アラン・フラゴメーニ3
エドが亡くなると、張り詰めていた糸が切れたように何もやる気が起きなかったが、それでも仕事だけは続けた。
騎士であるアランをかっこいいと、自慢だとエドが言ってくれたので、その言葉にしがみつくように仕事だけはこなした。
毎日のように帰っていた家には帰らなくなった。
代わりに夜の街へと繰り出し、その夜限りの欲望を満たす。
ただただ酒を煽ることもあれば、酒場で会った女で快楽を得る。
自分の容貌は異性には魅力的に映ることは知っていたので、それを存分に活用した。
中にはアランの背後の貴族の肩書きを見ている女も居たが、そんな女には先に釘を刺した。
自分は弟を亡くしたばかりでまだ結婚など考えられない、と。
それで見込みがないと思った者は去るし、それでもいいと言った者だけ関係を持った。待っている、なんてこちらが望んでいない言葉を言う者は、それ以上踏み込むことはしない。
つまるところ、アランに都合がいい女だけを選んだ。
そうして月日が流れ、いよいよ聖女が召喚されることになった。
だが、アランにとっては最早どうでもよかった。
あんなにも待ち望んでいたというのに、その報告はぼんやりと聞いた。
レイノルフに語った詭弁は今や忘れてしまっていた。
エドが死んだ今、何もかもが遅い。
その日の城はどこか落ち着かない様子で、けれど厳かな雰囲気の中、聖女は召喚された。
召喚はレイノルフが行った。王は聖女に関してのことをレイノルフに任せるつもりらしく、召喚の立ち合いにも表れなかった。
召喚の間で限られた少数立ち合いのもと、その時はやってきた。
アランは部屋の前で警護の任務についていたが、扉の隙間から眩い緑色の光が漏れ出てきたので、きっと召喚は成功したのだろうと察した。
まもなく、俄に部屋の中が騒がしくなった。
その中から隊長であるタイラスが腕に何かを抱えて出てきた。その大きさ的にも人のように思えたが、マントをかけられて生憎その何かを確認することは出来ない。
だが、それが聖女であることは明白だった。
慌しい様子で走って行くタイラスを追うように部下に指示を出し、アラン自身はまだ部屋の中に居る王太子レイノルフの警護を引き続き行うことにした。
聖女が運び出され、暫くしてから漸くレイノルフが部屋から出てきた。
あまりにも遅いので何度か声をかけるか迷ったが、召喚前によっぽどのことがない限り声をかけることも中を覗くことも許されないと強く言い含められていたので、部屋の前で待っていた。
そうして部屋から出てきたレイノルフは青い顔をし、宰相補佐に肩を借りていた。
それを手伝うために駆け寄ろうとしたが、宰相補佐に視線で止められた。
部屋に入る前よりもあきらかに憔悴している様子に、召喚とはそれほども力を使うものなのだと初めて知り、衝撃を受けた。
立ち尽くすアランに気づいたレイノルフが「遅くなってすまなかった」と一言口にした。その言葉を聞いた隣の宰相補佐が驚いたようにレイノルフを見てから、アランを責めるように睨みつける。
レイノルフにはエドが死んだ際にも謝られていた。あの時には当たり障りのない返事をしたように思うが、詳細は思い出せない。
未だ一騎士に過ぎないアランを気にかけてくれていたのだと思うと、胸が熱くなった。
「……いえ、殿下のお陰でこれからたくさんの子供たちの命が助かること、きっと皆感謝いたします。烏滸がましいことは承知の上で、殿下に感謝の意を」
騎士の正式な礼をとり頭を垂れる。顔を上げると珍しく薄い笑みを浮かべたレイノルフと目が合った。だがやはり辛そうで、宰相補佐に止められたにも関わらず、アランは空いていたレイノルフの肩を支えた。
聖女が治療を施し、黒煙病の子供がたちまち元気になったという話は隊長のタイラスから聞いた。
エドが黒煙病に罹った時には、聖女の力に半ば縋るようにして召喚されることを待ち望んでいたが、実際黒煙病を治したという話を聞くと、聖女の力とは本物だったのかと驚いた。
昔話のように語られる聖女の話はよくできた物語のようで、半信半疑だったのだ。
小さな頃には確かにその物語を信じていたはずなのに、年を重ねるにつれ脚色された物語としてとらえるようになっていた。
だが、聖女は本当に物語のように黒煙病の子供を治しているらしい。
仲間内でも聖女の話でもちきりだった。
「聖女様が手をかざすとたちまち黒煙病が治るらしい!」
「黒い痣がすっと消えていくんだってさ。奇跡のようだって聖女を信じてなかった叔父が話してたよ」
黒煙病を実際に治療してもらった身近な者から聖女について語られれば、皆興味津々にその話に耳を傾ける。なので、語る方も気分が良いのだろう。聖女の話は休憩時間の十八番の話題になっていた。
会話に入るわけでもなくそれを聞いていたアランに、ニールが声をかけてきた。
「副隊長も聖女に興味があったんじゃ」
「前まではな」
その返答でニールは何かを思ったらしく、それ以上話を振られることは無かった。
夢を見た。
エドが楽しそうに庭を走り回っていた。
「もう体はいいのか?」
「うん、聖女様に治してもらったから」
元々体が弱かったエドが庭を走り回れたことなんてなかったが、夢なのでそのことに疑問を持つこともなく、アランは目を細めて走り回る弟を眺めた。
そう大きな庭ではないが、母が大事にしていたそこは世話をする者がいるので未だ色々な花が咲いている。
「ねえ! もうこんなに良くなったんだから剣の稽古をしてみたいな!」
「ああ、俺が教えてやる。ただし、もう疲れた~なんて言うんじゃないぞ」
「そんなこと言わないよ!」
目が覚めて今までのことが夢だったことに気づいた。
当たりを見渡せば、住み慣れた寮の狭い一人部屋だ。
何故、何故もう少し早く来てくれなかった。
数回、聖女と回廊で行き交ったことがあった。そのときのアランの感想は「なんて陰気な女なのだろう」というものだった。
俯いて歩き、その表情には覇気がない。聖女を取り囲む侍女達の様子は淡々として、先導する騎士の表情も硬い。まるで葬列のようだった。それとも生贄としてどこかに捧げられるかのような。
よく言えば厳かな雰囲気と言えるが、アランには陰気に見えた。
語られる物語の聖女とは全く違って見えた。
その聖女が城を出て城下で暮らしたいと言い出したと、話を聞いた時には驚いた。
聖女が城下で暮らすなんて異例だ。そしてそんな大事な話をされたのには理由があった。聖女の護衛が必要だからだ。
黒煙病を治すことができるただ一人の人なのだ。聖女を利用しようと画策している輩が居ることは容易に想像できたので、もちろん護衛は必要だろうと納得した。
どこか他人事として話を聞いていたアランは、まさか後に自分が指名されるとは思ってもみなかった。
転機になったのは聖女を助けたことだろう。
提出する書類を持って回廊を歩いていたアランは、何かが視界の端で動いた気がしてそちらに視線をやった。すると誰かが歩いているのが見えた。黒い髪が揺れている。楽し気にステップを踏む様子に視線が吸い寄せられた。それが誰かわかったときには驚いた。聖女だ。
あの陰気な雰囲気がまるでなくなっている。何があったのだろう。
まるで別人の様子に思わず立ち止まって見つめてしまったが、やがて聖女は庭の奥へと入っていき、姿を捉えることができなくなってしまった。
書類を提出した帰り、行きと同じ道を辿っていると、先ほど中庭で見かけた聖女が正面からやってきた。
葬列に居たような表情は消えていたが、何か様子がおかしい。聖女の後ろにぴったりと男が張り付いていることも気にかかった。その男の表情はお世辞にもにこやかとは言い難い。
様子見をするための会釈には、同じような反応が返って来ることは無く、怯えた瞳が一心にこちらに向けられた。助けてと聞こえてきそうな瞳に、アランは躊躇うことなく動いた。
手荒い助けになり、聖女を突き飛ばすことになってしまったが、それでも男は掴まえることが出来た。
醜く声を荒げる男を抑え込み、なるべく軽い調子で聖女に声をかけた。
「アレって、人のこと失礼な奴だよね」
未だこの状況を飲み込めていない様子でこちらを見ている聖女に声をかける。
まん丸の目は黒く、髪も黒い。が、だからと言って陰気には見えない。
この辺りでは見ない顔立ちはアランの目には神秘的に映り、彼女が聖女なのだと心の内で納得した。




