恩人なのさ。君は恩人の子供を守り育てる宿主として人生を全うした。それが恩さ。まあそれでも私は心配で何度もこの窓から覗いていたんだよ」


「自分の恩人なら自分で守ったらよかったじゃないか」


「そうなんだけれど別で頼まれていることがあるんだ。知ってるかい、蜘蛛は孵化した子供に自分の体を食べさせるものがいるんだ。だから君の体の中で私の恩人はもう死んでいる」


頭の中でチクリチクリと広がってきた。食い破って出てくるつもりなのだろうか。頭を抱えうずくまるとトカゲは嬉しそうに手を叩いた。


「痛みが薄まる薬をあげよう」


そういって僕の腕に何かを噛ませた。


「な、なにそれ」


「自然の力さ」


歯を食いしばっていったはずが体に力が入らなくなってきた。痛みもひいている。


「よくなったろう」


コクリとうなずくとトカゲは目を細め満足げに目玉を舐めた。


「恩人が死んで悲しくないの」


「別に。そういう生き方をするように、と決められて生まれてきたのだから正しい死に方をした彼女を悲観することなんてないさ。君たち人間も自然の摂理というものを享受することだよ」


正しい死に方。それは僕が今まさに奪われようとしているものだ。


「さて、そろそろおくるみの用意をしようね」


自然には、法律などない。


「ねえ、トカゲの紳士さん」


「なんだね。もうお話は終わりだよ」


ぼくはそっと金槌を握った。力が入らないので両手で握る。虫編みを握っている気分だ。


「君の恩人は僕を殺すんだ。僕は蜘蛛のことを絶対許さないよ」


「そうか、それはそれだから私はかまわないよ」


振り返る様子はない。僕は思いきり金槌をふるった。


「これは、敵討ちだ。僕を殺す、お前等に、僕が」


鈍い音を立てた一撃目は頭に直撃したがそのまま再び振り上げた。無我夢中で何度も何度もふるった。一撃一撃の重みが僕の命の重みだ。

ふと、痛みが脳天を貫いた。月がかなり傾いている。“自然の薬”が切れたらしい。断末魔の代わりに僕は叫んだ。


「お前たちも逃がさない」


一際大きな打撃音を響かせ僕は僕を終わらせた。


死にかけの蝉がどこかで鳴いていた。



最後までお読みいただきありがとうございます。

コメント、レビュー等戴ければ幸いです。

他にも投稿作品がいくつかあるのでよろしければ是非ご覧になってください。

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