子爵との話し合い
「今日はありがとうございました」
二人だけの馬車の中。もう外は暗く、夜会で疲れ切ったこともあって帰ればすぐにでも眠ることができるくらいに疲労を感じている。リリーを家へ送り届け、今は帰路へ着いている途中だ。
お世辞にも乗り心地が良いとはいえないものの、このガタゴト揺れる感じが逆に眠りを誘われてしまう。時々、大きく馬車が揺れることがあるが、厚いクッションを敷いていることもあり、そこまで気になることもない。
眠気に抗う意味でも、目の前に向かい合って座るアランさんへと声をかけた。
「いいえ、またエスコートが必要な際は声をかけてください」
「もちろんそのこともなんですけど! それだけじゃなくて……あの、男爵に言い返してくれたことも、ありがとうございました……」
「……ああ」
どうやら、夜会でパートナーを引き受けてくれたことに対してのお礼だと受け止めたらしく、慌てて言葉を補足する。思い出すのは、下手をすれば今日の夜会を潰すことになっただろう男爵とのやり取りだ。
余談だが、アリシアの両親である伯爵夫妻にも謝罪されたが、今日はこちらが無理を言って夜会にお邪魔させてもらったのだから気にしないでほしいとだけ伝えた。
途中でいろいろあったものの、概ね今日の夜会は成功したと言えるだろう。
もちろん、本来の目的である“融資者を見つける”という点も含めて。
「お気になさらないでください。私こそしゃしゃり出てしまい、」
「いえ、アランさんが言ってくれなかったらわたしが我慢できずに男爵と喧嘩になるところだったと思います」
アランさんはわたしの返事を自分に気を使ったものだと受け取ったらしい。
困ったような笑いを浮かべているのが、馬車の中に差し込んでくる月の光に照らされた顔に浮かんでいる。だが、わたしは別に気を使ってそういうことを言っているわけじゃない。
オコボ男爵は的確にこちらを苛つかせることばかり言っていたので、いつまでも黙ってられなかっただろう。アランさんが言い返してくれなければ、わたしは間違いなく何かを言い返していた。
この世界に来たばかりの頃は黒煙病の治療を過密スケジュールで行っていたけれど、最近では体に無理がないよう、余裕のあるスケジュールで治療をしているので、以前のような無気力な感じではないと思う。
以前は抵抗する気もなくなってしまう体のだるさや疲れで常に無気力でいたものの、本来のわたしはそんな人間じゃない。そう考えれば、最近は以前の性格に戻ってきているかもしれない。
だから、オコボ男爵にもやられっぱなしでいるつもりはなかった。
「ほんとですよ? 今日は融資者を見つけるための夜会だったので、聖女っぽい演技でもしようと思ってたんです。……それも忘れて噂話をしちゃいましたけど」
「演技を?」
聖女らしい演技というのは、結局できなかったけど。なんたって淑女にあるまじき噂話をしている現場を子爵に見られてしまったのだから。
アランさんはわたしの言葉に一瞬目を見開いたかと思うと、続いて唇に弧を描いた。
「演技をする必要はないかもしれないですけどね」
冗談めかして言葉を付け加えたのは、今日一日が概ねうまくいったという達成感により、気分が高揚していたからだろう。
いつもならアランさん相手にはあまり冗談を言うことがないのだが、口が軽くなってついそんなことを言った。
「ええ、必要はないですね」
アランさんの言葉も冗談めかしたものだったので、唇の端がぐっと上へと吊り上がった。
***
「お待たせしました。申し訳ない、話し合いが伸びてしまって」
案内された部屋で待つこと1時間。
ホークス子爵は申し訳なさそうに、けれど愛想よく笑みを浮かべてやってきた。
立ち上がって差し出された手を取ると、その上からまた手を重ねられた。
ぎゅっと手を握られ、ぎょっとしてその手を思わず凝視してしまうが、愛想笑いで誤魔化した。にこにこしている子爵を見るに、思っていたよりも歓迎されているらしいことを知る。
気が早いがこの話し合いがうまく行く予感を覚え、自然と笑顔になった。
同じようにリリーとも熱い握手を交わした子爵に勧められ、椅子に座る。
ちなみにリリーも熱い握手に何か言いたげだったが、愛想笑いで誤魔化していた。
「お忙しいところお時間取っていただき、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそお忙しいのにお待たせて申し訳ない。それで? コトネさんとリリーさんが興そうとしてる事業というのは?」
あの夜会でホークス子爵には掻い摘んで話をしていた。
だが、融資をしてくれないかと頼みながらも、その融資を受けたい理由については新しく事業を興したいからとしか話していない。
肝心の部分をぼやかして話したのは、先に話していたようにこの仕事を横取りされることを恐れて。
「……もし、ホークス子爵がよろしければ、改めてお話をさせていただきたいです」
「ええ、面白そうだ。是非」
本来であれば、こんな無茶な要求は通らないだろう。事業を興すからお金を貸してほしいと頼んでおきながら、肝心な事業内容については一切教えない。
だが、そこは“聖女”という信用でごり押しする、というわたしたちの身勝手な提案に、子爵は気を悪くした様子はなく、それどころか面白いと言ってくれて今日の対談にこぎつけた。
聖女が何か事業を興そうとしている、という部分に興味を引かれたのだろう、と予想している。
リリーと二人、今日の話し合いを成功させるため何日も準備をしてきた。それが実を結ぶかは、今からの話し合いで決まる。そう思うと肩に自ずと力が入ってしまう。それはリリーも同じなのだろう。強張った顔のリリーと頷きあって口火を切った。
「いいね。私も是非その事業に乗らせて欲しい」
「えっ、」
「いいんですかっ?!」
呆気ないと感じるほどあっさりとホークス子爵からOKをもらえ、驚いてしまったわたしは言葉が出なかった。リリーの勢いの良い言葉に、ホークス子爵は相変わらず笑みを浮かべて頷いた。
「事業を興したいとは聞いてはいたが、一体どんな事業を考えているのか興味があったんだ」
当然だが、やっぱり事業内容を言わなかったのが気になっていたようだ。
「聞けば危ない橋を渡ることもなさそうだし。そこまで先を見通せているのなら、よほどのことがない限り失敗するリスクもない」
このことは他言しないでほしい、と頼んでから話したのは、もちろん石鹸を製造してそれを売るということだ。
何故石鹸を売ることを考えているのかについては、黒煙病の予防ができるかもしれないということも含めて話した。事前にレイノルフに話していたわたしの考え――もとい、わたしの世界での考えについても子爵には話した。
この話をすることについて、レイノルフには事前に了承を得ている。
事業を興すことを本格的に決めたときに話した。融資を得るために石鹸が黒煙病を予防することができるかもしれない、ということを他の人に話しても良いか、ということを。
「あなたの知識を基にしているのだから、好きにしたらいい」
あれからレイノルフ達も考えていたらしく、石鹸が出来上がれば国が買い取ってくれるということで話は進んでいる。これから先ずっと石鹸を配給することは難しいだろうが、手洗いうがいの習慣がある程度根付くまでは国が配ることで話はまとまっているらしい。
「買い取り先も決まっている上に、これから生活に組み込まれる習慣に欠かせないものなんて、これ以上ないうまい話だ。断る馬鹿はいないさ」
にんまりという言葉がぴったりな笑みを浮かべたホークス子爵は、今までのにこやかで好青年の印象を覆すほど何かを企んでいそうに見えた。




