5話.初めての対話、一緒の家路。
もう約束の時間から大分過ぎている。
一度立ち上がり、軽く右往左往して座り直す。
もしかしたらドタキャンされたのかもしれない。
既読がつかないのはどことなく嫌な予感がする……どうしよう。
「あっ、伊勢崎くんっ! 伊勢崎くーんっ!」
とても快活な声が聞こえる、声の方を向くと明治さんがいた。
声を張るために止めていたであろう足が跳ねるように動き出す。
初めて声を聞いた。可愛いなぁ。
「ごめんね、遅れちゃって」
「あ、全然気にしてないよ」
遠慮なしに隣に座るもんだからドキッとした。
緑色の瞳がじっとこっちに向けられてる。
「初めてだね、こうやって話すの」
「うん……俺も同じ事考えてた」
ずっと顔を見られているのは恥ずかしい。
それに気付いてくれたのか真正面を向いてくれた。
明治さんは片足だけぶらぶらさせて辺りを見回し始める。カァーと鳴いたカラスに反応し、夕暮れの空を見上げた。
「最初はびっくりしたなぁ。いきなりメッセージが来た時はうぇぇってなっちゃったよ、アハハ」
「俺もいきなりすぎるかなぁとは思ったんだけどね。すごく心細くて、一刻でも早く不安を和らげたかったんだ」
明治さんの困ったような笑みがこちらに向けられる。
横目には映るものの、俺はどうしても恥ずかしくて地面をぼんやり見つめたままだ。
「そういえば部活入ったんだよね、伊勢崎くん」
「うん、メッセージで送った通り、プロレマ部っていうんだけど。勧誘されてさ」
「ほえー、イジメられてばっかりの伊勢崎くんが勧誘されたんだ。珍しい事もあるもんだねぇ」
「実際、どんな部活からも拒絶されていたよ。だからすごく嬉しかった」
自然と目が寂しくなっていくのを感じる。
おそらく明治さんは冗談混じりに話していたのだろう、若干意地悪だった笑みが同情的な励ましの笑顔に変わった。
「本当に、そうだったんだ」
「何でだか分かんないけどね、ハハ」
俺はそれほど虐められやすい顔でもしているのだろうか。
つい自虐的に笑ってしまう、明治さんはそんな俺を黙って見てくれていた。
「学校じゃ見守るようなことしかできてないけれど、私は伊勢崎くんの味方だからね」
「……ありがとう」
自分の無力さに、明治さんは困り眉を見せた。
味方でいてくれる、その一言が心に沁みる。少し寒い夕暮れ時だが、身体の内が途端に温まる。
そして絶えず笑顔で励ましを送ってくれる明治さんをずっと横目で見ているのはなんだか申し訳ない気がしてきた。
一瞬だけでも、その笑顔と向き合いたい。
「――あ、やっとこっち向いてくれた」
柔らかい笑顔が俺の勇気を迎え入れてくれて――
大きく瞬き真っ正面を――違う違う、下だ下!
……耳まで熱い。汗まで出てきた。
「んふ、どしたのどしたの」
滑稽なものでも見るように、手で口を押さえて笑ってる。
当然俺は横目にしか見る事ができない、だがさっきより目が開いているからかわずかにくっきり見える。
「そんな緊張しなくてもいいのに、変なの」
「う、うるさい……」
「んふふ」
足をバタバタさせて肩を前に出したりと、随分と可笑しな俺を笑っている。
表現豊かな明治さんの隣で俺は岩のように固まっている、心臓の高鳴りが止まらない。
「ねね、そいえば聞きたかったんだけどさ、プロレマ部ってどんな部活なの?」
「――エっ? あー……えっと、あ、プロレマ部か、プロレマ部。活動内容は、無いようなもんだよ。それでも俺のことを勧誘して受け入れてくれた、大切な居場所だから」
「えー、なぁにそれ変な部活ーますます気になってきた」
突然身体を横に揺らしてきた。揺れに合わせて白い髪が頬をくすぐってくる。
それが明治さんの指のように感じて、ますます身体が固まる。
「……明治さんは、部活入らないって言ってなかったっけ」
「え? うん、入るつもりはなかったかな」
明治さん、一瞬目を丸くさせて動きが止まった。
俺がちょっと意地悪な切り出しをしたことは自覚しているから、少し申し訳ない。
折角部活を拒否していた明治さんが興味を持っていたのに、まるでその気持が矛盾しているんだと問い詰めるかのような言い方になってしまった。
「それって、どうしてなのかな」
「んー、入らない理由かぁ……興味が無かったからかなぁ」
何か深い理由があるのかと思っていたけれどすごく楽観的な事情だった。
「入った方が、きっと高校生活も楽しくなると思うよ。明治さんその、いつも一人に見えるし」
「うん、興味が湧いたから明日見に行こっかなって思ってた、プロレマ部」
「え?」
俺はなぜだか、自然と明治さんの顔を見ることができた。
「放課後連れてってくれないかな、どうにかして」
「……わ、わかった。どうにかしてみるよ」
俺は毎日、イジメから逃げるようにして部活に行っている。
もしも部活が見つかってしまえば、俺は部活先でも構わずイジメられる、そんな危険と隣り合わせだったりする。
しかし、明治さんを連れて行くとなると……何か強行的な手段を取らなければならない。
「約束だよ、絶対!」
「うん」
断る理由なんて無い。一世一代の賭けをしなければいけなくなるが、十二分にその価値はある。
「じゃあ、どうしよっか。一緒に帰る?」
「え、一緒に!?」
「同じとこまでは一緒に行こうよ、いいでしょ?」
すくりと立って、俺に手を差し出す。
「いいよ、自分で立つから……」
明治さんはなんとなくもう少し大人しめの子だと思っていたけれど、結構大胆で気ままな性格だという事が分かった。
結局、俺達は住宅街まで一緒に歩いている。実は方向が同じだったという事実に驚きを隠せない。
「ねぇ、本当にこっちなの? 嘘ついてさ、ついてきたりしてない?」
「本当にこっちだよ!」
明治さんも同じ事を考えていたようだ。
「おやぁ? 伊勢崎じゃーん、何してんのこんな所で」
「……ッ!」
――最悪だ。こんな所で、出会うなんて。
いきなり俺達の前に現れて話しかけてきたこいつは出席番号15番の林茂。
いつも16番の樋口猛と一緒に俺をぶん殴ったりビンタをしたりしてくるやつだ。
しかしそれは、ただビンタをしたり殴ったりしてくるわけではない。
林と樋口はまず両者共に、自分がどんな暴力をふるうのか宣言する。ここでは林がパンチを、樋口がビンタを宣言したとしよう。その後、俺にどっちが強いと思うかを聞いてくる。これは技の威力という意味でなく、どちらの人間が力のヒエラルキーの上に立っているのかを聞いているわけだ。
この時林と答えると樋口からビンタをくらって、樋口と答えると林からパンチをくらうという、最低最悪の陰湿ないじめなのだ。
更に最悪なのが、こいつらはたまにトラップを混ぜてくる。林が小突き、樋口が往復ビンタを宣言する。どう考えても林の技が弱いためあえて樋口の方が強いと言うと、なんと両者から往復ビンタをもらうのだ。
人間の感情を弄び、おまけに人の身体を使って遊ぶという最低最悪のゴミ人間というわけだ。
不幸なことに、明治さんと一緒にいるところをそんな生ゴミ以下のカスに見られてしまった。
「あっ、もしかして明治ちゃんはこいつに付きまとわれてんのか? 伊勢崎気持ちわりーな、いくら素が気持ち悪いからっていってもストーカーはダメでしょー」
細身にリーゼントの林は、病気の犬みたいな目でこちらを睨みつけてきた。
「うるせぇ、黙ってろ」
ここは俺達の仲が良いと悟られてはならない。そう思われてしまえば、明治さんもイジメの対象にされてしまう。
明治さんもきっとそれは分かっているはずだ、だから少しだけ俺から離れている。
「あ? 生意気な口聞いてんじゃねぇぞゴラァ!」
つばを大量に飛ばしながら俺を怒鳴りつけてくる。
怯えたりなんかしない、ここで怯えたら、いつものようにイジメられてしまう。
「生意気な口を聞いてるのはお前だよ、さっさと口を閉じろ」
林の頭からプッツンと切れる音が聞こえた気がした。
「ぶっ殺したろかワレァ!」
素早い拳が飛んでくるが、百足女と比べると造作もないものだ。勢いに任せたバカまっしぐらな拳。反吐が出る。
おまけにこいつはガリガリだ。一人じゃ何もできない、樋口とつるんでなきゃ生きていけない寄生虫のくせに思い上がっているというわけだ。少し分からせてあげようか。
少し横にずれれば、こんなものは当たらない。
「今度はこっちの番だよ――」
「調子こいてんじゃねぇぞガキァ!」
突然俺の足が宙を滑り、側頭部から落下してしまった。
どうやらがむしゃらな蹴りで俺の足を転ばせたようだ。
「ストーカー小僧が調子乗ってんじゃねぇぞ! おい! ゴルァ! あぁ!?」
倒れた俺の頭を何度も踏みつけてくる。
頭を押さえて自分を守るしかできなかった。
痛い、頭がくらくらする。どうして俺はいつもこんな理不尽な目にあうのか。
今日だけは、こんな事に巻き込まれたくなかったのに。
明治さんは俺を見ていた。不安そうに、ちょっとだけ手を伸ばして……。
ダメだ、決して俺を擁護しちゃいけない、明治さん。そんな事をしたら次は明治さんが虐められてしまうんだ。
ここは耐えるしかない。俺が耐えていれば……。
「ふぅー、スッキリしたぁ! なぁ明治ちゃん、もしかして帰りこっち?」
「え? いやー、この先の古本屋あるでしょ? 私ちょっとそっちに行こうかなって」
「何々、なんか気になる漫画とかあんの? 俺もついてっていい?」
痛めつけられた身体が、起き上がらなかった。
明治さんに近付く林をただ黙ってみるしかできないなんて、嫌だ……
「近、付く、な……」
虫の息だった。
嫌だ、明治さん、逃げてくれ。お願いだ、そんな不良かぶれについていくな。
「――オラァッ!」
突如、甲高い叫び声が響いた。
林は後方――こちらへと吹っ飛んできた。
そこに現れたのは、ツインテールの女の子だった。頬に、一筋の切り傷が浮かんでいる。
俺はその傷跡に見覚えがあった。
女は蹴り上げた足を下ろし、明治さんを気遣う。
「大丈夫か、明治」
「あ、ありがと……」
男口調だが、その声は年頃の少女そのものだ。
うちの女生徒用の制服を来ている。黒いブレザーに、青黒チェックのスカート。
「林、今日は良くもやってくれたなぁ」
「あぁ? 誰だてめぇ」
その女はずかずかと林に向かって歩いていく。
「こっちの話だよ、立てやオラァ!」
無理やり首根っこをひんづかむ。
そうして立ち上がらせ、顔を思いっきり殴りつけた。今度は倒れないよう強く押さえつけ、何度も殴りつける。
林が頭突きで反撃すると、いよいよその押さえが取れる。
後ろに飛び退き、女は体勢を整える。
そして、ペッとツバを吐き口元を拭う。
「俺が誰だろうと構わねぇだろ、お前が明日を迎える事はねぇんだからな」
「調子こいてんじゃねぇぞメスガキがゴラァ!」
互いに殴り、蹴り、フィジカルのぶつけ合いに発展している。
相手が細身の林だからこそ、この女も対抗できているのだろう、そう思った。
しかしそうではない、よく見てみるとすんでのところで女は攻撃をかわしている。
若干服をかすりつけているし、おそらく肌には食い込んでいるはずだ。しかしそこまでに留まり、衝撃を後ろへと流している。
林からしてみると攻撃がギリギリ当たっているように感じる。だからこそ、林は相手と力の張り合いをしている気になって意地になっているのだ。その相手が女となれば、なおさら攻撃をやめることは林のプライドが許さないはず。
対して女の攻撃は全てが林の腕を、腹を、胸をピンポイントに殴りつけている。
林は疲労とダメージによって、次第に動きがよろけてくる。
大きなぐらつきを見せた一瞬、その顔面に女の膝がめりこんだ。
遥か上方に打ち上げられた林の身体。
その場で一回転し勢いをつけた女は再び膝を上空へと突き上げる。
鋭い膝が、丁度降下してきた林の背を突き刺す。
林の身体が一瞬真っ二つになった、そんな錯覚まで覚えさせるほどの衝撃だった。
膝を経由し地面に転がった林はよろよろと起き上がり――
「お、覚えてろや!」
と残し、よたよたとおぼつかない足でどこかへと逃げ去っていった。
女は最後にもう一度、ペッとツバを吐き口元を拭った。
「ふぅー、スッとしたぜ」
それを見届ける頃、既に俺の身体は立ち上がれるまでに回復していた。
「その、ありがとう。助けてくれて」
「あ? お前を助けたわけじゃねぇよ。俺が助けたのは明治な」
明治さんはずっと女の業に見惚れていたようだ。
「あっ! ありがとうございました、助けていただいて!」
自分の名前を出された事に気付き、慌ててペコペコとお礼をする。
俺は、女が林を打ちのめしている際にずっと抱いていた疑問を口に出す。
「お前、伊賀千刃なのか?」
「あ?」
その鋭くドスの効いた返しは千刃そのものだった。
「知らねぇな、誰だそいつ。似たやつと勘違いしてんじゃねぇのか?」
呆れたように見せた女は明治さんの肩を一つ叩いてからこの場を去っていく。
気付けば空は暗がりを生んでいる。離れていく女の背中は、堂々と薄闇を突き進んでいた。




