58話.掬う希望、巣食う絶望。
赤い渦巻きが迫り切る。
呑み込まれる時には何の感触もなく、何の違和感もない。
じっとそこにいて目を閉じれば気付くことはないだろう。
駐車場は赤黒く、そして暗く。一瞬の内に闇に呑まれた。
「なっ、何ですのこれ!? 伊勢崎ぃ!?」
「どこなのここぉー!? 助けてぇー!!」
「伊勢崎くん、死なないで……」
心の波紋。
これが一体何なのかは分からなかった。
明治さんに繋がるこの波紋。
多大な力と勇気を与えるこの波紋。
これは……君の力なんだね、明治さん。
「――明治さん」
「伊勢崎くん……」
この鼓動。この波紋。
全てを感じる、全てが分かる。
守りたいという明治さんの想い。
守りたいという俺の想い。
混ざり合い、繋がり合い。
――途端に爆発し、形となる。
「伊勢崎拓也。何だそれは。生意気だ。生意気。いや分からない。何だそれは。何だこれは。分からない。何も感じない。何も感じない。何も分からない――」
アイガの牙がギチギチと鳴る。
「何だその力はアアアアアアア!!!」
瞬足で飛びかかるアイガ。
あまりにも速く一切目で追えなかったアイガの動き――。
身体をバラバラにするつもりだ。
一瞬の飛びかかりの後、爪で乱暴に引っ掻き乱し文字通り八つ裂きにしようとしている。
すべて見える。すべて追える。
かわすのが容易い。
異様なほどに研ぎ澄まされる感覚、異様なほどに反応する身体。
動けと望めば身体が動く、速くと望めばその分速く。
自由、自在だ――。
アイガの爪を切り刻め。
すれ違い様、乱れ引っ掻くアイガの爪。
既に切り落とされた爪達が俺の身体に当たると同時、細切れに宙を舞う。
「!! 貴様、どこに――」
ボトボトと爪の落ちる音。
焦っているのが分かる。
マダラ・アイガがこの状況に対しまずいと感じているのが。
「斑穢牙。なぜお前はそこまで人を容易く殺そうとする」
「――」
何の躊躇いもなく追撃がくる。
こま切れた爪はとうに治りきっている。この自己治癒力が境太郎先生の攻撃をものともしなかった秘訣か。
――アイガの動き、その素早さは一切変わっていない。
だがしかし今の俺にはその動向、爪の動き、筋肉の躍動、腕の伸びが一瞬たりとも逃さず捉えられる。
認知し、判断し、理想的な動きを編み出しその通りに身体を動かす。
ただ願い思うだけで一連の動作は意思通り叶えられる。
身体の負担もなく、不合理な身体の動きさえ求め願うだけで楽に叶う。
アイガの爪、牙。食らいつこうと一心不乱な無茶苦茶の乱撃。
これからアイガが行おうとする数多な攻撃のビジョンが手に取るように分かる。
アイガが巻き起こさんとする力の流れ、意思の向かう所。
ヤツからこちらまで――発され生まれる波紋の乱れが頭を働かせるまでもなくこの身に沁みて伝わる。
「ええい何故ダ何故ダ何故だナゼ貴様はそこにいるにも関わらず微塵に散らズ幻が如クこの爪を掠めていくのダ伊勢崎拓也ア!!!」
「さて、な」
爪の一振りに見えたヤツの身体の大きな揺らぎ。
焦りからくるものか、単に姿勢を崩したか。大いなるスキであることには何ら変わりがない。
――コイツの身をたたっ斬れ。
そう思うだけで実感を置き去りに腕が飛び、理想通りの一撃がアイガの身に叩き込まれる。
背から腹にかけた両断を狙った一撃はその望み通り、
「グガァッ――」
アイガの身体を真二つに分かち断った。
甲殻の上半身は分断の勢いに吹っ飛び校舎に着弾する。貫通した白い身体は瓦礫を吹き散らしながらくすぶる煙の中に消えていった。
置き去りにされた白い足はおぼろげにふらつき、二・三歩歩いた先で崩折れる。
「や、やった……」
「伊勢崎くんっ!」
安藤の安堵するような声。
そして駆け寄ってくる明治さん。
「明治さん……明治さんも、何か感じているかな」
「うん。伊勢崎くんと、伊勢崎くんと心の底から繋がってて……私の中から、すごい力が溢れてくるんだよ!!」
心が共鳴し、混ざり繋がる力。
この力はきっと本当に、俺達の心が底から繋がっているという証でもあるはずだ。
だからこそこんなに強力な力を明治さんから貰えて、俺はそれを苦もなく扱える。
「――俺、もだ」
そう、苦もなく……
「い、伊勢崎くん?」
苦もなく、扱えて……
「俺の心の、底から、も……」
「伊勢崎くんっ!!」
頭が朦朧とする。
何かを考えれば叶う先程の状態とは打って変わって何も浮かばない。
何も……。
身体が動かない。意識もはっきりしない。
こんな暗闇の中だけど、この身体を受け止めてくれるその腕の存在は確かにはっきりと感じ取れる。
「伊勢崎くん……」
「明治さん、冰華花……凪が……」
「――」
アイガは確かに斬り飛ばした。
だが、事態がこうなった切っ掛け……アイガの被害者、冰華花凪は腹を貫かれたままだ。
「救急車は!? ねえ、救急車!!」
「チッ、ダメだ! 電話が繋がらねぇ!!」
イジメっ子共は冰華花の身を案じている。しかしここはリバース・ワールド、きっと電波は繋がらないのだろう。
「プロレマ部の、皆を呼んできてくれ……」
「――」
「頼む、明治さん……今は、君にしかできない事、だ」
「……分かった!!」
身体がそっと横倒れになるのを感じる。
ささやかな明治さんの気遣い。腹を貫かれた冰華花を助けるのには惜しい数秒だけど、嬉しかった。
「……ピョ」
――こんな時に、こんな間抜けな声を耳に入れるなんてな。
畜羽鶏子。ピョピョとしか言わない謎の着ぐるみ女。
着ぐるみの端からのぞく茶色く長いもみあげを垂らして、髪の下からのぞく赤黒い瞳が心配そうにこちらを見ている……。
視界はおぼろげで何も見えないが、その光景をありありと感じられた。
先程放ってくれた『ピョ』には、それほど普段と違う沈んだ声音を帯びていたからだ。
「畜羽……。お前はもう少し、まともに喋れねぇのか……」
「……ピョ」
意識は限りなくあやふやだ。
だがしかし、これ以上に沈むこともないように感じる。
水底で横たわり、揺蕩うのに身を任せているような感覚。
このままじっとしていれば、いつかは浮かび水面から顔が浮かび出るであろう。
その時をただ、待つだけだ。
「――伊勢崎くん、プロレマ部の皆、いなかったよ!!」
先程行ったばかりの明治さんの声。
この大きな駐車場から校舎奥の部室を経由した往復をすぐに帰ってきたところ、どれだけ自分の意識がぼやけているのかを実感させられる。
俺がここに来た時は、沙濤先輩と花園先輩が部室にはいた。
その二人が、いない。何か嫌な予感がする。
「……冰華花、凪は」
冰華花の名を呼ぶ声が向こうから何度も響いてくる。
この世界の異常を気に留めず、クラスメートの身を案じる彼らの言葉。
校長に操られているだけで本当は皆、やっさしいんじゃねぇのかな……。
「私、お姉ちゃんのところに行ってくる!」
「明治さん。里美さんは、リバース・ワールドにはいないはず……」
「――」
明治さんの声が止まっている。ここで声が止まるということはつまり、明治さんには郷大公部長のように空間を引き破り元の世界に戻るといった類の手法を持ち合わせていないということ、か。
俺がどこまで知っているのか、それを隠すつもりはない。ただ話す機会が無かっただけで……。
ただひとつ、今を変えられる、残された可能性は……。
「俺の父さんに……伊勢崎、淳博士に……話を……」
「――!!」
俺がどこまで知っているのか、それはきっとこの一言で全部明治さんに伝わったはずだ。
明治さんの目が見開いているのが分かる。驚きに息を漏らしたのがはっきりと耳に入ったからだ。
「頼む、冰華花を救える存在は、もう他に……」
「……分かった!!」
地が軽い足音に響く。波紋が遠のいていく。
意思の淀みを感じさせないような、決断に満ちた走りだった。
ありがとう、明治さん。
「これで、何とかなるはずだ」
意識が徐々に上ってきている。
この調子ならすぐに意識を取り戻せるだろう。
アイガが本当にあの一撃で死んだのか、正直怪しいところだ。
きっとまだ下半身はすぐ近くに横たわっているはず。それがいつ、突然ビクつき動き出し再生を始めるのか、あるいはそんな可能性がないのかも分かったもんじゃない。
ただ、もしかしたらあり得るかもしれない……今はその可能性が皆にとっての大きな危機になっている。
しかし腹を貫かれた冰華花をそのままにはしておけないと思う皆の気持ちが、皆をこの場に留まらせている。こんなやっさしいイジメっ子、いるもんかよ。
「クソッ! 死ぬんじゃねぇぞ、冰華花ェ!!」
「天糖ちゃん止血って本当にこれでいいの!?」
「わっ、分っかんないけどやるしかないんだよぉぉ~~!!」
ああ。伊賀のヤツ、冰華花の手当てに回っててくれてるのか。
校長カイムは、こんなにも心優しい生徒たちを洗脳し、自分の復讐のための都合の良い手駒にしてきていた。
貴様の罪は、絶対に裁かなければいけない――
「――テメェら全員避けろ!!」
唐突に放たれた伊賀の叫び声。
冰華花の手当てに苦闘していた声が唐突に途切れる。
「うおっ!」
「キャッ!」
何だ、一体何が――
「――ピョッ!!」
「え」
横倒れていた身体が、何かに蹴っ飛ばされるのを感じた。
通り抜ける大きな風。圧倒的な存在感を漂わせる威圧感。
蹴飛ばされなければ、圧倒的な何かはモロに俺の身体を直撃し――
待て、そこには誰がいた。誰が俺の身体を蹴飛ばした?
さっきまで、そこにいたのは――
「――畜羽ァ!!」
緩やかに登る意識が無理くりに引きずり出された。
目の前に広がる赤黒い視界には――世界の禍々しさに引けを取らぬ、黒く奇妙な物体が存在していた。
「なんだ、これは……」
黒く、巨大なモノ。
所々に四角い穴が空いている。
その中には椅子のようなものがちらと見え――
「まさか、こいつは……」
「伊勢崎ィー! バスが、バスが突然動きやがって――」
「ちっ、畜羽ちゃん!! 畜羽ちゃああああんっ!!!!」
この目の前にある、黒く巨大な物体がバス……?
ソイツからは黒い液が滴り、所々から黒緑の奇妙な粘液が噴き出している。
二つの液がドロドロと混ざり合い、この黒く巨大なオブジェを奇妙な生体たらしめている。
長く真四角で、所々の穴からのぞく座席の存在は確かにソイツがバスであったことを知らしめている。
――ソレが、こちらを向いた。
ヘッドライトと思しき部分が、強く暗い緑色に発光している。
通常のバスならばあり得ない曲がり方。
こちらを向いたバスの顔が二つに割れ、鋭く黒く、巨大な牙が生まれ――
「――まずいっ!!」
俺の身体は咄嗟の後退りをしていた。
言を発する前から既に、本能的にその危機を察知していた。
俺が先程までいたその場所を、黒く巨大な物体ががぷりと包み込んでいた。
飛び散る粘液、張り付く黒い汚液。
肌にとりついたそれは暗い緑を湛えうぞうぞとうごめいている。
気色が、悪い……。
「……畜羽のヤツ」
先程まで近くにいたアイツがいない。
それはつまり、こいつの、コイツの口の中に、
「ナゼと聞きましたかア、伊勢崎拓也ア」
「――!!」
その巨大な黒いバスから、聞き覚えのある声がした。
その卑しい口の端を目いっぱいに吊り上げたバスが、ねとりと黒い粘液を垂らしながら笑う。
「ナゼ私が容易く人を殺すのかと、訊きたい様子でしたねエ……」
「――」
バスの側面……ひび割れのような黒い枝が突出、うねうねと形を整えたそれは風を仰ぎ始める。
バサバサとはためく度に飛び散る粘液。ネバネバと動く鱗の存在。
突如バスの側面から現れたその粘液郡は翼と表現しても過言でない代物に仕上がっている。
「教えてあげまショウかア……!! 私が体験してきたこの世界に蔓延る醜いゴミ共の正体についてねエ……!!」
「――」
飛翔する巨体、飛び散る粘液。
――よろよろと立ち上がるアイガの下半身……。
「なんで、生きて……いや、ど、どうなって……」
重力に任せ舞い落ちる巨体を矮小な下半身がガッチリと受け止め、その衝撃に黒粘液が吹き散る。
バスの側面、翼の下からアイガの白い腕が生え――その巨躯相応の太く長い爪を宿していく。
その白さもまた滲出する黒粘液に支配され、暗く緑色の液体が噴き出し、不快な粘液郡を撒き散らす四角い巨体はぐっぱりとその口を開け――
「教えてあげたいところですがア、残念ですネエ」
このバスから、斑穢牙の声がする。
どんな理屈がそこに存在するのかは分からない。ただはっきりしている。
斑穢牙は生きてここにいる、そしてなぜか、バスになっている……!!
俺の転校先を襲ったノリの使い手紀代大和。ヤツもいつの間にかその身をノリそのものに移し替えていた、恐らくはアイガの手によって……。
詳しくはわからない。だが転校先で見たあの光景と同じような原理が今ここで働いたというのか!!
おぼつかない小さな下半身に前のめる車体。
ソイツが大きな口を開け、噛み付いてくる――
「――クソッ!!」
「ギヒャハハア!!」
慌ててかわすも、生えた腕を巧みに扱い素早く身を翻し再び食らいついてくる。
腕そのものでこちらを掴もうとしてくる動きに気を配りながら、何とかその巨体の進撃を避けるも――
「さようならア……!!」
「クッ――」
とてつもない体格差。
コイツはバスそのものである分もあるのか、機動力がある。
クマが人間よりも速く走るように、だだっ広い障害物のない駐車場ならば俺はいつか必ず追いつかれてしまう。
今がその時……どうにかこの状況を変える手段は――!!
「――」
明治さん、力を貸してくれ――!!
波紋が共鳴する、だがしかしその力は先程に比べれば――
「グゥゥゥ……!!」
「ハガァ! ふへがへふほは、はいひはほおへうへ!!」
防ぐとは大したものだ、とでもいいたいのだろうか。
これが精一杯だ……。あまりにも共鳴が弱い。
俺が焦っているのもあるだろう、先程力を使い果たしたという可能性もあるかもしれない。
剣だけでも生み出せたのは、及第点だ……!!
なんとか明治さんの力を借りて生み出せた白い剣。
縦に構え口の中に立て掛けた、その場しのぎのつっかえ棒……!!
ボトボトと滴り落ちる黒粘液、気色悪いことこの上ない……。
「――!!」
口の奥に何かが見える……!!
白い布にのぞく茶髪、あれは、畜羽鶏子!?
もしかしたらまだ助けられるかもしれねぇ!!
今ここで、口がつっかかっている内ならばッ……!!
「アロォォォ……」
つっかえが、取れて――
「まずいっ!!」
瞬時に剣を抜き取ったのは良い判断だった。
ぐぼぉっと音を立てて閉じた口からはどばぁと黒粘液が飛び散る。
口の中でつっかえているなら、ただ下顎を引けばいい。
それだけの事になぜ気付かなかった!!
「デハでは、身の上話を人の前でするのは初めてなのですが――教えてあげまショウかア……」
「……」
ヤツの動きが止まった。
本当に話すつもりか……だが、このままここで黙ってこいつの話なんぞ聞いていたら今生きているかもしれない畜羽鶏子が奴の中で本当に死にかねない……。
そっちが話すつもりでいるってんなら……
明治さん、力をもっと、貸してくれ……!!
「デハ、お教えしましょう! ナゼ私がのさばるクソ共をここまでほったらかしにしてきてしまったのか、その理由をオ……!!」
ダメだ、全く波紋が広がらない!!
力を借りるというこの思いがダメなのかもしれない!
「私の両親は私が5サイの時、惨殺されてしまったのデス」
「――」
なんだ、その悲しい過去は……。
「それから私を引き取った先でも虐待が絶えず、何故かは知りませぬが学舎ではそんな私を虐げるモノも多く出たア……」
それなのになぜ、お前の体験した悲劇を繰り返させようとしている……。
――俺は、畜羽鶏子を助けなければいけない!!
「必死に学び学者となりましたが……何故か私よりも先に私と同じ実験をするものが現れ、私と同じ論文を投稿し、私よりも先に功績を讃えられものがいましたア……私は、人生の全てを世にのさばるクズどもに奪われてしまったわけですよオ」
「――その割には楽しそうに悲しい過去を語るじゃねえかよ、斑穢牙ァ……!!」
力に、溢れる――。
「当然でございましょウ!! カイム様だけが私を支えてくださった!! そしてカイム様はリバース・ワールドへと私を導いてくださった!!」
勇気に、溢れる――。
「クズがのさばる世界は今に滅ぶのでございまス!! 悲しき過去との決別がすぐそこにあるのにどうして笑わずにいられるでしょうかアアア!!」
心が守れと、叫んで――
「――身の上話などそこまでにしておけ、アイガ」
鳴り響く轟音。
無数の巨大な針が突出する音だと、すぐに分かった。
「……へ?」
針は、針の先には――。
「う、うそだろ……」
1つ1つの針が、イジメっ子達を貫いていた。
何が起きたかわからない顔をして、まるで宙にでも浮いてるような。
「え゛、何これ゛ッ……」
口から血をこぼす、楽囃棘嘩……。
「アア、っざけんじゃっ、ねぇぞ……」
地面を見下ろす、竜殿凱……。
「ひ、かげ、ちゃ……」
地面に手を伸ばす、天糖甘子……。
他にも、皆、皆、イジメっ子達が、貫かれて……。
「なんだよ、なんなんだよこれ……」
「――カイム様ア!!」
針の門、その奥から響く足音……。
「まあ、時間稼ぎに走ったことは素晴らしい判断だ、アイガ」
黒い龍の兜、刺々しい歪な甲冑。
風になびく黒紫のマント……。
この姿、ディスプレイ越しに一度見ただけでも忘れないこの威圧感、コイツは、コイツは……。
「校長、カイム……」
「カイム様ア!! この身の中に畜羽鶏子を保管しておきましたあ!!」
「では、伊勢崎拓也が保護に走ろうとする残りの9人は全てここにいるということで良いな?」
「イエ、最条魔王が今朝から見当たりませんネ!!」
「そうか。それは気にせずとも良いだろう」
ぐばあと口を開けるバスはきっとその奥に横たわる畜羽鶏子を見せつけているのだろう。
「――俺の針は良い突き味だったろう?」
……影が、闇がうごめく。
どこまでも深い闇がうねうねとうごめき――
「ハハハア。お前のその顔があ、見たかったんだあ……!!」
どこまでも黒い、大きな虎の姿に変貌したそれは針の中から這い出てくる。
青い目を光らせるそいつは、沙濤、先輩……。
沙濤先輩に、似た、何かなのか……?
「どうだろうねえ? それは本物の沙濤だと思う?」
この透き通った声、赤い着物に、黒いおかっぱの、どこまでも黒い眼を持つ日本人形のような女の人は……。
「花園先輩……?」
「ん? フフ、そうだよ。本物の花園先輩だよー」
花園先輩が笑って手を振っている。
校長カイムの、後ろから……!!
「伊勢崎拓也。自己紹介が随分と遅れてしまった非礼をお詫びさせていただこう」
物腰穏やかだが、ソイツが放つ空気には……明らかに異質なものがある。
腰を曲げ、片手を内へ曲げ、深々とした礼をこちらに向ける歪な存在。
持ち上がる龍の兜。暗く深い双眸の先には、何も見えない。
「――本校校長、統極廻夢だ」
 




