唯一という存在
あれはヴァンパイアの世界に到着した最初の夜のことだった。
ようやくハイル様の許にも唯一が…!
これで公爵家も安泰ですね
あの方がハイル様の唯一…
遠巻きながらもそうひそひそと聞こえてくる言葉に、引っ掛かりを覚えて。別段敵意や悪意のある声色ではなく、むしろ歓迎や喜びだけで満たされたその声の数々は決して不快ではなかったけれど。だからこそ、気になってしまって。ハイルのご両親への挨拶を終えて私がこれから暮らすことになる部屋へと案内されてから、侍女たちが飲み物の準備を終わらせて部屋の隅に下がるのを待って問いかけてみた。
「……ねぇ、ハイル?」
「どうしました?」
「"唯一"って、なぁに?」
私は今まで、ヴァンパイアの伴侶のことをそう呼ぶのだと思っていた。けれどまだあと二年は妻にはならない私に対しても、周りの声は"ハイルの唯一"だと当然のように認めていて。もしかしたら伴侶以外の意味合いもそこにはあるのではないかと思ったのだ。そしてそれは、どうやら間違っていなかったらしい。ハイルは「ふむ…」と考えるように顎に人差し指を添えて、私の方をじっと見つめてきたのだ。
数秒見つめ合ったあと、先に口を開いたのはハイルの方だった。
「それをお話するには、まず基本的なことから知っていただかなければいけませんね」
「基本的?」
「貴女はヴァンパイアが心臓に杭を打たれても、眠りにつくだけで決して死ぬことはないと知っていますか?」
「あれ、物語の中だけのお話ではなかったの…?」
ヴァンパイアの心臓に刺さった杭を抜いてしまったがために、眠っていただけだったその存在を起こしてしまったというお話ならば読んだことがある。けれどてっきり、あれは物語の中だけの創作だと思っていた。
「事実ですよ。ヴァンパイアという種族は自己再生能力が異様なほどに高いのです。そのため、再生するために眠りにつくことはあっても死ぬことはまずありません。心臓に杭を打たれたからと眠りにつくのも、伯爵位くらいまででしょうか?私であればその場で抜きますし、そもそもそんな失態は晒しません」
「……想像したら、とても不思議な状況だったのだけれど…」
心臓に突き刺さった杭を引き抜くハイルは、想像の中なのに妙に無表情で。けれどそれが逆に生々しさを引き立ててしまって、自分の頭の中でのことだというのに顔を顰めてしまう。
「そのことはあまり気にしなくていいのです。問題なのは、そう簡単に死ぬことはないということです。朝日を浴びて灰になると言われたりもしていますが、あれも下位の者たちだけですね。陽の下で活動することも、別段不可能ではないのですよ。事実、ほんの数百年前までは人間と共に暮らしていたので」
「そうなの!?」
あまりの驚きに、はしたなくも大きな声で聞き返してしまう。急いで口を手で覆ったけれど、当然ながら間に合っているはずもなく。けれど誰もそのことを気にする様子もなく、ハイルもこてりと首を傾げて少し不思議そうな顔をして口を開いただけだった。
「おや、夜な夜な女性の血を求めるヴァンパイアの話など、人間界では有名だと思っていたのですが…」
「むしろ婚姻間近の女性を連れ去る存在として、最近は有名なのではないかしら?どこかの兄弟のせいで」
そう例えば、クラシカ家という公爵家の美麗な兄弟とか。
「おやおや。けれどまぁ、その話もこの際どうでもいいのですよ」
「どうでもいいのね」
ジョークと言うには少しきつめの受け答えをしたはずなのに、流されてしまって少し拍子抜けしてしまう。ただ確かに、今の主題からしたらあまり関係ないのだからどうでもいいのかもしれない。ただ、その言葉がハイルの口から出てくるのは珍しいことだったけれど。
「えぇ。重要なのは、死なないヴァンパイアにとって"唯一"とは妻であり、心臓であり、唯一の弱点でもあるということです」
「……どういうこと…?」
「基本的に死というものと無縁なヴァンパイアですが、自らの唯一が失われたときには跡形もなく消え去ります」
「…え?」
淡々と、当然のように語るハイルの言葉が一瞬ちゃんと理解できなくて。思わず聞き返してしまった私に、さらに丁寧に彼は説明してくれる。
「ヴァンパイアにとって唯一とは、半身であると同時に心臓でもあるのですよ。失えば生きることのできない、何よりも貴く大切で、愛する存在」
「それ、って……つまり、もし、私が死んでしまったら……」
「同時に私も消えます」
「そんなっ…!!」
一緒に生きたいとは思うけれど、私の死と同時に死んでほしいとは思わない。けれどそれが唯一という存在なのだと。ヴァンパイアの世界では本当に、当然の理屈なのだと。先ほどからのハイルの説明で、頭ではしっかりと理解できてしまっていた。ただ、自分の命が彼の命と直結してしまっているという真実が、あまりにも衝撃的過ぎて心がそれについていっていないだけで。
そんな私の状態など、ハイルはお見通しなのだろう。安心させるように柔らかく微笑んで、優しい声で一言「大丈夫ですよ」と告げると。
「もちろん婚姻の際に人間からヴァンパイアへと体を変化させるので、そう簡単に死ぬことはありません。そうでなくとも貴女に手出しなどさせませんし、もし仮に貴女に危害を加えるような者たちがいた場合は、その夫婦どころか家族諸共消してしまいますから。安心してください」
なんて。途中まではよかったのに、最後の最後にそんな物騒な言葉と共に言われて、なんだか素直に安心できなくなってしまったのはきっと私のせいではないと思いたい。まさかこれがこの世界の標準だなんて…そんなことはないと、今はまだ信じていたい。
「……ハイル…それで安心できる女性は、そうそういないと思うわ…」
そう、告げたけれど。彼は有言実行な性格をしていると私はよく知っている。もし本当に私に"何か"があれば、きっと当然のように関係者を消し去ってしまうのだろう。しかも人間とは違い、完全に彼自身の独断で。だってハイル・クラシカというヴァンパイアには、それだけの地位と能力があるのだから。
そしてまさか、本当にそんな日が来ることになろうとは。この会話をした時の私たちは、お互いにきっと思いもしなかったのだろう。
SSやプロローグにするには長かったので、時系列がだいぶ前になってしまいますがこちらに載せることにしました。そのためタイトルは違ってしまうのですが、次のお話と合わせて二話構成となっております。
ちなみに本題は次のお話の方になります。