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4話.百足狩り、開始。

 ……窓から差し込む夕日が綺麗だ。

 人に異物を食べさせる、クズのような女には全く似合わない。


「どうした? こないのか?」


 目をギンギラギンに開かせて、挑発をかけているつもりか。

 ゆらりと静かな女の動きは、何か拳法を想像させる。

 迎撃の姿勢を取っているのだろう。俺には分かる、あの余裕っぷりといい、自分から襲ってこない辺りといい。

 しかし、それが隙だ。我慢の無さが、自分の戦法を露呈させてしまっている。


「俺はいじめられっ子なんだろ? マジになっちゃってどうすんの?」

「あ?」

「俺に対して必死になってる自分を客観視したことあるか? 滑稽だぞ、俺みたいなやつにビビって。正直に言ってみな、俺が怖いんだろ?」

「んなわけねぇだろバーカ」


 一歩、前にやってきた。

 それがお前の隙だ、小牧百足。この時点で心理戦では俺が勝ったも同然。自ら歩みだしたのだ、断頭台へと。

 一歩踏み出せば止まらない。今、お前の身体を燃し、足を衝き動かしているのは罪の炎だよ。小牧百足。


「そんなにいじめられてぇならイジメてやるよ!」


 飛びかかってきた。

 安直な方法だ。相当自身のプライドが傷つけられたのだと見受けられる。

 容易い迎撃は、奴の土手っ腹に風穴を開けた――


「安易な挑発、低レベル」


 俺の拳を伝うように、女の脇腹が滑っていって……後頭部に衝撃が走った。


「お前、私と駆け引きをしたつもりになってたのか?」

「――ああ。そしてお前は駆け引きに負けた」


 想定済だ。どうせ避けられるなら、受け止めてしまえばいい。


「なっ……!?」


 こうしてがっちりと身体を抱き寄せてしまえば、抵抗はままならぬ。


「彼氏にも真似できないくらい強く抱きしめてやるよ」


 反撃の余地など与えない。

 両手を背中へ回し、思いっきり締め上げる。


「ごぼっ……!」


 奴の口から、吐瀉物らしき物が溢れ出てきた。


「きたねぇなぁ。自分でこぼしたものはなんだったかな?」

「や、やめろ……」

「やめろ? お前は俺がやめてと言ってやめたか?」


 足をかけ転ばし、頭を押さえつける。


「自分で出したもの、自分でお掃除だろ!?」


 地面にこぼれた吐瀉物の上に、思いっきり女の顔をぶち込んでやる。


「ぶぇぶっ!!」


 汚い声が出てきた。


「残さず食ってお掃除しろよ」


 そこに吐き出されたものはお前の罪その物。味わえ、貴様の罪の味を。

 鼻がひん曲がる程に酷い臭いを放ち、顔を歪める程に苦い罪を。


 ――顎に女の掌底が。思わずよろけてしまう。


「ハァッ……ぜってぇ許さねぇ」


 咄嗟にのけぞり、見せた奴の顔は汚物まみれだ。こたえるようで、開ききっていた目は半開きになっている。


「許さない? それは俺の台詞だ、ゲロガキ」


 ゲロガキ……その一言にやつはあからさまに顔を歪めた。

 ハハハ、何をそんなにマジになってるんだろうか。

 ほんのちょっぴり挑発しただけだと言うのに。


「殺してやる、伊勢崎拓也……」


 途端に姿勢を低めてきた。

 やつは俺に近付いてくる。残像が見えてしまう程の滑らかさを湛え、無音でするりと俺の背後に立った。

 目でこそ追えたものの、その妙技に身体は追いつかない。

 首が――締まる。


「お前は、私の顔に泥を塗った」

「お前は、私を舐め腐ったような態度を取った」

「お前は、生意気にも私の裏をかいた」


「それだけでいいのか」

「…………」


 ヤツは、俺の罪を呟いていたはずだ。しかしそれは余りにも自分勝手で、醜い判断。

 全てが己のエゴによって構成されている、自分勝手で未熟な罪だ。

 お前がその罪のため躍起になるなら、俺はそれに乗ってやろう。


「俺の罪の数は……四つだ」

「あん?」

「お前の顔に泥を塗り、舐め腐った態度を取り、お前の裏をかいてしまった」

「お前? 自分の立場が分かってんのか? あぁ?」


 首が格段強く締まり、意識が朦朧とする。


「百足様、だろうが――」

「そして俺は、お前にとどめを刺してしまう」


 後ろ向きのまま、飛び退く。首に百足を抱えながら。

 流石のヤツも、この奇っ怪な動きには呆気にとられたみたいだ。


「えっ」

「俺の罪は重いぞ」


 そのまま後ろに肘を入れる。俺を締める女の、その後ろ――

 景気よく、きらびやかな破砕音が響き渡った。

 ガラス窓を擦り抜け、天を仰いだ。

 橙の空が遠のき背中に衝撃が走る際、罪の音が辺りに響き渡った。


 俺の首は解放感に満ち満ちている。

 起き上がり、地べたを見やる。

 罪に押し潰された憐れな女がワインレッドをバックに斃れていた。

 赤は女を美しくするというが――


「――お前には似合わねえな」


 折角のダイヤモンドも台無しだ。


 ……鋭い、痛みだった。

 荒い鼻息と共に息を吹き返した彼女が、俺の背中に硝子を突き立てたのだろう。


「殺す、伊勢崎拓也、殺してやるぅぅ……」


 もはや優美を気取る余裕すら無い。

 人を蹴落とし生きてきた人間の性が、そこにはあった。


「そんなに俺を殺したいのか」


 返事はない。返事に気力を費やす事ができないのだろう。

 乱雑にねじ込まれる硝子だが、その力もまた朧げだ。


「残念だが、死ぬのはお前だよ」


 肘で腹をついてやり、背中からガラス片を引き抜く。

 やつを乱雑に押し倒し、馬乗りになる。心臓に向けて、横向きに。


 殺されかけた相手に、慈悲など無い。


 しかし、ガラス片が貫いたのは、やせ細った男の手だった。


「……伊勢崎くん、ここら辺にしておいてはどうです」

「せ、先生」


 なだめられて気付いた、今俺が人の命に手を伸ばしていた事に。

 止められなければ、恐らく生命を奪っていた。

 復讐をするのは当然の権利だが、しかしこれはやりすぎだ。

 俺にはまだ、良心の枷がある。

 その正体はきっと、俺を支えてくれる仲間達だろう。


 俺は職員室に来ていた。

 正確に言えば、境太郎先生についてきたのだ。


「私は驚きました」

「すみません……」

「しかし、嬉しくもあります。伊勢崎君はいじめに負けない、強い子なのですね」


 のっぽの境太郎先生は、俺に優しい笑みを浮かべてくれた。

 それを受けて、俺もなんだか笑顔になれた。


 小牧百足は保健室に送られて、病院行きになったらしい。

 これで当分学校には姿を現せないだろう。


 1年3組25番・小牧百足、復讐完了。




 復讐をした後に迎える朝は気分が良い。

 平和な通学路は、俺にとっては特別に平和だ。

 他のやつらが貪る平和なんかより、よっぽど特別なんだ。


「おい、何堂々と道の真ん中歩いてんだえぇ? どけよゴラ」


 全然邪魔になっていないのに、小突かれて、また暴言を吐かれて……

 どうして、この世からいじめが無くならないのだろう。

 もう嫌だ、こんないじめられる毎日は。

 普通に学校に通って、普通に授業を受けて、普通に部活に行って、普通に帰りたい。

 それに今日は、明治さんとデート……違う違う、放課後に待ち合わせがあるんだ。

 初めて、あの子と話す日だ。

 そんな日に、こうやって朝からいじめられるだなんて。

 でも、だからこそ、放課後には明治さんと二人きりになれるからこそ、耐えられるのかもしれない。


「伊勢崎いいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 ヒステリックな叫び声と共に、白い病衣の女が半狂乱の状態で俺を目掛けて突撃してきた。

 タックルで俺の身体を掻っ攫っていき、車道の上に突き飛ばす。

 そして、俺の上に覆い被さってきた。


「私と一緒にお前も死ねえええええぇぇぇぇ!!」


 包帯まみれの身体、それでもその目だけはエネルギッシュに強く見開いている。

 傷を負ったせいか真っ赤だ。


 隙間から見えるのは……俺たちに向かって突っ走ってくる2tトラックだ。

 生憎だが、ここで死ぬわけにはいかない。

 こんなにボロボロな人間に力負けするはずはない、一気に形勢逆転、組んだ身体を回転させ、俺が上になる。

 そして百足の身体を掴み、高く跳び上がる。2tトラックのフロントガラスを踏み、もう一段跳び上がる。

 こうして俺たちはトラックの上に乗り上がった。


 トラックは走行したままだ。長居はできない。

 俺と百足は、互いに向き合う。ヤツは開ききった真っ赤な目で、俺を睨みあげた。


「そんなになっても俺をイジメ足りないのか? 滑稽なやつだ」


 俺は手をクイクイと、やつに見せつけるように招いてやった。


「いいぜ、来いよ。イジメしか脳のない低能人間が」

「伊勢崎ぃぃぃぃぃ!!!!」


 昨日の余裕は影すら無い。ぐわっと歯をむき出し、爪を立て、俺に噛み付いてきた。

 あっさりとかわし、腹を横から蹴り抜いてやる。


「ごふっ! ゲホッゲホッ!」

「まだ痛めつけないと分かんないみたいだな」


 子供がダダをこねるみたいに爪で引っ掻いてくるのも無様の一言に尽きる。

 足を蹴って膝を落とし、髪を鷲掴みにする。

 そしてトラックの上にガンガンと顔面を叩きつけてやる。

 頭を押さえているわけではない。網に入ったみかんを叩きつけるみたいに、髪を引っ掴み叩きつけている。

 顔面は血まみれなはずなのに、こいつはまだ目を見開き、息を荒くしている。


「がうぅぅぅっ!!」

「痛っ!」


 おまけに、俺の腕にがっつりと噛み付いてきた。

 顔面をぶん殴って剥がすも、くっきりと歯型がついている。

 まだ諦めがつかないみたいだ。しぶとい野郎め。


「――復讐させてもらうぜ」


 顔面をトラックの荷台にグリグリと足で押し付ける。


「ぐるるぅ……」


 奴が視界を暗くさせているうちに、俺はトラックの窓を叩いた。

 窓が開く。


「おう、どうした兄ちゃん上からいきなり!」

「すまねぇ、運転代わってくれねぇか?」


 丁度、信号待ちなのだ。


「おう、いいぜ!」

「ありがとよ、おっちゃん!」


 こうして俺は運転をかわった。

 信号が青に変わると同時に猛ダッシュを繰り出す。


「ぐぎぎぎぎぎぃぃぃ……!!!」


 上からヤツのうめき声が聞こえる。

 振り落とされまいと必死にしがみついているのだろう。

 ――しかし、その判断、お前のその醜い逆襲本能が仇になるとは思いもしないだろうな。


 俺のトラックは橋に差し掛かる。

 そこで力いっぱいアクセルを踏み抜いてやった。


「死んで俺に詫びろ!」


 ハンドルを思いっきり左に曲げ、トラックのドアから脱出する。

 最大スピードのトラックはそのまま柵を突き抜け、遠い川へと急落下していく。

 グラビティに振り払われた醜い女は、俺を見上げている。

 それは復讐に塗れた怨恨の表情などでなく、純粋な絶望そのものであった。

 そいつを最後まで見送ることなく、橋を後にする。

 程なくして、大きな波の音が響いた。


 小牧百足、純粋な悪の塊にはかける言葉など一切ない。

 いじめの報いを受け入れな。


 通学路に戻ると、懐かしい顔が……?


「……伊賀、千刃?」

「あ? んだよ」


 俺に玉を潰された伊賀千刃ちゃんがいた。

 男性ホルモンが少なくなった影響からか、声が女みたいになってる。

 おまけに髪まで伸びて、本当に女の子みたいだった。

 顔の傷が無かったら本当に誰だか分からなかったかもしれない。

 思わず吹き出してしまった。


「ぶっ殺すぞてめぇ!」

「プププ……いやいや、ごめんごめん、千刃ちゃん。女子から制服借りたら? 似合うと思うよ?」


 わなわなと身体を震わせているが、こいつはもう俺の復讐を嫌という程身体に刻みつけられているはずだ。

 俺に手出しはできない。

 本来、こうであるはずなのだ。暴力を振るってはいけない。

 イジメはいけない事だという認識が、やはり彼らにとっては薄いみたいだ。


 俺は優越感に浸りながら今日の授業を受けることができた。

 相変わらずイジメはされたものの、千刃が手出しをできていない様を見るのが滑稽だ。


「おい、伊賀ァ! おめぇもどついてやれよ!」

「え、えっと……」


 小さくもじもじしている。


「お、おらっ」


 明らかに震えている。火に手を入れるみたいにザコい小突きだった。


「おらもっと強くやるんだよ、俺がお手本見せてやるよ! こうだよッ!」


 いじめっ子は千刃を大きくどついた。


「くっ……」


 それを見ていじめっ子達は笑っていた。

 見ていて気分が良かった。しかし、それとこれとは話が別。

 やつらは千刃イジメにも入った。イジメでしかコミュニケーションを取れないのかと思うほどに性根が腐っている。


「根性足りねぇなぁ! ほらっ、こうするんだよっ、ほらっ!」

「や、やめてっ……」

「ギャハハハッ! やめてだってよ!! こいつおもしれーーー!」


 いじめる奴らは許さない。

 それは、対象が別の人間であっても同じことだ。


 窓際、白髪の女の子は俺を見ていた。

 いつもより心配そうな目をしていた。

 気にかけられている、そう思うとほころんでしまう。

 どうしてだろう、見られたくないはずなのに。


 放課後、プロレマ部に行くといつものメンツが揃っていた。


「……花園先輩」


 彼女の表情は見えない、しかしそこには確かな意志がある。


「俺、やりましたよ」


 返される言葉はなかった。それでも確かに、そこには信頼があった。


 いつもよりも若干早めに部室を抜け、俺は明治さんと約束した場所へと向かった。

 少し離れた公園……できるだけ人に見つからないようにと選んだ場所だった。

 まだ明治さんは来ていないみたいだ。


「……明治さん、まだかな」


 待てるまで、待っていよう。

 ラインを送るけど、返事も既読もない。


 ――まだかな。

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