引っ越し
あまり目立たないように出ていきたいという私の気持ちとは裏腹に、用意された馬車はとても立派なものだった。王家の紋章が施されたそれに乗り込めば、ゆっくりと走りだす。
わざわざ見送りに来てくれたらしい王太子にお礼を言い、思っていたよりもあっさりと王城を離れることができたことに安堵と共に現実感のなさを覚える。思えばこの世界にやって来てから私はあそこから出たことがなかった。せいぜい中庭に行ったくらいで、与えられていた自室と治療をするための部屋を行ったり来たりしていたくらいなのだ。
中庭を訪れたのも結局はあの一度きりだった。
あれから一人で行動することを制限されてしまったからだ。供の者をつけると言われたが、わざわざ人に付いてきてもらってまで行きたいとも思わなかった。
馬車は振動が直接お尻へとくるため、乗り心地は良いとは言えない。
カーテンの引かれた窓から外を見ようとすると、王家の紋章が描かれた馬車なこともあり、道行く人がこちらに注目していたので慌てて閉めた。それでも我慢できずに隙間から見た景色に少しわくわくする。
西洋の街並みのような城下は、映画やドラマで見たことがあるような昔を模していて素朴なものだった。道はコンクリートで舗装されていないし、街行く人たちも城で見たような華やかな服を着ていない。機能重視のそれらを着て、人々は忙しそうにしている。
どこか現実味のない光景に、わくわくとしていたものに不安も入り混じる。
***
「コトネー、もうっ! 遅いわよ!」
馬車から降りると、待ち構えていた様子のリリーが木の影から出てきた。
「ごめん」
まさかもう来ているとは思わなかったので驚きつつも素直に謝れば「別にいいけど...」と、少し居心地悪そうな様子で呟いている。
長い付き合いというわけでもないのに、リリーとは目標を一つに共に頑張ってきたからか、この世界に来てから一番仲良くなった。
なので、こうして素直に謝ればリリーが途端に弱ったように勢いをなくすこともわかっていた。
「こちらのかわいらしいお嬢さんは?」
私専用の騎士を任命されたアランさんは、もちろんこの引っ越しも一緒に行うことになっていた。
二人は初対面であることを思い出し、改めて紹介する。
リリーは胡乱な目でアランさんを見ていることからも、意外なことに彼に対してあまり良い印象を持っていないのかもしれない。
「こちらはリリー。わたしと一緒にここで……やっていってくれることになってます…?」
「やっていくって何よ」
なんて説明すればいいのか迷い、最終的によくわからない紹介をすれば、すぐさま当の本人であるリリーからツッコみが飛んできた。
「簡単に言えば共犯者よ」
「待って、共犯者ってなんか悪者みたいじゃない?」
「そんなことないわよ、かっこいいじゃない」
そう言ったリリーは唇を釣り上げてわざとらしく意地悪そうに笑っている。かわいらしい顔立ちをしていているので迫力はあまりない。それを言えば怒りそうなので黙っておく。
「運命共同体は?」
「い、いやよっ!! 何よそれ!」
「なんでー」
過剰とも思えるほどの反応をするリリーは嫌そうにしながらも、本当に嫌なわけではなさそうだ。悪戯心がくすぐられ、ついわからないふりをしてリリーに絡む。
ふと、意外そうにこちらを見ていたアランさんの様子に我に返った。
リリーといるとついはしゃいでしまう。
城でのわたしを知っているのなら、別人のように見えるかもしれない。
口を噤んでアランさんの視線から逃れるように訳もなく熱心に道端の小石を見つめる。
「あなたは副隊長さんね」
「私のことを知っていてくれたんですね」
「まあね」
あくまでも素っ気ないリリーだけど、アランさんは特に気にした様子もない。
リリーは城付きの女官をしていたので、もちろん騎士団副隊長であるアランさんのことは知っているだろう。
女官である彼女たちは城のことを知り尽くしているし、情報交換を欠かさないらしく、いろいろな情報を持っている。例に漏れずリリーも情報通だ。
追々それらの話もしようとは思っているが、それよりも先にすべきことは引っ越しだ。
それに新しい住処兼診療所のことも把握しておきたい。
「政務官殿は遅れてくるという話でしたね」
「そろそろ来ますかね」
“政務官”という呼び名が誰を指しているのかわからなかったが、この場に居るはずなのに仕事で遅れてまだ到着していないのはジェームズさんだけだ。
この家のことを先頭に立ってしてくれていたのはジェームズさんだ。
わたしの要望を聞き、それに沿うようにすべてを整えてくれた。わたしが一番お世話になっている人と言っても過言ではない。
ジェームズさんの代わりとして男性が案内してくれた。
家の中はすぐにでも生活を始められるように整えられていたし、診療所にしてもそうだ。
いくつも設置されているベッドには清潔な白いシーツが敷かれてある。
居住用の家と診療所とは分けて作ってくれたらしい。渡り廊下のようなもので繋がっているものの、完全に別の建物だ。
今日からここが私の家になるのか。
まだ実感は沸かないが、不思議とやる気が溢れてくるようだった。