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ヴァンパイアたちの後日談  作者: 朝姫 夢
ヴァンパイアと子爵令嬢
6/12

餓えた獣4

 ハッピーバレンタイン?

 内容は全くバレンタイン関係ないですが、せっかくなのでハイル視点でお送りします。

 ぽたり、と落ちた雫は、汗だったのか涙だったのか。床に新たな染みが作られた瞬間に正気を取り戻した私には、どちらなのか判別のつけようがなかった。

 荒い息を整えながらぼんやりとした頭で最初に思ったのは、満月が沈んだのか、という至極当然のことで。次いで頭を過ったのは"見られてしまったのだ"という諦め。


「はは……」


 乾いた笑いを零せば、頬を伝って顎から、髪を伝ってその先端から、まだ乾ききっていない汗が何滴も落ちて、新たな染みを作り出す。

 今までならばこの状況に、ただただ不快だとしか思わなかった。いや、多少の安堵はあったかもしれない。今回もリーファを傷つけずに済んだという安堵感が。


 この地下牢自体が特殊な造りになっていて、ここで放出された魔力は全て邸の維持のための力として蓄えられ使われるようになっている。おかげで私がどれだけここで暴れまわって力を発現させようとしても、その力を全て奪われ何の事象も起こらずに済んでいるのだ。絶対的な安心感があるからこそ、気が付いたときにまだ牢に繋がれてさえいれば、リーファが今回も守られたのだと実感できる。そうでなければ、今頃私はあの甘い匂いにつられて白く細い首筋に噛みついていたことだろう。彼女の甘い血を啜って、自分のものにしていたに違いない。

 それはなんて、甘美な誘惑なのだろうと思うけれど。


「リーファ…」


 伸ばされたあの白い手を思い出して、ぐっと唇を噛み締め眉根を寄せる。夜の間の記憶など、いつもはほとんど残っていないのに。リーファがあの格子の向こう側にいた、ほんのわずかな時間だけが断片的に記憶に残っていた。欲しくて欲しくて堪らないという、己の邪な欲望と共に。


「貴女は……」


 どう、思いましたか?獣同然の、私の姿を見て……。


 伸ばされた手には、どんな意図があったのか。その瞳に、怯えは映っていたのか。分からない。何もかも。

 ただ、正気に戻った私を見て、リーファに触れようとして、もし彼女が少しでも怯える素振りを見せたらと思うと。想像するだけで、底のない絶望に突き落とされた気分になる。その瞳が、その声が、私を拒絶していたら……。私はきっと、耐えられない。

 もしも本当にどうしようもない時には、彼女にノエルの魅了にかかってもらえばいい。それは分かっている。私よりも力の強いノエルならば、きっとそれが可能だろう。けれど……


「弟とはいえ、嫌ですね……」


 彼女から、自分以外の魔力の気配が常にするなんて。

 ノエルは可愛い弟だけれど、それとこれとは別だ。そもそも出来ることならばその瞳に私以外を映させたくはないし、彼女の姿を誰の目にも触れさせたくない。けれどそんなことは不可能だと分かっているし、何よりあまりにも醜い執着だ。彼女だって望まないだろう。……いや。そもそも今の彼女が、変わらずに私を望んでくれているのかどうかも怪しい。

 ため息をつきたくなるような陰鬱とした気持ちで項垂れる私の耳に、小さな足音が聞こえてきた。ゆっくりと階段を降りてくるその音は、一人分の女性の足音。そう、一人分の。


「はっ…」


 あぁ、母上が…母上"だけ"が来たのだと何の疑いもなく思った。ほんの少しでも期待していたのだと、嫌でも気づかされる。もしかしたら、リーファが来てくれるのではないかと。

 何をおかしなことを期待していたのか。そんなことあるわけがない。あんな姿を見て、恐れを抱かない女性など普通はいないだろうに。

 乾いた笑いを零そうとして、失敗する。出てきたのは笑いでもなんでもなく、ただの空気の塊だった。ジャラリ、と音を立てて、項垂れる。腕に繋がれている鎖が支えてくれると信じて、全体重をかけて。体は寒くも痛くもない。冷たく昏い場所に沈み続けていく、この心に比べれば。

 リーファ、と。愛しい人の名前を呟こうとして、それは音にならなかった。口がその形を辿っただけで、息すら漏れることはない。名を呼ぶことすら、今の私には許されるのか分からなくて。いっそこのまま昼の間は眠りにつけてしまえればいいのに、上から数えた方が早いほどの魔力量を持つ私では、それすら叶わない。

 ひと際大きな足音が響いた瞬間、ふわりとリーファの甘い香りが漂って。最後の一段を降り切ったその足音は、急ぐようにこちらへと向かってきている。

 残り香ですら強烈なほど、私の心を揺らすというのに。母上にそこまで匂いが移るほど、一晩中傍にいたというのに。ここには、母上だけ。いつもと同じなのだからそこまで急ぐ必要もないのにと思うその頭の端で、急がなければならないほどの何かがあったのかもしれないと冷静に判断する。私にとっては絶望でしかない何かが。

 どちらにしても母上はとても心配してくださっているのだろうに、私の心はひどく冷めきっていた。どこまでも落ちて落ちて……視界から(いろ)が消えたような錯覚に陥る。


 どうせなら本当に、何もかも見えなくなってしまえばいいのに。


 そこに、リーファが、いないのなら――



「ハイルっ…!!」

「……っ!?」


 聞こえてきた声が信じられなくて、急いで顔を上げる。いつの間にか開け放たれていた格子扉の内側には、私と同じ闇色の髪を靡かせながらこちらに駆け寄ってくるリーファの姿。

 そう、リーファの。……リーファ、の…


「……リー、ファ…?」


 母上ではなく…?


「今外すから、動かないでちょうだい」


 聞こえてくる声も、目の前にいる姿も、甘い香りさえリーファのものなのに。どうしても信じられなくて、その顔をまじまじと見上げてしまう。


「お義母様なら来ないわよ。今度から私が鍵を持たせてもらったの」

「なに、を……」

「どうせ満月の日になる前にここに来るのなら、お義母様だろうと私だろうと同じでしょう?それなら私でもいいじゃない」


 何を言っているのか。リーファを守るためなのに、その鍵を彼女自身が持っていてどうするのか。


「正直に言えば、私は別に今すぐあなたの妻になってもかまわないわ」

「何を…リーファっ!?」

「もちろんあなたがそれを望んでいないことも知っているし、それを無理やり変えさせようとも思っていない」

「そういう問題ではないんですよ!?」


 この突拍子もない発言は、どう考えてもリーファしかしない。条件反射のように言葉を発した時には、先ほどまでの寒さも昏さも、絶望さえどこかに吹き飛んでしまっていた。


「分かっているわよ。ただ、ちゃんと伝えておかないとまた今回みたいに私に隠し事をするでしょう?」

「私を、脅すつもりですか…?」

「あら、先に相手の意に添わないことをしたのはハイルの方でしょう?私が切り札を持っていて何が悪いの?」


 これから先、勝手に意に添わぬことをすればいつでもこの鍵を使って牢の中に入ってくるぞと、言外に彼女はそう言っている。これがただの脅しなどではなく、本当に彼女ならばそうすることを知っている私には、これ以上ない方法だ。


「それに…ねぇ、ハイル?」


 腕を繋いでいた鎖を外し終わったリーファが目線を合わせて、真っ直ぐに見つめてくるその瞳。青い瞳の中に、私が映る。


「私、今、とーっても怒っているの」

「……ぇ…?」


 にーっこりと、顔は笑っているのに。確かにその気配は、明らかな苛立ちを隠そうともしていなかった。


「そもそも隠していたのはどうして?あの姿を私に見られたくなかったのはなぜ?」

「それは……」

「私が怖がるとでも思った?近づかなくなるとでも思った?」


 そのままズバリを当てられて、思わず視線を逸らす。それが答えだと分かっていても、彼女が誤魔化されてくれるほどいい言葉など思い浮かばなかったのだ。後から考えれば、ここで下手に何か言ってしまっていたほうがまずかったので、頷かないのならば選択肢としては間違っていなかったのだが。


「ハイルは気づいていないのかもしれないけれど、それはつまり、私のことを信じてくれていないということよね?」


 言われて、グッと言葉に詰まる。反論したくても、先ほどまでの自分の思考が邪魔をする。実際、リーファが一人でこの場所に来るなど思っていなかったから、一人分の足音を母上のものだと信じて疑わなかったのだ。


「それともなぁに?理性がなければあなたは私を殺すの?」

「そんなことはあり得ませんっ!!」


 唯一を殺すなど、そんなこと理性が吹き飛んでいたってするはずがない。ただ、容赦なく襲い掛かるだろうけれど。


「でしょう?私はハイルに殺されるなんて微塵も思っていない。それなのに、どうして私が怖がらなければいけないの?」


 可愛らしく首を傾げているが、彼女は自分の言葉の意味を本当に分かって言っているのだろうか?だって、それではまるで……


「心から信じられない相手の手を、全てを捨ててまで取ることなんて私にはできないわ。それに…忘れたの?命を狙う人間と話ができるあなたなら、私はあなたを選ぶって前にいったでしょう?」


 その言葉は、初めて出会った夜の会話だ。あの時はおかしな少女だと思っただけだったが。

 本当に、心からの信頼を彼女は寄せてくれているのだ。そもそも人間の中でも変わり者なのに、どうして他人と比べられるのか。彼女の思考回路は私でさえ読めないのだから。


「……命は狙いませんけれど、他のものは色々と狙われるかもしれませんよ?」

「構わないわ。求めてくれるというのなら、欲しいものを欲しいだけあげる」


 苦笑しながら告げた、白旗を上げた言葉に。余裕の笑みで答える彼女は、あまりにも勇ましすぎて。意味が分からないほど子供でもないのに、本当にそんな風に答えてしまっていいのか。


「後悔しても、知りませんからね?」

「しないわ。私自身で選んだのだもの」


 強い瞳で見つめ返されて、その眩しさに目を細めた。




*  *  *




「だめよ」


 手枷はともかく、足枷はスカートが汚れてしまうからと手を差し出したら、なぜか逆に鍵を握りこまれてしまった。


「足の方の鎖は長いので、私自身でも外すことは可能ですよ?」

「そういうことではないの」


 頭の上の方で短い鎖しかない手枷と違い、足枷の鎖は随分と余裕がある。座ったまま体勢を変えられるほどで、脚を延ばしきったとしてもまだ余るくらいには長い。理性をなくしている時には手枷の鎖が邪魔して立てないのか、膝立ちになっているようだけれど。


「この鍵は私の切り札よ。もし今あなたに渡して返してもらえなかったら困るもの」


 その言葉に数度瞬きをしてから、あぁと納得する。確かに、自由になった私に鍵を持ち去られてしまったら彼女の脅しの意味がなくなる。


「私を信じてくれなかった罰よ。これに関してだけは、私もあなたを信じないことにしたの」


 そう言ってつんとそっぽを向いてしまったリーファに、なるほどこれはなかなかに怒らせてしまったらしいと改めて実感する。加えて、今回はそんなことを微塵も考えていなかったこともあって、少し傷つく。確かにこれは、ずっと信じてもらえないのは、辛い。


「分かりました。では、お願いしてもいいですか?」


 何とも言えない複雑な感情を抱きつつも、申し訳ない気分になりながら素直に頼んでみる。汚れてしまったら、綺麗にすればいいだけのことだ。どうせなら新しい服を贈ってもいいかもしれない。それよりも、一刻も早くこの場所から彼女だけでも出してしまいたかった。

 地下牢は基本的に獣と化すヴァンパイアを閉じ込めるための場所。そのため汗が滴るほど暴れまわる熱量を考慮して、地下深くに作られている。もちろん窓はないし、光量も最低限しかないので、かなり冷える。ここはきっと、人間のリーファには寒すぎる。一時ならばともかく、長時間いては体が冷えてしまう。私の足枷を外すリーファを見ながら、どうやって説得しようかと考えたけれど。理性というリミッターもなく一晩中暴れていた私の体力は、だいぶ限界だったらしい。結局五分だけ眠って体力と魔力を回復させて、二人一緒に階段を上ることになった。


 眠っている間、リーファに膝枕をしてもらえるという幸運には恵まれたけれど。


 できれば、もう少し彼女の負担を減らす方法を考えたいところですね…。



 餓えた獣編はこれで終了です。

 この二人の物語自体はまだ続きますので、もう少しお付き合いくださいませ。

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