53話.詫びる心の美しさ、錆びぬ心の強かさ。
「答えは何かと聞いてるのですよ、伊勢崎拓也クン」
この問題の答えはなんだ、クソッ、考えろ!
ここを、こうして、ああダメだ!
何なんだこの問題集、こんなのまだ習ってないぞ!!
「ハァ……」
これで5問目だ! はっきり言って異常すぎる、こんなの!!
「また答えられないのですかッ!!」
「グアッ!!」
コイツは容赦が無い、俺の頭をひん掴み叩きつけることに抵抗がない……!
バッタンバッタンぶつけてくるもんだから問題集がぐしゃぐしゃだッ!
「教師をやって40年!! ここまで出来の悪い生徒は初めてですよオ!! なにゆえアナタは勉強ができない!? なにゆえアナタは問題を解けない!?」
「どう解けばいいのか……分からないですよ、こんなの」
「アァ?」
「なんですかこの、ざん、ざんかしきって――」
「漸化式も読めないとは一体今までどんな勉強をしてきたんですかッ!!」
頭が引っ張られて――
「漢字が読めないのも漸化式が解けないのもなにもかもなにもかもアナタが勉強を怠ってきたというその学習に対する怠慢に帰結するウウ! なぜだなぜアナタは頭が悪いイ!! なぜアナタは勉強をしないイ!! ゼンブ全部アナタの日頃の学習態度が原因だと存じますがいかがですかアア!! エエ!!」
痛い、痛い、痛い――!!
何度も何度もガンガンガンガン俺の頭を机にぶっ叩いてくる!!
「恥を知れエェッ!!」
バキャッ!!
一瞬、意識が飛んだような気がした。
つ、机が、机が俺の頭でぶっ壊れた……。
問題集もぐちゃぐちゃだ。
「さテ、この分はアナタの親にきっちりと弁償させてもらうとしましょうかア……」
滅茶苦茶だ。
この男、斑穢牙は何もかも滅茶苦茶なヤツだ。
転校先の高校ごと、全部こいつが破壊した。
生徒の皆が、紀代が、境太郎先生が、コイツの手によって殺された……。
「ではでは、伊賀千刃クン! アナタがこの問題を解いてみてください!!」
「……いや、分かんねっす」
「よく考えてみてください、ここがヒントになりますねエ」
アイガのヤツ、何か伊賀に耳打ちしている……。間違いねぇ、ありゃ恐らく答えを教えている。
伊賀が答えて正解し、また俺を責めたてるって算段か。
やり方がこすい。つっても、それがイジメだもんな。
しかしアイガ、それはお前の大きな誤算だ。
俺は必ずテメエに復讐してやる。お前が俺を殺さない限り、必ずその機会を狙ってみせる……。
「……」
「さア、伊賀千刃クン! ここの答えはなんですかア?」
「――いや、分かんねっす」
「ハア?」
い、伊賀……。
「習ってねえっすよこんなの。何すかこれ、数学Bって。これ二年生がやるやつっすよね」
「伊賀クン?」
「あのー、城島先生はこんなとこやってませんでしたよ。俺達がやってたのアレっすよ、サイン・コサイン・タンジェントってやつ」
「伊賀クン」
「いやいやいや、答えかなんかしらないっすけど意味不明なモンささやかれてもわかんないんっすよ俺も――」
一瞬だった、耳が弾けそうな衝撃音が鳴ったのは。
真横の壁から燻る煙。伊賀が、壁の中にブチ込まれていた。
「私、昨日校長に怒られてしまったんですよねエ」
おい、コイツ、コイツ隠してねぇ……!
腕が変貌している、白い恐竜の爪に!!
「1年3組の生徒は無闇に殺すな、とオ……ですが私、あまり我慢ができない性分でしてねエ」
壁の中の伊賀は白目を剥いている。
気絶してるみてえだ。
その頭がガッチリ掴まれた。
「あまり校長の意志に背かない方がイイ……」
壁から引きずり出される伊賀。
おもちゃでも乗せるみてえに気絶した伊賀を椅子にぶん投げるアイガ。
「はい、でハ女子を指しますか」
今までにない程授業の空気は張り詰めていた。
境太郎先生の授業では皆が結構ゆるゆるとやっていたが、今は違う。
全員姿勢を正している、驚くぐらいに背筋が真っ直ぐだ。
「ここの答えは、えーっと、えっと!」
「……ですヨ」
「――! は、はい! えっと、えぬかっこえぬぷらす……えっと」
「……です」
「えぬぷらすー、いちかっこえぬぷらすにーぶんの……ろくぅ?」
「素晴らしいイ! ちょっぴり自信が無かったみたいですが大丈夫です正解ですッ!……さテ、これでアナタの怠慢が客観的にも証明されたようですがねエ、伊勢崎拓也クン?」
嬉しそうにズカズカとやってくるアイガ。
良い、ここはこれで良い。
お前らはアイガに合わせとけ、そうすりゃ誰も傷つくことはねえんだ。
俺が全部受け止めてやる……。
4時間目が終わった。
昼休み、流石にアイガの野郎もここは職員室に戻ってるようだ。
あれから結局授業という授業は行われなかった。アイガが何かと理由をつけて俺をボッコボコにするだけの時間。
いつもは嬉々としてイジメにくる数少ない生徒達も今日はぐったりしているみたいだ。
「伊勢崎くん」
「――明治さん」
またこの高校で会っちまうなんてな。
転校先、制服姿の君を見れると思ったんだけどもう叶わない。
俺は突然舞い込んできた理不尽な暴力に対しあまりにも無力だった。
「ごめんね、私なんにもできなくて」
「ううん、そんな事ない。明治さんのおかげで俺、頑張ってこれたんだから」
「でも私、見てるだけしかできなかったよ。伊勢崎くんがあのお爺さんに暴力をふるわれてるところ、何もできなかった」
「……心配してくれるだけで嬉しいよ。あんな危険なヤツなんだ、何もしないのが正解さ」
「私、伊勢崎くんの力になりたい」
明治さん。敵は思ったよりも大きな存在なんだ。
君を巻き込みたくない。
「……」
「私だって、伊勢崎くんを守りたいよ」
――明治さん。
後ろから、包み込まれた。
「伊勢崎くんは私にとって特別な存在なんだもん」
そうだ。俺は、間違いなく明治さんにとって大切な存在なんだ。
俺はなぜだか、入学したあの日から明治さんの事が気になっていた。
きっと明治さんだって思ってもみなかったんだ、俺が君をまっすぐ認識できたこと。
守らなきゃいけない。俺が、明治さんを。
「俺が、守るよ」
「傷ついてるのは伊勢崎くんでしょ、私が守るんだもん」
「明治さんは俺に優しすぎる……優しすぎるよ……」
「伊勢崎くんだって、私に優しくしすぎだもん」
――心の波紋が震えている。
強く、激しく。
不思議と活力が湧いてくる。生きる希望が、湧いてくる。
これは明治さんの感じてる心なのかな。
分からないけど、とっても心地良い。
5、6時間目を終えた俺の身体はアザだらけのコブだらけでもう何がなんだか俺でも分からなかった。
教室も滅茶苦茶だ。机はぶっ壊れ、窓も破壊され、アイガの野郎がぽいぽいと俺にぶん投げてくるもんだから今はもう誰が誰の椅子に座ってるかも分からない状態。
とてもこの前までと同じ場所とは思えないほどの変わり具合だ。
「お労しや、伊勢崎殿……」
「……お前は」
1年3組12番・僧堂院無様。
頭を丸坊主にしている男。コイツも日頃は凶暴なイジメっ子なのだが、今日は様子が違う。
いつもなら墨を顔にぶちまけてきたり数珠を使って首を絞めてきたりするのだが、今は俺に向けて手を合わせている。
「私共が今までアナタに働いた数々の悪行、どうかお許しください」
「僧堂院……」
校長の野郎、俺を徹底的に絶望させるためにもアイガを担任にしたのかもしれないが、どうやら逆効果だったみたいだな。
アイガの熾烈すぎる行き過ぎた行為は、校長に操られている生徒達でもドン引く程の暴力だったということだ。
まさかこう、ただ単純にイジメっ子から謝られるとは思わなかった。こんなこと初めてだ。
「実は私、校長に任されている事があるのです」
「――!! なんだ、任されてる事って!」
「この世界には裏の世界がある、校長はそう仰っておりました」
リバース・ワールドの事か!
僧堂院、お前は一体校長から何を任されている!?
「裏の世界に流れる強大な力の研究……その一端の管理を任されております故、伊勢崎殿の力になれるかもしれませぬ」
その話、どこかで聞いたことある。
『お聞きしたところリバース・ワールドに流れる強いエネルギーの研究をしているというのですが――』
そうだ、明治さんのお姉さんだ。
里美さんは言っていた、父さんは強いエネルギーについて研究していると!
裏の世界に流れる強大な力……きっとこれは、同じ物を指しているはずだ!
リバース・ワールド。そこに関わる人達を見ていると、沢山の人が人間離れした力を持っている!
きっと何か秘密があるんだ、リバース・ワールドには!!
「まさか、その研究を俺に見せてくれるのか?」
「――左様」
「本当にいいのか? 僧堂院。もしもそんな事がバレたらお前だってただじゃすまないぞ?」
「構いませぬ。私は気付いたのです、自身が行ってきた数々の所業は仏道に反する卑劣なものであったと」
「僧堂院……!」
「伊勢崎殿がよろしければ、早速我が寺院にお越しくだされ。私がご案内致します……」
この学校の生徒も気付いてきている。校長の支配から目覚めかけてきている。
俺はこの緩んだスキを絶対に見逃さない、そして、そして全員救ってやりたい!
「伊勢崎殿、参りますか」
「ああ、もちろん! 連れてってくれ、僧堂院の家に!」
徒歩で30分。僧堂院の家は立派な寺院だと説明を受けた。
「家を継いで、住職になるのが僧堂院の夢なのか」
「夢、ではございませぬ。それが私の務めなのでございます」
「なんだか大変なんだな、寺生まれっていうのは」
「そうでもございませぬ。父上も母上も、皆良くしてくださる」
「それにしても長いな、まだ歩くのか?」
「ええ。普段ならばここで読経しながら帰宅するのです」
思ったよりもそれっぽいことをしている……。
とはいえ俺の首を絞めた数珠を握りしめながら読経してたのか?
それはそれで知らぬが仏、ってやつなのだな。あ、俺上手いこと言っちゃったかな?
「伊勢崎殿は、裏の世界について既に知っているのですか」
「まぁ、一回行ったことあるしね」
「……左様でございますか。研究の一端その管理を任されておるのですが、まだ私はその裏の世界へと入門した事がありませぬ」
実は一回行ってるんだけどな、お前達。
やはりあの入学式の記憶は誰の記憶からも消されているのだろうか。
冴田の奴の行いは最低だったが、その最低な行為からあんな衝撃的な真実が発覚するんだから複雑なものだ。
「ここでございます」
「――うわァッ!」
す、すごい。
ずっと木の壁伝いに歩いていたのかと思っていたが、あれ全部僧堂院の寺院の敷地だったのか!?
門が大きくて、凄まじい威圧感を放っている……。
こんな、こんなでっかいお寺初めて見る! しかもこの中に入れるってんだ!
もうそれだけでワクワクしてきたぞ、俺!!
――門が、ひとりでに開いた。
「無様サマのお帰りです」
「無様サマのお帰りです」
着物の女性二人が俺達にお辞儀する。
す、すげぇ。僧堂院のヤツいつもこんなお帰りなさいを体験してるのか!?
女性二人の間からヌッとやってきた大男。
ああ、法衣だ! お坊さんの姿だ! やっぱり丸坊主!
「無様、そちらの子は?」
「ご友人にございます」
礼をしなきゃ、そう思う前に身体が動いてた。
ぴっちり90°! 人前でこんな丁寧にお辞儀をしたのは初めてだ!
「ハハハ、そう強張るな。面を上げい」
物腰柔らかな声。
僧堂院にかけた厳格な声とは段違いだった。
「まさか無様が友人を連れてくるとはな。さあさ、上がるといい」
「お、お邪魔します……」
法衣を着た大男さん、きっとこの人は僧堂院の父親だ。
雰囲気からそんなにおいがする。
畳に、木の柱……。紫の座布団以外のものはなんにもない。においもすごいぞ、めちゃくちゃお線香のにおいがする。
これでもかって程、俺に『和』ってやつを押し付けてくる。
これがお寺か、すごい……。
「では、お茶を」
「お茶を」
着物の女性二人が俺達の目の前に座り、何か色々用意し始めた。
「お菓子をどうぞ」
「お菓子をどうぞ」
なんかもらった、わらび餅?
おもてなしがすごいな。
なんだこれ、お茶を作ってるのか。
うわあ、いたれりつくせりだ。俺はこの間どうすればいいんだ? お菓子食べてればいいの?
「……」
すごく鮮やかな手付きで恐らくお茶を作ってる。
制服姿でこの場にいることが申し訳なくなってくるな。
茶を注ぐ音。
しんとした境内に唯一響く茶の音。
これが趣ってやつか。いとをかし。
「どうぞ」
「どうぞ」
差し出された茶。
俺の知ってる湯呑みと違うぞ。
これ、お茶碗みたい。
すごいなあ、真緑。これが本当の緑茶ってやつ?
一口、啜る。
うん、お茶だ。熱すぎず、かといって温すぎず、するすると喉を通る心地良い温度のお茶だ。
すこし苦いが、これもまたうまい。あまり苦いのは好きじゃないんだけど、丁度よい苦さっていうのはこの事を言うんだろう。不快感なく飲める。
匂いがいい。お茶のにおいが鼻を抜けていくが、これまた素晴らしい。まるで今俺は茶畑に立たされているみたいな気分だ。
こんな豪勢なおもてなし……。僧堂院はこれを毎日飲んでるのか。
無料で飲めるなら最高だな、これは。
あ、これ感想とかやっぱ言わないとかな。
「結構なお手前で」
着物の女性が笑った。
言ってよかった。
「お菓子もどうぞ」
「どうぞ」
あ、そうだ、わらび餅。
これと一緒に、飲むんだよな。
うん、わらび餅。きなこがついてて美味い。
うん、で、お茶……。
うん、別々に食ったほうが美味しいわこれ。
「では、校長に関する情報を持って参ります」
「あれ、僧堂院は飲まなくていいの?」
「頂きたければ、どうぞ」
お茶菓子をほっぽってどてどてと行ってしまった。
飲めばいいのに、折角美味しいんだから。
どうぞと言われたんで、頂いてしまおう。
「僧堂院っていつもああなんですか?」
「いつもああです」
「ああでございます」
実はお茶嫌いとか……?
わらび餅も、嫌いとか?
それにしても本当に落ち着く空間だ。
リバース・ワールドに関する情報なんてどうでも良くなっちまうくらい――
いや、それは言い過ぎだ。もちろんリバース・ワールドの情報は欲しいのだが。
しかし、ここはとても心地が良い。線香のにおいも落ち着くしくつろぐのに本当に丁度いい。
「どうですか、我が寺院のお茶は」
先程の大男さん。
着物の女性二人が両脇にどいて間を作ると、そこに大男さんは座った。
「とても美味しいです、こんなに美味しいお茶初めて飲みました」
「ハッハッハ、そう言ってくれると嬉しいよ!」
すごく朗らかに笑う人だ。こんなに眩しい笑顔初めて見たかも。
「遅れてすまない、私は僧堂院無様の父だ」
「あ、よろしくおねがいします……」
やっぱりそうか。
「それにしても、無様の奴はどこに行ったんだ?」
「ああ、実は僕僧堂院さんに見せてほしい物がありまして、それで今日ここに来たんです」
「フム、それならば私達は邪魔になるかもしれんな。では、ゆっくりしていくといい!」
「あっ、は、はい!」
立ち上がる僧堂院の父さん、そして着物の女性二人。
お茶はこれ、片付けてもらわなくて大丈夫なのかな。
「あ、あの――」
……あ。身体が、動かない。
う、なんで、だ……?
なんだ、何があった……?
分からない。突然物凄く大きな音がして、それから、それから……。
目を、目を開け!
クソッ、一体どうなって――
「こ、これは……」
僧堂院のお父さんが、着物の女性二人が倒れている。
天井が崩れ、辺り一面が火の海だ。
爆発したんだ、お寺が――。




