9話.感恩少女は、罪に喘ぐ。
別棟の隅、埃臭い廊下を突き進んだ先にある小さな白い扉。
この扉を開けた先には異空間がある、そこは俺を受け入れてくれる数少ない場所だ。
銀の取っ手をゆっくりと回す。
部屋の中では6人の仲間が俺の事を待ってくれていた。
白い髪の少女がすぐさま俺に近寄って来る――が、急かした足はすぐさま緩やかになる。
「……良かった、無事そうで」
「何とかなったよ、もう志島も懲りたと思う」
しかし、俺の目には異様な物が映っていた。
天馬先輩が爆弾を手にしている、それは俺が誘拐された倉庫で見た物と同じだった。
「そ、それは!」
「大丈夫、導線は切ってあるから爆発しないよ」
どうして天馬先輩の手にそんな物騒なものがあるのか、それが知りたかった。
先輩は俺の疑問に気付いたように話を続ける。
「実はこの爆弾は校門に仕掛けられていたんだよ。危ないところだったね、志島骸斗は校門に君だけを誘い出してこいつを爆発させる算段だったのかもよ」
思わず、生唾を飲み込んでしまう。
志島にとってあの誘拐は、不発の際の妥協策だったとでもいうのか。
やはりあいつはこの学校にいるべきでない、奴の本当の居場所は刑務所か少年院だろうな。
今頃は恐らく留置所の中だろう。
「そういえば、真宮麗奈も無事だったんだよね?」
「あっ、はい! もう家に帰ったと思います」
「うん、それなら一件落着だね。死人が出なくてよかったよ」
天馬先輩は一つ手を叩き、にっこり微笑んだ。
それを見て俺も、顔をほころばせる事ができた。
部活が終わって、今日も明治さんと一緒の帰り道を歩む。
こうして一緒に帰るのもそろそろ慣れる頃だとは思う。でも、妙に緊張する。
明治さんの手が俺の腕に伸びる――
「えっ」
つい手を引っ込めてしまった。
「え? あっ、ごめん。ゴミついてたから、ほら」
どこでついたか知らないけれど、大きめのホコリが確かについていた。
明治さんの手が再び腕に伸びる。
俺はその手を急いで除けたかった、こんなものは自分で取ればいい話であるし。
「…………」
「はい、取れたよ」
「……ありがとう」
駄目だ、頭がまともに動かない。心臓もドキドキしっぱなしだ。
どうして明治さんを前にするとこんなに緊張するんだろうか。
「伊勢崎くん」
「な、なぁに? 明治さん」
「無事でいてくれてありがとね」
「え? あー、どうってことないよそりゃ、あはは」
明治さんは満面の笑みを贈ってくれるけど、申し訳ないことに面と向き合う事ができない。
早くこの時間が終わってほしいと思うけれど、それ以上に一緒にいたいとも思う。
どっちが正しいかなんて考える余裕はない。
「あれ、伊勢崎くん今お家過ぎたよ」
……あっという間? それとも、ようやく解放された?
こんなに派手に塀ブロックが崩れているのに全く目に入らなかった。
おかしそうに笑う明治さん。
「えっと、ここまで壊れてると」
「ん?」
「その、明日業者とか……出入りが邪魔になるかも、しんないし」
目が何度も泳いでる、それは自分でも分かってる。でも、何か知らない自分の中の感情に板挟みされていてここから素直に切り出す事ができない。
「――えっと、何でもない。じゃあまた明日ね」
「……本当に何でもないの?」
首を傾げて、困ったみたいに笑う明治さん。
「え」
どういう意味だろう。
「うん。なんでも、ないかな」
「……そっ、か。じゃあまた明日、バイバイ!」
明治さんの笑顔に同調する風に笑って、互いに手を振る。
少し離れた後、明治さんは振る手を下ろして走って帰っていった。
「ただいま、お母さん」
「おかえりなさい、拓也。怪我は無い?」
「うん、大丈夫だよ」
家に帰ると、温かい家庭が俺を迎えてくれる。
今になってはもうお母さんしかいなくなっちゃったけれど、俺にとって大切な家庭なんだ。
風呂上がり、学校の宿題を済ませている時だった。
『明治さんからメッセージが届きました』
突然の通知に気分が高揚した。
そういえば折角表示名を変更しているのに「メイジ」から「明治さん」って……今見てると、やっぱりおかしいなぁ、なんとなく違和感を感じるというか。
でも、明治って呼ぶのはなんだか違う気がする。俺の中では明治さんは「明治さん」だから。
このままでいいのかな。どうせならもっと親密に、名前の方を? それは気持ち悪いかな。
うーん、明治こけし。フルネームは流石に違うよね。
こけしさん、違うな。いっそストレートに「こけし」って……
「あああぁぁぁぁ……!」
何やってんだ一人で布団の上で……無性にゴロゴロしたくなってしまった。
こけし、こけしかぁ。
ダメダメ、ちょっと馴れ馴れしすぎる感じがあるというか、いや、馴れ馴れしい感じがするわけじゃないけど、何というか。
抵抗がある。嫌なわけじゃない、俺が別に明治さんを気持ち悪がっているわけじゃなく、何か抵抗がある。
このままでいいや、やっぱり明治さんが一番しっくりくるよ。
っていうか何のメッセージ来てんのか早く確認しないと!
「伊勢崎くんってさ、どんな食べ物が好きなの?」
……なんだ、特に緊急性もなかった。
好きな食べ物か、特に具体的なものは思いつかないなぁ。
そういえば、昨日の晩ごはんは美味しかったなぁ。
「回鍋肉」
「お肉?笑」
「そうだね、肉は好き」
宿題の続きしよっと。
翌朝、教室に到着するとまず志島の爪痕が目についた。
まだ壊れた机の交換はされていない。千刃が入院しているから、気にかけていないのだろうか。
なんだか少し、不憫だ。
誰も気にかけなかったんだろうか。
――なんて、戻って部活直行して、帰った俺が言えた事じゃないのかもしれないけど。
良く良く考えればまだなにか危険物がひっついてるかもしれないし迂闊に触るのは危ないか、先生に相談しよう。
せめて今は形だけでも。
先生は空き教室から机を持ってきてくれた、これであいつがいつ戻ってきても大丈夫だ。
また、イジメに耐える昼休みが始まる。
心なしかイジメに加わる人数が少なくなったような気がする。
林茂に樋口猛、小牧百足に伊賀千刃……四人のアクティブなイジメっ子がいなくなるだけで、ここまで印象が変わってくるものなのか。
「ほぅら真宮、神倉! 今日もこいつの頭に泥をぶちまけてやりなさい!」
24番、狐鶴綺嬢……またこいつか。
自分の手を直接汚す事は決してない、しかしそのカリスマから女グループのリーダー的存在になっている。こいつが指示して皆に俺をイジメさせるんだ。とはいってもその皆もイジメに対しては前向きでノリノリだがな。
高校生のくせにいっちょ前にウェーブなんかかけやがって。どうせその金髪も染めたんだろ、生意気なやつめ。
「今日も花壇から新鮮な土を仕入れてきてやったんだ、感謝しろよ!」
出席番号23番、神倉樹林。髪の毛を茶色に塗ったり爪をテカテカピンクに塗ったりしてる女だ。
唐突に、俺の頭上からボロボロと土が降り注いだ。
奴の三白眼が笑う。
……ま、弁当はいつものように腕で防いでおくがな。軽傷だ、ざまぁみろ。
「ほら、真宮。お前もおやり!」
「は、はい……」
出席番号36番、真宮麗奈。第一印象、髪が長過ぎる。こいつは決して自分から動くことはない。媚びるため、言われたら言われた通りやる。
自分の意思ではやりたくないけど言われちゃったから仕方ないよね、というタイプだ。しかし後ろめたさなんて全く感じなかった、なんやかんやでこいつもイジメを楽しんでいるドクズだったんだ。
顔はゆるゆるぽやぽやしてるから尚更落差が酷い、最低な野郎だった。
「どうした真宮、さっさとやっておしまい?」
バケツを握る手が震えている。
「は、はいっ」
目をつぶりながらバケツを頭上でひっくり返した。
バラバラボタボタと俺の頭に土が降り注いでくる。
――うわっ、ミミズだ!
ギャハハハハハハハハハハ!!
身体をビクつかせた俺を見て、クラスは笑いに包まれた。
イジメはなくならない。境太郎先生が直接イジメを止めてからは、教室の外に見張り係というやつができた。
まだまだ終わらなさそうだ、イジメとの戦いは。
真宮麗奈は、俺から目を逸らした。今日はやけにしおらしい。
恐らくは昨日の事だろう。志島に誘拐された真宮を俺が助けたせいで、罪悪感を感じるようになってしまったか。
しかし媚を売ってきた自分の行動を今更変えることなんてできない、真宮の心の中にはそんな葛藤が生まれていることだろう。
今更になって気付いたが、明治さんがやけにチラチラとこちらを見ている。
何してるんだろう。
……早く弁当食べればいいのに。
「真宮、お前少し反応が遅い」
「えっ」
「命令かけたら即実行、次はないわよ」
「ご、ごめんなさい……」
狐鶴綺は髪をくるくる弄びながら俺の側を離れた。それについていくように神倉も真宮も俺から離れる。
楽しそうな神倉とは対照的に、真宮は少し気後れしている。
明らかに俺の知ってる真宮とは違う。恩情、というやつだろうか。
しがらみに苦しむ真宮麗奈、他人事ながらも他人事なりに、同情的な感情を抱いてしまう。
放課後、いつものように部室に行く。
少し遅れて明治さんが入ってくる。
「伊勢崎くん、お弁当大丈夫なの?」
「いつもの事だし平気だよ、砂利が入るのは仕方ないけどさ」
これまた唐突な話だ。
「明治さんこそ、結局お弁当食べなかったの?」
「え? あー、うん。実はちょっとね」
「……ちょっと?」
明治さんはおもむろにカバンを下ろし、弁当を取り出した。
「ほら、たまには普通のお弁当を食べて欲しいなって思って」
「え」
なに、この流れってそういう事?
「ほら見て、肉巻き卵! 頑張って作ったんだよ!」
箸で掴んで自慢してくる。
すごく美味しそう、卵が半熟だ。
「折角だし、食べさせてあげるっ。ほら、あーんして!」
「えーっと……うん」
口開けるだけでいいのかな、あーんって。
あ、あーん……。
舌に乗った。
とろける半熟卵が舌をまろやかに包んで、肉の油がうまみを引き立てている。
噛みしめてもジャリジャリしない。卵の白身がほろりと崩れて、心許ない肉の厚みが程よい歯触りに生まれ変わる。
思いやりの味は温かくまろやかで、甘かった。
「どう、美味しいかな?」
「……うんめぇ」
決してなまったわけじゃない、名残惜しい舌つづみのせいだ。
「んふふ、そっか、良かった!」
「あっ、本当にすごい美味しそう! こけしちゃん、私も貰っていいかな!」
スーパーノヴァ先輩が明治さんの弁当を見てる、目をキラキラキラキラ輝かせながら。
「だ、駄目です!」
意外、大分強気な即答だった。
明るい先輩がなんとも言えない顔でしょぼくれてる。笑ってるのかいじけてるのか、悲しいのか。
「……妙だ」
突然、誰かの声がした。
……部長ではないし、天馬先輩――副部長でもない。
となると、隅っこの影の人だ。紗濤先輩だっけ。
「もしかして、何か起きたんすか?」
副部長が、紗濤先輩の声に反応した。
「大きな動きはない。しかし、明らかに何かが強まっている」
「特定はできないのか」
郷大公部長が鉄兜をあげた。
「ああ。留意しておけ、何らかの布石かもしれん」
「……何の話ですか?」
「伊勢崎くんは気にしないでいいよ、こっちの話だから」
天馬先輩が笑ってそう言う。
抽象的すぎて良く分からないけど、俺もとりあえず気を付けておこう。
ま、日常的にイジメられるから常に気を付けているわけだがな。
「……何だろうね」
明治さんが困った笑いを浮かべる。
「明治こけし」
「はい、何ですか?」
くるりと紗濤先輩の方を向く、また明治さんが意味もなく呼ばれた。
何だろう、良く分からないけれど胸の辺りが若干むかむかする。
「変わってるな、お前は」
「……え」
紗濤先輩はそれ以降何も言葉を発しなかった。
「……私、悪口言われたの?」
「分かんない」
目がぱちくりしている。
そもそも紗濤先輩自体が何なのか、俺にはよく分からない。
「そういえば。二人は将来、何になりたいのかな」
スーパーノヴァ先輩、これまた唐突な質問だ。
壁際に座る俺達に対し、座り込んで聞いてきた。
「うーん、無難に大学進学ですかね」
「私も、とりあえず大学行っとこう! くらいしか考えてないかなぁ」
「アハハ、まぁそんなもんだよね!」
スーパーノヴァ先輩が軽く笑う。ノヴァ先輩は2年生だったっけ、3年生だったっけ。
少なくとも先輩方は進路について考えなきゃいけない時期なんだろうなぁ、なんだか一年後二年後の自分がそうだと思うと、気は早いけど緊張してくる。
「……応援してるよ、頑張ってね!」
「あっ、ありがとうございます」
柔らかい笑顔で応援された。
あんまりそれで嬉しいとは感じなかった。突然一方的に応援されて、心の中じゃ戸惑っている。
今日も部活は何事もなく終わった。
いや、何事もなくはないかもしれない。明治さんに弁当を、分けてもらったし。
嬉しかったなぁ、確かにちょっと砂利の混じった弁当が精神的にこそばゆいダメージを与えていたのは事実だったし、学校でまともにご飯を食べれたというのは……普通なら当たり前の事なんだろうけど、嬉しかった。
「じゃっ、また月曜日にね!」
「うん、バイバイ」
明治さん、今日はいつになくニコニコしている。
さて、これから金曜のゴールデンタイムだ。テレビいっぱい見るぞ。
今日は土曜日、明日は日曜日。学校が無いというのは嬉しいな、イジメられずにゆっくりと月曜日に向けての英気を養える。
……なんだか無性に走りたい。こんな事は今まで無かったんだけれど、無性に動き回りたい。
丈の短い服に着替えて、住宅街を走ることにした。
学校方面は部活してる同級生に絡まれたら嫌だから、反対に向けて出発する。
そういえば、明治さんの家もこっちだったっけ。明治の表札とか、見つけちゃったりしないかな。
流石に直接家がどことか聞く勇気は持てないし……別に変な気を起こしているわけではないが、気になるじゃないか。なんか家が近いらしいんだし。
無い。色んな表札を見ていたけど、結局見つからないまま住宅街を抜けてしまった。
河原をランニングで通るというのも中々乙なものかもしれない。あまり無闇に走るという経験はなかったが、この見晴らしの中、この新鮮な空気の中で走るというのはくせになるかもしれない。
馬鹿みたいに走り回るのは犬だけでいいと言うのが俺の持論だったけど、悪くないな、ランニング。
……あれ、誰か座り込んでる。
「――真宮さん?」
「え、伊勢崎くん?」
レッドの瞳がこっちを向いた。
何か考え込んでいるようだ。こんな所で会ったのも何かの縁だし、隣に座り込んだ。
「真宮さんもランニング?」
「……ち、違う」
真宮さんは、何か怯えているような目をしている。
「どうしたの?」
「ご、ごめんなさい」
突然の謝罪だった。
学校では素直になれなかったのだろう、仕方のない事だが。
当然受け止めてやる、前はイジメっ子だったのだろうが、彼女は反省したんだ。
誘拐された自分を助けてくれたというのは大きい理由だし、むしろ感謝しない方が罰当たりかもしれない。でも俺はそれが当然だとは思わない、中にはそれでも感謝ができない、或いは感謝をしようともしない非情な人間だっているかもしれない。
それでも真宮麗奈は俺に感謝してくれる。それは当然の事なんかじゃなく、とても有り難いことなんだ。
「いいんだよ、ありがとう」
俺は彼女を許す。もしかしたらこれからも狐鶴綺の奴に命令されて俺をイジメるかもしれない。真宮がそれに抗うというのは、真宮にとって危険なことである。下手をすればイジメのターゲットが変わる。
いつかイジメを止めるきっかけが生まれる。真宮さんはそれまでずっと俺を信じててくれれば問題ない。
「……実は、伊勢崎くんの家に行こうとしてたの」
「え? 謝るために?」
学校では確かに難しいかもしれない、でもそれならラインでも良かったと思う。
なんて事は、流石に本人の前じゃ口にはできない。折角謝るために出掛けてくれたのなら、その気持を無闇に突っぱねる事は――
「――違うの」
真宮さんが唐突に俺を押し倒す。
しなやかな指が、首にかかる。
「ぐぅっ」
強い力だった。首が、きつく締まる。血の流れが止まっていくのが、いやでも分かる。
「ごめんなさい、伊勢崎くん……私、すごく嬉しくて申し訳なかった、伊勢崎くんに助けられた時」
首にかかった手を払いのけようとしたが、あまり乱暴にはしたくなかった。
しかしそんな無駄な良心が比喩でも何でもなく俺の首を締める事になってく……。
「本当に、心の底から感謝してるの! でも、ごめんなさい、伊勢崎くんっ!」
何か生温かいものがぽたりと垂れる。
水滴だ。
「私、どうしても伊勢崎くんの事をいじめたくなっちゃうの!!!」
悲痛にも、喜々としても聞こえた。
真宮麗奈の顔は、泣きじゃくりながら笑っていた。




