03
「ここから出ようと思います」
「......ここからというと、部屋.....ではなく、城か」
いつも冷静であまり表情の変わらない王太子、ことレイノフルの目が少し見開かれた。エメラルド色の瞳が朝の光を反射してきらりと光ったように見えたけれど、それも一瞬のことですぐさまいつもの感情の読めない顔へと戻った。
あまり関心を持たれていないことはわかっていたので、やっぱりそれっぽっちの変化しか引き出せなかったか、なんて少しばかり残念に思いながら頷いた。
フォークできゅうりに似た味がする野菜を刺して口に運ぶ。普段口にしていたきゅうりよりも野性味の帯びた香りをマイルドにするかのようなドレッシングは胡椒が効いていておいしい。
「ここを出てどうするつもりだ。黒煙病を治してもらわなければ、こちらも君に来てもらった意味がない」
黒煙病を治すのを目的として召喚されたのだ。私の能力以外には全く興味がないのだと言外に言われている気がしたが、今更傷つかない。だが、何も感じないわけではない。
この世界では私――鹿目琴音個人を見てくれる人はいない。
聖女として見られる。または聖女としてしか見られない。
「治療はもちろん続けます。けどここじゃないところがいいです」
口の中のものを飲み込んでから言えば、鋭い視線に射抜かれる。
反射的に竦んでしまうのは、生まれついて王となるべくして育てられた者が放つ威厳にあてられたからか。
けれどレイノルフはそういう素質も十分に備えているように感じる。人を圧倒する力というか。
「えーと、ここを出てどこか違う……下町とかにに家を一つ用意して欲しいんです。そこを診療所にしようと思ってます」
少し圧倒されてしまった心を立て直しながらあらかじめ考えていた言葉をそらんじた。頭の中にはスピーチの原稿があり、それを読み上げるのだ。この話をするときにどういえば意見を通すことができるのか考えていた。
なぜわざわざここを出ていく必要があるのか、と当然考えていることを予想し、口を開く。
「ここに居る限り私はいいように使われ続けるだけだからです」
眉を潜めたレイノルフを無視して話を続ける。
せっかくの朝食だが、手に持っていたフォークを置き、しっかりとレイノルフを見つめる。
「朝から晩まで治療を続けて二か月ですけど、その間休みなんかも一切ありませんでした。体調が悪くとも関係なく治療を続けていて、こっちが病気になりそうです」
ここに連れてこられた日から今日まで、一切休みはない。ブラック企業よりもひどいんじゃないかと気づいたのはつい最近だ。聖女とは名ばかりで、その実態は奴隷のようなものだ。
衣食住は確保されているが、報酬も得られずに朝から晩まで体と精神を摩耗して働き続けているのだから。
それでもそのことに疑問を抱かなかったのは「聖女だからしょうがない」と思い込んでいたからだ。ある種の洗脳のような状況が解けたのは、一つのきっかけがあった。
「それにここに居る限り、私が治療し続けるのは賄賂を渡すことができる貴族の子供たちだけみたいですし」
「......それはどういうことだ」
今まで黙って話を聞くだけに徹していたレイノルフが口を開いた。
その眉根は寄せられ、瞬時に不快に思っていることが理解できる。
「この間見たんです。コルバルさんがお金をもらってるのを」
コルバルというのは、私担当、いや、正確に言えば聖女担当の役職を与えられているらしい男のことだ。
私のスケジュール管理やら、今日はどの子を治療するのかなど諸々に決定権があるようだ。
上司というのもまた違う。私を監視している人というほうがしっくりくるかもしれない。
そのコルバルがたまたまお金を受け取っているのを見てしまった。
黒煙病に罹った子供たちはたくさんいる。そのたくさんの中から優先して治療してもらうためには、治療に関する決定権を持っているコルバルに頼もうと考える人が出てくるのは当然だ。だけど、誰かを特別に優遇するなんてことをするのは許されない。持っている権力を悪用しているのだから。
ましてや、お金を多く自分に渡した人を優先するなんてことは。
親が自分の子供を助けるためにそのような行動をとったのはわかる。だがそれに応えることは許されない。
何よりも腹がたったのは、そのツケを払わされるのが私だということだ。
無理やり詰め込まれたスケジュールをこなすため、酷使されるのは私でありコルバルではない。
「下町の子供たちも同じように黒煙病で苦しんでるのに平等じゃないですよね」
心からの言葉ではないけれど、ここを出ていくためには詭弁だろうと使わせてもらう。
聖女っぽい言葉を選んで口にすれば、それを無碍にすることもできないのではないかという打算あっての言葉だ。
そしてその目論見は正しかったようだった。
難しい顔をしていたと思えば、レイノルフは頷いた。
「君の意見はわかった。父には私が話しておく」