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聖女ではなく奴隷  作者: 雨花
城下の聖女
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思いがけない再会

「石鹸を作っているそうですね」


 突然訪ねたことを詫びた後に続いた言葉に顔を上げて隣を見る。

 あの日、西の辺境まで黒煙病の治療をしにきてほしいと言ってきたフィンさんの願いにはいまだに応えることができていない。そのことが後ろ暗く、何か言葉をかけるべきだと思いながらも喉からは一向に声が出てこなかった。


「あっ、はい、そうなんです」


 当てもなく庭を揃って歩きながら、耐えられない沈黙から逃れるように視線を足元に向けていたので、突然声をかけられて驚いた。

思いがけず威勢の良い声が出てしまい、慌てて声のボリュームを落とす。



「聞きました。黒煙病の予防には石鹸が効果があるということを」

「まだ効果があるかはわからないんですが、もしかしたらということで……」



 結果が出ていない今、どうしたって返事は弱いものになってしまう。このまま結果が出れば万々歳だが、もしも結果が出ないようなことになればどうすればいいのかわからない。いや、今のところそのもしもについては考えていないのだけど。



「すごいです」

「え?」

「詳細を聞いてはいなかったのですが、やはりあなたが考えたのですね」

「いえ、わたしが考えたわけでは……」



 わたしの国では風邪の予防には手洗いうがいが効果があるとされていたと話せば、フィンさんの目がだんだん輝いていった。


「あなたは今までのどの聖女とも違う…!」


 興奮したように熱が帯びた目で見つめられ反応に困り、とりあえず曖昧に笑って返す。

こんな知識はわたしではなくても、あの時代に生きている人ならみんな知っていたことだ。

 大げさだと内心で思っていたのが顔に出ていたのか、フィンさんは少し語気を強めて言葉を続けた。



「聖女の中の聖女と謳われた慈悲深い聖女マリーとも、美しく気高いと言われている聖女オニキスもあなたのように城下に降り、貴賤を問わず治療するようなことはしなかった。ましてや石鹸を使い、黒煙病を予防するなんてことを思いつきもしなかった」



 流れるような言葉に少し圧されながらも口を開いた


「……そんなすごいことじゃないんです。わたしは城からここに逃げてきただけなので」


 あまりにも良い方向に勘違いしてくれているフィンさんに、躊躇いながらも本当のことを言った。このまま黙っていればいいのかもしれないけれど、それだとわたしが黒煙病の治療をするために城下にやってきたことを認めることになる。

残念ながらわたしにはそんな崇高な思いがあったわけじゃない。


「逃げてきた?」


 目を見開いたフィンさんに苦く笑いながら頷く。



「はい、だからそんなすごい人じゃないんです」

「……ですがあなたは聖女としてここで治療をし、黒煙病を予防するための石鹸を作った。それは変わらないはずです」



 優しい言葉には笑って返した。

どこまでも優しく解釈してくれることに心苦しさを覚えながらも、嬉しいと思ってしまう。

 フィンさんの中ではわたしは聖女らしい聖女なのかもしれない。だが実際は、黒煙病を消そうとしているのは家に帰りたいからだ。



「あの、西へもまだ治療に行けずにすいません……。わざわざまたこうして来ていただいたのに」

「ああ……いえ、それは。石鹸で予防策を考えてくれたのですから。それにここへは元々用事のついでとして寄らせていただいたので」



 本当にそう思ってくれているのかはわからないが、フィンさんの言葉にひとまず息を吐いた。

用事のついでというのなら、西の地への治療の催促というわけではないらしい。


「レイノルフには何かひどいことを?」


 そろそろ帰らないとアランさんが探しているかもしれないと思いつつも、タイミングがつかめずに庭をゆっくり歩いているとフィンさんが切り出した。

 何でもないように尋ねられたが、何故急にここでレイノルフが出てくるかのわからずにいると、察したフィンさんが「先ほど城から逃げてきたと言っていたので」と言葉を足してくれた。


「いえ、何もひどいことはされてないですよ」


 ひどいこともされなかったが、いいこともされていない。ただただ放置されていた、というのが正しい答えだがわざわざそこまで答えるつもりもない。

 ただでさえフィンさんが聖女であるわたしと婚姻を結ぶことで王位継承権を得ようとしているかもしれないと忠告を受けているのだ。

王家と繋がりがあると見せるために時折ここにやって来るレイノルフの考えに賛同しているのだから、多くは語らないほうがいいだろう。

 わたしにはフィンさんがそんなことを企んでいるとはとても思えないので、少しの後ろめたさがあるけれど……。


「それならよかった」

「フィンさんは聖女に詳しんですか?」


 早々に話題を変えるため、先ほど浮かんだ疑問を口にした。

聖女の名前まであげて話していたのはフィンさんが初めてだ。聖女マリーや、聖女オニキスという人たちのことをわたしはさっきの話で初めて知った。


「詳しいというほどでもないのですが、母が好きだったので幼い頃に何度も聞かされたのですよ」

「お母様は……」

「亡くなりました」


 好きだった、という過去形の言葉にひっかかりを覚えて尋ねれば、ある程度予想していた言葉が返って来る。慌てて頭を下げて謝った。



「そうだったんですか……すいません」

「いえ、お気になさらないでください。その母が聖女の話が好きだったので何度も聞かせられたのです。中でもお気に入りだったのが聖女マリーの話です。ご存じですか?」

「いえ、聖女なんですけど他の聖女の話は全然……」

「そうでしたか、案外面白いですよ。聖女マリーは三番目に召喚された聖女と言われていて、この国の王妃にもなった聖女なのです」



 わたしが知っている聖女の話と言えば、おとぎ話のようなあの話だけだ。それもきちんと細部まで知っているわけではなく、あらすじしか知らないようなものだから胸を張って知っているとはとても言えない。



「聖女の中の聖女と言われていて、とても慈悲深かったと言われています。その人柄で後世にも名高い人物として語られているのですが、母が殊更聖女マリーの話がお気に入りだったのは、きっとロマンチックな彼女の恋愛があったからなんです」

「恋愛ですか?」



 思いがけない言葉に瞬きながら繰り返せば、フィンさんが面白そうに笑った。

 その表情からもフィンさんがお母さんのことがどれだけ好きなのか伝わって来る。



「ええ、聖女マリーは王太子の求愛には答えず、第二王子に恋をし、その想いを成就させたのです。第二王子も最初は断っていたのですが、元から彼女に惹かれていたこともあり、最後には思いを通わせたと」

「けどそうなると……」

「はい。第一王子は王位を第二王子に譲ったとされてます」



 現代とはあまりにも違う価値観ということもあり、理解するために頭の中には身近な人がそれらの配役に置かれることになった。

聖女はわたし。

第一王子はレイノルフ、第二王子はフィンさん。



「聖女は権威や王太子という肩書になびくことなく、真実の愛を求めたのだと言われています。なので母はきっと聖女マリーがお気に入りだったのだと思います」

「そうなんですか……」



 何と答えればいいのかわからず、口から洩れたのは無難な相槌だった。

 宰相補佐が語っていた「聖女が選んだ人が王位を継承した」というのは、この聖女マリーの話だったのかもしれない。

その王位をもしかしたら狙っているかもしれないと言われている、他でもないフィンさんの口からこの話が語られたので返事に窮してしまう。


「コトネなら真実の愛を求めますか?」

「え?」

「聖女であるあなたの意見が気になります」


 こちらを覗う瞳には気のせいでなければ熱のようなものが見える。先ほどの話からもなんという返事を期待されているのかわかってしまい、視線が自然と下がってしまう。

生い茂る葉の隙間から洩れて降り注いでいる光が地面を斑に彩っている。

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