夜の訪問者
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そろそろ休まれたほうがよろしいのでは…。そう控えめにアランさんに声をかけられたのは、夜もすっかり更けてからだ。
時間を忘れて話しこんでしまっていたらしい。思わず向かいに座るリリーと視線を合わせ、どちらともなく苦笑した。
明日から本格的に診療所が始動する予定なので、今日はその準備を進めていた。
今日引っ越して、明日にはもう診療所を始めるというのは、無茶なスケジュールと言われた。なんなら自分でも無茶だと思っている。だけど悠長に休んでもいられないだろう、と判断してのことだ。
わたしだってできれば休みたい。だが、そうもいかないと思ったのは、まだ一般の人たち――貴族階級の子供たち以外の治療を数えるほどしかしたことがないからだ。
城での治療は、広く門徒を開いての治療ということでなかったのは知っている。便宜を図ってもらおうと賄賂を渡し、それを受け取ってコンドルは治療する子たちの順番を決めていた。
子供一人一人の病状を見て判断することはなく、ただただ自分の利になる子供たちしかわたしに治療させていなかった。
そのコルバルが担当から外され、ジェームズさんが担当になってからはそのようなことは無くなったものの、やはり貴族の子供たちが優先されている。
それも当たり前と言えば当たり前だ。
そもそも登城するのは貴族ばかり、貴族階級に連ならない人たちはコネもない。
どれだけひどい症状の子供たちが居ても、それを直接ジェームズさん(またはそれに近しい人)に訴えることはできない。
そんなことからもきっと明日診療を開始すれば、人が大勢やって来るだろうと予想している。
まだ慣れていないこともあり、そうなればひっちゃめっちゃかになることはわかっているので、できることは今日済ませておこうとしているのだ。
とはいっても、明日からは激務になることが予想されるので、休んでおくことも必要だ。
「そうですね、明日からは忙しくなりそうですし。リリー、もう休もっか」
「そうね。もっと早くに気づくべきだったわ、コトネは今日はたっぷり休んでおかなくちゃいけないのに」
コルバルが担当だったときの話はすでにリリーは知っているので、治療には休養が必要なこともわかってくれている。
当初の予定では、ここまで話し込む予定はなく、明日に備えておくつもりだったのだ。
やっぱり予定通りに事が進むわけがないことを実感しながら立ち上がった。
「早速用意してもらった部屋を使わせてもらうわね」
「ジェームズさんも初日から使うことになるとは思ってなかっただろうね」
「そうよね、もしものために準備してくれたみたいだし」
自然と笑いが零れたのは、最後のジェームズさんの様子を思い出したから。
ここから帰って行くとき、ジェームズさんはしつこいほど「何かあったらすぐに知らせてください」と言っていた。あまりにも何度も言われるので、最初は真面目に返事をしていたけれど「はいはい、わかりました」と、少しうんざり気味に返事をすれば、「はいを繰り返す人は信用できません」と難しい顔を返された。そのまるで親のような言葉には笑ってしまった。
心配してくれていることがわかるので嬉しい気持ちはあれど、兎にも角にも今日のジェームズさんはしつこかった。
信用ならないのか、何かあったときには知らせると約束までさせられた。それも鋭い視線を眇め、嘘偽りない言葉なのか探られながら。
明日に向けての準備まで手伝ってくれたので、「また来ます」という言葉を置いて、馬に乗って帰って行ったのは結局、空が赤く染まってからだ。
「なに笑ってるの?」
「うん、ジェームズさんがしつこかったこと思い出して」
「あれはねぇ…過保護な母親みたいだったわね」
どうやらリリーの目にも、同じように映っていたらしい。
テーブルの上を片付けながら吹き出してしまう。
「…失礼ですが」
「はい?」
「いつも政務官殿はあのような感じなのですか…?」
躊躇いがちに会話に入ってきたのはアランさんだ。
ほとんどわたしとリリーでこれからのことを話していたものの、アランさんに聞いてもらっておいたほうがいいと思い、三人でテーブルを囲んでいた。
「いえ、いつもは何だか、何て言えばいいのか…難しいことを考えてそうな顔で、無駄な話はしない感じですね」
…お世辞にも愛想が良いとは言えない。
一応オブラートに包んで答えれば、アランさんにも言いたいことは伝わったらしい。苦笑と共に頷いている。
「けど、顔に出ないだけで本当は面倒見がいい人なので、わたしのために怒ってくれたりしてくれたんです」
悪口を言っているつもりではないが、あまりにも言葉が足りない気がするので慌てて付け足した。
最初はとても厳しくて融通が利かない真面目な人だと思っていたが、それは間違いだったと徐々にわかった。意外にも冗談だって通じる人らしいし。
だが、改めて今日の別れ際のことを思い出すと、あそこまで心配性だっただろうか、と違和感を覚えた。
あそこまで心配されるほどの“何か”を起こしたことはないはず。普段から無茶をするような相手ならばあそこまで心配することもあるかもしれないが、前科がないのに何故…。と考えたところで、ふと思い浮かんだのは一度だけ行った庭園でのことだ。
もしかするとあの時のようなことが起きるかもしれないと思っているのだろうか…。
コンコン
突然控えめに響いた戸を叩く音に、ハッとしてそちらに視線を向ける。
ぴたりと口を閉ざし、動きを止めたわたしとリリーと違い、アランさんは素早かった。
音もなく立ち上がって扉へと向かう。動かないように、と視線で指示を出される。
リリーと一緒に頷くと、アランさんからも頷きが返ってくる。
頭の中には先ほど思い出した、庭園で襲ってきた男のことが浮かんだ。
「どちらさまでしょう」
「…こんな遅い時間にすいません。こちらに聖女様はいらっしゃいますか?」
聞こえたのは女性の声だ。
「聖女様に何か御用でしょうか」
アランさんの声が低く響く。
いつになくぴりぴりとした雰囲気を纏うアランさんに釣られ、緊張感が増してくる。
「息子を聖女様の力で治していただけないでしょうか」
思わずリリーと目を合わせる。
「治療は明日からしていただけると伺っていたのですが、息子の様子がおかしくて…どうしても診ていただきたいんです…」
女性の声は徐々に涙交じりのようなものへと変わってきている。
とても嘘とは思えない様子に、リリーと頷きあった。
「…いいんですか?」
扉の前に立つと、隣に立っているアランさんがこちらを見て確認してくる。
「はい、開けてください」