ヴァンパイアと元子爵令嬢
ホワイトデーですが、もちろんこの時代の彼らの世界にそんなことは関係ありません。
婚姻の儀を済ませたからと、油断があったのかもしれない。リーファが人間ではなくなってから何度か外に出かけたこともあったが、常に私が一緒だった。だから何事も起きなかったのだと、こういう状況になって初めて気づく。
「どういう、ことですか…?」
正式に公爵の地位を継いでこの邸の主となってからしばらくは、今まで請け負っていた以上の公爵としての執務と新たに加わった宰相としての執務に追われていて、なかなかリーファと出かけることができなかった。そんな中この間の夜会で誘われたのだと嬉しそうに報告してきた彼女に、数少ない社交も始めたのだと女性だけのお茶会の参加を認めたというのに。実際彼女を送り出して、夜もそろそろ明けるという頃。つけていたはずの侍女が慌てた様子で戻ってきたと知らせを受け、何事かと執務室へ通して見れば。
「申し訳ございませんっ…!!」
お茶会の帰りに、何者かに襲撃されリーファが攫われたと。そんな報告を受ける。
今回のお茶会はあまり位の高くない家柄の者から呼ばれたため、つけていた侍女の出身もあまり高い位の家では緊張させてしまうこともあるだろうと気を使ったのだが。どうやらそれが仇となったようだ。詳細を聞かなければ分からないが、少なくとも複数だったとは彼女の証言から分かっている。昼間は眠ってしまう彼女の力では、それらに対抗できなかったのだろう。御者はさらに下の家格の者なので、そこは推して知るべしである。
だが、しかし……
「なるほど?私のリーファを、あろうことか私から奪い害そうなどと……」
ここでは隠す必要などない。紅い瞳も長い牙も、威圧するように溢れ出す魔力も。
「そのような輩、私が直々に消してやらねば」
弱き者の痕跡を辿るなど容易い。リーファの居場所も、私ならばすぐに見つけられる。彼女が生きていることは、今ここに私が存在し続けていることが証明しているから問題ない。だが、私の唯一に手を出そうなどという発想そのものが許せないのだ。明らかな不穏分子など、初めから消してしまうに限る。
「少し出てくる。お前たちはリーファが戻ってからの準備をしていなさい」
「はっ!!」
優秀な彼らであれば、何が必要なのか言われなくてもすぐに用意ができるはずだ。私はあとの心配などせずマントだけを羽織ると、ただ愛しいリーファの許へと急いだ。
* * *
油断があったと言われてしまえばそれまでだけれど。
「まさか、こんなことになるなんて…」
子爵令嬢であった頃は、こんな謀略みたいなことに巻き込まれる心配もなかった。正直下から数えた方が早い家柄であったため、そもそも誰の眼中にもなかっただろうに。
「心配、させているわよね。どう考えても」
正直恐怖など微塵も感じていない。必ずハイルが来てくれると信じて疑わないので、それまで大人しくここで待っていればいいだけだ。女性が表立って練った計画なのか、手足も縛られることなくただ閉じ込められているだけなので、身体的負担は一切ない。甘いなと思ってしまうこの思考は、多少なりともこちらの世界に自分が馴染んできた証拠なのか。
「でもまさか、元の身分が低いから嫌がらせされることになるなんて…こちらの世界でも女性はもともと人間なんだものね。人間の世界の常識が根強く残っていても不思議じゃなかったわ。本当に、迂闊だった……」
高笑いをしながら部屋から出ていった彼女たちは、いずれも元は伯爵や侯爵などの家の出らしい。それが男爵や子爵の家に嫁ぐことになった上、自分よりも元の身分は低い者に頭を下げなければいけないのが気に食わなかったようだ。何より彼女たちの夫は、ハイルのことを弱いと勘違いしている典型例のようだから尚更だろう。
「今後は、必ずハイルと一緒に出掛けることにした方がいいわね…」
「えぇ、全くもってその通りです」
聞こえてきた声に顔を上げれば、思った通りの美貌。当然のように扉から入ってきた彼は、紅い瞳も長い牙も隠そうとしていなかった。
「ごめんなさいハイル。今度からあなたと一緒じゃなければ嫌だとお断りするわ」
「そうしてください。今回は私にも油断がありましたし、侍女を相手に合わせるようなことも二度としません」
少々不機嫌そうな顔のまま目の前まで来たかと思えば、ふわりとマントで体を包まれて抱き上げられる。
「けれど、それ以前に。もう二度とこんなことをしようと思えないように、しっかりと周知させますから」
「……今回はもう、ハイルの好きにしてちょうだい。私は何も聞かないわ」
「物わかりのいい妻で助かります」
ふふっと一転して機嫌がよくなったのは、私が全てを肯定した上にこの腕の中にいるからなのだとは分かっているが。彼が何をする気なのかは、本当に何も聞く気にはなれなかった。
だって、本来いたはずの見張りが誰一人跡形もなく消えていたから。
* * *
夜会の最中、遠慮もなくこちらに近づく気配を感じて僅かに口の端を上げる。今夜はリーファを連れず、私一人での参加にしていた。罠にかけた者たちの末路を、彼女の目に触れさせたくはなかったから。そうでなくても出来る限り閉じ込めておきたいというのに。他の者があの瞳に映ることすら、正直私には嫌なのだから。
「お話し中失礼いたします」
「おや、どうかしましたか?」
彼らの"失礼"に当たるのはきっと、話し相手のノエルに対してだけだろう。私に対する敬意など、彼らからは微塵も感じられないのだから。
「先日、我が家にハイル様の奥方様をお呼びした日から、我らの唯一の行方が知れないのですが」
「何かご存じではないかと思いまして」
部下に調べさせたところ、彼らも当然共犯だった。当然だろう。妻三人程度で、馬車を襲ってリーファ一人とはいえ攫った上に監禁など出来るはずがない。
「おやおや。その日に私の唯一の乗った馬車を襲った不届き者がいたのですが…それはご存じで?」
「な、何の話でしょうか?」
「我らは妻の行方を…」
「それを同行していなかった私に聞きに来た理由はなんです?」
リーファが攫われたことは公言していない。そのため彼らには今彼女がどこにいるのかなど一切情報がない。ただ、見張りと妻が同時に消えた。ついでにリーファも消えた、くらいのものだろう。
「その…もしや、同じように唯一が行方知れずになっているのではと思いまして……」
「それはおかしいですねぇ?そちらの屋敷で別れたはずの相手が、どうして同じようにいなくなっていると?」
「も、もしもの話ですっ…」
「推測の域を出ないのに、こんな公の場でそのようなことを問いただしに来たのですか?」
不躾だろうと言外に含ませてやれば、一瞬怯んだ様子を見せたものの。彼らの中ではまだ"弱い"私の印象のままらしい。今はもう魔力を抑えてはいないので、明らかに格上だと分かるはずなのだが。どうにも先入観が先立ち、目の前の現実が見えていないらしい。だからこそ、公爵の唯一を攫うなどという大それたことができたのだろうが。
「た…たまたまこのような場所になっただけで…」
「決して他意があったわけではないのです」
「なるほど?それで、わざわざこの私が何日もの間唯一を見つけられないのではと疑ったと?」
「そ、そう言うわけでは…!!」
「ではなぜ、私の唯一がいなくなっていると思ったのです?しかも、自らの唯一と関係があるのではないかと疑いを持つかのように」
「で、ですからもしもの話でして…!!」
青くなる彼らの顔に、別段何の感情も抱くことはない。これは野放しにしておくわけにはいかないのだから。そもそも私の唯一に手を出した時点で、行きつく先などとうに決まっている。
「よもや、私が何も掴めていないと本気で考えていると?」
「っ…!!!!」
「まさか、知っていて…!!」
気づいたのか徐々に怒りに染まっていくその顔に、こちらは冷たい目線だけで答える。身勝手な理由で私の大切な者たちを傷つけるのであれば、容赦など必要ない。
「そもそも唯一が捕まった場合、そのあとはどうなると思っているのか…」
「なに、を……」
「こうなるのですよ?」
軽く手を振った先で、三人が灰となり消滅する。生かしたまま捕らえていた彼女たちを跡形も残らず消してしまえば、同じようにその命も消えるのだから。
「私の唯一に手を出しておきながらどうして無事でいられると思ったのか…愚かですねぇ…」
冷たく呟けば、息を呑み動くことも出来なくなっている周囲からいくつかの尊敬の念が飛んできた気がした。その最たるものが後ろにいる我が弟なのは、果たしてよかったのかどうか微妙なところではあるが。
「流石兄上ですね!見事に邪魔なものを排除してしまわれるなど…その鮮やかな手腕と容赦のなさには脱帽いたします…!!」
嫌味などではなく、これが本心だからこそまだいいが。王となる存在がそんなに輝かんばかりの目をして私を見ているのも本当にどうなのだろうか…。こればかりは考え物である。
ちなみにリーファだけで留守番というのもつまらないだろうからと、我が家の義姉妹は本日揃って夜会を欠席している。私の唯一ではないとはいえ、大事な弟の唯一にも見せるべきものではないと思って取った措置なのだが。この弟の瞳の輝き具合からして、帰ったら即座に話してしまわないかと一瞬不安になる。が、実は唯一に対してだけは異様なほど気が付く弟だ。彼女の心労になりそうなことを言うことはないだろうと思い直す。とはいえ、具体的なことは何一つ言わずただ"凄かった"と興奮気味に報告しそうではあるが。
……夫婦間の話題が私のことというのも、それはそれで微妙な気がしたのはきっと気のせいではない。
「こういうことは事前に報告しておいてもらわねば困るぞ。このような公の場で消すなど、少し配慮が足りないのではないか?」
聞こえてきた声に腰を折って礼を返すが、予想通りだったのでそう驚くこともない。
「おや、王ともあろうお方がおかしなことをおっしゃいますね。それではまるで、自分の唯一に危害を加えられても大人しくしていろと聞こえるのですが?」
「いや、そんなことは言っておらぬ。ただ何の宣言もなしにはどうかという話をだな…」
「宣言がなかったあちらの流儀に則ったまでですから。おかしなことはありません」
「……前は消さずにいたというのに…」
むしろ前は消さなかったことを詰るように言われたというのに。消したら消したで詰られるのだから、困ったものである。
「私の唯一だと理解した上で手を出した愚か者に、存在している価値などありませんから。禍根を残さないように、家族も消したではありませんか」
「より過激だ!!そういうところばかり先代に似おって…!!」
おかしい。笑顔で告げたはずなのに、何が不服だったというのか。
…なんて、そんな愚かなことを思うほど足りない頭は持っていない。そして既に家族も消したことを知っていると見越しての発言だったのだが、どうやら当たりだったようだ。
「一族の不始末は一族が負うもの。貴族が足りないとのことでしたら、我が家にいる者たちの中から復位させるなりすればよろしいのです」
「それは構わぬ。だがそういう意味ではなく…」
「未だ私が何者なのか理解できていない者たちが多いようでしたので、この辺りでしっかりと認識させようかと画策した次第ですが。王はお気に召しませんでしたか?」
「ぐっ…」
確かに禍根を残さぬようできる限り一族郎党消してしまえと教えてくださったのはお爺様だったけれど。この場合はそれが最も効果的だったから選んだだけで、普段からそんなことをしようと思っているわけではない。何よりそんな者たちのために私が動くなど、リーファやノエルが関わらない限りやる気にもならない。そんな時間があるのならばリーファを旅行にでも連れていきたいのだから。
「我が君」
かけられた声に振り向けば、跪く二組の夫婦。
「見事な手際でございました。我々一同、その手腕に感激いたしました」
「ただ、次回からは私共にお命じいただきますよう。わざわざあのような者たちのために我が君が直々に動く必要などございません」
「では、次回からは任せましょう」
「はっ!!」
顔色悪く俯く者たちがいる中で、明らかにこちらに礼を取る高位の者たちの姿がちらほらと見られる。おそらく彼らも、この二組の夫婦と同じなのだろう。
「全く…どうしてこうも先代に似てしまったのやら…」
もはや諦めの境地でため息を吐いたその声は、王としてではなく父としてのものに聞こえた。