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50話.姉と、妹。

「拓也、ご飯ここに置いておくね?」

「うん、ありがとう」


 あれから俺は学校に行ってない。

 結局俺は先輩達との約束を破ってしまった。


 先生は言った。校長に気付かれぬまま転校の手配を進めておくと。

 境太郎(きょうたろう)先生は事情に精通してる雰囲気だった。俺は、どこか任せたくなってしまった。


 コンコン。窓を叩く音。

 天馬(ぺがさす)先輩のウサギがやってきた。


 ウサギは心配そうな表情で手紙を咥えている。


「大丈夫だよ、俺は」


 優しく頭を撫で、手紙をもらう。


城島(じょうじま)境太郎(きょうたろう)は花園ちゃんとノヴァを襲った事がある要注意人物です。彼の言葉を聞き入れるんですか?」


 そうだ。それに関しての説明は一切無かった。

 学校に連絡すべきだろうか。でも先生は電話を掛けてはいけないと言っていた。

 だからといって俺は無闇に行動していいんだろうか。

 ただただ、先生からの報せを待っている状態だ。


 ラインの通知音だ。

 明治さん……。


「元気?」

「うん」


 明治さん。

 俺はまだこの事を明治さんに説明していない。

 明治さんだって危ないんだ、この学校にいるということはそれだけで、校長カイムの支配の下に置かれるということ。


 ――もちろん、危ない。


「た、拓也……! お母さん、お母さんにできることがあるなら何でも言ってね!」

「お母さん……ちょっと、行きたいところがあって」

「えっ、うん! お洋服持ってくるわね!」


 申し訳ない。こんなに心配させていることが。

 きっとお母さんの目には、俺が学校生活で病んで不登校になってしまっているように映っているのだろう。


「気をつけてね!」

「……うん、行ってきます」

「行ってらっしゃい!」


 平日の午前。

 穏やかな時間だ、学生が通行する朝と違ってとても静か。

 犬の散歩をしている爺さんがいたり、お話してる主婦さんが目に映る。


「あら、伊勢崎さんの息子さん! 大丈夫ぅ? 最近学校行ってないらしいじゃないのぉ」

「はい、少し事情があってですね……」

「元気そうで良かったわ!」


 お母さんが不安で皆に話しているのかな。

 とても、とても心が痛い。

 だけど俺は、今はただこうしてじっとする事しかできないんだ。




「――あら、お久しぶりですね」

「……」


 俺は明治さんの家を訪れた。

 きっと明治さんは今学校にいるんだろう。出てきたのはもじゃもじゃ紫頭のお姉さん。


「入りなさい、話があるんでしょう」

「え?」

「そんな顔をしています」


 明治さんの姉は、俺の心を見透かしたような態度を取る。

 でも、それはいつも間違ってない。


 明治さんの家のリビングには黒猫とカラスがいる。

 まさかペットに睨まれながらお話をする機会がくるなんて。


「……お茶をどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 紅茶……。


「最近、こけしはあなたのことをとても心配しています」

「それは、痛いほどに分かります」


 俺の心の中に響いているんだ、波紋が泣いている。


「……お姉さん。俺がこれから話すことは全部本当のことです。ですが戯言と受け取られても仕方のない内容でもあります。もしも聞くのが馬鹿らしくなったら、聞き流してください」

「私はとても気になりますよ。こけしではなく私に話さなければいけないことなんて、どんな話なのかと」


 鋭い。明治さんの姉さんはとても鋭い。


「見たんです、裏の世界を」


 ――里美姉さんのまぶたがピクリと動いた。


「そこは、この世界と同じ姿をしていました。でも、やけに赤く暗かった。長くいたくはない、とても奇妙な場所でした」

「――小さな肉の塊たち」


 ……その言葉は、里美姉さんの口から出てきた。


「目の当たりにしたのですね」

「あ、あ」

「伊勢崎拓也。最後の確信には至れませんでしたが、ようやくつっかえが取れました」


 まさか、まさか……!


「伊勢崎淳博士のご子息ですね」

「――!!」


 里美姉さんは、落ち着いた様子で紅茶を啜っている……。


「すっ、少し前なのですが、父さんからたった一言メッセージが送られてきたんです」

「どのような内容で」

「……コケシ」


 お互い、何も喋らない時間が過ぎていく。

 紅茶を一つ、二つ。里美姉さんはどんどん啜っていく。


「こけしの昔のお話、しましたよね」

「は、はい!」

「あれは全てリバース・ワールドでの話です」

「リバッ……!」


 リバース・ワールド。

 その単語を初めて出したのは、里美姉さんからだった。


「そう。私達は幼少期をリバース・ワールドで過ごし、それからこちらへやってきました」

「じゃ、じゃあ明治さんは……!」

「ええ。リバース・ワールドで生まれた存在です。私も、こけしも」


 何も言葉を返せない。

 明治さんは、いや、明治さんたちは一体どんな経緯を経てここに――


「気になりますか?」

「へッ!?」

「私達がどう育ち、どういった経緯を経てこの世界に来たのか」

「……」

「そんな顔をしています」


 何もかも、お見通しか。


「はい、とても気になります」

「……やっと、話せるのですね」


 里美姉さんの無表情な顔が緩んだ。


「はっきりはしていません、私はいつの間にか生まれていました」

「いつの間にか……?」

「はい、いつの間にか。です」


 リバース・ワールドの肉塊達が頭に浮かぶ。

 アレがどう育つのか俺は分からないが、少なくとも親といえるような存在はいなさそうだった。

 そうなると、いつの間にか生まれていたなんてそんな言葉が出てくるのかな。


「それが、本当に分からないのです」

「……え?」

「形無く、意識だけが水底に沈んでいる。それが私の最初の記憶です」


 一体、どういう事だ……。


「どういう事、と、言いますと」

「……」


 皆、あの肉塊から始まるわけではないのか……?


「恐らくは、リバース・ワールドで生まれるとなるとそれが普通だと思います」

「あ、あ……」

「分かりませんでした、ですが分からないという事が分かっていたのです」


 ど、どういう――


「生後間もない頃の記憶を持つ者はいません。しかし、私には生まれた時から自我があった」

「……!!」


 俺、一言も喋ってないぞ!!


「不思議と分かるのですよ。あなたの顔から」

「俺の、顔から?」

「……きっと、この頭のせいです」

「あたま……」

「意識だけの私に、数々の記憶が流れ込んできました。無数の人々の記憶。無数の喜び、無数の悲しみ、無数の怒り。無数の生き様が、無数の死に様が私の頭に流れてきたのです」

「……」


 目の前にいる紫髪の女性……俺は、突如彼女を人間として見ることができなくなった。

 これは、あの時の感覚と似ている。沙濤(シャドウ)先輩の本当の姿を見た時の、あの震え、恐れと。


「似たような表情が心に浮かぶのです。私の中にある膨大な記憶とあなたの顔が照らし合わされて、まるで人の心でも読んでいるような……そんな気分にさせられる」

「……」


 じゃあ、俺が里美さんを恐れている事も悟られているのか……?


「きっと私があなたならば、同じような顔をしていたと思います」


 里美さんは物悲しそうな顔をしているが、少し笑っている。

 こんなにも人間らしい顔を、こんなにも人間らしい形をしている。


「私も不思議です。どうして私達姉妹はこんなにも美しい姿形を得ることができたのか……ね」


 自分の頬に手をあててうっとりする里美さん。


 言葉だけ聞いてしまうと自意識過剰のように見えるが、そんな、一歩違えば化け物じみたような存在の彼女がこんなにも美少女めいた形を手に入れていることは確かに不思議だ。


「そうなのです、美少女なのです……」


 ――これ、もしかして自分に酔ってるのか?


「当たり前でしょう。有り得ないような生まれを経た私がこんなにも美しい存在になってしまうなんて誰が思ったでしょう。私ですら思わなかった」


 口元をニヨニヨさせている。


 てか、もう俺しゃべんなくてもいいんじゃないかこれ……。


「喋ってくれないとそれはそれで楽しくないでしょう?」


 ……なんとまあ。


「でも、あんまり姉妹っぽくないですよね」

「言いますね、博士の息子さん」


 な、なんかまずいこと言ったか?


「じょっ、冗談ですってば。そんなに怖がらなくってもいいでしょ!」

「ア、アハハ」


 そうだ。里美さんはウォズニーの時からそうだ。

 目つきが少し悪いけれど、本当に人間らしい……。


「フッ、分かってくれるならいいんですよ。それで、こけしの事でしたか?」

「……はい」


 そうだ。里美さんの話に衝撃を受けすぎたけど、俺が一番聞きたかったのは明治さんについてなんだ。


「私にもさっぱりです」

「え?」

「では続きをお話しましょうか、私の中に沢山の記憶が流れ込んだその後から」

「は、はぁ……」


 あっさり、流された。


「いえいえ少し聞いてくださいってば――ああ、すみません。何も言っていませんでしたね」


 なんかもう、どうすればいいんだ……。


「水底に沈んだような意識でしたが、なんと表現すれば良いのか。そうですね、周りの水がどんどん私の中に入ってきまして……こう、全部入ってきたら、あなたもご存知のリバース・ワールドにいたって感じ? そうそう、水だけあって他に何もない世界を想像してみてください! はい、私がその水全部吸い込んじゃいました! そしたら、リバース・ワールドにペッて吐き出されたみたいな、そんな感じ!……伝わって、ますかねぇ」


「ま、まぁ何となくは分かったような気がします……」

「私の身体のこの形は、多分その水からできてるんだと思います」


 なんだか物凄く興味深い話だ。


「隣でこけしが倒れているのに気付いたんです。もう一人、私と同じような存在なのかと思いましたが……全く違いました」

「え、ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」

「どうしたんですお笑い芸人みたいな言い方して」

「何ですかそれ。あの、もしかして里美さんも、明治さんも、生まれた時からずっとこの姿なんですか?」

「……少なくとも私はそうですし、こけしもほぼ間違いなくそうでしょう」

「え、この十五年?」

「十五年かは分かりませんけど、向こうでしっかり相応の教育は受けさせましたよ」

「……」


 明治さんと過ごした日々がぐるぐると頭を巡る。

 明治さんは、明治さんは……。


「私も全くこけしの事が分かりません。とても忘れられやすく、存在すら気にしてもらえず。結局伊勢崎博士もちょくちょくその存在を忘れていました」

「そうだ、俺の父さん! 俺の父さんと、明治さん達はどんな関係なんですか!?」

「……私達は偶然会いました。何かから逃げているというので、向こうの世界に詳しい私が隠れ家を提供したのです」

「隠れ家――」


 プロレマ部の皆は、父さんが隠れ家にいると言っていた……。

 まさか、その……!


「お聞きしたところリバース・ワールドに流れる強いエネルギーの研究をしているというのですが、ある日突然、博士は私達がこの世界に居続けるのは危険だと言いました」

「それはどうして」

「分かりませんでした、とにかく危険だという一点張りの顔をしていたもので」


 里美さんの顔を読む行為を対策したっていうのか……?


「じゃあ、この家は……?」

「伊勢崎博士が、手配してくださったのです」


 ――!!


「実は、こけしの入学手配を進めてくれたのも博士なんですよ」

「父、さん……」


 父さんが、明治さんを、こ、この高校に……?

 きっと逃げている何か(・・)ってのは恐らく校長カイムからだ! なのに何故、この高校に!

 父さんの言う、危険って何なんだ……! 校長の支配するこの高校が一番危険じゃないのか!?


「しかし、博士がなぜあなたに『コケシ』というメッセージを送ってきたのか。博士でさえよく忘れてしまうその名前を、あなたにメッセージとして送った。あなたはどう思いますか、伊勢崎拓也さん」

「えっ」

「なぜ博士は、あなたにこけしの名前を?」


 わざわざ、わざわざこの学校に明治さんを送った理由……。

 明治さんは、最初からずっと俺の味方をしてくれていた……明治さんは、最初から俺をいじめようとはしてこなかった。


「俺を、守るために……?」


 プロレマ部だってそうだ、父さんが俺を守るために作ってくれた。

 明治さんも、もしかしたら本当はプロレマ部の、部員の一人として……?

 俺の心を、支えるために……?


 明治さんは、ずっと俺に笑顔を向けてくれていた。

 父さんは、まさかそのために……。


「……誰にも気付かれないからこそ、唯一あなたの心を守れる存在になれる。伊勢崎博士はそれを意図して、こけしを入学させたのでしょうか。そして、その存在に気付いてもらえるようメッセージを残したのでしょうか」


 しかしそれならば随分とおかしい事になる。

 明治さんは一人ぼっちなんかじゃない。皆に気にかけてもらえてる、皆と話すことだってある。

 あまり思い出したくはないが……俺と仲良くしてるのを理由にイジメられたことだってある!


「そうなんです。最近のこけしはとても明るいんです。本当に、心の底から学校生活を楽しんでいるみたいなんです……」


 里美さんの目から、涙が……。


「誤算なのですよ、これは。伊勢崎博士の、大きな誤算です……!」


 泣きながら、笑っている。


「とはいえ、大丈夫なのでしょうか」


 ぐしぐしと袖で顔を拭う里美姉さん。


 大丈夫というのは、やはりこの高校の事だろうか。


「俺にも分かりません。俺と仲良くしてはいるものの、明治さんは明治さんです。傍から見れば一般生徒と変わらないはずですし、明治さんに何か被害が加わるようなことは……」

「伊勢崎博士に、聞いてみたいものですね」


 どうなのだろうか。

 明治さんは、安全なのだろうか。

 俺は境太郎(きょうたろう)先生の手配で転校することになってしまう。

 明治さんは……明治さんは……。


「――俺、実は転校することになったんです」

「えっ」

「明治さんも、明治さんも一緒に、こっちの学校に来ませんか?」

「……どう、なのでしょうか。私の、私の判断は……」

「あ、ラインってやってますか?」

「え? あっ、はい! そんなのモチロンでしょう、私をなめないように! 入学式が始まるまでに色んな事を勉強したんですから!」

「じゃあこれで、もし何かあったら連絡してください!」

「……そうですね、その時はこれで連絡します」


 まさか、里美さんも明治さんもそんな不思議な存在だったなんて。

 帰宅する足取りが重い。

 とはいえ、明治さんは明治さんだ。俺にかけてくれた気遣いも言葉も全部本物なんだ。

 しかし、こんな事実を知ってしまうと少し複雑にもなる。

 明治さんと、どう話せばいいんだろう。いつも通り話せばいいのかな。

 いつも通りで、いいのかな。


「――伊勢崎」

「え」


 ヒッ!!

 ぶ、部長っ!?

 (ごう)大公(たいこう)部長が目の前にいた!!

 下を向いていたせいか、全然気付かなかった。

 怒られるかもしれない、天馬(ぺがさす)先輩も心配していたから。

 プロレマ部は俺の事を思ってくれている、それは本当なんだ。

 力ずくで止めなければいけないほど俺の決断はまずかったんだろうな――


「あの男。城島(じょうじま)境太郎(きょうたろう)という男だが……信頼できそうだ」

「え?」

「お前の転校を隠すため非常に巧く隠蔽してある。安心して転校するといい、俺達は俺達で博士に判断を仰ぐ」

「……あ、ありがとうございます!」

「何がだ」

「ここまで来てくれて、伝えてくださって……!」

「それが俺達のやるべきことだ」


 部長はそのまま学校の方に歩いていってしまった。


「あ、良ければ家でお茶でも飲んでいきますか?」

「いらん」


 方向同じだから、結局一緒に歩くことになった。




 転校先とも連絡を取り、俺は正式に転校することになった!


「拓也、お母さんびっくりしちゃったわ。気をつけて行ってらっしゃいね」

「うん、行ってきます」


 いつもと違う方向に歩くのはなんだかちょっと奇妙な感じがする。

 明治さんとは休日に会う約束をしている。

 楽しい学校生活……になると、いいな。


 バスに乗って、新しい高校に到着した。

 制服も雰囲気も全く違うからすっごく緊張するけど、少なくともあっちの高校以上のイジメはないだろうし心が躍る。


「はい、では自己紹介をしてね!」

「伊勢崎拓也と言います、今日からよろしくお願いします!」


 向けられる拍手は好意的な感じがした。

 少なくとも、悪い顔はされていない。

 これで俺は普通の高校生活を送れるのだろうか……。


 ――明治さん。


 ちょっぴり、寂しいけどね。

 その分、休日はいっぱい遊ぼう。


「それじゃあ伊勢崎くんはー、あの席ね」


 これから始まるんだ、俺の新しい高校生活。

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