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ヴァンパイアたちの後日談  作者: 朝姫 夢
ヴァンパイアと子爵令嬢
4/12

餓えた獣2

 私が成人してから四回目の満月の夜。クラシカ家の使用人に案内されてきたのは、とある一室。客間と呼ぶにも自室と呼ぶにも質素なそこは、テーブルと椅子以外にはほんのわずかな調度品すら置いていなかった。

 そんな場所に、既に到着してくつろいでいるお義母様。その美しさを考えると、とてもではないが彼女に似合う部屋だとは思えない。身分を考えても、ここは明らかに彼女の私室とかでもないのだろう。


「来ましたね」


 私の姿を見てゆったりと微笑むと、向かいの椅子を勧められる。言われるがままに席につけば、慣れた手つきで使用人がちょっとの軽食とお菓子とお茶の準備をする。それが終わったのを見届けたお義母様が、ベルを鳴らすまで入ってこなくていいと全員を下がらせてしまった。


「これで本当にわたくしたちだけですから、多少どこかへ行っていても誰も気づきませんよ」


 そういって優雅にティーカップを口に運ぶお義母様は、一見とても余裕があるように見えるけれど。その瞳の奥、僅かに揺れる感情があることに、私は気づいてしまった。もちろんそれを口にするつもりなどないので、他の話題を振ってみることにする。


「お時間を頂きましてありがとうございます。けれど、その……お義父様は、本当に大丈夫でしたか…?」

「夜になると共に満足するまで血を与えてきましたから。心配しなくても大丈夫ですよ」


 うふふと笑うお義母様の瞳から先ほどの揺れる感情は消えたけれど、代わりにあの触れてはいけない何かを感じさせる。私の知っている限り夫婦仲はとてもよろしかったはずだから、やはり満月の夜だけは何かがあるのだろう。もし機会があれば、ハイルに聞いてみようと思う。


「あの、お義母様…このお部屋は…?」


 それ以上は聞いてくるなとばかりにうふふふふと微笑み続けているので、到着して一番に疑問に思ったことを聞いてみる。普段の居住区からはとても遠くて、正直誰も通らないようなお邸の端にわざわざ質素な内装の部屋を作ってあること自体異質だ。


「このお部屋自体にはあまり意味はないのです。むしろあまり使われない方がいいくらいの場所なのですよ。物置にでもできてしまえばどんなに気が楽か…」


 そうため息をついたお義母様の様子から、なんとなく分かってしまった。つまり、ここは……


「一番、近いのですね…」


 彼曰く、獣と化したヴァンパイアを繋いでおく場所に。そしてきっと、この場所はただの待機場所でしかない。だから周りに目を向けることもしないだろうから、調度品が一切置いていないのだ。


「今、あの子を繋いでいる鎖と牢の鍵を持っているのはわたくしだけです。もう一つは公爵の執務室にあるので、実質使われていませんし。予備はありますけれど、その所在を知っているのは現公爵のみですから」

「お義父様が、わざわざ満月の夜にここで待つ必要などありませんものね…」

「その通りですし、もっと言ってしまえばあなたがここで待つことも本来褒められることではありませんからね?」


 なんのために一族の居住区から最も遠い場所にあるのか、あなたならば少し考えれば分かるでしょう?と問われて、こくりと頷く。

 唯一が近くにいればいるほど制御が効かなくなるというのであれば、本来唯一である私はここから一番遠い場所にいなければならないはず。邸から出られないとしても、せめて婚姻の日まで使えるように整えられた自室にいればいいのだ。あの部屋は嫁入り前の唯一が使うために作られたものらしく、客室でありながら一族の居住区のすぐそばにあるのだから。

 それなのに今、私がここにいるのは。


「連れて行って、下さるのですよね?」


 彼が繋がれている、その場所に。


「そのつもりでここに呼びました。正直あの子が承諾するとは思ってもいなかったので、未だに信じられない気もしますけれどね」

「見ればわかるとも、おかしなことを言い出す前にともいわれました。おそらく私が一人で勝手な行動をとる前に、全て知っておけばいいと思ったのではないのでしょうか?」


 確かに頑なに禁止されれば一人で地下牢の場所を探し出して見に行くかもしれないし、その日だけこっそりと邸から抜け出したかもしれない。そう考えれば、ハイルは本当に私の性格をよく分かっているなと思う。


「どんなお転婆娘なのですか。全く…」

「実際にそのようなことをしたことは一切ございませんよ?ただ、貴族という枠に囚われなくてよくなった分、思考だけでなく行動もたった一人のことだけを想って自由にできるというだけのことなのです」

「だからと言って、本当に人間の間にこのお邸の外に出ようとはしないで下さいね?あなたが思っている以上に、人間である間は外は危険なのです。特に、あなたは次期宰相であるクラシカ公爵家嫡男の婚約者なのですから。人間の世界の基準で考えても、その重要性はよく分かるでしょう?」


 一国の次期宰相の婚約者。子爵令嬢であった頃には縁もない立場だったけれど、確かにその重要性だけはよくわかる。

 そう、彼の家は王族なのではなく、もともとは宰相の家系だったらしい。一度も聞いたことのない話がこちらの世界に来てからぽんぽんと追加されるので、正直もっと早く教えて欲しかったと思う。十年も時間があったのに、いったい今まで何の話をしてきたというのか。毎回楽しかったことだけは確かだけれど。


「そうでなくても、あの子はわたくしにとって初めての子供なのです。婚姻して五十年も経ってからようやく生まれてきてくれた、大切な息子なのですよ。あなたを失うことであの子がつらい思いをしたり消えてしまうような事態になることだけは、母として許せないのです」


 揺ぎない強さをその瞳に宿しながら、まっすぐ見つめてくるその表情(かお)は母親のものだった。女性は母になると強くなると聞いたことがある。きっと子供に対する愛情が、女性を強くして名実共に母となるのだろう。

 けれど。


「私もハイルを悲しませたいわけではありませんし、一人で幸せになってほしいとも思っておりません。私と二人で、幸せになってもらわなければ困るのです」


 彼の手を取ったのだ。何もかもを捨てて。

 それなら、一緒に幸せになってもらわなければ。そうでなければ意味がない。


「何というか……本当に、勇ましいお嬢さんですね…」


 私も強い意志を瞳に乗せて見返せば、驚いて目を丸くしたお義母様が思わずといった風にそう呟く。けれどすぐにあの母の顔になって、


「あなたなら、きっと大丈夫なのでしょうね…」


 優しくそう告げられる。何のことなのか、この時の私は分からなかったけれど。ハイルの相手として、この人に認められたような気がした。




*  *  *




 コツコツと、ゆっくりとした二人分の足音が響く。薄暗く長い階段をお義母様と二人で降りてゆけば、徐々に肌に触れる空気が冷たくなってきている気がした。足元から滑り込んでくる冷たい感覚に、肩にかけているショールを胸元でぎゅっと握る。その瞬間。


『――!――っ!!』

「…?」


 "何か"がかすかに聞こえてきた。人の声のような、獣の声のような。けれどなぜか、とても強い慟哭のようだと思った。


「…………この先、何があっても…何を見ようとも、何を聞こうとも、あなたはあなたのままでいなければなりませんよ。リーファ、その覚悟はできていますか?」


 立ち止まり向けられた強い瞳に、あのかすかな慟哭が重なる。強いのに悲しそうな瞳と声が驚くほど似ていて、唐突に理解した。

 この声が、ハイルなのだと。

 だから慟哭なのだ。強いのは本能だから、悲しいのは手に入らないから。


「覚悟など、とうの昔に決めております。お義母様」


 あの声は、理性を失ってもなお私を求めてくれている。だから"私であること"は何よりも大切で、ハイルもそれを望んでくれている。だから大丈夫だと思った。そう、私のことは。


 けれど……




「ハイルっ…!!!!」


 ハイルが苦しむ覚悟は、もっていなかった。


『ぁがあ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ!!』


 紅い瞳、鋭い牙。手足が鎖で繋がれていることなど気にも留めずに、硬質な音を立てながら少しでもこちらに近づこうともがく様は、いつものハイルからは想像がつかない。その荒々しさは確かに、彼が形容した"獣のよう"というのがぴったりだった。


『がっ!あ゛っ!ア゛ア゛ア゛ァァっ!!!!』


 その牙で、噛みつこうとしているのは分かる。けれどそれを恐ろしいとは思わなかった。だって……


「ハイルっ……ハイルっ!!」


 その瞳には、あの時と同じ熱が宿っていたから。

 不安定に揺れながらも、決して消えることのないその熱に。思わず格子の間から手を伸ばして、届きもしないのに彼に触れようとして。お義母様にその手を引き戻された。


「いけませんっ!!」

「けれどお義母様っ…!!」

「あの子が何のためにこんな場所に一人繋がれることを選んだと思っているのですか!?もしものことがあれば、あの子がどんな思いをするのか…!!」

「っ…!!」


 そうだ。ハイルは忠実に、守ろうとしているのだ。この世界の掟を。自分の誇りを、矜持を。

 そして何より、私を…。


「あの子の望みが分からないわけではないでしょう?満月の日に、あの子に会えない理由も」

「……はい…」

「それなら、納得できなくても呑み込みなさい。あなたがすべきことは、他にあるはずです」


 きっと、最初に呑み込んだのは母であるお義母様なのだろう。ハイルはこの人をとても困らせたのだろうと思う。我が子が牢に繋いでほしいなどと言ってきたら、理由を知っていたとしても戸惑うだろう。それは分かる。分かるけれど、それでも、どうしても……。


「それに、あまりこの場所に…あの子の近くにあなたが居ては、その匂いでより苦しませるだけなのです。だからもう、戻りましょう?」


 言われてハッとした。"近ければ近いほど制御が効かない"ということは、より強く手に入らない血を求めさせているのだと。

 言葉一つ発せないまま、お義母様の言葉に頷く。去り際、ほんの少しだけ慟哭を続けるハイルを振り返って。私は来た時と同じようにお義母様の後ろについて、ゆっくりと階段を上っていった。




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