西の地より
「黒煙病はこの王都だけではなく、西の地でも広がっています。その治療を聖女様に頼めないかと、今日はお話をさせていただきたかったのです」
思ってもいなかった言葉に躊躇う。
最初は往診の予約かと思っていた。だが、西の辺境という遠いところからやってきたという情報からも、それはないかもしれないと思っていた。
ここを離れることができないというのは、わたしの都合でしかないのだからあり得る話だというのに。
だけど、まさか西まで来てほしいなんて話だとは……。
ここ、王都が一番黒煙病の罹患者が多いと聞いている。なので、他の地域のことまでまだ考えていなかった。まずは王都での治療を優先させるべきだと、それしか考えていなかった。
「もちろん、今すぐにというつもりはありません」
こちらの躊躇いを感じたのか、わたしが何かを言うよりも先にフィンさんが口火を切った。
「聖女様にもご都合があるでしょう。何より、ここには治療中の子供たちもいるようですし……。
今すぐ来ていただければたくさんの子供が助かりますが、だからと言ってここの子供たちを見捨ててくれなどとはとても言えません」
弱ったように笑うフィンさんに、居心地の悪さを覚える。
ここの子供たちを見捨てない代わりに、結果的に西の辺境の子供達を見捨てるということになってしまう。
フィンさんの言葉は裏を返せばそういうことだ。
「ですが、こちらが落ち着いた頃には西の地へといらしていただけないでしょうか? 聖女様しか黒煙病を治療することはできないのです」
「それは……」
聖女であるわたししか黒煙病を治すことができないという事実は、ここに来てから嫌というほど思い知らされた。だからこそ、わたしにしか頼めないということがわかるので、答えに詰まってしまう。だが、簡単にここで返事をしていいものではないことはわかる。
軽々しく返事をして、その言葉の責任を持つことができない。
王都が一番黒煙病の被害が深刻であることを知らせているが、その次にどこの地域を優先的に治療するべきなのかまでわかっていない。
ここに西の子供たちを連れてきてはどうだろうか、と一瞬浮かんだ提案は、口にすることも出来ない。
西の辺境というくらいだ。きっととても遠いところなのだろう。黒煙病に罹っている子供たちには酷な道のりになるのは間違いない。
何より、それができるのならきっとフィンさんが実行しているだろう。
「すいません……それはわたし一人では決めることができないです……」
言葉を選ぼうにも何も見つからなかった。
我ながら何と心許ない言葉なんだろう、と思った。
「そうですか……それは残念です」
「本当にすいません……。けど、あの、そのことについては相談させてもらいます」
心底残念そうに、そして悲しそうに笑った目の前の人にちくりと胸が痛む。
慌てて今できることを口にすれば、笑みを作っていたはずの顔からスッと表情が抜け落ちた。
「……王太子にですか?」
「え?」
「いえ、そうしていただけると助かります。現状を知っていただけただけでもよかったです」
優し気な顔で笑みを浮かべるフィンさんは、最初の印象通りで、先ほどのは見間違いだったのかもしれない。
「それに、先ほどあなたが治療を子供たちに施しているのを拝見させていただきました。あなたが聖女という役割を精一杯努めてくださっているのが伝わってきました」
「え! そうだったんですか、すいません、気づきませんでした……」
全く気付かなったので驚きながらそれを詫びれば、苦笑と共に首を振られた。
「いえ、私が勝手に覗いていただけなので」
思わず目の前のフィンさんと比べるように、ネルソン家の侍従が怒鳴りこんできたときのことを思い出して遠い目をしてしまった。
あれから何度か往診の予約を受け付けているが、今のところあそこまでひどい態度の人はいない。
だが、フィンさんと雲泥の差があることは間違いない。
「時間を取って申し訳なかったです。そろそろ帰りますね」
「あ、はい。わざわざ来ていただいたのにすいませんでした……」
遠い目をしていたところで、フィンさんの言葉に意識を引き戻された。
もう一度謝れば、フィンさんが緩く首を振る。そうすると金色の少し癖のある髪がふわりと揺れる。
「それではまたお会いしましょう。コトネ」
にこりと笑ったフィンさんは、わたしから満足できる返事を引き出せたわけではないのに気分を害した様子もない。きっと落胆しただろうに、その心の内を少しも見せない。
そのことに申し訳なさを感じる。
「はい、また」




