13話.お嬢様、贖罪の時間でございます。
後日早朝、狐鶴綺の顔が恐怖に歪む。
身体が震えているのがはっきりと分かる。それ程に俺の脅しは怖かったのだろうか。
どうやらあの狐鶴綺嬢、どうやらいたぶった弱者から反撃をくらうという経験が無いように見受けられる。
とはいえ、だからなんだという話だ。奴は明治さんをイジメるように指示しやがった。
俺達の関係がバレてしまったのだろうか、仮にそうだったとしてもこの放課後に奴の口を封じればいい話。
楽しみだぜ、狐鶴綺嬢。極限まで震え上がらせてやる。
「狐鶴綺さん、おはよう」
「えへッ、ハッ、おはよう……」
教室に入ってきた真宮さんが真っ先に挨拶をするも、狐鶴綺は動揺を隠せていない。
おまけに俺の手紙をすぐさま机の中に仕舞うほどの臆病っぷりを見せた。
いや、臆病なんかではないか。奴のプライドが邪魔をしているんだ、他人に弱みを見せてはいけないと。
ここまで震え上がっていれば放課後はおしっこジョバジョバ状態で来ることができないかもしれないが、しかし俺の予想は違う。
奴は今、自身のプライドと理想像の間で板挟みになっている。理想を為すには行動が伴えばいい、プライドを権威に変えるため、奴は震える足を抑えつけながらも放課後体育館裏にやってくるだろう。その時既に奴のメンタルは苦悩に喘ぎ続け崩壊寸前、盤外戦では既に何枚も俺が上手の状態だ。
そもそも俺みたいな弱者の脅しにビビっている時点で相当逆らわれる事が怖いのだろうな。まさに張子の虎、その癖して奴は自分が本当に虎であると思いこんでいる。
その証拠に、俺が睨みつけてやればほら――
「ヒッ」
狐鶴綺の野郎、いっそわざとらしい程に勢い良く目を逸らす。
こんなものならばそれほど強い仕打ちは必要ないかもしれないな、一つ厳しく叱りつけてやればもう二度とイジメをしようだなんて思わないはず。
昼休み、狐鶴綺は動かなかった。
それどころか俺をチラチラと見ては身体をブルブルと震わせている。
あれじゃあ自滅だ、どれほどメンタルが弱いんだあの野郎は。
「――はいっ、明治さん」
真宮さんが、明治さんの頭に躊躇なく泥をふりかけた。
明治さんの目に涙が。
……何、やってんのあいつ。
狐鶴綺が明治さんに目を向けると、さっきまでの動揺が嘘だったみたいに目を輝かせる。
「オホホホ! そうよ真宮、ついでにその泥でお顔にパックをしておやり!」
助けたい。
しかし助けたら、明治さんがイジメの対象になる可能性がある。
今はまだ狐鶴綺しか目を向けていないんだ。だから、今はまだ。
今日だ。今日の放課後、絶対に終わらせてやる。
こんな事、二度とは繰り返させない。
――明治さんは言ってたっけ、見守るしかできないって。
俺は目を向けることすらできないよ。強いなぁ、明治さんは。
待っていてくれ、絶対に俺が君を助けてやるから。
体育館裏、風通しを良くするために体育館の扉が開いている事が多いのだが、今日は開いていない。
中からはボールを突く音、ホイッスルの音、強い足踏みや靴の擦れる音が混ざって鳴り渡ってくる。
方や反対側、高めに作られたコンクリートブロックが外部との関わりを絶ち、街路樹によってカモフラージュが施されている。
奴とケリをつける場所としては申し分ない。
しかし俺の予想と反し、やってきたのは赤いユニフォームを来た狐鶴綺と青いユニフォームを来た男三人。
男共はテニスラケットを持ち、それぞれが何個もボールをポケットに仕舞い込んでいる。
「お嬢様、あいつですか!」
「ええ、生意気にも私に歯向かおうとした愚民よ。とっとと片付けておしまい」
奴の表情はもはや余裕そのもの、どこまでも冷徹に俺の事を見下してきている。
カーペットに吹き飛んでしまったクッキーの包装の一片を見下ろすような目だ。
群れればここまで威勢を張れる、群れねば何も出来ず仕舞。奴は最も自分の感情に対して合理的でかつ有効的な手段を用いて来た。
それは奴が己のプライドと相対し、妥協という選択を取った証左でもある。
あのまま一人で来られていたら俺の一方的な勝利だったのだが、流石はお嬢様かぶれ、人を使役するとなれば頭が回るようだ。
男達は俺に向けてボールを打つ。高速で飛んでくるテニスボールをかわす事は造作もないこと、奴らのポケットに仕舞い込んであったストックもすぐに尽きかける。
全て俺の真後ろへと飛んでいる。
なんなら――
「よっと」
キャッチしてやってもいいんだ。
キャッチ・アンド・リリース、取ったものはきちんと元の場所に返してやらないとな――そうらっ!
「ぶべっ!」
男の一人、その顔面を的確に打ち抜く。
鼻血を噴き出しながら倒れる男、これでもう再起不能だろう。
「どうした狐鶴綺お嬢様、子分の一人が倒れちゃったぞ?」
「クッ、使えませんこと。お前達! 何がなんでもあの賤民を打ちのめし、明日を生きれぬ身体に仕立て上げてやるのよ!」
舌は回るようだが裏腹に奴の額からは汗が浮かび上がっている。
もう既に取り巻き共のボールストックは尽きている、子分二人はラケットを持ったままがむしゃらに俺の方へ突っ込んでくる。
そんなんじゃ掠りすらしないぞ、全く。
膝が入る、拳も入る。
攻撃が何でも入り放題だ。この無能共、防御を知らない。
ラケットをおもちゃみたいに振り回すしか能のない連中。お嬢、人選を誤ったのではないか?
俺に向かってラケットを振っている気になっている子分二人は、背後で虚しく崩れ落ちていく。
「なッ……」
一瞬で崩れ去った三人の小僧共。司令気取りのお嬢は足を震わせ、一歩近付く俺に腰を抜かす。
「どうした、もう終わりなのか?」
「そ、そそそそそそそそそそ……っ」
――嗚咽。
顔が赤子のように歪む。くしゃくしゃにして、恥ずかしげもなく涙をぼろぼろと零し始める。
「ひっ、ひどいわよっ……あんまりですわよっ!」
「どの口が言うんだ?」
奴の髪を掴み上げる。
開ききった瞳孔がこっちを向く。
「お前にイジメられた人間が感じた苦痛は、こんなもんじゃない」
「…………」
「お前は自分の手を汚していないから、自分には罪がないとでも感じているのか?」
「と、当然よっ! 皆、私の指示に従っているだけで!!」
「お前の指示が無ければ他の皆もイジメはしない。それはお前がイジメを生み出しているも同然ではないのか?」
泣きながらも強気だった口調だが、俺の言葉を受けて奴は黙りこくった。
「お前も立派な加害者なんだよ、そして被害者はいっつもこんなに辛い気持ちを抱えながらイジメに耐えているんだ」
「こんな、気持ちに……?」
お嬢様というのは世間知らずだと良くテンプレを貼らされるものだが、本当にそうだったとはな。ただ単にかぶれているだけかもしれないが、な。
「私が自分の手を汚したことはありませんわ。でも、私がイジメるよう命令して、イジメられた人達は、みんなみんな、こんなにつらい気持ちになっていましたの……?」
「いいや、違うね」
胸ぐらを掴み上げ無理やり立たせる。
狐鶴綺は鼻汁を垂らしながら、声を上げて泣く。
「もう分かりましたわよぉ、痛いほど分かりましたわよぉ!! うわぁぁぁ……」
「全然分かってねぇんだよ!!」
奴のこめかみを――思いっきりコンクリートの壁にぶち当ててやる。
皮が千切れ、血がひっついた。
「ああああああああああああ!!! 痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!」
泣き叫び、のたうち回る。俺はそいつをあえて野放しにする。
「こんなもんじゃない、イジメを受けた人間はもっと辛い思いをしてきている。お前は罪を自覚すらせず、これ以上の地獄を他人に味わわせてきたんだ」
「私、こんな酷いことを……!?」
「そうだッ!!!」
腹を思いっきり足で打ち抜く。
耳をつんざく悲鳴が上がった。
「明治さんだって!! これ以上に――」
待て。
こんな、ここまでする必要あんのか……?
俺の方だってそうだ。復讐自体はいいとしても、罪を自覚し悔やむ輩に、ここまでの仕打ちを与える必要があるか?
こんな弱者を一方的にいたぶっているようじゃ、まるで俺がイジメっ子じゃないか。
「えぅっ、ごめんなさい、ごめんなさいいぃぃぃ、もう、やめてくださいましぃ……」
足元で懺悔を繰り返す狐鶴綺。
「――お前はやめてと言われてやめた事がッ!」
拳をその顔面に打ち下ろす――
「ヒッ」
「……やめた事が、あんのかよ」
寸止め、間に合った。
それにしても高校というのは学校に自販機があるんだな。
何度も使わせてもらってはいるが、やはり便利だと思う。
いちごミルクでいいかな、飲みそうだし。
「ほら、これ飲めよ」
「え……?」
体育館裏、コンクリートの壁沿いにへたり込む狐鶴綺。
俺はそいつに、ピンクの紙パックを投げ渡してやる。
「あ、ありが――その、ごめんなさい」
「子分はどうしたんだ?」
「皆起きたら逃げていったわよ」
狐鶴綺の隣に座り、一緒に買ったコーヒー牛乳を飲む。
あれ、いちごミルクは好きじゃなかったかな。
「皆、私の言葉一つで従うんですの。お父様もお母様もじいやも、私に反対することはなくて」
「……どうしてイジメの指示なんか」
「初めは、ほんの些細な復讐でしたの」
「復讐?」
「やけにちょっかいをかけてくる生徒がいまして、一人の時に文句を言ったらボコボコにされましたの。皆に協力を仰いだら、それはもう清々しいほどにヤツを打ちのめしてくれましたわ」
イジメられていた……とは違うんだろうな。
もしそれが男だったのならただ単に狐鶴綺の事が好きだったのかも、なんて言える空気でもないな。
「それで、つけあがっちゃったのか」
「その通り、皆の運命が私の口先一つで変わるんですもの。私が蹴落としてきた人は皆、これ以上に辛い思いをしてきましたのね……」
自虐ぎみに笑う狐鶴綺。
ようやく紙パックのストローに手を伸ばし、いちごミルクを飲み始めた。
「はぁ、償っても償いきれませんわね」
「確かに、聞いた感じだと色々な人間を不幸のどん底に突き落としたみたいだな」
「…………」
「お前の罪は重いよ、狐鶴綺嬢。それでもお前は重すぎる罪に向き合うつもりでいるんだな」
「この命をもってして償えるのであれば――」
「そんな事じゃ軽くはならないさ、罪ってやつは。お前にできる精一杯の罪償い、それは二度と同じ罪を生み出さない事だ」
「同じ、罪を……」
「ああ、お前はそれが罪だと知り贖罪を望んでいる。それならば、お前が新たなイジメを生み出さぬよう努めるべきなのさ」
狐鶴綺は、確かに強くうなずいた。
「あ。それと、被害者にはキチンと謝っておくんだぞ。被害者はいつまでも恨みを背負って生きていくんだからな」
「それは……指示していたとはいえ皆でイジメましたもの。私だけが謝っても、彼らが納得するかどうかは――」
「いいんだよ、お前だけでも」
赤いまぶたがこちらを向く。
「ごめん、なさい」
「いいよ」
これで一件落着かな。予想に反して狐鶴綺には反省の余地がある。
それならこれ以上狐鶴綺を責め立てるつもりもない、罪を自覚し罪を償う、真摯な態度で罪と向き合うのであれば俺は狐鶴綺を赦そう。お前はまだ踏み留まれるのだから。
1年3組24番・狐鶴綺嬢。
罪を背負い、償いに生きろ。
「そういえば、なんでいきなり明治さんを対象にしたんだ?」
「明治さん、やはり仲が良いんですの?」
「うん、できれば秘密にしておいて欲しいんだけどね。他のイジメっ子達に勘付かれたら、きっと明治さんに対象を変える人が出てくるから」
「……実は提案してきたのは、真宮なんです」
え、真宮さん?
「伊勢崎と明治は仲がいいから明治をイジメるのも面白いかもって言われまして」
「そうだったんだ。ありがとう」
「……ごめんなさい、伊勢崎にとって明治は大切な存在でしたのね」
構わない、そう軽く言って許したかった。
けれどもそれができなかった。
明治さんはまだ苦しんでいるはずだ。
「できれば、明治さんに直接謝ってほしいな」
ここに長居できる気分じゃなかった。
狐鶴綺は一瞬立ち去る俺を止めるような声を出したが、結局それだけに終わる。
振り返るつもりはない。
部室の扉を開けた瞬間、白い髪の女の子が飛びついてきた。
「……その、とりあえず壁際に座らせて」
明治さんは大人しくついてくる。
髪に若干だが土が絡まっている。目に付くのがいやで手ぐしで落とす。
座り込むと同時、ラインを開く。
「明治さんをイジメるのやめてくれないかな」
――真宮さん宛てだ。
返事は来ない、それどころか既読がつかない。
部活中だろうか。
そう思っていたが、程なくして返事は来た。
「どうしてですか?」
「俺の大切な友達だから。俺をイジメるのはいいけど、明治さんをイジメるのは許さない」
「分かりました、明治さんをイジメるのやめます」
分かってくれればいいんだけどな……なんでちょっぴり疑ってるんだ、俺。
閉じた途端に通知がやってくる。
「一緒に狐鶴綺さんイジメませんか?」
「狐鶴綺? 反省したよ、狐鶴綺さんは」
「復讐しましょうよ一緒に」
「ダメだよ」
既読はついたが、返事はなかった。
――なんだろうこの胸のざわつきは。何かがおかしい、そう感じる事は少しばかりあったけれど。
後日、真宮さんは来なかった。
それどころか、狐鶴綺さんもいない。
『真宮さんからメッセージが届きました』
「一緒に復讐しましょうよ、伊勢崎くん」
廃ビルの屋上――腹を縛り上げられ、剥き出しの鉄骨に吊り下げられた狐鶴綺の写真が送られてきた。