59話.結局は、そこ止まり。
……家のリビングに三人が集まった。
俺と、伊賀と、明治さん。
示し合わしたわけでもない。ただ、このまま一人ずつそれぞれの時間を過ごすというのは三人ともできないでいるようだ――あんなものを見せられて、あんな悲劇を目の当たりにさせられて、すぐに心の整理が済むわけがない。
「プロレマ部の全員がいない……」
あの後、俺もまた部室に行ってみた。
先輩たちはいつでもそこにいる印象だった。俺が入室すれば必ずだれかはそこにいる。しかし俺たちがあの後行った時には、まるでずっと昔から誰もいなかったような不思議な静けさに包まれていた。
「伊勢崎、俺たちは……」
伊賀が珍しく不安を湛えた声色を見せる。
――もう、高校に行く意味がない。
俺たちのクラスのほとんどが出席しなくなり、そして残ったいじめっ子達は……皆、校長の手によって。
これからはもう、授業は行われない。普通の高校生として生きていく道が、絶たれた。
いや、俺たちだけじゃない。もう未来は……。
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あの黒く歪な竜の姿を前にして、俺はどうすることもできなかった。
「どうして私がこのような事をしたのか、きっと賢い君なら分かることだろう」
余裕をもった静かな落ち着いた声。紳士的な態度とは裏腹に、やつが俺の目の前に見せてきた光景は目を塞ぎたくなるようなものだ。
校長統極廻夢の意図……それはきっと、俺が最も絶望するシナリオ、校長の手によって操られていた哀れな生徒の命を助けられないという、最悪の事態を目の当たりにさせるということ……。
息を呑むしか出来ない俺を、暗く深い竜の瞳がじっと見据えている。
「もう、満足だ。憎き伊勢崎淳、そしてその息子である君、伊勢崎拓也の絶望する姿はもう十分に楽しんだ」
竜は振り向き、遅れてマントが翻る。
「そして君はいよいよ絶望の根幹……黒幕である私に辿り着き、君に襲いかかったいじめの真実を目の当たりにすることができた」
いびつな姿は歩を進め、どんどん遠ざかっていく。
影の怪物、そして着物の少女がその後について離れていく……。
「だが君にはこれ以上もうどうすることもできない。ここまで君が頑張ってきたのは私も想定外だが、しかし……結局は、そこ止まりだ」
竜の歩く道、その脇に聳える黒い巨大な針の先には、俺が憎んでいたいじめっ子達の、動かなくなった肉体が突き刺さっている……。
「むしろ感謝している。君はこれから、己の無力に打ちひしがれながら生きていく。何も知らず絶望に沈みその命を自ら断つことこそ私の楽しみであったが、これもまた良い。世界は滅びる。真実を知ってなお何も出来ぬまま、親子揃って散るなど、そちらの方が面白いではないか……ハハハハ」
「……世界が、滅びる?」
震える喉から咄嗟に出た一言だった。
竜の兜がわずかに振り向き、すぐさま向き直る。
「教えよう、伊勢崎拓也。私にはいつでもそれができた。ここまで世界を滅ぼさなかったのは、己の屈辱的な過去と快く決別するためだ」
「カイム様が受けた屈辱……!! アア、忌まわしき!! カイム様の顔に泥を塗った忌まわしき伊勢崎淳!! カイム様こそ、リバース・ワールドの全てを授かり全てを支配するに足るお方ァ!!」
黒いバスから飛び出た竜を称える声。
「ククク、よせ。ともかく、もはや未練はない。これより私は世界を滅ぼすために、動こう」
竜は何かを、こちらにも見えるように掲げた。
あれは紫色をした結晶……。
それが一度まばゆい光を見せると竜の姿はもうどこにも見えなくなっていた。
そして景色は徐々に、赤黒く禍々しい世界から元の世界に戻っていく……。
赤い渦巻に巻き込まれリバース・ワールドへとやってきた。しかし今度は逆に上へとうずまきが昇っていき、いじめっ子たちを突き刺した黒い針もまたそこに吸い込まれていった。
ほんの少しの生徒たちだけが、この広い駐車場に残された。
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あの時俺は明治さんに頼んだ、伊勢崎淳博士に話をするようにと。
しかし渦巻が昇った瞬間、明治さんもまた道半ばにしてリバース・ワールドから離れてしまったという。
とにかく、俺達はもう高校に行く理由がなくなった。
きっと俺以外にこの事を知る人はいない。もしかしたら博士……俺の父さんは知っているかもしれない。
……父さんと話がしたい。
「お姉ちゃん……」
そしてもう一つの問題……明治さんのお姉さん、里美さんがいない。
明治姉妹はリバース・ワールドで生まれ、伊勢崎淳博士の元にいたという。
早く博士に会いたいが、やはり先程の様子から明治さんにはリバース・ワールドへのゲートのようなものを開く能力はないようだ。
このタイミングで消えた姉さん……一体何をしているんだ。
状況としては最悪、八方塞がり。
俺たちの出来ることが何もない。
世界が滅ぶ、そんな事を証拠もなしに言ったところで、言ったところで……。
――証拠なら、一つある!
なんなら二つ、あるかもしれない……!!
「俺、トゥイッチ持ってくる!」
「――!! おう!」
冴田の録画したあのビデオ……あれは重要な証拠になるはずだ。
斑穢牙の非道な殺戮が映されたあのビデオは一見すれば趣味の悪い編集ビデオと思われるかもしれない。
しかしあそこに映された被害者達は本物だ。家族にあたれば、辛い真実ではあるがフィクションのような事実を事実であると証明できるかもしれない。
唯一不安なところは、冴田の協力を仰がなければいけないということ。
何せあのビデオを撮った動機が動機だ、あいつは恥ずかしくて墓場まで持っていくなんてこともありうるかもしれない。
そしてもう一つの可能性……それは、マオウクエスト。
ソフトに残された最条魔王はバスの駐車場にいなかった。
おそらくはずっと、このトゥイッチのソフトの中に閉じ込められている。
トゥイッチの中にマオウクエストのソフトを差し込むと、全員がこちらの画面をのぞき込む。
暗い画面にノイズが走り、草原と青々とした空が映し出された。
そしてそこにポッと最条の姿が放り出され、
「――あだッ!!」
地面に放り出された尻を痛そうにさする最条。
こちらの存在にはどうやら気付いていないようだ。
「さ、最条? 聞こえてるか?」
「ん? えっ?――あぁぁーーーーー!!!」
こちらに気付いたと思えばトテトテと走り寄ってきてべっとりとディスプレイに顔をへばりつける。
「ち、チーター共!! 我をこんなとこに閉じ込めおってからにっ、とっととこっからわりぇをだひぇぇ~~~っ!!」
画面にへばりつく最条のおかしな顔。緊張が解け、つい口元が緩んでしまう。
「そうしたいのは山々なんだけど、あの後大変な事が起きたんだ最条」
「ゲームがクリアされたら我も皆も出られるはずだったのにおみゃえらがチート使ってクリアするからバグって我だけがこの世界におきおきおきざりにににににぃぃぃぃぃ~~~~~っっっっ」
「そ、そうだったのか!?」
この状況はゲームを特殊な条件でクリアしてしまったせいで生まれたバグってことなのか。
それはとても申し訳ない。俺たちには最条をここから出してやる責任が生まれる。
「フンッ、それで大変なことってなんだっ、我を茶化しにきたわけでもあるまいっ」
「……校長がたくさんのいじめっ子を殺した」
その言葉に戦慄する最条の顔。ぷいとそっぽを向いた横顔から真剣な面持ちがうかがえる。
「そして校長はこうも言った。これから世界を滅ぼすと」
瞑目する最条。ゆっくりとその口が開かれる。
「あんな怖いやつが言うんだもん、本当に世界を滅ぼそうとしてるのであろう……。このような不可思議な力を我に授けてくれたのだから、そのような芸当もできてしまうのだろう」
その声は途中からわなわなと震えだしていた。
「わっ、我の差し出せる情報はっ、何もないぞっ……ただ力を授けてくれるっていうからっ、こういう力を望んだってだけなのだ……」
「……校長とはどこで出会ったんだ?」
「夢の中なのだ……」
「ゆ、夢っ?」
「あいつは、『お前の望む力を授けよう、それをもって伊勢崎に絶望を叩き込むのだ』って、夢の中で言ってきたのだ」
本当に夢の中に入り込んだのか、それともあるいは、寝ている最条をリバース・ワールドにさらっていったのか、その真実は分からない。
だが結局はそのように人をさらう力があり、望まれた力を授けるということができるということは真実だ。人をさらうのは、おそらくあの赤黒い渦巻の力……。
「最条、俺はこれを世界に伝えようと思う」
「……へ」
「この事態、もう俺たちにはどうすることもできない。頼りになりそうな人たちとは全く連絡が取れない状況だ。何より世界が滅ぶかもしれないという異常事態、世界中の人間が力を合わせて抗わないといけない、あの校長に!!」
もう取り戻せない人たちがいる……。
校長の手によって弄ばれ、挙げ句命を奪われた者がいる……。
それだけでも許せないことだと言うのに、あいつは世界さえも手にかけると言っていた……!!
どこまでやつの力が及ぶかは分からない……。
俺たちにしかできないことをやらなくちゃいけない!
「最条、お前の存在が校長の異質な力の証明になると共に、校長が世界を滅ぼすと宣言した事を証明することもできる!! 世界を救おう、最条!!」
しばしの沈黙の後、こちらを向く最条。
「分かった伊勢崎、私やってみる――」
「残念だが、叶わぬ夢物語と化すことだろう」
その声は、トゥイッチから鳴り響いた。
トゥイッチに映し出された青々しい空が一転して禍々しい赤黒い空へと変貌する。
まさか、これは……!!
「え、えっ!?」
世界に、ノイズが走り始める……。
「ぎあっ、や、やだ、やだっ、助けて伊勢崎っ、あ、あだま、い、いだ、だ」
声が、姿が、すり潰されるようにっ、かすれていって……!!
「さっ、最条っ!! 最条っ!!」
「イ、セザキ、セ、ザ、ザザ、ア――」
「蜉ゥ縺代※縺セ縺?遘∵ュサ縺ォ縺溘¥縺ェ縺?♀鬘倥>遘√r縺薙%縺九i蜃コ縺励※逵溘▲證励□繧域囓縺?h諤悶>繧磯?ュ縺後>縺溘>蜑イ繧後k蜑イ繧後k蜑イ繧後k豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺?#繧√s縺ェ縺輔>騾?i縺?∪縺帙s縺ッ繧?縺九>縺セ縺帙s謚オ謚励@縺セ縺帙s陬丞?繧阪≧縺ィ縺励※縺吶∩縺セ縺帙s縺ァ縺励◆縺企。倥>遘√r蜉ゥ縺代※闍ヲ縺励>蜑イ繧後k陬ゅ¢繧句鴻蛻?l繧句勧縺代※縺企。倥>豁サ繧薙§繧?≧豁サ繧薙§繧?≧豁サ縺ャ豁サ縺ャ豁サ縺ャ豁サ縺ャ縺ゥ縺?@縺ヲ遘√↑縺ョ遘√?縺?>蟄舌↓縺励※縺溘h縺頑ッ阪&繧薙?縺?≧縺薙→縺顔宛縺輔s縺ョ縺?≧縺薙→繧ゅ∪繧ゅ▲縺溘h遘∵が縺?ュ舌§繧?↑縺?h縺?>蟄舌↓閧イ縺」縺ヲ縺ュ縺」縺ヲ險?繧上l縺溘°繧芽ィ?縺?▽縺大ョ医▲縺溘h遘∵が縺?ュ舌↑縺ョ縺九↑謔ェ縺?ュ舌□縺九i豁サ繧薙§繧?≧縺ョ縺九↑謔ェ縺?ュ舌□縺九i谿コ縺輔l縺。繧?≧縺ョ縺九↑繧ゅ≧繧?□隕区昏縺ヲ繧峨l繧九?縺ッ繧?□繧?□逕溘″縺。繧?□繧√↑繧薙※險?繧上↑縺?〒縺斐a繧薙↑縺輔>縺頑ッ阪&繧薙♀辷カ縺輔s遘√?謔ェ縺?ュ舌§繧?≠繧翫∪縺帙s豁サ縺ォ縺溘¥縺ゅj縺セ縺帙s蜷榊燕縺ォ譁?唱險?縺?∪縺帙s遘√?縺薙?蜷榊燕縺悟、ァ螂ス縺阪〒縺吶♀豈阪&繧薙→縺顔宛縺輔s縺ョ螟ァ螂ス縺阪↑繧イ繝シ繝?縺ッ遘√b螟ァ螂ス縺阪〒縺呎?。髟キ蜈育函縺企。倥>縺ァ縺咏ァ√∪縺?豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺?函縺阪◆縺?・ス縺励>縺薙→繧ゅ▲縺ィ縺溘¥縺輔s縺励◆縺?〒縺咏?輔¢縺。繧?≧諢剰ュ倥′縺ょ」翫l繧九≧莨雁兇蟠弱¥繧灘勧縺代※遘√←縺薙↓縺?k縺ョ菴輔b隕九∴縺ェ縺?h縺企。倥>莨雁兇蟠弱¥繧謎シ雁兇蟠弱¥繧謎シ雁兇蟠弱¥繧窶補?輔い縲√く繝ャ繧、繝翫が繝帙す繧オ繝」
それはもはや、声として聞き取れない音だった。
掠れた不快な機械音がまるで泣き喚くように叫び散らかされ――おびただしい量のノイズが走った後、トゥイッチの画面が暗転した。
いくら再起動し、カートリッジを抜き差ししてももう反応がない。
「――伊勢崎、悪い」
唐突に家を出る伊賀。
――雄叫びが響いた。
殺す、絶対に許さねぇ、ぶっ殺してやる。
怨嗟の叫びが、大声が、何度も何度も響き渡る。
どうすることもできない無力感だけが、俺の心を支配していた。
きっとそれは俺だけじゃなく、明治さんも、伊賀も、そうなんだろう。
どうすることもできない事を嘆くしかない。
ただただ時計の針が進んでいくことを嫌でも実感させられる。
この異常事態、流石にお母さんの目にも異様に映ったようだ。
「……拓也。お母さん、拓也がずっとお友達と一緒に変な事してるだけだと思ってたよ」
「そうだったら、そうだったらどれだけ良かったことか……」
もう隠し事はできない。
二人が帰り、二人だけになったこの家で、俺は事の全てを話した。
俺がいじめられていた事、そのいじめが仕組まれていたこと、いじめたやつには何の罪もなかったこと、プロレマ部のこと、父さんのこと……校長、統極廻夢のこと。
間もなく世界が滅ぶかもしれない。
そうなったらお母さんだって死んでしまう。
持病の心臓病の発作を今ここで起こしてしまうかもしれない。
でも、何も知らずに死んでほしくない。
どのみち世界が滅ぶかもしれない。きっと俺たちはこれから普段どおりを取り繕うことができない。
学校もないんだ。高校はもう、終わったんだ。
知ってほしかった、本当のことを。
「だから、今までの身体の傷も、入院したのも全部いじめのせいで、それが全部校長のせいで……」
お母さんは何も言わなかった、
「……今、何も出来ないのが本当に悔しいんだ」
ただいつものように微笑んで俺の話を聞いてくれていた。
「ねえ、拓也」
「なに、お母さん」
「私、ずっと拓也が何か隠してるんじゃないかなって思ってた。いつも傷だらけで帰ってくるのを隠してるの、お母さんのこと気遣ってくれてるんだって分かってたよ」
「…………」
「拓也がずっと頑張ってること、分かってた。でもきっと拓也はお母さんの事心配しちゃうから、知らないふりをしとこうって思ったの」
……無理があると思ってた。
どんなに盛大にいじめられて、傷つけられて、そのまんま夜帰りしたり、一日中国に行ってたり、テロリストどもに襲われたり、突然転校したり、色んな事があっても母さんは俺の子供だましみたいな言い訳で全て納得したような姿勢を見せてくれていた。
「拓也、ありがとう。話してくれて」
「お母、さん……」
隠しているのは俺だけだと思っていた。
でもそんなの全部お見通しで、お母さんは全部知っていて……。
「フフ、お家を襲われた時は本当にびっくりしたのよ」
「あれは俺も、ここまでやられるとは思わなくて……」
お母さんを傷つけることはできないから、だから俺は頑張れていたところもあるのかもしれない。
だって、もしもずっとこんなにも弱い気持ちを持っていたら、きっと俺はいじめに立ち向かうこともなく、弱音を吐き続けたまま校長の思惑通りの結果になっていたかもしれない。
あるいは何も知らず、世界が、終わっていたかもしれない……。
「――拓也、一人だけ知ってるわ」
「……え?」
その時のお母さんの表情を俺は初めて見た、
「お父さんと関わっていて、お父さんのいる場所に導いてくれるかもしれない人」
お母さんがこんな真剣な面持ちをするなんて。
最近、一度だけそこに行ったことがあった。
卍にリンチされた翌日、雨にうたれ熱を出した時に一度だけここに来た。
俺が子供の時から、俺はずっと定期的にここに通っていた。
「――急な連絡だったものですから、驚きましたよ」
ぴえろ小児科、子供の頃から、俺の病気の面倒を見てくれていた先生がそこにいた。
「お頼みしたいことがあります――ドクター・ピエロ」
お母さんが深々と頭を下げた。
「伊勢崎淳博士と、息子を会わせてあげてください」
「……何か、事情が?」
「先生。俺の高校を取り巻くある事について――何か知っているんですか」
奇妙なピエロの仮面を被る小児科の先生は、数秒の沈黙の後、口を開いた。
「……お母さん、お外でお待ち下さい」
その一言を受けたお母さんが静かに診察室から出る。
「……拓也くん、まずは教えて欲しい。何があったんだい」
ダンディな低い声は、全く落ち着いた様子で俺に訊く。
「校長が、統極廻夢が世界を滅ぼすと俺に宣言しました」
ドクターピエロはまた数秒沈黙した。
そしてゆっくりと、声が発せられる。
「そこまで、辿り着いたのですね」
おもむろに立ち上がり、ドクターピエロは空間をつまんだ。
ゆっくりと下がる指。
それと同時、ファスナーが下がるように徐々に徐々に、空間が開き出す。
「それでは少しだけ背中を押してあげます――」
――ずっと、子供の頃から俺の事を助けてくれていた優しい小児科の先生は、
「伊勢崎淳博士の、一番の助手として」
ずっと、その正体を隠していた。