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ヴァンパイアたちの後日談  作者: 朝姫 夢
ヴァンパイアと子爵令嬢
7/12

婚姻の日

「結局、婚姻の儀では何をするの?」

「…はい?」


 唐突すぎる質問だったのか、珍しくきょとんとした顔のハイルがこちらを見ているけれど。疑問を解消できるのならばそれを最優先にしたいので、もう少し詳しく伝えてみることにする。


「考えてみたら、婚姻を結ぶと同時に人からヴァンパイアになると聞いていただけで、実際どんな風にその儀式が行われるのか聞いたことがなかったから気になっただけなの。話してはいけない内容なら、無理に話してほしいとは言わないけれど…」

「あぁ、いえ。別段緘口令が敷かれるような内容ではないのですけれど…そう、ですねぇ…」


 少し困ったような顔をして考え込むハイルに、今の段階で私が分かっていることや予想していることの答えのすり合わせをしながら確認していく方針に切り替える。どう伝えればいいのか悩んでいるようだったから、きっとこちらの考えていることを理解してもらった方が早いと判断したけれど。今までこの方法でうまくいかなかったことはないので、おそらく間違ってはいないのだろう。


「婚姻を結ぶまでは血を得られないのなら、その時に初めて飲めるということよね?」

「唯一の血は、ですけれどね」

「食事に血が滴るようなものが多いことは知っているわ」

「唯一の血は極上だと聞いていますし、リーファが前に小さな怪我をした時ですら、抗いがたいような甘い香りがしましたからね」


 私の言葉に苦笑しつつ、とろりとした熱を宿した瞳でこちらに流し目を送ってくる。無意識なのか意識的になのかは分からないけれど、その熱と甘さに毎回どきどきするので会話の途中にだけはできるだけ挟まないで欲しいと切に願っていたりする。叶うことはないけれど。


「でも、あんな小さな傷では"飲む"という表現には足りないわ」

「えぇ。せいぜい舐める程度でしょうね」


 なんとか絞り出した言葉に返されたそれに、思わず怪我した指先を舐められているところを想像してしまって。その内容にもそんなはしたない想像をしてしまったことにも恥ずかしくなり、それでも何とか赤面しないようにして言葉を繋ぐ。目は完全に泳いでしまっていたけれど。


「その…時折ハイルが言う"牙を突き立てたい"って、比喩でもなんでもなく、つまりは…」

「えぇ、まぁ…それが儀式ですね」

「やっぱりそうなのね…」


 何度か彼の赤い唇から人間にはない牙が覗いているところは見たことがあるけれど、あれを実際に首に刺されるのかと思うと、想像して流石にぶるりと震えた。先ほどの恥ずかしい想像なんか忘れてしまうほどのインパクトがある。

 そんな私の様子に何か感じたのか、ハイルが優しく抱き寄せてくれた。恐怖というほどの感情ではなかったけれど、安心できるあたたかい腕の中で無意識のうちに体を預けてしまう。


「……初めての時は、痛いそうです」

「痛い、の?」

「人でなくなってしまえばそんなことはないそうですが、乱暴な言い方をしてしまえば肉に直接牙を沈めていくわけですから…痛いですよね、普通は」

「それは……痛い、でしょうね…」


 いわば動物の狩りと同じなのだろう。前に猫や狼も捉えた獲物の息の根を止めるために、本能的に喉元に噛みつくと何かの本で読んだことがある。それに近い状態だと思えば、痛くないはずがないだろう。


「…すみません。痛い思いだけでなく、怖い思いもさせてしまうかもしれないというのに……」


 いつもよりも暗い声に顔をあげれば、ハイルの方が痛ましそうな顔をしていて。正直その行為自体に恐怖も嫌悪感も抱いていなかった私としては、どうすればいいのか困ってしまう。むしろその日が来るのをずっと待ち望んでいたのに、まさか今になってハイルのこんなつらそうな様子を見ることになるとは思わなかった。

 それでも普段は驚くほど冷静に物事に対処するのに、私に関することとなると途端に弱くなって心配症になるハイルがなんだか可愛くて。純粋な実年齢だけならば百五十歳以上も離れている驚くほど年上の彼を、今だけは安心させてあげないととにっこり笑ってみせる。


「あら。でも、最初だけなんでしょう?」

「えぇ。私はそう聞いています」

「じゃあ、その日だけ頑張ればいいのね」


 私の言葉に少し考え込むように目線を下にずらしたハイルが、一度目を閉じて軽く深呼吸をする。次にその瞳が向けられた時には、とても真剣な表情をしていた。


「顔を隠すヴェールも、声が聞こえないように音楽もあります。けれどそれでも痛みに耐えきれないときは、遠慮なく私を掴んでください」

「……服は、たぶん掴むと思うわ」


 皮膚を突き破られる痛みを想像した私には、流石に「そんなことはしないわ」などと言うことはできなかった。それでも悲鳴だけは何があっても上げないと今決めたけれど。


「お好きなところをどうぞ。何なら爪を立てていただいてもかまいませんよ」

「流石にそこまでするつもりはないわ…!」

「そうは言っても…」

「痛いのは嫌だけれど、それでようやくハイルと夫婦になれるのでしょう?その日を待ちわびているのは、私だって一緒なんだから」




 そんな話をしたのは、そんなに昔のことではないのに。走馬灯のように今思い出しているのは、本能的な死を感じているからなのか。

 ずぶずぶと沈みこんでいく牙が、肉を裂く。痛くて熱くて、油断すれば口から悲鳴が漏れてしまいそうで。でもそれだけはどうしてもしたくなくて、必死に歯を食いしばって痛みに耐える。悲鳴を上げてしまえば、きっとハイルが傷つく。それにようやく、ようやくこの日が来たのだ。これさえ越えてしまえば、ようやく本当の夫婦になれる。この世界に来てからは二年だけれど、本当はそれよりもずっと前から望んでいたことだ。その願いが今日、やっと叶う。一時期は諦めてしまった時もあったけれど、それすら乗り越えて今があるのだ。あの長かった日々を考えれば、今のこの痛みなどあっという間に終わる。

 涙が流れるのは、生理現象と喜びが同居してしまっているから。ずぶりずぶりとさらに奥深く食い込んでくる牙は、相変わらず痛みと熱を生み出しているけれど。それはハイルの服を必死に掴んで縋りつくことで何とか耐える。せっかくの正装だというのに、きっと終わったころには皴になってしまっていることだろう。


「っ…!」


 ぐずり、と。根元の一番太い部分まで沈み込んだ音と共に、首元に柔らかい感触。あの赤い唇が、首筋に触れて。安堵したように吐き出された熱い吐息に、一瞬痛みも忘れてびくりと反応してしまった。彼はそれに気づいたのかくすりと一つ笑って。あぁ、いつものハイルだと気を抜いた次の瞬間。


「んぅっ…!!」


 ものすごい勢いで、快楽に襲われた。

 先ほどと何も変わっていない。相変わらずハイルの牙は首元に埋まったままだし、その手も腕も私を包み込んでくれているままなのに。足元から崩れ落ちてしまいそうなほどの強い電流が、腰から背筋を一気に駆け抜けていって脳天を突き抜ける。頭の中が真っ白になって、先ほどとは違う意味合いを持ってハイルの服を必死で掴む。


「んんんっ…!!」


 声を出せない理由が変わる。伝う涙の理由も、その原因も。何もかもがそれに支配されて、痛みなどどこかへ行ってしまった。


「はい、るぅっ…!」


 小さく小さくその名を呟けば、嬉しそうに微笑(わら)う気配がして。音楽にかき消されて誰にも届かなかったはずの声は、一番聞いて欲しい人にだけはしっかりと届いたらしい。

 その笑みの形の唇が、唐突に離れて。熱がなくなったことで一瞬首筋が冷えたような気がして、それに寂しさを覚えていたら。ずるり、と。唐突に牙がすべて引き抜かれた。


「んふぁっ…!」


 痛みはなかった。けれど何の準備もしていなかったせいで、その感覚に今度こそ崩れ落ちてしまって。それを分かっていたのか当然のように体を支えてくれたハイルは、幸せそうなとろけてしまいそうな笑みを浮かべていた。




 そのあとのことは、意識が朦朧としていたのであまりよく覚えていない。ただハイルに抱えられてそのまま退場したことだけは分かった。

 あとから聞いた話だが、完全に牙を受け入れた時点で体が人間からヴァンパイアへと作り変えられるのだとか。少しずつ埋められる時の痛みと熱は、本能的な危機感だけではなく体が作り変えられることによる拒絶反応もあるのではないかと考えられているらしいけれど。ただそのあと、血を吸われるときにはヴァンパイアとなっている体は、その行為自体に性的興奮を覚えるようになっているのだとか。女性が血を差し出すことを拒絶しにくくするようにと、彼ら純粋なヴァンパイアの生物的機能が進化した結果らしいけれど、正直なんてはた迷惑な進化の仕方をしてくれたのだろうと思った。

 おかしな進化をしたおおもとに会えるのならば、文句の一つでも言ってやらなければ気が済まないと言った私の言葉に、珍しくハイルは声を上げて笑っていたけれど。それがなければ私の留飲は下がらなかっただろうと今でも思っている。




 実は運ばれている際に「ようやく私の…私だけの女性(もの)ですね…」なんて甘く囁かれていたのですが。ただ赤面するだけだったので、覚えていない方がリーファにとっては幸せだったのでしょう。

 ちなみにハイルの流し目は意識している時としていない時の両方があります。どちらにしてもけしからん御方ですね。


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