08
「声を出すな」
低く響いた声は感情を読み取ることができない。
そのことが余計に恐怖を感じさせる。ただならぬ状況を理解し始め、体が強張る。
現状に対処しきれない間にも、背後へとまわってきた男はまたしても低い声で囁いた。
「このまま歩け」
どう見ても友好的ではない男に体が恐怖に震える。腕は絶対に逃がさないとばかりに、痛いほどきつく握られている。
男に反抗して勝算があるとは思えなかった。それどころか抵抗すれば殺されるかもしれない。そんな考えに辿りついてしまうほど男から漂う雰囲気にのまれる。
「おかしなことは考えないほうが身のためだ」
なかなか歩き出さない私の頭の中を覗いたかのように囁かれ、ぎくしゃくした動きではあるものの足を前に踏み出した。
きちんと地面を踏みしめて歩いているというのにどこか現実感がない。
男が後ろから誘導するままに足を進めると、城の中に戻ることになった。
もしかしたら誰か人に会えるかもしれない!
希望が浮かんで喜んだのもつかの間、広々とした廊下には人が誰もいないようだった。
二人分の足音が石畳を鳴らす。
このままどこに連れていかれるのだろう...。
当然浮かんだ疑問だが、それを口にすることはできなかった。
誰か、誰か...!
祈るように歩を進めていると、曲がり角に差し掛かった。
この男がどこに連れて行こうとしているのか、生憎城の中の地理に詳しくないので検討もつかない。 曲がり角の先へと続いていた長い長い廊下に人がいた。
こちらに向かってくる人は一目で騎士とわかる。とういうのも、見たことがある騎士の軽装をまとっていたからだ。
金色の髪がさらりと流れ、蒼い瞳の整った顔立ちは残念なことに見慣れない人だ。こちらの異変に気付いてもらうには顔見知りのほうがよかったが、そうもいっていられない。
頭を軽く下げられたが、こちらはそれどころではない。
異変に気付いてほしくて頭を下げることはしなかった。代わりに目で訴えた。助けて、と。
だがそう簡単に気づいてもらえるわけもなく、前へと視線を戻されてしまった。
思い切ってここで声を上げてみるのはどうか。
そんな考えが浮かんだが、それを実行すれば男に背後から何をされるかわからない。
迷っている間にも騎士が隣を通り過ぎていく。
気づいてもらえなかった落胆と、声を上げられなかった自分への失望がどっと押し寄せて気持ちが落ち込んだそのとき、唐突に何か固いものが体にぶつかってきて吹き飛ばされた。
心臓をその場に置きっぱなしに、体だけが吹っ飛ばされたように感じた。
「いっ…!!」
構える間もない一瞬の出来事に廊下に転がる形になった。
左肩をぶつけた痛みにその部分を抑えながら上半身を起こし、何が起きたのか把握するべくそちらに視線を向ければ、騎士が男を捕まえていた。
背後から右腕で男の首を締めあげている。
「妙な動きをすれば加減できなくなる」
この場にそぐわないほど声は淡々としている。
「ぐっ、ふざけるな!!」
首を絞めていた腕が緩んだとたん、吠えるように叫んだ男は、先ほどまで生気を感じられなかったのが嘘のようだ。ぎらぎらと血走った目がこちらに向けられ、思わず肩が跳ねた。
男の全身から怒りの感情が流れている。
「アレは王家のものじゃないだろ!!」
こちらを向いた男が何を言っているのか理解した。
胸に湧き出たのは不快感だ。
「誰のものでもないだろ」
普通のことのように答え、また男の首を締めあげた騎士はこちらの視線に気づいたようににこっと笑った。
「アレって、人のことを失礼な奴だよね」
そこからはあっという間に事態は収束された。
やってきた他の騎士に部屋へと送ってもらい、そこでセフィに「まぁ!!大丈夫ですか...?!」と心配されてぶつけた肩や腕や足の傷を治療してもらい、初めての休日は終わった。
一つだけ言えるのは、散々な休日だったということ。