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31話.逸る心魂は、遺蹟へ野掛けに。

 ――とうとうこの日がやってきた。

 弁当! 水筒! リュックサック!

 ピクニックセット確認。ポケットティッシュ、ハンケチも良し!

 今日は流石に伊賀の野郎も来ないな、やっぱりあいつの母親もこういう日はめでたいんだろうな。

 天気は快晴、最高の遠足日和ってやつだな。


 ピンポーン。


 答え合わせもばっちり満点ってわけだ、早速来てくれたみたいだな――

 玄関へと向かう逸る気持ち、さあ飛び出せっ、未知なる世界へ!!


「おはようっ、伊勢崎くん!」

「ああ、いい天気だなぁ!」

「最高だよねっ、お茶もばっちり凍らせてきた!」

「行くかっ!」

「うん!」


 腕を組み合わせ、コッと拳を合わす。

 扇奏寺さんの挨拶の仕方ってやつだ、気に入っちまった。


 そしてがっしりと手を握り合う。


「よーしっ、突っ走るぞぉー!」

「おやおや明治さん、まだまだ昨日の気分が抜けきってないみたいだね?」

「当然だよっ、私のエンジンは今! MAX300%なんだから!」


 ――これは、引きずられないように頑張らなきゃいけないみたいだな。

 やれやれ、本当についていけるだろうか?

 いや、大丈夫だ。例え君がどこまでも俺の前を突き進んだって、絶対に追いついてやる!


 二人同時に駆け出す通学路、まばらな黒い制服姿も今日はすっからかん。

 なぜなら日曜日、絶好調の遠足日和だからな!

 犬の散歩してるおばちゃんを余裕で追い越し、先行く心にスピードを追いつかせろ!

 それにしても明治さん速いなっ、負けるつもりはないけどな!


「おっと伊勢崎くん、それが限界かなぁ?」

「まだまだぁ!」


 明治さんが繋いだ情けの命綱なんか必要ない、絶対に自力で追いつき――


「オワッ!」


 くそっ、足がもつれちまったッ! すっ転ぶところは絶対に見せられない!

 絶対に折れは諦めん、絶対にーッ!!


「げふっ、ぶげっ、ぶっ!」


 ……うう?


「アッハハハハハッ! そんなムキになる必要ないと思うのにー!」


 ああ、やっちまったのか、俺。

 まだゴールさえ見えないこんな道端で。


「い、伊勢崎くんっ!?」


 まだ、諦めるわけにはいかない……明治さんに、格好良いとこを見せないと。

 頼りないなんて、そんな事は絶対に思われたくないんだ……。

 無意味に伸ばした手は、虚空すら掴まない。宙を撫で地に伏し、いよいよ力尽きる。

 ここで、終わっちまうのか。


「伊勢崎くんっ! しっかりして! 転んだだけだよね!? おーい、おーい!?」


 明治さん、手を貸してくれるのか。

 ありがとう、受け取るよ。


「良かった、フフ、大丈夫?」


 半笑いで語りかける明治さん。

 心配してくれるその顔がどれだけ眩しい事か。


「ありがとう、何のこれしき全然大丈夫だよ」


 さあ明治さん、もうひとっ走りするとしようか。


「ううん、ダメダメ。もーゆっくり行こ?」


 あんなに乗り気だったのに引き止められてしまった。


「あー、えっと、だめ?」

「うん、ゆっくり行ったほうが良いよ。そんなに急いだってバスは出発時刻過ぎるまで行かないから」


 俺が転んでしまったから気遣ってくれているんだ。

 なんだかたまらなく不甲斐ない。不甲斐ないが温かい。


「――それもそうだな」


 熱くなりすぎたってオーバーヒートしちまうだけだ、しっかりと心のエンジンを管理して遠足に臨もうか。


 ゆったりと続く通学路、いつもと同じなのにいつもと違う景色。

 不思議な気分だ。

 というか冷静に考えると俺は今明治さんと手を繋いでるってことになるんだよな。


「あー……」

「ん、どしたの伊勢崎くん?」

「えっ!? あ、声出ちゃってた!? ごめんっ」

「別にいいんだけども」


 なーんでこうちょっと意識しちまったら途端に緊張が止まらなくなってしまうのか、さっきまでは何の気なしに普通に繋いでたじゃないか。

 うわ、温かい。うわうわうわうわ。手汗にじんだらごめんよ明治さん。

 でもこうして繋げる機会ができたっていうのは、ありがたいことなのかもしれないな。

 こうでもしなきゃ俺は絶対明治さんと手なんて繋げなかったかもしれない。

 それにしてもどうして明治さんだけはこんなにも意識してしまうのだろうか。


「ん? なぁにどしたの? なんかついてる?」

「んー別に別に!」

「あはは、変なの」


 別に何ともないってわけでもないんだけどなぁ。

 これから遠足なんだからシャキッとしなきゃ、ここでガス欠だなんて笑えないぜ?


 結局校門までずっと手は繋ぎっぱなしだった。

 人が増え始めると、ほろりと離れてしまう。


「あっ」

「バスってどこ?」

「え、えーと。駐車場だよ明治さん、こっちに行こう?」


 校舎別棟、校門を入って左側。別棟に隠れてはいるが奥まで広がっているのが駐車場だ。

 見つかったぜ、リボンのような青いラインが入った真っ白なバス! 奥の方でひっそりと三台佇んでいる堂々とした巨体!

 こいつを乗り回せばバイク・バウトは無敗なのでは!? いや、そもそもこいつはバイクじゃないからだめか? いや、でも安藤は車でも良かったしやはり無敗なのでは!? あ、でもあれは厳密にはバイクじゃ――


「伊勢崎くんっ、早くバスに行きましょ?」

「あぁっ、そだね! んだんだ!」


 まだまだ昨日の気分が抜けきっていないなぁ。


 一番右のバス、乗車口の前に立っている先生はやはり目立つ。

 とても大きく細長い先生、こちらに気付くと眼鏡の奥の瞳が笑った。


「おや、伊勢崎くんに明治さん。おはようございます」

「おはようございます、先生!」


 二人で決める挨拶に、先生の好感度も上昇って寸法だ。


「さあ、こちらへ」


 先生がそう言うなら――お邪魔させていただくぜ。

 やけに高い階段を上がり、ホームルームでついでに決めていたバスの座席へ。

 結構後ろの方だ、一面シートの最後部から二つ前、その左の席。

 残念だが女子群と男子群という謎の仕切りが入っていたため若干明治さんと離れてしまう。

 ま、若干離れるというだけで結構近いので申し分はないのだが。

 俺の隣はまさかの伊賀だ。こいつとは何だかいろいろと縁があるな、とつくづく思うよ。


「おっす伊勢崎! いい朝だな!」

「おう」


 お前が言うとすごく違和感あるなそれ、こいつもウッキウキってわけだな。

 ピクニック、罪な野郎だぜ。ぶっきらぼうなこいつまでこんな笑顔にさせちまうんだからな。

 まっ、俺が窓側だ。残念だろうが仕方ないこと、素晴らしい景色は俺が占有させてもらおう。


「あれ、お前リュックどうした?」

「上に荷物入れがあるよ」

「あっ、そうなん? おー、マジだ! すげぇこんな場所があるんだな!」


 おいおい伊賀、そんな事も知らなかったのかい?

 全く、まさかお前ピクニックは初めてっていうクチか?


「いやー俺ピクニック初めてだからさぁ、全然知らなかったわー」


 マジか、本当に初めてだったのか。


「なぁ伊賀、席交換しね?」

「え、いいけど別に。急にどうした?」

「ほら見ろよ、いい景色見えるぜ」

「あー、お前優しいんだな! ありがとよ!」


 こちらこそ、と言いたいところだ。

 俺は気付いてしまったのだ、こっちの方が明治さんとの距離が近いってことをなぁ!

 あーここから明治さんの姿は見えるかなぁ、あぁ後ろ髪が見える……ってやってること完全に変な人間じゃねぇか。

 そういえば明治さんの隣は確か、出席番号40番・藁邊(わらべ)沙麻(しゃま)って奴だったな。

 最近俺へのイジメをやめてくれた人間だ、もしかしたら罪悪感を感じているのかもな。

 あるいは、最近俺がイジメっ子共をバシバシと痛めつけているからそれが怖くなってイジメをやめたのか、どちらにせよ好ましい事ではある。

 それにしてもだ、4番の俺の隣が3番の伊賀で、38番の明治さんの隣に40番の藁邊(わらべ)がいるっていうのは……何だ、出席番号近い奴同士が隣にさせられるっていう法則でもあるのか? 偶然か?

 あ、旅のしおりに書いてあったなバスの座席は、どれどれ……偶然だったわ。

 何気狐鶴綺さんも結構近い所にいるというか、二つ前か。こう見直すと割と良い席だなここは、仲間が沢山周りにいる。


 程なくしてバスの扉が閉まる。腰をかがめる境太郎先生、器用な姿勢は一切バスの天井に頭をぶつけない。

 難しいと思うのだが、あれ程ピンポイントに腰をかがめられるというのはやはり高身長の境太郎先生の経験が活きるからこそなのだろうか。

 最前列の右、教師用の席に境太郎先生が着いた瞬間バスはゆるやかに発進を始めた。

 周りからはピクニックへの期待からか、ざわざわと楽しそうな雑談が聞こえてくる。


「おおー……! すげぇ、学校が離れてく!!」


 伊賀の奴は……昨日たくさんバイク乗り回したはずだろう。初めて車に乗った子供みたいな反応しやがって、どんだけ窓の外に食いついてやがんだ。

 まったく、これからどんどん景色が変わっていくんだぜ? 覚悟しろよ?


「えーっと。あっ、あー。あーあー!」


 マイクの音が突然バス中に響き渡った、何かと思えば前の方の席から一人の女生徒が立ち上がる。

 そいつの手にはマイクが……一体何が始まるってんだ?

 なーんて、分からない風を装っちまったが俺は分かっているんだぜ、これから始まる事の正体。ピクニックはこれが楽しいまであるからな。


「えと、それじゃあバスレク始めます!」


 バスレク――それはピクニックの目的地にバスが到着するまでの間、生徒達が繰り広げる最高のエンターテイメントだ。

 毎度の事伊賀は知らないみたいで、これから何が起こるのか背を真っ直ぐにして期待しているみたいだが。


「オラ伊勢崎、後ろ回せ!」


 おっと早速前からやってきたぜ。手始めにまずはビンゴといったところか。


「ほら伊賀、これ」

「え、何これ」

「これからやるんだよ」

「ビンゴ?」

「おう」

「マジか!」


 なんでそんな純粋に目を輝かせるんだよお前は、ちょっと困っちゃうじゃないか。

 天井から降りてきたモニターにも大興奮だし。

 ……こいつ、こんなに、こんなだったのか?


「すげー……!」


 ちと、あざとすぎやしないか?


 まっ、ビンゴくらいは俺の強運がパパパっとラインを引き寄せてしまうんでな、一等は残念ながら既に俺の手の中にあると言っても過言じゃないというわけだ。

 真っ先に手を上げる準備はできている。


「えーっと、一番最初の人には……」


 レクの司会――御伽絵空(おとぎのえぞら)は何やら自分の席に戻ってごそごそとやり始めた。

 真ん中に戻ってくると、でっかいポリ袋がお目見えした。


「この中のお菓子五個! あげちゃいます!」


 やーれやれ、全くチンケな賞品だ。

 一位っていうんだからウォズニーのチケットだとか、額の大きい図書カードみたいな金券くらい欲しいものだ。


「おおおっ、おっしゃ俺絶対負けねぇわ!」


 やれやれ伊賀の奴と来たら。

 とはいえ中々どうして……


「伊賀、悪いがお前には勝たせないよ」


 ――欲しくなっちまうんもんだな、お菓子五個。




 いよいよ景色が日常を離れ出した。川を挟んだ向こうに緑が広がっている。


 ……パチパチパチパチッ!


「うおぉっ、すげっ、これめっちゃパチパチする!」


 伊賀はビンゴの景品にご満悦なご様子、結局俺はラインを揃えられずアウト。

 ラインが揃えられればお菓子自体はもらえるのに、俺はだめだった。

 伊賀が俺の驕りを茶化さずお菓子に夢中になっている事が幸いだ。あんなに調子こいて結局伊賀が一位、俺はスカ。普通だったら最高の笑い種だ、助かった。

 明治さんはなんと三位だった、お菓子二つ。おめでとう。


 モニターには現在何やら映画が映されているようだが、伊賀の動物みたいなリアクションが楽しくて景色ついでにこっちをメインに楽しんでしまっている。


「あと二十分程で着きますので、準備は済ませておいてください」


 若干大きめの声で境太郎先生から。

 片付けておこう、俺も少し持ってきたお菓子をシェアしてゴミが出ている……思い返せば若干強奪に近い形だったな。


 広大な草原に型取られた簡易的な土作りの駐車場……そこにまず一組のバスが停まり、二組のバスが停まる。そして俺達三組のバスが、動きを止めた。

 どうやら向こうが先に降りてから俺達は降りるらしい。少し待ってるこの時間は、そわそわして仕方ないものだ。

 いよいよ三組の降りる番、前からどんどん降りていって、俺もその流れに乗る。


 ――ピクニックの目的地、ドルヮ・イザーバァー遺跡村。

 広い草原の中に点在する古代石の遺跡を売りにしている隠れた観光地、というのがインターネットの評価。

 売り場に並ぶ独特な品々は遺跡群に合わせオカルティックなテイストとなっている様子、好きな人にはたまらないらしい。

 ピクニックなのだしもっとポピュラーで皆が楽しめるような場所を選ぶと思っていたのがこんなニッチな場所だというのだから、俺はとても楽しみだった。


 しかし、どこか寒い。

 特別風が吹いているわけでもない、波立つ草が無いほど穏やかだ。

 それでも全身にべっとりと張り付くような空気の冷たさは一体何なんだろうか。


「……それでは皆さん、遺跡村の受付へと向かいましょうか」


 各々自由に先生についていく。

 明治さんと安藤と狐鶴綺さんがすぐに集まってきて、俺達は既にグループ行動を始めている。


「なんかワクワクするね」

「雰囲気出てるよね」

「ちょっぴり怖いですわね……」


 受付はこれまた中々仰々しいゲートだ。

 遺跡の雰囲気を真似ているのだろう、古代に遊園地があったらこんな入場門なのではなかろうか。

 砂岩を象った葦の這うゲート。境太郎先生が受付にチケットを見せ、ぞろぞろと皆がゲートを抜けていく。

 そして俺達も、足を踏み入れる――遺跡村へと、一歩を踏みしめた。


『ようこそ、ドルヮ・イザーバー遺跡村へ』


 吊り下がった看板を抜け、草原の中に広がる遺跡の村を目の当たりにする。

 これから始まるピクニックに期待が膨らむその瞬間、不快なざわめきもまたその隅にこびりついた。

 この時確かに思ってしまった、入ってしまったと。これから何か嫌な事が起きると知っているかのように、


「あれ、どしたの伊勢崎くん」

「え、あ、ごめん何でもない」

「さっさとするのだ愚民、貴様が迷子になれば我々も困るのである」


 ――迷妄を湛えた一歩が、踏み出された。

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