25話.地獄の自習時間、疑念の裏事情。
それにしても突然の雷雨だ、制服を取りにお家に戻った時点で既にびしょびしょのずぶ濡れだ。
傘を持ってきたとはいえ、それでも全く雨をふせぐことができない。
水たまりの中に足を突っ込みながら進んでいるような気分だ、不快感が凄まじい。
びしょ濡れのまま学校に到着すると、勢い良くクラスの野郎どもに笑われた。
どうやら丁度休み時間らしく境太郎先生はおそらく職員室、だからこのイジメしか能の無いガキンチョ共は俺を勢い良く笑い者にしていく算段なのだ。
全く、心底くだらない。
こんな事をしている暇があったら、来たる中間に向けて勉強をするべきじゃないのか。
俺はキチンと勉強をしているぞ、まだ二週間前というわけでもないが。
日頃の勉強が凄まじい勉強力を作るんだよ、そうやってイジメに明け暮れてると俺に文も武もどこまでも追い越されちまうぜ?
いいのかよこの雑魚共が、俺にトイレの水を追加でぶっかけようと既に濡れまくりなんだから効きやしない。
「うっわー全身びちゃびちゃじゃん! きっも!」
「くっせーー! こいつトイレのにおいがするぞ!」
「うわっ、トイレマンじゃん! きっもーー!」
ギャハギャハ笑い尽くすイジメっ子共、全くお前らの方こそお笑いだ。
そうやって自分たちの都合の良い事ばっかりに目を向けるから、物事の真相というものがわからない。
そう、俺はお前達を見下しているんだ? 分かるか?
お前らと俺とじゃ力の差ってやつが違うんだ。
大体なんだそもそも、トイレの水をかけたらトイレのにおいがするとか至極当然の事だろう。
何故君達はそれほどトイレのにおいに精通しているのか、すぐにトイレのにおいだとわかった時点でそいつは自分のことをトイレマニアだと公言しているも同義だというのに。
いつもイジメとなればトイレトイレトイレ、そんなにトイレが大好きか。なんなら俺が何度もトイレに顔を突っ込ませてやってもいいんだぜ? 一緒に仲良くトイレの水まみれになって汚く笑いあおうじゃねぇか。
全く、厚顔無恥の変態野郎共が、いい気になりやがって。
放課後そのトイレを毎日必死こいて綺麗にしているのは誰だと思ってる、俺だぞ。
お前ら全員トイレは汚いからとか掃除をほっぽりやがって、俺が一人で全ての便器に洗剤かけてゴシゴシやってるというのに。
汚物のカスがちょっとこびりついていたからって笑いものにしやがって、そんなのトイレなんだから当然だろうそれを掃除するのが俺らだっていうのに。
トイレを綺麗にしねぇくせにその癖自分たちはトイレの水を何度もイジメに使っている。それなら少しくらいトイレに敬意を持ってはいかがだろうか?
俺のほうがよっぽどトイレマニアになっちまったじゃねぇか、お前らが掃除をしないから。
汚れを放置されて茶渋みたいに黄ばみきった便器の汚れ、あれ学生ごときの掃除力じゃ本当に取れないから普段からしっかりこまめに掃除してほしいものだ。頼むぞ。
「あれー? 伊勢崎泣いちゃった!?」
「見てみて、伊勢崎くん涙出てる!」
「トイレマン! トイレマン! トイレマン! トイレマン!」
全く、くだらない。
心底くだらない、ゴミ共が。
そうやってお前らが笑っている内に俺は次のステージに向かっているというのに、お前らはイジメ止まり。
いい気になりやがってこっちにはいくらでも復讐の手段ってものがあるんだぜ。
そうやって笑っていられるのも今のうちだ、お前らの顔が恐怖に歪むその時が楽しみだぜ。
昼休み、相変わらずトイレの水まみれのままだ。湿度がとっても高いからなのか全く乾く気配がない。
これはもうトイレの水なんかまとっていたら本当に臭くてかなわんな。
「おい伊勢崎ィ! 今度は勝手にどこいくつもりだコラァ!」
「逃さねぇぞ! おいゴルルァ!」
追い回してくるイジメっ子共、俺は人気者のスターかってんだ。
飽きないものだ、むしろお前らが俺を直向きに追いかけるその精神、なんだか可愛く見えてきちまったじゃねぇか。
玄関に向かう俺を追うクズ共、靴を持って飛び出した俺を追いかける人間は誰一人いなかった。
この土砂降りの中をわざわざ追い回すなんて流石に骨が折れるってか。どうした来いよ、玄関で諦める程度なのかお前ら。
――気持ちいい雨だ。両手いっぱい広げて俺は恵みの雨を全身で受け止める。
トイレから持ち込んできた汚い水なんかよりよっぽど綺麗だ、おまけにイジメっ子共の足を止めてくれる。この雨はどこまでも俺の事を救済してくれる、正しくリデンプションってやつだ。
昼休みを土砂降りの中で過ごし、そして俺は見事教室に舞い戻ってやった。
――しかし、五時間目は始まらなかった。
「え……?」
何故だ、境太郎先生が来ない!!
「ねぇねぇ皆、先生いなかったよ! 五時間目、自習ーーーー!!!」
職員室まで見に行った女生徒が舞い上がりつつ、黒板にデッカデカと『自習!!』の文字を書き抜けていく。
ウオオオオオオオオオオオオオオ!
途端に騒ぎ出す教室のゴミ共。自習が嬉しいんじゃねぇんだろ、遊べるから嬉しいんだろ、アホめ。
スマホを取り出す野郎がいたり、はたまた携帯ゲーム機なんか取り出すやつだっている。
挙げ句の果てにはなんてこった、ギターを取り出しその場で演奏を始める奴だって出始めた。
――そしてそのギターで、俺をぶん殴ってきやがる!
「いって!」
一発でぶっ壊れたギター。
ダルンダルンになったギターだが、何か細い線で壊れた部分と持ち手がつながってる。
「オラッ、伊勢崎くらえ! 死ねやっ!」
ガンガンと壊れたギターを何度も俺の頭にぶつけまくるクソ野郎……俺はこいつの名前を知っているぞ。
出席番号18番、卍隼人卍。
金髪ロン毛のちょっとチャラチャラしてるありふれた不良って感じだったがな。
いつもだってイジメはありきたり、トイレの水を飲ませに来たりトイレの水をかけにきたりする。
それが突然何だこの野郎、ギター何ていっちょ前にこしらえやがって。俺へのイジメのために持ってきたわけか。
その様にクラス中から称賛が舞う。
「やったれ卍ー!」
「すげー! 卍のやつ、ギター使えたんだな!」
こいつも調子に乗り始めたのか、アンプという鉄の塊を持ち上げガッツンと俺の顔目掛けてぶん投げてくる。
真正面から食らっちまったせいか、顔がボロボロだ。
「クッソー……いたいぃぃぃ……」
中々かたい、アンプは全然壊れそうにない。
それをいいことに卍の野郎、アンプを鷲掴みにしてガンガンと俺の顔にぶっつけてくる。
「伊勢崎ゴラッ、死ね! 死んじまえゴラッ! オアァッ!」
こいつマジで俺を殺しに来ている。
卍の野郎今日は何やら様子がおかしいな、いつもは笑ってヘラヘラしながらイジメに加担しているってのに今日は目がマジだ。
結局アンプがボロボロのグッチャグチャになるまで俺の顔はボッコンボッコンにぶちのめされ、俺の顔もグッチャグチャのボロボロになってしまった。腫れあがったせいか前が殆ど見えない。
「伊勢崎このッ!」
それが終わるとギターの弦をひん掴み、ブチブチとギターから分離させ、俺の首を勢い良く締め上げる――
「グゥゥゥ……!」
流石にきくな、こいつは。非常に苦しい。
意識が朦朧としてきた。
しかし流石にそれはやりすぎではないかという声が上がり、徐々にイジメっ子の野郎共は卍を制止する方向に話を持っていくようになった。
しかしそれに応じぬ卍の野郎、これでもかと言わんばかりに俺の首を締めてくる。
――すんでのところで、ようやく解放された。
そろそろ意識不明状態になるところだった。視界がぼんやり白くなっていたし、得も言われぬ気持ちよさが襲いかかってきていた。
何とか引き離してくれたみたいだな、今日ばかりは止めてくれたあのイジメっ子共に感謝せざるを得ない。
「クソがっ!」
引き剥がされた卍は最後に一蹴り俺の腹に入れて教室から出ていく。
あいつの蹴りで目も十分に覚めた。
「伊勢崎てめぇの顔がムカつくのが悪いんだよ、なぁ?」
「あ、おう! そうだてめぇが悪いんだぞコラ伊勢崎ィ!」
適当な理由つけて集団リンチ開始。お前、納得してなさそうじゃねぇか。
とにかく俺を悪者に仕立て上げてイジメる口実を作り上げたいんだな。
――殴る蹴るの暴行が幾度となく俺を襲い始める、やれやれ死ななきゃ何をしてもいいって事か。
都合の良いオモチャが見つかって良かったなクソどもめ、次は俺がお前達をオモチャにする番だ。
五時間目、地獄のような自習時間が終わる。
休み時間も際限なくとことんいじめ抜かれる俺。
もう体中痣まみれだ。アドルフの野郎と殺り合った時の傷だって残っているっていうのに勘弁して欲しいもんだ。
「アアー! ヤメテー!」
「やめるわけねぇだろハゲ伊勢崎ゴラァ!」
やめるよう言ったってまったく聞きやしない。むしろ俺をイジメる手がより一層激しくなった。
やれやれ、そんなに境太郎先生のいない時間が嬉しいのかお前達――
「何やら、騒がしいようですが……」
教室の扉がゆっくりと開く。
眼鏡をかけたのっぽの先生が、頭を大きく下げながら教室に顔を出した。
「何をしているのですか?」
――そうやって調子に乗っているから天罰が降ってくるんだぜ、お前ら。
ウッキウキだったイジメっ子共の顔面が一瞬にして蒼白する。分かりやすい連中だ、今日は見張り係もつけない程に舞い上がっていたんだしな。
単細胞なヤツラはこれだから面白い。
六時間目の最初、境太郎先生のお説教から授業が始まった。
皆姿勢をピッと正して聞いている。
ざまぁみろ。気分がいいもんだね、こうやってイジメっ子共がガクガクブルブルしながら先生の話を聞いている様を見ると。どいつもこいつも怯えて先生の方を向いている、目を逸らしたら殺されるとでも思っているんだろうかな。
俺はそいつらを優雅に眺めながら買ってきたオレンジジュースをゴクゴク飲むわけです、誰も文句なんか言えるはずはない。だって俺はここまでひどいイジメを一時間に渡ってやられたんだ。
文句をつけるほうがそれこそイジメってやつだ、全く。
あー、美味い。イジメられた後の60円オレンジジュースは格別だぜ。
晴れ晴れとした気分で迎える部活の時間、いつものように先に明治さんが待ってくれている。
俺はちょっと遅れて、いじめっ子を振りまいてから悠々と長い廊下を歩いて部室に入るのさ。
「――ノヴァ先輩!?」
スーパーノヴァ先輩が部室の真ん中でうずくまりながらぶっ倒れている。
「うぅぅ……」
寄り添う部員の皆々、明治さんも一緒だった。
「何があったんですか?」
「眼鏡の男だ」
紗濤先輩、闇の中から声を発する。
「花園ちゃんが襲われたのと同じ人だった……眼鏡をかけてて、すごく背が高くて……」
――眼鏡をかけてて、すごく背が高い?
明治さんもどうやら何か気にかかったようだ。
「襲われたのって、いつ頃なんですか?」
「昼休み、終わった頃……ジュース買おうとしたら、いきなり襲われて。何とか粘ったんだけどやられちゃったよ、テヘヘ」
茶目っ気出してる場合じゃないぞ。
昼休み終わりって、五時間目の時間って事だろ!?
「め、明治さん」
「…………」
声をかけたが、返ってくる言葉はない。言うのをためらっている様子だった。
眼鏡をかけててすごく背が高い学外の人間が不審者として学校に侵入している可能性だってある。
そもそも何より、あの先生がそんな悪さをする人間だとは思えない。
「心当たりがあるのか、伊勢崎拓也」
部長から漏れる言葉に身体はビクつくよう反応した。
「えっと、まぁ、あると言えばありますけど……」
「言ってみろ」
……言って、いいのかな。
言ったら認めてしまうような気がする、部員を襲った不審者が、先生だって。
俺には分からない。分からないから、いっそ楽になりたかった。
「城島、境太郎先生。俺達の担任です」
「お前のクラスの担任か、なら間違いないな」
「え?」
「気にするな伊勢崎拓也、こっちの話だ。お前はいつも通りの生活を続けろ」
先輩方の妙な得心は強く心に引っ掛かった。
皆が俺の知らない何かを知っているようで、それを隠している。
前々からちょっぴりそんな気はしていたけど、今日ははっきりとその違和感を感じ取った。
気になって、仕方がない。
部活帰り、明治さんもそれが気になっているようだった。
いつもは元気に話しかけてくるのに、今日はこっちが話しかけても上の空。
……ちょっとイタズラしてやるか。
「むにゅ、伊勢崎くんなぁに?」
「あー、えっと、何でもない」
頬を突っついてみたものの、大分リアクションが薄い。
真面目に考え事をしているみたいだし、邪魔しないでおこうかな。
それでも帰りの挨拶だけはしっかりと交わしてくれた。
何だか心の内がもやもやする。境太郎先生の事もあるのだが……。
翌日、だるい身体と共に目を覚ます。
気分が悪い、なんてこった。身体が酷く熱い。
体温計……こっちは時間がかかるやつだから、こっちの時間のかからないやつを使おう。
さて、いくつだろう。
37.6°
――マジかぁ、やっちまったなぁ。




