12話.超速決行、一日限りの復讐鬼。
狐鶴綺の奴、何を指示しているんだ?
何故、明治さんを?
「うわぁっ、ちょっと、いきなり何!?」
神倉が容赦なく明治さんの頭から土を被せる。
それを受け、真宮さんもまた明治さんに土を振り掛ける。
降り注いだ土は弁当箱にも容赦なく転がり込んでいく。
三人を睨む明治さん、狐鶴綺はそれを見ていやらしく笑っている。
「オホホホホ! その顔、良くってよ! 神倉、その弁当をひっ捕らえなさい!」
「あいよ、さっさと寄越せ!」
「今度は何するつもり? やめてよ、やめないと怒るよ!?」
俺はこの光景を直視するべきなのか。
明治さんは俺を見てこんな気持ちになっていたのだろうか。
ごめん、明治さん。俺見れないよ。
「あーっ!! 返して!」
「こんな土まみれの弁当箱をまだ欲しがるおつもり? 下賤でございますわねぇ、オホホ」
「真宮、その弁当箱の中身を伊勢崎の頭にぶち撒けてやりなさい」
「わっ、分かりました」
俺をイジメる人間は何人もいるはずだけど、こっちに近付いてくる足音がいやにはっきりと聞こえる。
「いっ、伊勢崎さん……」
早くやれ、真宮さん。じゃないと君もイジメの対象にされるんだ。
「ごめんなさい」
小声で謝る必要なんてないから、早く。
……降り注いでくる。いつもなら土臭いだけだが、食べ物のいい匂いがする。
クラス中が笑い声に包まれた。
「あー、愉快愉快! 真宮、お戻り! 神倉、水をかけますわよ! こいつをトイレに!」
殺す。
部活の時間、明治さんの腹が不意になる。
「あっ、えへへ……伊勢崎くん、大丈夫だった?」
「うん、俺は平気だよ」
平気? 本当に平気か?
頭の中がぐちゃぐちゃだ。まともに物事が考えられない。
明治さんの制服、まだちょっぴり湿っているのが湿気で分かる。
気付けば俺の足は立ち上がっていた。
「どしたの?」
「俺、今日の部活終わらせる」
「えっ、帰るの? じゃあ私もー」
早めの帰宅、天馬先輩はちょっぴりそれを不審がるようにこちらを見ていた。
構わない、何を思われようが。
二人で住宅街を歩く時、会話は無かった。
二人共ずっと顔を伏せていた。
俺の家があっという間に近付いてくる。
「あっ、伊勢崎君。じゃあまた明日ね?」
「うん、また明日」
その笑顔は引きつっていた。俺は向き合ってやる事ができなかった。
このまま帰れるわけがない。
近場のドンチャン・ホーテに行こう。
白いマスク。点々とした二つの目と、にんまりとした三日月の口が空けられている。
黒いローブ。全身をすっぽり覆える程に大きなローブだ、フードもついている。
どちらもパーティー用だ。
人生でこんなものを購入する機会が来るとは思わなかった、おそらくはもう二度と無いだろうが。
あとは、おもちゃのナイフも買っておこうか。
家の場所は分かっている、あいつは確か部活に入っていたか? 近場で待ち伏せをしていれば、いつかは来るだろう。
30分程待ち、夕日が沈みかける頃、ようやく奴の姿が見えた。
長い茶髪に三白眼。隣の奴は、真宮さんか。
…………。
「あっ」
「ん? どったの?」
「ごめんなさい、一回学校戻りますね」
「そう? じゃあ私先家に入ってるからね」
真宮さんにラインのメッセージを送った。
急用があるから学校に来て欲しいと。
良かった、これで真宮さんは正直に学校に戻ってくれた。
騙すのは若干申し訳ない気もするが、しかしそれはそれ、これはこれだ。
後ろから近付き、奴の口をいの一番に塞いでやる。
奴の目前にナイフをちらつかせる。おもちゃと言えど迫真の状況、これでこいつは抵抗などできないはずだ。
ぴたりと硬直した奴の身体、緊迫感がひしひしと伝わってくる。
「神倉樹林」
返事はない、緊張で声を出せないのだろう。
「お前は罪を自覚したことがあるか?」
ナイフを喉元につきつける。
「イェスなら首を縦に振れ、ノーなら首を横に振れ」
奴は首を、小さく横に振った。
ナイフを持った手、握り拳を作り奴の頭頂に強く振り下ろす。
衝撃に奴がぐらつくが絶対に逃がさない。
再びナイフをその喉に突きつける。
「次はない、罪を自覚できないのならお前の命をここで終わらせる」
途端に奴の身体が震え出した。
「もう一度聞くぞ、お前は罪を自覚したか?」
今度は一度、小さく首を縦に振る。
「言え、お前の罪を」
口は塞がれている、それでも神倉はもごもごと口を動かし告白する。
「人を、イジメました……」
「そいつの名は」
「い、伊勢崎……です」
「それだけか?」
「……だ、誰? もしかして明治の友達?」
「明治こけしをイジメた、その罪を自覚するわけだな」
神倉はまた一度首を縦に振る。
「もしイジメを繰り返すようであればこいつが喉元に突き刺さる、覚えておけ」
神倉を解放してやる、これでもう奴は二度とイジメができないはずだ。
……そうだ、ついでに狐鶴綺の居場所も聞いておくべきだったか――
後頭部に鈍い衝撃が走る。
体勢を崩した俺の身体は地面を転げ、白い仮面が剥がれてしまう。
「はぁー、やっぱりお前伊勢崎だったんだ」
同時に地面に投げ出されたナイフ、神倉はそいつを拾い上げ刃先をつつき始める。指の圧に刃は引っ込み、出っ張りを繰り返す。
「ハハッ、おもちゃか。通りでちょっとおかしいと思ったんだよね」
一笑し、後ろに投げ捨てる。
「罪を、自覚したんじゃないのか?」
「それが何だ?」
倒れた俺の胸ぐらを掴み、無理やり立ち上げる。
そして頬を殴りつけてくる。
「みみっちい野郎だな、やめて欲しいなら堂々とやめろって言いに来ればいいのに」
「やめろと言ったら、お前はやめていたか?」
「やめるわけねぇだろ!」
勢い良く俺の頬を殴り飛ばしやがる。
一回転した俺の身体はそのまま地面に倒れる。
「アッハハハ! やめるわけないじゃんこーんな楽しいこと! お前とか明治みたいな弱虫をいたぶるのってすっごく気持ちよくなれるんだよねぇ!」
転げた俺の身体を何度も蹴っ倒し、踏み躙る。
俺はそれに対し、腕で頭を守る事しかできない。
「……お前はなぜ、真宮に手を差し伸べた」
「あ? 何が?」
「真宮に救いの手を差し伸べただろう」
「あー、もしかして一昨日の見てたの? キモッ」
――腹を思いっきり蹴り抜かれる。
「ぐふぅっ」
衝撃に耐えかね、地面を何度も転げ回った。
「狐鶴綺姉さんのファミリーだからね、あんなのでも一応。じゃなきゃ助けるわけないじゃん、アッハハ」
「嘘をつくなっ、お前にも良心があるはずだ。じゃなきゃ真宮にあんな笑顔を見せられない」
「あんたちょっと優しくされたら自分に惚れてるとか勘違いするタイプ? あ、それで明治のナイト気分? ハハッ、気色悪ゥッ!」
俺はずっと地べたを這っている。それでも神倉は一方的なリンチをやめない。
「あのねぇっ、あんなの全部嘘っぱちだから! 本気で心配してるわけないじゃあん、もし面倒に巻き込まれたら私も面倒くさいからってだぁけ!!」
その姿勢も、親切の形ではあるのかもしれない。
奴なりの配慮で真宮を匿った、面倒事に巻き込ませたくないがために。
人の生き方は自由だ、常に他人を本心から気遣う必要なんてない。奴は自分に降りかかるかもしれない面倒を排除するために偽りの親切を取った、それだけの事だ。
自分を守るためにイジメる、それも妥当な自己防衛ではあるかもしれない。今の真宮さんがそうだ。
――しかし当然、応酬が無いとは限らない。誰にだって自分の生き方があるのだから。
油断しきった神倉に高速で足払いをかける。
「――ぎゃっ!」
これで形勢逆転、次はお前が地面を這いつくばる番だ。
頭を踏みつける。
俺はお前のその生き方を批判するつもりはない。
ただ、明治さんを傷つけ、更には反省の色が無いお前を許すことができない。
狐鶴綺嬢、あの司令塔気取りのお嬢様かぶれにも言えることだ。
「苦しいか? 俺はもっと苦しいよ」
昼休み、明治さんは強気でいた。
しかし放課後、目に見えて明治さんの気分は沈んでいた。
健気な笑顔が、今でも脳裏から離れない。
剥がれた仮面を拾い上げ、おもちゃのナイフを握りしめる。
「――復讐させてもらうぜ」
胸ぐらを掴みあげ、神倉を無理やり立ち上がらせる。
「うぅっ……」
生意気にも俺を睨みつける顔をしている。
お前の顔なんて二度と見たくもない――仮面を思っきし、その顔面に叩きつける。
「ぶふっ」
仮面がめり込むよう、ぴとりと顔面にはまりこんだ。
後ろによろける神倉。
ナイフを握りしめる手に、強く力が込められる。
「死んで詫びろ」
おもちゃだと分かっていても、この衝動は抑えきれなかった。
勢い良く突き立てた罪の刃は白いスクールシャツを突き破り、赤いシミを作る。
「あえ……?」
神倉の口から間抜けな声が漏れ出す。
ナイフは確かに神倉の腹に突き刺さり、ぼたぼたと地面に血液が溢れ始める。
そのナイフを更に突っ込むよう腹を蹴り抜く。
神倉の身体が衝撃に吹っ飛ぶが街路樹に背中を受け止められた。
シャツの襟が枝に引っ掛かり、神倉の身体は街路樹に吊り下げられるような形でぶら下がる。
痛みに気を失い、身体は既にだらんとしている。
――復讐は済んだ、もうこのローブも必要ない。
放り捨てると同時、ローブは風に吹かれるも神倉の身体を覆うように留まった。
奴の腹からは未だに罪が滴っている。きっとそれは街路樹の土壌を潤し植物達の糧となるのだろう。
1年3組23番・神倉樹林、お前は俺の大切な仲間を傷つけた。
罪の報いを受け入れろ。
学校に戻ると、校門で真宮さんが待っていた。
「あっ、伊勢崎くん! どうしたんですか、突然呼び出して」
「ごめん、実は中に用事があって。すぐに戻ってくるから待っていてくれるかな」
「……そうですか、分かりました」
何だか申し訳ない、一方的に呼び出したのに更に待たせてしまって。
しかし俺には打たなければならない警告がある。
狐鶴綺嬢、奴に向けての。
……よし、終わった。校門に戻ろう。
「おまたせ、真宮さん。実は狐鶴綺の入っている部活を教えてほしいんだ」
「え、そんな事だけに?」
「あと、できるなら家の場所とか」
「は、はぁ……明日なら。狐鶴綺さんはテニス部です、もういいですか?」
「うん、いきなり呼び出してごめんね。ありがとう」
真宮さんは急ぐように小走りで神倉家方面へと向かう。
端から見れば完全にストーカーか何かのそれだった。
呼び出したんだし一応何か聞いておこうとは思ったが、流石に対応が下手すぎた。
あんなものはラインで聞けば終わる話だ、いまさら言うのもなんだが。
……それにしてもあれがテニス部か。意外だったな。
後日、いつもの教室。
当然だが神倉はいない、もうアイツは二度と他人をイジメようなんて気を起こさないだろう。
明治さんもいない。と言っても、明治さんは基本遅い。だからまだいなくて当たり前の時間なんだけど、今日は気が気で仕方ない。
――狐鶴綺が教室にやってくる。前の席、神倉樹林が席を空けている事に首を傾げているようだ。
奴の机の中には一枚の手紙が仕込んである。
すぐさまそれに気付いたようだ、二枚折りの紙を開く。
『警告 狐鶴綺 嬢へ
神倉樹林は俺の手に沈んだ これは復讐だ
イジメをやめろ さもなくばお前と真宮の命は無いものと思え
神は常にお前を見ている
K.ナイトマスク』
奴の顔がみるみる内に青ざめていく。
「誰ですの、こんな物書いたの……」
奴は俺を強く睨みつけるも、すぐさま顔を逸らす。
恐らくなのだが奴は俺の事をナメきっている。あの臆病な伊勢崎拓也がこんな物を書くはずはない、そう思っているから他の誰かを疑いだしたのだ。
もっと言ってしまえば臆病な伊勢崎拓也のイメージを崩すのが怖いのだ。絶対に自分に逆らわない伊勢崎拓也、奴はそれ以外の俺を許容することができないはずだ。
真宮さんが教室に入ってくると、狐鶴綺はすぐさま真宮にその紙を見せる。
「真宮、お前これを書いた奴を突き止めなさい」
「……えーと、何て書いてあるんですか?」
紙を読んだ真宮さんはくすくすと笑い始める。
「こ、こんなの真に受けてるんですか? きっと誰かのいたずらですよ」
「真宮」
狐鶴綺は真宮の胸ぐらを掴み、顔を近付けキッと睨んだ。
「私が許せないのはこの狐鶴綺嬢をナメきったような手紙を、私の机の中に入れて挑発したこと。内容の真偽がどうであろうと関係ないの、お分かり?」
分かりやすいくらいに青ざめていたくせに、偉そうに凄んでいる。
高すぎるプライドが許さないのかもしれない、下っ端の真宮に弱みを見せることは。
「……わっ、分かりましたけど」
真宮さんは狐鶴綺をなだめる。
狐鶴綺は真宮さんを強く突き放し、不機嫌そうに肘をついて席に座った。
昼休み、真宮は急に立ち上がり、明治さんの机を強く叩く。
「ねぇ、明治さん! もしかしてあの紙書いたの貴女じゃないの?」
真宮さんとは思えない程に強気だった。
「えっ、何のこと?」
明治さんは警戒している。昨日の事があったからか、いつもならすぐに開く弁当箱を今日はまだ閉じている。
「あら? それは本当?」
狐鶴綺が食い気味に詰問し始める。
明治さんは当然否定する、しかし狐鶴綺は退かなかった。
「いい加減にしてよ、どこまでシラを切るつもりなの!?」
でも、真宮さん。何で真宮さんまでそんなに強気に出ているんだ。
部活の終わり、明治さんには部室で少し待って貰った。
こんな事になってしまうとは予想外だ、真っ向勝負を挑むしかない。
『狐鶴綺嬢へ
滑稽だったよ 明治さんを疑う姿は
僕にいいように振り回されているね
本当は神倉を消されたのが怖かったくせに 強がっちゃって
僕はもう逃げも隠れもしないよ
放課後 体育館裏で待つ
K.ナイトマスク こと 伊勢崎拓也 より』
――勝負だ、狐鶴綺嬢。