52話.転校生活、末日。
「さア。こちらにおいでください」
……冴田のスマホ動画に映っていた、あの老人。
躊躇いもなく大勢の人間を殺したあの怪物が……今、同じことをやって見せて、目の前にいる……!!
「あア、これですか? ご心配なさらず! 全部私がやりました!」
「――!!」
「ですから大丈夫です! 私はあなたに危害を加えるつもりはありません! だからアナタは大丈夫! さア、早くこっちに!」
コイツは、コイツの事は許さない。
だが、こんな化け物をぶん殴ったところで勝てるビジョンが見えない!!
「無理やり連れ出すよりは、アナタから来たほうがお互い楽に済むとは思いませんかア……?」
「……」
全部、何もかもバレてしまった。
校長は俺を高校に引き戻したいのだろう。それならば大人しく今ここで階段を降りたほうがいい。
コイツの言うことに歯向かうのは、絶対に良くない。
「なんでこんな糊が降ってくるんだよ!」
「ほんとサイテー!」
階段を降りてきている人がいる!!
「ダメだ、こっちに来るなァ!」
「はぁ!? 何言ってんだよ!!」
「反対の階段を! 反対の階段を使え!」
「つかお前誰!?」
「ここは危ないんだ!!」
やめろ、見るんじゃない!
コイツは躊躇いなく、躊躇いなく人を殺す!!
「うわァッ!」
「おいっ! だから反対の階段を使えって――」
まずい、アイガの身体が変貌している……!
あの映像で見たワラジムシのような怪物になり、この人達も殺すつもりだ!
「逃げろッ!」
「うわっ!!」
階段の上にいたそいつらを突き飛ばす。
俺の真横を白いものが掠め、頬に痺れが走った。
「ひ、ヒィィッ!!」
生徒達は反対階段の方向に逃げていく。
「全く、煩わしいィィ!! 伊勢崎クン! 私の気がおかしくならないウチにさっさと来なサイ!!」
ワラジムシの化け物は三本爪でドカドカと階段を上がってくる。
そして、俺の――
脇を通り抜けた。
「私から逃げるとは甚だ図々しいガキどもだ!! 逃げたことを後悔しろ、貴様らは苦しみ抜かせて殺してやるわア!!」
「――やめろォッ!! 分かったよ、高校に戻る! だからヤメロォ!!」
「放せェ!!」
アイガは俺に攻撃できないはずだ。俺を殺せばそれは校長が許さないはず!
なぜだ、なぜそんなに逃げた人に執着する!!
アイガの身体にしがみついたこと、間違いだったかもしれない!
このワラジムシのような身体、ブンブンと振り回してくるだけで簡単に身体が吹っ飛びそうな程のエネルギーを出している!
放せと言われても、放せない!! 放した瞬間に吹っ飛んで大怪我を負うかもしれない!!
クソッ、それにしても腹っ側でうごめく無数の足の感触がとても気持ち悪い!!
「ええいどうでもいい!! このままぶっ殺ス!!」
俺をしがみつかせたまま――アイガの身体は有り得ない速さで前に向かって跳ぶ。
この糊の中で、こんなッ!!
跳躍の衝撃にビシャビシャと壁にはねる糊、逃げていった人にもう追いつきそうだ!
「やめてくれえええええええ!!!」
どうしてだ、俺はついて行くと言ってるだろ!!
殺す理由なんて一切ないだろ!! おい、アイガ!!
ああ、ダメだ。
アイガの爪が、逃げてく人の首に――
俺は、俺は……こんな状況だってのに、何もできない!!
ただこいつにしがみついてるだけで精一杯なんだ……!
なんて無力なんだ、俺は。
ごめんなさい、皆。結局俺は何もできず、目の前の命が刈り取られていくのをただ見るしかできない。
この状況を招いたのも結局は転校をしようという自分の判断からだ。
そのせいで、皆が、皆が……。
こんな事なら、こんな事なら、逃げなければ良かった――。
「アイガ、なぜだ」
大きく散る火花、金属のかち合う音。
激しい衝撃に全身がブルブル震える。
黒い羽が一枚、二枚、宙を舞う。
アイガの爪は生徒の首に届かなかった。
相対しているのは、黒く太く、鋭い錐。
それは、腕だった。アイガと同じように、変貌した腕――
「先、生――」
目の前に、境太郎先生がいた。
左前腕が太い錐のように、境目・肘からは黒い羽がぼうぼうと生えている。
先生……その、姿は……。
「なぜお前がここにいる」
「クフッ、アナタこそよく分かりましたねェ、城島ァ……!」
このスキに俺はアイガの背中から離れ――
振り向く怪物、
「あア、逃げたらお前の母親を殺シますからね……」
「――!!」
向き直り、城島先生を睨んでいる様子だった。
「何故かと聞いているんですよ、アイガ……!」
「それは本来私が言うべき言葉では無いのでしょうかア?」
先生の錐をがっしりと掴むアイガ。反対腕で身体にギリギリと爪を立てているようだが、食い込まない。
「アナタはカイム様の意思に反し、あまつさえ伊勢崎拓也を高校から逃がした!」
「当たり前でしょうッ! むしろこんな、こんな事自体馬鹿げていた!!」
「ハァ?」
アイガの腕を掴む先生。
その右腕もまた、変貌してきている。
鳥のような四本爪が、ズブズブとアイガの腕に食い込んでいく!
「寄ってたかって一人の子供をイジメようだなど、それが大の大人のやる事かッ!!」
「それが伊勢崎復讐計画の要でしょうがアアアアァァァ!!!」
先生の錐がアイガの腹を貫く――瞬時に飛び退いたアイガは、刺突から免れたようだ。
「まァ、ずっとアナタの事は気に入らないと思っていた……校長からもお達しが来ていますよ。城島境太郎は今日限りを持って解雇だとネ!!」
「どうであろうが、私の生徒は絶対に傷つけさせないッ!!」
先生……。
境太郎先生の身体が黒いモヤに包まれる。
――多量の羽の飛び散る刹那、モヤから撃たれた黒い矢じり!
それは、頭蓋の飛び出た鴉が如き様相と化した境太郎先生の姿だった!!
高速回転する黒く巨大な錐がアイガに迫る!!
アイガは、何もしない!?
身体でその一突きを受け止め――いや、違う!
腹だ、あの腹にある無数の足だ!
アレで境太郎先生の錐をガッチリと掴んでる!
まずい、こっちまで吹っ飛んできそうだッ、糊をよけないと!!
――受け止めながらも衝撃に後ずさるアイガ、糊を掻っ切ってどんどん後退していく!
境太郎先生の回転は止む気配なく、アイガを貫こうとその勢いを増している……!
「城島境太郎ォ……そォだ、もっとだ! もっと私にブチ込んでこい!! 殺し甲斐がァ、殺し甲斐があるというものォォッッ!!」
「……気狂いめが」
境太郎先生の呟き、この激しい衝撃音の中でもはっきりと聞こえた!
廊下の端っこまで退いていき、絶大に糊をぶちまけながら壁に衝突した!
あまり効いていなさそうだ! アイガの爪が、境太郎先生の鴉頭蓋のような頭を鷲掴みにする!!
「私が気狂いならば私を気狂いたらしめるこの世界こそが気狂いの温床というモノォ!! 根こそぎ、根こそぎお掃除しなければァ……!」
「せ、先生!」
先生の頭からピシピシと音が鳴っている!!
あいつ、アイツ先生まで殺すつもりなのか!
「なァ、境太郎ォ……? そうだろォ……?」
「百歩譲ろう!! だが、だからといって見境なく人を殺す必要があるか!!」
境太郎先生の爪がアイガの目玉を鷲掴みにした!
「フンッ!!」
先生が、錐でその目玉を突き上げ――
「知るかァ!!」
瞬時の事だった。先生が目玉を突き上げるよりも速く、アイガの足が先生を蹴っ飛ばした!!
吹っ飛ぶ先生、糊に足をつけ衝撃を素早く殺している!
廊下の壁にめり込むアイガ、俺のところまで戻ってきた先生……。
簡単に言ってるようだが、これはかなり距離がある!!
――こ、これは……!!
境太郎先生の手にアイガの目玉が握られている!!
ということはまさか……!
アイガは今、片目しかない!?
「ムカムカするんですよォ、気狂い共がのうのうとのさばってる様にはねェ!!」
アイツ、そんなのお構いなしみたいだぞ!?
アイガのワラジムシのような身体がペットリと糊の上に倒れて――糊の上を滑って一瞬で近付いてきた!!
腹にあるあの無数の足を使って泳いだのかッ!!
「もはやアナタも同罪である事を思い知るがイイ!!」
ぐねぐねと蛇行してやってきたアイガ、バッと身体をあげたと思えば既にその鋭い爪が伸び、境太郎先生の頭蓋に迫る!
境太郎先生は左腕の錐を構え――
「――!!」
先生の頭蓋が、砕けた……。
あの恐ろしい、伸びる爪が先生の頭を粉々に砕いて……。
何故だ、なんでだ、先生の腕が一切――
「な、なんだ、これ……」
糊だ!! ボタボタと落ちて地面に溜まっている糊が先生の手を掴んでいる!!!
「――イッヒィ。おめでとうございます、紀代クン。これでアナタも今日から我々の仲間ですねェ」
紀代……?
何を言ってんだ、紀代ならすぐそこで倒れ――いない!?
紀代!! ヤツが、ヤツがどこかにいるのか!?
――ま、まさか。
「伊勢崎クン、どうだい僕のこの姿」
天井から聞こえる声。
上を見上げると、糊が伸縮自在にグニグニと動いている……!!
巨大な魂のように天井から生えだす糊、塊には目、目、口。三つの穴がぼっかりと空いていた。
「お、おい、嘘だろ……」
「穢牙さんのおかげだ。僕の身体も、穢牙さん達みたいに進化したんだ!!」
この糊全体が、紀代だっていうのか!?
「さてさて、校長の意思に背いた分を、たっぷりと味わわせてやらないといけませんねェ」
境太郎先生の身体が、糊によって抑えつけられ……。
ああ、これじゃ、これじゃ磔にされているみたいだ!
「先生……」
先生は、頭を砕かれてしまった。
もう先生は死んでいるのに、どうしてこれ以上痛めつけようとするんだ……。
「アイガさん! 僕の糊は最高でしょう!?」
「エ? あア、素晴らしいモノだ」
「僕のお父さんは糊会社の社長なんだ! これくらいの糊を用意するのは造作もないことです!」
「ははア、それは大層ご立派でねエ」
紀代のやつ、お前、そんな姿になって満足なのか……!?
クソッ、身体が動かない!! 紀代の野郎……!!
「城島境太郎ォ! 何か言い残した事はありますかァ?」
先生は、何も喋らない。
当たり前だ、頭を、頭を壊されてしまったんだから。
「……ではお別れですねエ。最後までつまらない男でしたよ、城島境太郎」
アイガの爪が先生の腹を割っ裂き――
黒い錐が払い除けた、抑える糊が容易くはち切れた。
身を翻した先生、勢いの乗った錐がアイガの腹を貫いた――
「ハァ。最後の最後まで、みじめな男だア」
――アイガの、爪が、
「城島、境太郎ォ」
先生の身体を、真っ二つに……。
「先生エエエエエエエエエェェェェェェェェ!!!」
先生の身体が、先生の身体が……!
真っ二つになった先生の身体が、ずぶずぶ音を立てて消えていく!! 黒い泡を、黒い泡を出しながら!!
先生、先生!! 俺のせいで、先生まで!
「先生、というのは少し語弊があるのではないのでしょうかア」
「……アイガ」
「城島境太郎という男は既に解雇されている。つまり先生というのは間違いなんですねエ」
「アイガ……」
「あなたも高校生なら今の内に正しい日本語の使い方を勉強した方がいいでしょウ!!」
「テメエ、復讐してやるゥ!!」
クソッ、紀代の野郎の糊が離れねぇ!!
「復讐。復讐ですか。復讐、復讐、復讐、復讐、復讐――」
グッ。
恐竜みてぇな爪が俺の頭を掴んでくる……。
ギリギリと、力強く……! 痛い、頭蓋骨が割れそうだ!!
「どちらが復讐される側なのかしっかりと弁えておいた方がいい」
アイガは、アイガはそのまま俺を引っ張り出す……!
頭を掴んで、俺を引きずって! 皆が、皆が死んだあの階段下まで――
「ウワァァアアアア!!! ウワアアアアアアアアアア!!!」
血の温かい感触が、臓器の感触が、肉の感触が、切られた身体の感触が……!!
べっとりとした糊越しに、悪夢みたいにはっきりと伝わってくる!!
「クフフ、アナタが殺したも同然の子供達、ですねエ! おっと失礼子供達というのは語弊がありましたねエもう既に死んで――」
「黙れエエエエエエエ!! 黙れエエエエエエエエエエ!!」
耳をふさぐことしか、逃げる事しかできない……。
抗えない、こんな強い力……太刀打ちできるわけがない。
強がり。
これが俺の、精一杯なんだ……。
「クフフフッ、クッフフフフフ! その顔、良いですねエ~~~」
片っぽだけの目玉が、ギョロギョロ睨んでくる。
「カイム様の邪魔をした伊勢崎一族に相応しいお顔だア」
血を引きずって、糊を引きずって。
無理やり校舎外まで引きずられてきた。
動きは止まったが、それでも俺の頭を離すつもりはないらしい。
「さテ、幸せに暮らしたかった高校はこれですかア~?」
外から見れば、何の異変も無い。
少しの間だったけど、俺が幸せに過ごしていた高校だ……。
「よオく、ご覧ください?」
……?
「アイガさん、アイガさん!?」
なんだこの声! これ、紀代の声か!
そうだ、アイツは糊と一体化したような身体になっていた!
それでこんなに声が大きいのか!?
「僕の身体が、僕の身体がアツい! とても、とてもアツい!!」
「あア、それはそうでしょう。これからアナタにはこの学校と一緒に溶けてもらうんですから」
――!?
あ、頭が、頭を掴む力が強すぎる……!
わ、割れる……!!
「クフフ……!」
「そんな、イヤだ! アイガさんどうして!! 僕は、僕は役に立ったでしょう! 僕の糊のおかげで、アイガさんは有利に戦えたでしょう!?」
「あア。アナタの糊はとても良イものでした」
こ、校舎の形がぐにゃぐにゃと変わっている――
「――ですが、アナタ自体には特に価値が無いもので」
「アイガさん!? そんな、じゃあどうして僕を、僕をこんな姿に!!」
「少し勘違いしているようですがねエ……別に誰だって良かったのですよ、紀代クン」
「アアアアアアアアア!!! イヤだ、身体がアツい! ヤダ、死にたくない! ウワア、ウワアアアアアアアア!!!」
校舎が、校舎がどんどん、跡形もなく、溶けていく……。
何かとても悪い悪夢を見ているような、そんな心地がした。
目の前の事が現実だとは思えなかった。
少し前、そこには高校があったはずだ。
でも、目の前にあるのはただの広大な更地なんだ。
……俺が引きずった少量の糊。
真っ赤に染まった少量の糊の跡が物語っている。
現実だったんだって。
「斑……穢牙……」
「既に転校手続きは済んでおります。明日からもしっかり登校するように、伊勢崎拓也クン」
「お前は、俺が絶対に、この手で殺してやる……」
「憎いですかア、私が」
無機質な虫の目がギョロギョロとこっちを見ている。
「私を殺せば、キミも私と同じ気持ちを味わえるかもしれませんねエ」
強い力が緩んだ。
気付くともう、そこには誰もいなかった。
ただ広大な土地だけが目の前に。
「……ただいま」
「おか、えり……拓也」
「お母さん、前の高校の制服ある?」
「うん、しっかり残してあるわよ!」
「明日から戻ることになった……」
「え、随分早いわねぇ! 一体どうしちゃったの!?」
「……」
その夜、ニュースがあった。
高校丸ごとひとつが消えたというニュース。子供を帰してほしいと悲しむ親、帰りを辛抱強く待つという親。捜索届を出したという親。
校舎一つ丸ごと神隠しされたという不思議な現象に世界が注目していると締めくくった。
ネットでは校舎が一つ丸ごと異世界転移したとか、宇宙人に持っていかれたとか、荒唐無稽な話が溢れかえっている。
とはいえ、本当に荒唐無稽な話なのだが。
頭を整理する時間もなく朝は来た。
伊賀は遠慮しているのか、最近はウチに来ない。だから、今日の朝ごはんは二人だ。
「行ってらっしゃい、拓也」
「……」
どう歩いたかは覚えていない。
俺はいつの間にか高校についていた。
変わった事が一つあった。
校門に白いボールがある。
白いボールが二つ、校門の上でじっとしている。
それは、北極に行った時に見たあのボール。
やはりアレも、校長カイムの所有物だったのだろうか。
「伊勢崎テメエどこ行ってたんだよゴラァ!」
「ひっさしぶりにイジメっから覚悟しろよお前!」
「……」
ぶん殴られる。カマキリや毛虫を食べさせられる。
トイレ掃除させられる、トイレの水を飲まされる。
「おいテメェ伊勢崎今日なんか元気ねぇじゃねぇかよゴラァ!」
「どうしたんだよ伊勢崎てめぇよぉ!」
「……」
コイツらも、皆操られているのか。
校長に。
トイレイジメも終わった。そろそろホームルームだ、教室に戻らないと。
「おい、伊勢崎お前なんで戻ってきたんだ……?」
伊賀の奴は相変わらずそうでよかった。
もしも何かあって、それで最近ウチに来てないんじゃないかと思って少し心配していたんだ。
「高校が襲われた」
「襲われたって、誰に……?」
「……」
こんな事を言って、信じてもらえるだろうか――
「はいッ、皆さんお静かに!!」
教室のドアが開く。
「あ、あ……」
「んあ? なんだこのジイさん」
最、悪だ。
「城島境太郎先生から代わりまして今日からこのクラスの担任をさせていただく事になりましたア……」
「――斑、穢牙と申します! 以後、お見知りおきをォ……」




