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聖女ではなく奴隷  作者: 雨花
城下の聖女
32/53

病の予防法

「本当か、それは?」


 普段あまり表情が変わらないレイノルフが、目を見開いてこちらを見ている。

きっとそれだけ驚いているということだろう。

黒煙病の感染者数を減らすことができるかもしれない、と言ったことに。

 それに控えめに頷いて返した。なんせ確信がないので、絶対ということができない。

弱腰になってきたわたしに、レイノルフが視線で先を促す。


「手をこまめに石鹸で洗ってうがいをするんです。後は衛生面もきちんとするだけでも違うと思います」


 何か画期的な方法があると思っていたのか、反応を見る限りピンときていなさそうだ。

 わたしが言っていることは手を洗ってうがいをし、身なりや家をきれいに整えると言っているだけなのだから。何か特別なことをしろ、とは言っていない。

 現代人からすれば極々普通の、日常の行動の中に組み込まれているものだ。

だが、だからこそ盲点ともいえる。わたしが普通に行っているので、他の人たちもしていることと今まで思い込んでしまっていた。


「実際に試したわけではないのではっきりとはわからないんですけど、一度試してみて結果を見てみるのはどうかと思って……」


 他にこの病気を媒介する生物が居たとすれば話は違ってくるかもしれない。だが、その場合も衛生面を整えていれば少しは予防になるんじゃないだろうか。


「できればきちんと睡眠をとって、食事も栄養バランスを考えたものを摂るようにしたほうがいいんですけど、それはみんながみんなできるわけではないので……」


 もちろん、お金がある貴族や一部の裕福な人であれば、そのような暮らしも可能だろう。

人を雇えば時間がなくとも栄養バランスの整った食事をすることができる。雑事もそれらの人が行うのであれば、睡眠時間はそれなりに確保することができるかもしれない。

 だが、一般的な生活をする庶民からすれば、栄養バランスまでを考えた食事は難しい。それはわかっているので、この部分を広めるつもりはない。



「その考えはあなたが居た世界のものか?」


「そうですね、わたしの国では冬場になると風邪やいろんな病気が流行っていたんですけど、そのときには手洗いとうがいは家に帰ってきたときにすることを推奨されてました」


「そうか……そんな考えは聞いたことがない。黒煙病を予防するには外に出ないようにするのが一番だと言われている」


「それも効果はあると思います。けれど子供が外に出なくても、一緒に暮らしている家族が外から病気を運んでしまうこともあるかもしれないので、手洗いうがいはしたほうがいいかもしれないです」



 考えるように黙り込んでしまったレイノルフに慌てて言葉を付け足す。


「わたしも専門的な勉強をしているわけではないので、一般的な考えなんですけどね……」


 ここまで話はしたものの、わたしが知っているのは現代日本での常識であって、専門的なものではない。なにも特別な知識ではないのだ。

なので、深く突っ込まれてしまえば答えられないことだってあるだろう。



「この考えが広まっているということは、効果があるということだろう。黒煙病に効果があるのかは試してみなければわからない」

「え、じゃあ」

「ああ、試してみよう」



 そこでようやくレイノルフはお茶を飲んだ。それに倣うようにして、わたしも自分の前に用意してい置いたお茶を飲む。まだ完全に熱が冷めていなかったそれはぬるかったが、喋って喉が渇いていたので逆に良かった。本当は冷えたお茶が飲みたいところだが。

 お茶を飲みながら目の前のレイノルフを盗み見る。考えをまとめようとしているのか、視線は正面に居るわたしではなく、わたしの横へと向けられている。

 とりあえず、わたしの話を信じてくれたことにホッとした。


「帰って話をまとめ……下準備も必要だろう。少し時間がかかるかもしれないが、これはやる価値があるものだ」


 ややあってわたしの視線に気づいたらしいレイノルフがこちらを見た。ばっちり視線があってしまったことに、盗み見ていたことがばれてしまったと、バツの悪さを覚えた。

 だがそれも一瞬のことで、何でもないように口火を切ったレイノルフの前向きな言葉に驚いた。

この口ぶりならすぐにでも動き出すつもりだろう。

 レイノルフとの関係は決して良好とも言えないので、わたしの考えは受け入れられないかもしれない、と思っていたのだが……王太子である彼が私情は挟むわけなかった。

彼のことを見誤っていたことに妙な申し訳なさを覚える。


「変わりはないか」


 てっきり帰ってすぐにでもこの対策について動き出すのかと思ったが……。

 ぎこちなく切り出された言葉に頷きながら返す。


「はい、特には……」

「そうか」


 ぎこちない会話はそれ以上は続かなかった。

 気まずさに耐え兼ねて目の前の焼き菓子に手を伸ばす。レイノルフが持ってきてくれたお菓子は流石というか、とてもおいしそうだ。

ドライフルーツがふんだんに混ぜられた生地は口に含めばほんのりお酒の味がした。



「おいしいですね、このお菓子」

「気に入ったのならまた持ってこよう」



 気のせいかもしれないが、そう言ったレイノルフはほんの少し目元が緩んだように見えた。口元はカップに隠れて見えなかったが、もしかしたら笑ったのかもしれないと思ったが、今まで笑っているところを見たことがないので違うかもしれない。


「あの、ジェームズさんはまだ領地から帰っていないんですか?」


 口の中のお菓子を飲み込んでから、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 この間宰相補佐を訪ねたときにも、確かジェームズさんは領地に帰っているということだった。

あれから少し時間が経っているというのに、まだ帰って来ていないのだろうか。


「ああ。帰すのは久々だから奥方とゆっくりしてくるといい、と伝えてある」


 ――奥方

 思いがけない言葉に、一瞬心臓が大きく跳ねあがったように感じる。



「気になるのか」

「……いえ、そうですか」



 こちらを観察しているような視線を感じ、咄嗟にお茶を飲んだ。

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