貴族の矜持
ガタガタと揺れる馬車は、乗るのは二度目だけどやはり乗り心地が良いとは言えない。
その上、この狭い空間に二人ということもあって、より居心地の悪さを感じる。
「大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です」
「もう少しで着きますので、それまで私のことはお気になさらず楽な姿勢を取っていてください」
「…はい。ありがとうございます」
少しお尻の位置をずらしただけなのに、アランさんはすぐにそのことに気づいて声をかけてくれる。
にこっと綺麗な笑顔で気遣われ、頷いてお礼を言えば、また視線は窓の外へと向けられる。
つられるようにわたしも窓の外へと視線を向けた。
住宅街を走っているらしい馬車は、先ほどから似たような道をずっと辿っている。
見たこともない店のようなものも何度か見かけたが、それらを質問するのも躊躇われて先ほどから口を閉じている。疑問は解決するあてもなく、一人で考えるのみだ。
――せめてリリーがここに居たのなら…。
何度目かの呟きを胸中で呟き、ため息を深く息を吸い込むことで誤魔化した。
何故こんな気詰まりな空間にアランさんと二人で居るかというと、話は数日前に遡る。
***
ようやく一日のスケジュールが定められるくらいこの生活にも慣れてきたので、無理やりお昼休憩の時間を作ることにした。
それまではお昼ご飯を食べる時間も作ることができなかったが、それが正解だとは思ってはいなかった。
空腹を抱えて仕事をして効率が良くなるはずがない。だからこそお昼休憩を捻出し、多少なりとも心休まると言っていい時間をリリーと過ごしていた時だった。
最近もっぱら休憩スポットになっている診療所の裏でお昼ご飯のサンドイッチにかぶりついていると、唐突に言い争うような声が聞こえた。
何事かとリリーと視線を合わせて様子を伺っていると、どうやら一人はナタリアさんの声だと気づく。もう一人の怒鳴っている声は男だ。
立ち上がって窓から中の様子を見てみれば、ナタリアさんが中年と思われる男に何やら怒鳴られている。
「お前では話にならん! 聖女と直接話をする、早く呼んで来い!!」
「ですから今は無理です。お静かにお願いします」
「無理とはなんだ! 私を誰の使いと思っている!」
果敢にもナタリアさんが応戦しているが、男の望む返事とは違ったために余計に怒らせることになったらしい。
淡々とした物言いでたしなめるナタリアさんとは反対に、男は感情的に怒鳴り散らしている。
ここに来てから何度か見た光景だが、だからと言って気持ちの良いものじゃない。
ため息をつきながら手に持っていたサンドイッチをどうするか思案したのは一瞬で、とりあえず皿の上に戻した。
「なんなのよアレ。誰だか知らないけど私がガツンと言ってきてやるわ!!」
「わたしも行く」
今にも飛び出していきそうなリリーと一緒になって裏口から建物内へと入る。
少し調子のよい子供や、子供の付き添いをしている親たちがナタリアさんや男の様子を伺っている中を縫い進んでいけば、いつの間にやら後ろにアランさんが居た。
お昼の時間は気を使ってくれたらしく、リリーと二人にしてくれていたのだがどこからかこの騒動を見ていたらしい。
「何かありました?」
リリーの声に、それまでナタリアさんに意識を向けていた男が、弾かれたようにこちらを向いた。途端、さっきまでの怒りの形相を隠し、形ばかりの愛想笑いを浮かべている。
ターゲットから外れたことに気づいたナタリアさんが、うんざりした顔で自分を見ていることには気づいていないらしい。
ナタリアさんは意外にも最初の印象とは違い、なかなか肝が据わっているらしいことがわかってきた。
肩をすくめ、うんざり感をこちらに訴えてきたナタリアさんに笑いそうになりながら男を見据える。
「いや、聖女様と直接話がしたいと申し入れていたのだが、なかなか聞き入れてもらえず…。失礼をした」
あくまでも自分は被害者だと言いたげな物言いに眉を寄せてしまう。さっきまでの横柄な態度を知っているので、この男は本来そういう人間なのだろう。
とってつけた聖女様呼びも不快だ。
「そうですか。本来であれば受付に並んでもらうのが、ここでのやり方ですので。そのように怒鳴りこんで来られても対応はできかねます。」
淡々と響いた声からリリーの感情は読めないが、きっと内心いら立っているだろうことは予想できる。
「申し訳ない。ですが、あまりにも急いでいたものですので…というのも、お仕えしている男爵家のご子息であらせられる…」
「ちょっといいですか? ここだと迷惑なので向こうに移動します」
完全に語る気満々だった男は、わたしが声を上げて中断させたことにムッとした表情を浮かべたものの、渋々といった様子で指し示した入口へと歩いていく。
あの日ナタリアさんに連れられてやってきたカイルが心配そうにこちらを見ていたので、頭を一撫でする。随分元気になり、今では普通にちょろちょろと歩き回れるようになっていた。
ナタリアさん、リリー、アランさんと共に建物外へと出てそこで立ち止まると男は眉を寄せた。
どこか応接室にでも通されると思っていたようだ。何故そう思っていたのか謎だ。
「それで?」
「聖女様はどこに?」
きょろきょろと辺りを見回している男は、どうやら聖女に直接訴えれると思っていたらしい。
貴族の使いだから当然自分は優遇してもらえると思っている態度にうんざりする。
「わたしが聖女です」
「え、あ、なたが?」
「はい、それで?」
まさか聖女が普通にいるとは思っていなかったのか。わたしがそれらしく見えなかったからなのか、驚いた様子の男にいい加減早くして欲しいと続きを促す。こっちは貴重なお昼の時間を割いているのだ。
「お会いできて光栄です」と、形ばかりの口上を述べたかと思えば、襟を正して男は話し始めた。
聞くも涙、語るも涙といった様相で、まるで物語を語るかのような男は長々と話していたが、要は使えている家の坊ちゃんが黒煙病に罹ったということらしい。
そこで屋敷に治療を施しに来てほしい、ということだ。
「それなら受付時間に何故こちらには来ないのですか? 張り紙にも書いてある通り、午前中でしたら治療の受付をしていますが」
まさかそう返って来ると思っていなかったのか、一瞬言葉に詰まったようだ。
「いえ、その伺わせていただこうとしたのですが、坊ちゃんの病状は悪く…ここまでの道中無事かも…」
男の言い分には突っ込みたいところだらけだ。
そんなに病状が悪化しているのなら、ますますこちらに連れてきてすぐにでも治療を施すべきだ。
それを悠長に家で待っていられるというのだから、実際はそれほど深刻でもないことが予想できる。
貴族の矜持だかなんだかでこちらに来ない。おおよその理由はそんなものだろう。
くだらないという気持ちはあれど、今はその貴族の矜持を利用してやろう。
少し前からリリーと話していたことを始めるいい機会だ。
「わかりました。本来であればここに来ていただいた人にしか治療はしないのですが、特別に往診という形で伺わせていただきます」
「おお、それはありがたい。旦那様と奥様もお喜びされると思います」
話の流れから次の展開を読んでいたらしい。リリーが予定を書き込んでいる紙を持ってきてくれた。二人でその紙を覗き込み、リリーが指で示した日時を口にする。
4日後だが、こちらも予定が詰まっている。
男は何か言いたそうだったが、往診に向かうという言葉を引き出せただけでも良かったと思ったのか、意外にもあっさりと引き下がった。
一日に治療できる人数は限られている。症状が軽い人たちについては後日治療すると伝えているので、予定表にはぎっちりと予約が埋まっているのだ。入院している子供たちの治療もある。なので、急いでも4日後ということになる。
まあ、深刻な状況であれば、ここに連れてくるだろうし。ということを予測しての4日という日時だ。
それが4日前のこと。
男に渡した予約票に書き込まれた日時が今日ということで、わたしはご丁寧に迎えに来てくれた馬車にアランさんと二人揺られている。




