41話.自意識は目まぐるしく、儚く脆い。
あれから俺は、程々にいじめられつつも楽しい高校生活を送っている。
そりゃあ勿論いじめられるのは嫌だ。でも、俺がいじめっ子共を成敗していくうちに、絶望の淵に立たされるような、そんな熾烈ないじめを巻き起こすクラスメートはいなくなっていった。
容赦ないいじめっ子共に抗い勝利を勝ち取れたのか、或いはこれが嵐の前の静けさであるのか、どっちであろうと俺は構わない。今は何も考えず、平凡で平和な学園生活を楽しみたい。
「テメェ伊勢崎ィー! 友達料すっぽかしてんじゃねぇぞゴラァ!!!」
「君と友達になった覚えなんてないけど――」
「黙れテメェ! 金出せゴラァ伊勢崎ゴラ!!」
こんな事言われたって、勿論お金は出さない。
この後は少し殴られて、ボッコボコにされて、それでお決まりの流れってわけだ。
「ったく、おいおめぇ財布どこだよ」
「だ、だから持ってないって――」
「嘘つくなダボァ!!」
「ゴフッ!」
フフ、どこを探したって財布は見つからないだろう?
「チッ、殴り損じゃねぇかゴラァ!!」
最後に一発、顔に良いものをもらった。
さて、トイレに行って確認してみるか。
どれどれ、今日の被害は……口から出血、目の周りに大きなアザ、あとはまぁ身体中に打撲痕、それくらいだ。全くこれで終わりっていうんだから、甘い話だよな。
ああ、そうそう。財布はどこかって……?
そりゃ勿論――
「伊勢崎くん、はい! お弁当とお財布!」
「ありがとう、明治さん」
「……今日も傷だらけ」
「ッハハ、これくらい」
俺の手になきゃ、探しても見つかりっこないって寸法よ。
やれやれ、ヌルすぎる。ヌルすぎるぜ学園生活。
俺を瀕死にまで追い込んできた悪辣なイジメはいったいどこいっちまったんだ?
懐かしいぜお前らがよぉ~、なぁ入院中のいじめっ子の皆さん?
「伊勢崎くん、なんか変だよ?」
「え、何が?」
「……うーん、やっぱ何でもない」
どうしたんだろう、明治さんちょっぴり煮え切らないような表情してるけども。
――あぁなるほど!
「ははぁーん、さては明治さん、俺の変化に気付いちまったってわけか」
「へ?」
「まぁ無理もないっていうか、俺だからぁ? ま、校内暴力大反対なわけだし、イジメ撲滅なんて造作もないっていうかぁ~」
「……」
「ほらぁクラス内でもイジメが減ってると思わない? ホント罪なわけよ、俺って。俺の強さって」
「う、うん。そ、だね」
っはぁーやっぱ明治さんは分かってるなぁ!!
「だろ、だろ!? 明治さん弁当と財布ありがと、これからもよろしくね。イジメが完全に消滅するその日まで!」
おっし、じゃあ教室戻るか。
「えっ、伊勢崎くん? その、折角今いじめっ子が離れたんだからさ、屋上で一緒に食べない?」
「んー、教室で一緒に食べようぜ!」
「えっ」
まったく明治さんは一体何をビビってるんだ?
どうして俺がそう屋上でコソコソしながら飯食わなきゃいけねぇんだ?
いいかい明治さん、こういう奴らにはきちんと見せつけなきゃいけない。
俺たちが如何に平和で安全な学園生活を送っているかっていう、な!!
「オッスおめぇら! おうおうゴミ共が今日も元気に教室ではしゃいでやがるなぁ!!」
「アァ!?」
「伊勢崎なんだコノヤロー!?」
「なんだとてめぇ伊勢崎ゴラァ!! 伊勢崎の癖しやがってテメェ今日の今日はガチでブッチ殺すぞワリャァ!!」
ふん、ボケ共。
「――かかってこい」
「ふざけんじゃねぇぞゴラァァァァァァ!!!」
ったくこのいじめっ子共が。全く短気なんだから。
痛い。
痛いけれども、まぁ、こんなもんだ。
全て返り討ちにしてやるぜ。
全くいくら反撃しても数が減らねぇ、これじゃあやられちまう。
痛い、痛い、痛いって痛――え?
ちょっと待て、俺さっきなんて言った?
なんかおかしいぞ俺、え?
「オラオラどうしたさっきの威勢はよぉえぇ!?」
「ごごめんなさあああああああああい許してえええええええええええ!!」
俺は、今までで最大と言ってもいいほどに苦しいイジメを食らった……。
便器の中を舐めさせられ、便器の水で溺れさせられたり、便器で殴られ、トイレから投げ出された。
俺が奴らに口実を作っちまったから、熾烈なイジメの手はいよいよ止むこと無く――
「オラ伊勢崎てめゴラ!」
「こら君たち、やめなさい! やめろと言ってるんだ!」
先生がイジメを止めに来ても、まったく止まない有様だ。
学校のゴミ捨て場で生ゴミまみれになりながら、身体中のあらゆるところから血を流しながら、俺は自分の意識がただ薄れていくのを、激しい痛みの中で感じるしかなかったのだ――
「――ハッ!?」
何かを、何かを刺された……ッ!
そいつは小さな針のようなもので、そいつが刺さった瞬間、俺の意識はまるで快眠から目覚めた時みたいに、つまりは要するに、俺はひどく覚醒したのだ!
「オラ伊勢崎オッラ!」
ゴミ捨て場にて繰り出されるいじめっ子共による渾身のラリアットはゴミを巻き上げ俺の首に追い打ちをかけた!
「グエェェェェッ!!」
俺は意識を失うことすら許されず、はっきりとした意識の中で鋭い痛みを感じながら永遠とも思える時間の中を彷徨った。
授業のチャイムが鳴り、そいつが止み、そしてもう一つ、六時間目開始のチャイムが鳴る……。
そこでようやく、先生が全てのいじめっ子を蹴散らしイジメを止めてくれた。
「大丈夫ですか、伊勢崎く――」
「ハァッ、ハァッ……」
意識を失いかけると、すぐさまあの針がやってくる。そいつで無理やり意識を引き戻され続けた俺は、こうやって救われた今でもまるで殴られ続けているかのような感覚を覚えてしまっている。
しかし、しかしだ……あの注射針を打ち込んできたやつの顔は見た。
あの赤い髪の女は、間違いねぇ。1年3組31番・九十九憑子だ。
化学の時間とかにイキイキとしている理系女。時たま皆が俺をイジメる際に硫酸を用いる事があるのだが、風のうわさによるとどうやらこの九十九が作った硫酸らしい。
そう、本人は直接イジメには加担しない。だがしかし、間接的な話となればものすごく大きな関わりを持っている。
とうとうこんな危険そうな薬物に走り出したか、絶対に許さねぇ、九十九……!
あの野郎は俺が意識を失えば楽になれるって事を知っててあんなモノを用意しやがったんだ!
なんて陰湿な野郎、なんて危険な野郎!
後日きっちり復讐かまして二度と化学に携われない身体にしてやるぜ。
「すみません、どうも今日の生徒は随分と獰猛でして……私も少し、手こずってしまいました」
「いいんですよ、先生……では、俺はこれで……」
授業が始まっちまっている、10分以内なら、遅刻扱いされないから……。
早く、教室戻らないと……。
教室まで戻る途中、ふと窓ガラスを見た瞬間、俺はとんでもない事実に気がついてしまった。
「こ、こんな……こんな事が、まさか、そんな……」
光の反射で映った俺の姿は、ひどく凄惨なものだった。
髪の毛全てが、無理やり覚醒させられたストレスのせいで真っ白になっており、その目は絶望のためひどく充血し真っ赤になっている。
それも薄れぼやけたような、そんな赤じゃない。
病的なまでに、恐ろしく純粋な赤だ。
どうやら俺は絶望の中で覚醒を繰り返した結果、こんな人間離れしたおぞましい姿になってしまったらしい。
絶対に許さねぇ、九十九憑子。
この落とし前はきっちりとつけてやる。
教室に戻った時、そこに皆はいなかった。
誰もいなかった。先生もいなかった。
ああ、そりゃそうだ。あんな事が起きた後なんだから、誰もいるわけないよな……。
じゃあ、俺がここにいる意味って一体何なんだ?
俺が今ここに、学校の教室の中にいる意味……きっと俺は初めから分かっていたんだ、そんなものはどこにもないって。
ここに戻ればいつもの日常があるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。しかし空っぽの教室は、今が正に真実であるということを、嫌というほど俺に伝えてきている。
「伊勢崎くん……」
「あ……」
――君にだけは、俺がこんな姿になっているだなんて知ってほしくなかった。
明治さん。
「……かえろ?」
「でも、学校が」
「もう授業できる状態じゃないよ……どうして伊勢崎くん、そんなに学校にこだわるの?」
時たま逃げ出したくなることはある。でも、それでも俺は。
一人の人間として、学校に通って、楽しくこの学校を卒業したい、そう思う。
「こんなに傷だらけ」
触れられた頬が痛む。
でも、そんな痛みはちっとも気にならなかった。
「疲れたでしょ。いいんだよ、疲れちゃったら休んだって」
……明治さん。
どうして君は、そんなに俺に優しくしてくれるんだい……。
こんなにひどい俺を見てまで、どうしてそんなに……。
力が、抜ける。
「眠く、なっちゃった?」
身体が横たわる。
教室の床は、思ったより冷たくなかった。
明治さんが見える。
でも、それがどんどん霞んでいって……。
しっかり開いているはずの目が、真っ暗になっていく。
「……おやすみ、伊勢崎くん」
ああ、とても眠い。
すごく、すごく眠い。
もういいか、寝ちゃおう……。
寝てもいいって、言ってくれるんだもんな……。
「九十九憑子、ねぇ」
「そうだ、奴の情報が欲しい」
「学校には来てると思うんだよねー、上履き無いし。でも全然教室には来てないね」
「そうか、助かる」
「お安い御用、アイツに何か用あんの?」
「一言で言えば、復讐といったところか」
「復讐……? 九十九に何かされたの?」
九十九憑子。この借りは必ず返させてもらおう。
「……あんな人ウチにいたっけなぁ」
奴がこの学校内にいるということはどうやら間違いなさそうだ。
天翔天馬に居場所を探らせてもいい。しかし俺は、九十九を他の誰でもない俺自身の手によって見つけ出したかった。
――復讐を、果たすために。
「……伊勢崎くん?」
この女は、明治か。
「人違いだ」
「あ、ご、ごめんなさい……てっきり、伊勢崎くんなんじゃないかと思って」
「俺のどこが伊勢崎に見える」
「…………」
丁度良い、こいつからも情報を引き出すとするか。
「九十九憑子がどこにいるか、知ってるか?」
「……分かりません」
「フム」
捜索を続けるとしよう。
「――まっ、待って!」
「どうした」
「あ、あなたの名前は、なんですか……?」
俺の名前。
何を今更と言いたいところだが、教えてやるとするか。
「覚醒・伊勢崎拓也だ」
「……伊勢崎くんじゃん」
「俺は覚醒・伊勢崎だ」
「伊勢崎くん、どうしてそんなに九十九さんを探そうとしてるの?」
「覚醒・伊勢崎だ」
「……覚醒・伊勢崎くんはどうして九十九さんを探してるの?」
「復讐を果たすためだ」
俺は、俺をこんな姿に変えちまったあの九十九をどうしても許せない。
見ろ、俺の眼を。ひどく絶望し真っ赤に染まった瞳を。
見ろ、この髪を。苦痛に色の抜け落ちた白い髪を。
俺は、俺自身を見返すたび、眼から涙が出てしまう。
ああ、なんてひどい姿なんだ。
俺は、ただの化物なんだ。
奴が、こんな姿に変えちまったんだ。
絶対、復讐を果たす。
「私、九十九さんの場所知ってる」
「ほう?」
どうやら明治は、思わぬ情報源となる存在のようだ。
ではそいつをゆっくり聞かせてもらうとするか。
「――でも、その前にもう一回教えて?」
「何だ」
「あなたの、名前は?」
「…………」
二度も言わせるな。
「覚醒・伊勢崎拓也だ」
「そっ、か」
くるりと振り向いた明治は――
「付いてきて、伊勢崎くん」
ただそう言って歩を進める。
「まったく、覚醒・伊勢崎と言ってるだろう」
明治に付いていき、辿り着いた先は屋上。
屋上のドアを開けると、向こうにいた女が振り向いた。
「……屋上には、絶対に行けないって決めたはずなんだけど?」
長い赤髪の女、九十九憑子が確かにそこにはいた。
「お前がどう決めようと、どこに行くかは俺の勝手だ。それにここはお前の私有地でもない、つまり――」
人差し指を強く、ヤツに向けてやる。
「復讐させてもらおう」
「あー……あー?」
気怠げにうなだれる九十九。上を向いて何かを考えている様子だ。
「聞こえなかったなら、もう一度言うが」
「いやいいよ、ちょっと考えさせて、邪魔しないで」
随分と呑気な野郎だ。それならこっちからいかせてもらおう。
駆け抜け瞬時にやつのもとまで辿り着く、そして俺の尖った爪がやつの頬を切り裂く――
その算段だったが、やつへの攻撃が外れてしまった。
なぜだ?
「やっぱり効いてはいるよねー」
ためらいもなく、やつは俺の腕を掴んだ。
――何だ、この感覚は。力が、なくなる。
「『私に逆らうことができなくなる』、やっぱり効果はあるんだ」
「貴様、何をほざいている?」
「つまり、もうお前は私に手出しできないってこと」
「それを決めるのは、オ、レ……」
なぜだ。
奴を穿たんとするこの拳が、動かない。
動かそうと思えない。
この思考の矛盾の解消に、労力を費やす事はなかった。
「貴様、また何か俺に薬を……?」
「半分正解? 分かったところでどうにもなんないと思うけど」
九十九は余裕そうに笑っている。
「この学校中に霧をまいたんだけどなぁ……『屋上に行こうとは思わない』って暗示を含んで。なんでお前はここまで来れたの?」
どういう、事だ。何の話をしていやがる。
まさかこいつは、超能力的な何かでも使えるというのか……?
「私が連れてきたよ」
「ええ?」
ようやく明治が屋上に入ってきた。
「私には良く分かんないけど、伊勢崎くんをこうしたのが九十九さんだっていうなら……」
明治の顔はいつにもまして険しい。
「いうなら、なんだい?」
目をつむり、一つ大きく息を吸う明治。
「私はあなたを、断罪しなきゃいけない」
強くはっきりと、人差し指がこちらへと向けられる。
「それがお前の自己なんだ?」
「そうだよ」
明治はゆっくりと近付いてくる。その姿が、とても大きく見える。
「伊勢崎くんがくれたんだ。何もなかった私に、私っていう形を。生きているって感じられる、大切な日々を。あなたが伊勢崎くんをこんなにしたっていうなら、これからもこんなにするっていうなら、私は絶対にっ……あんたを許さない」
そしていよいよ、俺と九十九のもとまで辿り着いた。
「ふぅん、そうなんだ。でもさ、『お前は私に手出しできない』と思うんだけど?」
思いっきり拳を構える明治。あまり慣れていないようで、その様は正直不格好だ。
明治の振りかぶる様を悠々と眺める九十九。
そして振り抜いた拳は――
九十九の頬を思いっきり捉え、ぶち抜いた。
「できたよ」
明治のまっすぐな瞳から、そう聞こえた。




