33話.絶体絶命フェードアウト、暗転するソウルリリック。
とても楽しいピクニックだった。
古代舞踊のステージを見ながら皆で弁当を食べた後、黒魔術体験で炎を生み出したり、謎の飛行物体を呼び寄せたりと、ドルヮ・イザーバァー遺跡村の不思議な名物をたくさん楽しんだ。
そう、とても楽しかったんだ。
だが、これからは違う。全て終わってしまった。
「……伊勢崎くん、大丈夫?」
覗き込んできた明治さんは心配そうな顔をして聞いてくる。
俺としては当然、大丈夫だと言わざるを得ないのだが。
「……無理だ」
「伊勢崎、くん?」
ああ、俺はなんて弱い人間なんだ。
バスを目の前にして塞ぎ込んでしまう。
「帰りたくない……帰ったら、俺はまたイジめられる日々に戻るんだろう? 嫌だ、どうしてこんな楽しいことがずっと続かないんだ」
「伊勢崎、くん……」
ここから一歩踏み出せば、非日常とも思える日常がまた顔を出す。それが嫌で嫌で仕方なく、たまらなく、ここで躊躇し足が出ない。
震える手足に嗚咽が漏れ、まともに動くことなどできない精神状態。
「伊勢崎何してんだてめぇコラァ!! てめーがそこにいっとバスに乗れねぇだろーが!!」
「伊勢崎ィー! どけゴラァー!」
「もう、嫌だ……イヤだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「伊勢崎くんっ!!」
あてもなく彷徨い続けた、このドルヮ・イザーバァーのだだっ広い広原を。
ただ学校に戻りたくないという一心で俺は走り続けた。
広原を抜け、山を越え、ネオンの輝く街に出た。
その頃にはとっくに夜は更け、俺を追う仲間の姿は無い。
光り輝く夜の繁華街に、みじめでちっぽけな男が一人、人混みに紛れて佇んでいるだけなんだ。
クラクションの音に怯え、ヤンキー共の笑い声に怯え――俺が出たのはU字坂のある広場。
壁にはスプレーでケバい落書きがされている、そんないかにもな場所に気が付いたら出ちまっていたんだ。
「おっ、伊勢崎じゃーんっ」
……誰だ、俺の名前を呼ぶのは。
――背中に強く響き渡る衝撃、そいつの正体がバスケットボールだと知った時すでに奴は俺の後ろを越えていた。
スケートボードがU字坂をなめらかに駆け、反転と同時に搭乗者がこちらへと嫌味ったらしい笑みを浮かべた。
そして反転と共に投げ出されたバスケットボールは向こうのバスケットゴールへと飛んでいき、的確にスリーポイントシュートを叩き出した。
片っぽ外れたイヤホンに、白いシャツを隠す赤いジャケット、青いジーンズ。赤白の帽子の下、茶髪からツリ目を覗かせ鋭い歯を見せ笑っている。
奴のインパクトは一度見たら忘れろというのも無理があるって程のもんだ、こいつの名前を忘れたことはない。
――1年3組11番・滑調が俺を見て笑っている。
「今日のバスすっごい迷惑だったんだけど、どういうつもりだったの?」
「……それはお前らが、俺のことをいじめるせいだろうが!」
「へぇー、イジメる……ねぇ」
奴が指笛を鳴らすと、示し合わせたように周りからヒップホップやってますって感じのやつらがゾロゾロ集結してくる。
ゴール下を跳ねるバスケットボールを回収し、滑調に渡すチンピラ。
全員で俺を囲い終えると、スケボーを足で立て回収する。
「こいつがいつも滑の言ってるいじめられっ子?」
「そうそう、しかもこいつ今日バス乗るところで皆の邪魔してチョー迷惑だったんだよ!」
「まじかよウケる! イジメられて当然のやつじゃん!」
恐怖に声が出なかった。
言い返そうとすれば言い返せるが、この数は流石に厳しい。
俺は縮こまらざるを得ないのだ。
「――ハッ、じゃあやるとするか」
スマホをいじりだす滑、何をするのかと思えば何やらジャカジャカとビートが鳴り始めた。
何をするつもりなんだ?
「イェー、伊勢崎拓也イジめられまくりだ、調子乗って被害者ヅラ、将来絶対ズラ、ピクニックトンズラ、バスの運転手迷惑そうなツラ、マジ迷惑、イジメられる枠、いつだって優先独占中、メーン」
あぁ、そういう事か。
これは俗にいう即興ラップって奴か。
俺をイジメるDisりラップ……こんな屈辱は初めてだ。
「YO! マジ? 伊勢崎はゴミ? Ah、調子こいてる? 泣き出してる? お前超ミジメ、この世からいなくなれ、今夜の夜食はキムチチゲ鍋! 熱々鍋! お前にぶっかけてーな! 無様な泣き様に熱湯かけてーな!」
周りのチンピラ共にどんどんターンは回っていく。
そうするごとにどんどん即興のDisりラップが積み上がっていき、俺の精神は崩壊してしまった。
これ以上に酷いことがこの世にあるだろうか(いや、ない)。
崩壊する涙腺に、心から叫んだ泣き声。
俺は涙をボロボロと流し、許しを乞うていた。
「マジざまねーなYO! 伊勢崎YO! お前はYO! いつだってYO! そうやってYO! 泣き出してYO! 逃げてばっかで情けねぇんだYO! YO! YO! Ah~!」
――だが、反撃の意思は捨てていない。俺だって負けていられないってとこを見せてやる」
「これでわかったか――」
「さっきから聞いてっと言いたい放題、精神崩壊狙いたい? あ、滑調ちょっといいかい? お前のラップマジダダ滑り、YO! 心に響かんぜお子様ライムくせぇ、それなら行っとけランチでハッピーセット、俺からしてみりゃジョーキングだぜ! キック・アス! 俺は学校行くぜ明日! イジメなんかに負けないぜメーン!」
渾身の反撃ラップ、取り巻きの奴らいい汗浮かべてやがる。
それも当然だ、俺はさっきまでピーピー泣きわめいていたんだからな。
そんなやつが突然ラップにラップで反撃してみろ、どういう反応が出てくる?
――こういう反応だよな、滑調?
「グッ、お、おめぇら! ぶちボコすぞ!」
すーぐ暴力に出る。
ラップでDisられたらラップで返すのがラッパーってもんだろ?
全く自分勝手なストリートボーイ共だぜ。
それはラップで負けましたって言ってるようなもんだろ、メーン?
滑調、優位に立っているのは俺だ。
じゃなきゃそんな焦った顔で俺を殴ろうだなんて思わねぇよな?
「この野郎ッ!」
おいおい、スケボーで殴るなんて随分と痛いじゃないか。
しかし、スケボーで殴ってくるって事は何をされるか分かっているのか?
大事な可能性を忘れていないか、滑調?
「す、滑ッ! こいつ、スケボーを噛みやがったぞ!!」
「な、何ィィィ~~~~!?」
お前のスケボーを歯でガッチリと固定した。
俺の歯からスケボーを引き抜こうとする滑だが、残念。俺の歯は決して滑らねぇ、強靭な顎がガッチリとスケボーを咥えこんで離さないのさ!
「このやろうッ!」
これにはたまらず頬を殴りだしてきた滑。
これだからいじめっ子というのは面白い。
――しかし、想定外の出来事が起こった。
「ゴラァッ!」
取り巻きの奴ら全員で俺を殴りだしてきたのだ。
痛い、これは痛い。
涙が出てくる。
まじですんませんでした。
調子乗ってごめんなさい。
「やめてください! いたいいいいいいいい!」
「ギャハハハハハハハハハハハ!!!」
きっと俺の泣き声は繁華街中に響き渡ったのだろう。すぐにホイッスルの音がピピーとなり出した。
「こら君たち何をしているっ! やめなさい!」
警察と思しき連中がようやくチンピラ共を追い払ってくれた。
滑の野郎、随分と余裕そうにスケボーで逃げていく。
「君、大丈夫か?」
「は、はい……」
「立てるか?」
「はい……」
「うん? 君、高校生じゃないのか?」
「はい……」
「なんでこんな時間に高校生がこんな所に!? 補導だ補導だ! ついてこいお前!!」
「そんな! あいつらも高校生です!」
「知ったことか! このー!」
問答無用、俺は正しく問答無用で警察に連れて行かれたのだ。
世の中はなんと理不尽に包まれていることであろうか。
世の中が悪いやつばっかりだという理由が、ここにあるのかもしれない。
警察署までやってきたお母さん。
「拓也! すみません、息子がご迷惑をおかけして……」
「いえいえ。 おい伊勢崎、この事はすでに学校へ連絡済みだ。ただで済むとは思うなよ?」
「そ、そんな! 学校には言わないでくださいって俺言ったじゃないですか!」
「君の行為は極めて悪質! 学校にはもう連絡させてもらったよ!!」
俺の心は砕け散った。
朦朧とした意識の中、確かに俺は気付いた。
警察官には……島崎という名札がついてあった。
これは果たして偶然なのだろうか、思慮を巡らせる時間はない。
もう、限界だ。
「拓也……? 拓也!? 拓也ーーーーーーーーっっっっっっ!!!」
お母さん、声だけは聞こえる。
俺を心配してくれる声が。
でも、オレの心はもう限界だよ。
疲れたよ、もう。
――何かがチラつく。
誰かが俺に向かって、手を差し伸べてくれている。
俺は、それに応えなきゃいけない気がした。
その手を、握らなきゃって思って――
「わっ、い、伊勢崎くん!!」
え、明治、さん……?
「よ、良かったぁ! 伊勢崎くん起きましたー!」
階段を駆け上がる音、間もなくしてお母さんが部屋に入ってきた。
「拓也っ――あらぁ」
お母さんがいきなり微笑みだしたのが何故かと考えたら、みるみる内に自分の顔が赤くなるのを感じた。
明治さんの手を、握りっぱなしだった。
「良かったぁ、怪我はない?」
「ありまくりだけど、大丈夫だよ」
どうやら、俺はあの後本当に気絶してしまったらしい。
明治さんはきっとピクニックの後の俺の異変について心配してくれて、やって来たのだろう。
全く、入学当初はどうなることかと思っていたけど……
こんなに大切な仲間達ができるだなんて、人生どうなるか分からないものだ。
「よっし、それじゃあ行くか」
「え、行くの?」
「行くに決まってるじゃん――学校」
俺の決意は固かった。
明治さんも、そんな俺を信用してくれていた。
その印に、ただ目をつむって頷いてくれる。
「……分かった。学校、一緒に行こ!」
俺達の歩みは驚くほど軽かった。
それは何故か。イジメなど意に介さないという意思を強くこの胸に宿しているからだ。
「おい伊勢崎、置いてくなよ!」
敢えて気にはしていなかったのだが、伊賀のやつもついてきてしまった。
朝飯足りたか?
「全然足りなかったわ、飯」
こいつ、心を読んできたみたいに……
「でもオメーが起きて学校行くんなら、一緒に行きたいからな!」
「い、伊賀ァ……!!」
「明治も一緒だ、三人で学校に行くぞ!」
「うん! 私も伊賀くんもついてるからね!」
「そうだな!!」
――滑調、覚えておくといい。
俺は絶対お前なんかに屈したりはしない。
今日の内に雌雄を決してやりたいところだ。
そして、貴様との因縁も確認しておきたいところだ。
1年3組10番・島崎健吾。
いつもイジメのパシリとして、いつだってイジメの端っこには貴様がいた。
そろそろこいつとも決着の頃合いをつけても良い頃だ。
イジメとなれば常にこいつが関わる、ある意味ではこいつはイジメには不可欠とも言うことだ。
そいつをいよいよ突き崩してやるとしよう。
そして聞き出してやる……あの島崎とかいう態度のなってねぇ警察官との関連を!
今日の校門はやけに大きく見えた。
さて、復讐の時間だ、滑調、島崎健吾。
貴様らへの復讐を済ませねば俺の気ってものが収まらない。
「少し良いですか、伊勢崎くん」
「境太郎先生……?」
校門で、先生に声をかけられてしまった。
何か話があるのだろうか。
「良いですか? 伊賀くん、明治さん」
「は、はい」
「失礼、少し伊勢崎くんと話があるもので」
先生は俺だけを職員室まで案内した。
一体どうしたのだろうか。
――いや、一つだけ心当たりがある。
昨日のピクニックのことだ。
尾行がバレてしまったのだろうか、或いは昨日発狂してバスから逃げ出してしまったことだろうか。
どちらにせよ、覚悟して話を聞かなければならなさそうだ。
「昨日の夜、繁華街にいたんですね」
「え? は、はい。そこで滑の奴と会って、それで俺イジメられたんです!!」
警察が連絡したというのは本当だったのか……
ピクニックについてのことではなさそうで良かった。
「昨日、警察から連絡がありましてね。あなたの行いは非常に悪質だったそうで……」
「そんな! そんな事は決してないですよ! だって俺はイジめられて、それで滑の奴が俺をフルボッコにしやがって!! 見てくださいこの傷! これだって滑の野郎がおれにつけた傷で――」
「伊勢崎くん、私はあなたのことを信じています」
境太郎先生は、眼鏡の内を曇らせていた。
「ですが、非常に残念なのですが……」
次に先生が口を開いた瞬間、
「――学校側としては、伊勢崎くんを退学処分させる、という形を取らなくてはいけなくなりました」
「……え?」
俺の頭は、真っ白になった。




