19話.プロローグは絶望か、はたまた希望となり得るか。
少々ストーカーじみた事。
明治さんが帰ってくるまで、明治さんの家の前で待つ。
俺はそいつをちょうど今実行しているところだ。
俺の予想なら明治さんは一旦家に帰ってくるはず、なんたって突然季節外れのハロウィンを始めたんだぞ。
事前の準備をするためには一時帰宅が必須。その隙を突き、退院を知らせるというわけだ。
「……何やってるんですか」
「あ、明治さんのお姉さん。見てください、もう退院したんですよ!」
「随分とお早いですね」
俺が気になったのだろう、玄関扉からお姉さんがのそのそやってきた。
それにしてもドライな反応だ。
門扉をはさみ、なぜか俺達は二人で明治さんの帰りを待つことになっていた。
あるいは俺が不審者的な行動を取るのではないかと疑われているのだろう。
……それとも、暇なのかな。
「急遽入院したというお話は聞いていたんですがね、まさかこんな早く病院を出るだなんて」
「俺もびっくりですよ、なんで病院入ったのかなって思うくらいにピンピンしてましたから」
「長い時間意識を失っていたそうじゃないですか、なるべく身体には気を付けてください」
「え? あっ、そうですね。気を付けておきます」
まさかそんなあっさりと労りの言葉を投げかけてくるとは思わなくて驚いた。
お姉さんがドライなのはあんまり俺を気に入っていないだけなのではと思っていたのだが、案外素の表情であったりするものなのだろうか。
「どうですか、こけしとの仲は」
「それはもう良好も良好ですよ、めっちゃ仲良しですから!」
「そうですか……それ程こけしとの友情を感じているのですか?」
「当然じゃないですか、明治さんがいなければ俺は今頃どうなっていたか分かりませんし」
何度も思うことだけれど、やっぱり明治さんがいなければ伊賀への復讐すら完遂できなかったのではなかろうか。
そういえばあいつ結局あのまま病院に放ったらかしだが。出ていく時も何も言わなかったし、いつ頃帰ってくるのかな。
「そんなにはっきりと信じてくれる友達を持ったんですね」
お姉さんの表情が目に見えて分かる程にやわらいだ。
「こけし、あまり友達というのができない……体質とでもいうのでしょうかね」
「た、体質ですか」
「話しかけても無視される、なんて当たり前でしたから」
明治さんのような人懐っこさがあれば友達の百人や千人は余裕だと思うが。
それに、あんまり気持ちの良い話ではないが最近は明治さんも注目されていた。あのリーゼントの林にだって声かけてもらってたぞ。
お姉さんは話を続ける。
「それほど影が薄いとでも言うのでしょうか。誰にも気にかけられないのが当たり前の日々を送っていました」
「そうですかね、俺には中々目立ちますけどね」
「それが不思議なんです。あの子が当たり前のようにお友達の話を始めた時は思わず耳を疑いました」
お姉さんの声は、いつの間にか震えていた。
「『お姉ちゃん、私伊勢崎君に誘われて部活入っちゃった!』って。あの時のこけしの笑顔、今だって細かいとこまで思い出せますよ」
「そ、そんなにですか」
お姉さんの感極まったような声に思わず動揺してしまう。
大げさな反応だと思うのだが、そんな感じはこれっぽっちもうかがえない。
俺には誇張しているように思えなかった、それが不思議だった。
「無理矢理にでもこけしに友達を作ってやろうと難儀した昔を思い出しまして。私が必死に話を持ちかけたものの、その関係は一瞬で終わったんです」
「一瞬ですか」
「はい、確かに彼女たちはこけしと仲良しの握手を交わしたのですが。手を離した後は、まるで何も無かったかのようにこけしから離れていくんです」
「…………」
やっぱり信じられないなぁ、そんな話。
「こけしは笑っていました、友達ができたって。離れて二人で遊び始める彼女たちを見ながらですよ。折角友達になったんだし三人で遊びなさいって無理やり私の方から輪に入れたのですがね、どうしても彼女たちがこけしを除け者にしているように見えて」
お姉さんの口から矢継ぎ早に言葉が漏れ出していく。
「それでもこけしはそれが当たり前みたいに――いえ、むしろこれが本来の友情の形であるかのように、幸せそうに遊んでいました。卒園してからそれっきり、こけしには友達ができないままでした。時には先生からも存在を忘れるほどで」
「小学校、に入る前の話だったんですか、そのお友達の話って」
「ええ、もう10年程も前からです。こけしは不満を漏らす様子もなく、淡々と学校の行事を報告するくらいでした。寂しそうな感じも一切なくて」
……もしかしたら。
「――お姉さんがいたからじゃないですか」
「え?」
「きっと明治さんは、お姉さんがいたから寂しくなかったんじゃないんですか。話を聞いているとそんな風に感じます」
「……フフッ、面白いことを言いますね」
お姉さんの目からは涙が溢れていた。
まさか泣かれるとは思わなくて。俺はどう返していいか分からず、黙ることしかできなかった。
「こけし、最近本当に楽しそうなんです。去年までのこけしが嘘みたいに毎日活気にあふれていて――」
ハッと気付いたお姉さんは顔を隠すようにぐしぐしと袖で顔を拭い始める。
「すみません、話していたらつい。この前の日曜はなんとも思わなかったのに、本当なぜかしらねっ」
息を整え、再び顔を上げた。
「まぁ、そのお友達が男だと知って少々警戒しましたがね」
一瞬、いやみったらしくにやけるドライなお姉さんの顔に戻った。
ただその顔はすぐに和らいで、温かいものに。
「どうか、ずっとこけしのお友達でいてあげてくださいね」
「……当然じゃないですか」
少なくとも高校生の間はずっと友達でいるだろう。
仮に大学が別々になったとしても、こんなに家が近いんだ。きっと仲はそれほど変わらないはず。
「――あっ! 伊勢崎くん!?」
道路の向こう、坂の下。目をぱちくりさせてこっちを見上げる女の子がいた。
「えっ、もう動いて大丈夫なの!?」
坂を急いで駆け上がる女の子は、慌てすぎて足をひっかけて転んでしまった。
「いだっとっとっと!」
それでも気にせずすぐ立ち上がり、真っ先にこっちに向かって飛んでくる。
「アハハッ、急ぎすぎだって」
「そりゃ急ぐよ――あっ、お姉ちゃん! ただいまっ!」
「ええ、お帰りなさい」
図々しく家の前で立ち尽くす時間を送るだろうと思っていたのだが、思いがけず、明治さんの過去の話を聞くことができた。
こんなに元気な女の子がずっと一人ぼっちの過去を送っていたとはにわかにも信じがたい。
本人からの返答は貰えなかったけど、やっぱり俺はお姉さんがいたからこそ明治さんはこうして今笑うことが出来ているんだと思う。
「もー、部室で倒れたの本当にびっくりしたんだから! もう心配させすぎないでね」
「いやぁ、それは本当にごめん」
……笑ってはないなぁ――いや、笑った。
そういえば、お父さんは『コケシ』っていうメッセージを残したんだ。
明治さんの名前がこけし、これは何か関係があったりするのかな――なんて、面白い偶然だ。
もしもお父さんが俺と明治さんを巡り合わせたのなら、なんていうSFチックな妄想をしてしまう。
今どこで何をしているんだろう。ずっと死んだと思っていたんだよ、お父さん。
今すぐ会えるのならすぐに話がしたいよ。
ちょっとトラブル続きだけどハッピーな高校生活を送っています、って。
……あれ、確かでっかいドラゴンフルーツを釣り上げたんじゃなかったっけ。
あっれぇ。ないぞぉ。
おかしいなぁ、どこいった。確か亀の上に置いといたんだけどなぁ。
え?
色々おかしい――あ夢か。
今何時だ。まだ、五時にもなってないな。
二度寝するか、おやすみ。
「いってきます!!!!」
「……いって、らっしゃい」
――やっべやっべやっべ遅刻する!!
まさかこんな時間まで寝るとは思わなかった、何でこんな時間まで!
母さんが起こしてきた記憶はあるんだけど、あと10分をおねだりしたんだっけ!?
あぁー絶対遅刻はしたくない、何が何でも間に合わせてやる!
皆勤賞……一日も休まず登校を続けてきたんだ、ここでその記録を絶やすわけにはいかないだろ!?
一度、一度やってしまったらこういうものはクセがついてしまうんだ。
一回遅刻をしてしまったら、ズルズルズルズルと。
一回やってしまったからもう一回してもいいだろ、と。無意識に思い込んでしまうわけだ。
そしたら今度は欠席だ。サボり癖がついて欠席を繰り返し、挙げ句の果てには登校拒否に……。
一度登校を遅らせる、一度登校をやめるということはそんなリスクを背負うということなんだ。
下手をすれば俺は永遠に登校を止めるなんて事態に……大げさだが、そんな可能性だって。
絶対毎日登校してやる――土曜だろうと、日曜だろうと。
……それは流石に冗談だが。
頭より足を動かせ、絶対に遅刻は許さないぞ!
俺のプライドが許さない!
着いた、学校!
教室の扉をっ、開けろォ!!
ガララララッ!!
「おう伊勢崎ィ!!! 遅かったじゃねぇかコノヤロー!!」
「てめぇ随分ギリギリじゃねぇかよ! 学校こねーかと思ったじゃねーかよコラァ!!」
「伊勢崎のくせに生意気だな!! 気合い入れが足りねぇみてぇだよなぁ、おお!?」
よかった、間に合った。
もうイジメとか気にしてられない。
――あれ、明治さんまだ来てないんだ。
それなら良かった。
ぜんぜん間に合ってたじゃないか、本当に良かった。
明治さんが来てないということ、それ即ち遅刻ギリギリの時間では無いということ。
遅いには遅いが絶対ホームルームには間に合わせてくる。
前まではギリギリすぎる登校タイミングが怖くて怖くて仕方なかったが、最近は遅刻間際に堂々と教室の扉を開けてくる明治さんに安心感・安定感が芽生えてきた。
ホームルーム開始を告げるチャイム――そいつが鳴る数秒前、必ずスピーカーから風のようなざらつき音が聞こえてくる。
明治さんは、いつもその風とともにやってくる。
そう、今日も来た。明治さんが扉を開け、それを閉めるのと共に開始のチャイムが鳴る。
とはいえうちの高校の治安だ、この時点で真面目に座ってるのなんて明治さんくらいだ。
あとはー、狐鶴綺さんも。
少し遅れて境太郎先生が入ってくるのだ。
「皆さん、席につきなさい」
一回の忠告で皆席に着く。
境太郎先生に歯向かう事を考える者は、いないと思う。
先生の眼鏡が光を放つ限り、誰も先生に歯向かう事はできない。
細身ながらもそれは決して木偶の坊なんかじゃない、確かに厳格な雰囲気を醸し出し、教室を一瞬にして静粛の色に染め上げるのだから。
――それでも先生が教室を出る昼休み、抑圧が一気に解放されるように俺へのイジメが始まる。
丁寧に扉の前に見張り係をつけてな。今日は島崎か、こいつもまたご苦労なこったよ。
「エヘヘヘ……それでは、伊勢崎拓也くん虐待ショーを開始します」
今日は公開ショーと来たか。
机を端にどけ、俺は教室の真ん中に立たされる。
「今日は皆様、虐待ショーにお集まりいただき誠にありがとうございます」
――出席番号22番、御伽絵空。
前髪を異様に伸ばしている女生徒だ。たまに俺を気晴らしにイジメるようなやつだったが、こいつが主犯格になって公開ショーを始めるとはな。
隠れた両目はどこを向いているか分からない。しかし隣に立つ御伽は確実にこちらを見ている気がした。
「それでは、これから彼の衣服を全て脱がし全裸にする事と致しましょう」
……え?
何言ってるんだこいつ。
クラス中の人間が純粋な好奇心だけでこちらを見ている。
いや、こういうタイプのイジメは初めてだ。羞恥を晒すというのは謎すぎる。
男に脱がされるなら冗談で済むかもしれないが、いやいや女だぞ?
ちょっと、狐鶴綺さん助けてください。
端っこで見てないで、止めに来て!!
目が合った! 頼む、狐鶴綺さん!
いやいや何笑ってるんですか!? 何ですか、狐鶴綺さんも公開ショーには賛成なんですか!?
裏切ったんですか!?
うわ、明治さんまでこっち見てる!
いや見るな!
お願いだから見ないで!!
こうして俺はTシャツ一枚とトランクスになるところまで脱がされた。
抵抗はできない、後ろで釘バットを持った男が待ち構えているからだ。
少しでも抵抗しようものならあの釘バットが飛んでくるというわけ。
「うーん、みすぼらしい身体ですこと。そこらへんにしておいたらどうかしら? そんな男の全裸だなんて汚いだけですわよ」
「……お嬢様がそういうのであれば、この状態でショーを続けましょう」
狐鶴綺の言葉に異を唱える者はいなかった。
――まぁ、それは当然なのだろうか。
全裸を見せろとでも抗議をしようもんなら、俺は私は裸が見たい変態ですと公言しているようなもんだし。
……いやむしろそれが面白いから全部脱がせと訴えかけてくる奴がいるんじゃないのか?
それは狐鶴綺さんの命だから逆らえないという層もいるのかな。
そこで止めてくれるのならいっそショー自体を打ち切りに持っていってほしいのだが。
「それではこれより、えーっと、何をいたしましょうか……」
口角をあげ、笑ってごまかす御伽。
まさか何も考えないでショーを始めたのか?
「針を刺せーー!!」
「トイレの水を飲ませろー!」
「トイレの水をかけろ!!」
「一人ずつこいつの顔をメリケンサックルで殴っていこうぜ!」
観客から様々な提案があがってくる。
「みなさん、落ち着いてください」
御伽が落ち着いた口調で声を出すと、次第に案を投げる声が止み始める。
「皆さんがこの方にどのような仕打ちをしたいのか、分かりました……そこで私、用意させていただきました」
御伽はバケツを教室の外から持ってきた。
その中にはトイレの水がたっぷり入っており、針やメリケンサックが浮かんでいた。
「皆さんのお望みの品がここに全て詰まっております。さぁ、一人ずつ前へ!!」
考えなしに開催したものだと思っていたが、まさか全てが前振りだったとは。
結局俺はその一身に全ての仕打ちを受け止める事になる。
一人ひとり、じっくりと俺に痛みを与えてくる。
御伽はその様をただただ横から眺めるだけだった。
――こ、狐鶴綺さん。助けてよ。
まさか真宮みたいに、狐鶴綺さんも裏切るっていうんですか。
いや、止めてはいるみたいだった。
けれど皆の盛り上がりっぷりが異様なんだ。俺の虐待ショーは勢いを増すばかりで。
昼休み終わり際まで、俺は地獄の時間を過ごす。
明治さんがこちらから目を背け耳を塞ぐ程、エンターテイメント性に満ちた嗜虐的な演劇であった。
いつもは制服の上からだったが、今日は直接肌に色々とやられた。
こんなにも痛むものなんだな。
どれほど俺の制服が痛みを代わりに受けとめていたのか、痛感する。
こんな思いはもう二度とゴメンだ。
二度と公開ショーなんてものはやらせない。
俺を使った舞台を催してイジメを楽しみ始めるのなら、こっちにだって策はある。
――今に見ていろよ、御伽。お返しに、今度は俺がお前に最高のエンターテイメントを送ってやる。