お家でお気楽カクテル:ウォッカには気を付けて(*)
※2018.8.30に挿入したエピソードです。
「可哀想なことに、優がクリスマス前に彼女と別れて淋しいだろうから、独り者同士集まって一緒に楽しもうぜ! 忘年会も兼ねてな!」
と言った瑛太からは、可哀想だと思っている様子はみじんも感じられない。
「僕のことは気にしないで。哀れんでくれなくていいから。僕もカクテル作る練習になるから、人数いてくれると助かるんだ」
優の部屋では、いつものように瑛太と蓮華、新香がいる。その友人である京香が部屋を訪れるのは初めてだった。
ローテーブルには、新香の作ってきたサンドウィッチが並ぶ。トマト、クリームチーズ、バジルの葉が、市販のバジルソースを混ぜたマヨネーズと和え、挟まれている。
「美味しそうだね! この間みたいにエスニックでも良かったのに」
「いや、今日はちゃんとカクテルに合いそうなのにしたから」
優と新香が皿を並べると、蓮華も作ってきたつまみを、タッパーから取り出す。
「ブロッコリーとホタテとエビを、オリーブオイルで炒めたの。フライパンで白ワインで蒸した後に、塩胡椒、鶏ガラスープで適当に味付けしたのよ」
「何で鶏ガラスープ?」と首を傾げる瑛太の横で、京香は天使のように微笑んだ。
「ワインと合いそうだわ」
「やーん! やっぱり京香ちゃん大好きー!」
蓮華がデレデレになっていると「もう酔っ払ってんのかよ?」と、瑛太が横目で見る。
「家ではシェイカーの代わりに空き瓶を横に倒して前後に振る━━縦向きに振るとこぼれるから━━とかやり方はあるけど、僕の練習にもなるから今は道具は使わせてもらうね。その代わり、材料はスーパーとかで手に入りやすいものでノンアルコールも作るから」
体質的にあまり飲めない瑛太が安心する。
京香も量は飲めないと蓮華から聞いていた。
メンバーの飲酒許容量を把握した上で、何を作るかチョイスしておいた。
「カクテルは、古代エジプト時代にビールに蜂蜜や生姜を加えたものが始まりだと言われてるよ。中世ヨーロッパで蒸留酒が誕生してミックス・ドリンクが好まれ、中国でもワインに馬乳を加えたり、インドでもお酒とフルーツを合わせるパンチが作られたりしてたりしていた。今飲まれているような形になったのはアメリカの禁酒法時代で、19世紀後半に人工的に氷が作られるようになってからマティーニやマンハッタンが誕生した。日本では、明治時代に初めてジンが輸入されてから、カクテルが知られるようになったらしいよ」
優が皿に平たく盛った塩を用意する。
レモンを半切りにし、果肉にロックグラスの縁を斜めにあて一周させた。
「スノースタイルという方法でね、こうやってグラスの縁に塩を付けるんだ。ちなみに、縁の半周だけ塩を付けるのをハーフムーン・スタイルっていうんだ」
グラスを下に向け、皿の塩に押し付ける。グラスを下向きのまま持ち上げ、底をたたいて余分な塩を落とす。
「まずは、ウォッカベースのカクテルから『ソルティ・ドッグ』。すごく簡単だよ。塩をまったく付けないものは『ブルドッグ』とか『グレイハウンド』っていうカクテルになる」
縁に塩の付いたグラスを置き、大きめの氷を入れると、ウォッカと、100%グレープフルーツジュースを注ぎ入れ、軽くバースプーンで混ぜた。
「メジャーカップも家にあるものでいいし、バースプーンじゃなくてもマドラーでもスプーンでも大丈夫だよ。それにしても、バースプーンて、このねじれ具合が絶妙でたまらないんだよねー! これのおかげでラクに混ぜられて助かるんだよ! 考えた人、天才だよ!」
少年のように瞳を輝かせた優が嬉々として説明する。
わけがわからない周りの友人たちは顔を見合わせた。
「優ちゃんて……時々なんか残念だよね……」
蓮華が呟いた。
「ソルティ・ドッグっていうのはしょっぱいヤツって意味で、イギリスでは船の甲板員のことを言うんだって。1940年代にイギリスで生まれたカクテルで、元はジンだったのをアメリカでウォッカに変わって世界に広まったんだ」
優の差し出したソルティ・ドッグを、まずは新香が口を付けた。
「美味しい! グレープフルーツジュースよりもウォッカの甘味が入って、酸味が抑えられて、味に深みが出た感じ。塩がジャリジャリするのが慣れないし、塩なしの方がスマートな味になるんじゃないかとも思うけど、由来を聞くと、塩があった方が面白いね」
新香のストレートな感想に、優が満足そうに微笑んだ。
ソルティ・ドッグを、新香、蓮華が交互に飲む。
「蓮ちゃんが以前、ビールとレモネードを半々ずつの『パナシェ』を作ったそうだけど、もう一つショート・ドリンクの方のパナシェもあるんだ。そもそも、ロング・ドリンクとショート・ドリンクっていうのは、一見グラスの大きさのことみたいだけど、ロング・ドリンクは長くかけて飲むように作られたカクテルで、ショート・ドリンクは短時間で飲むようにって意味でね。ショートは長時間美味しさを保てないから」
「え、そうだったの? あたし、知らずに今まで飲んでたかも。ロングのものはアルコール度数も低いからガブガブ飲めて、ショートは度数が高いからゆっくり飲むものだと思ってたわ」
「蓮ちゃんは何でもガブガブ飲むもんね」
「あっ、ひどーい! だって美味しいんだもん!」
「それで、ショート・ドリンクのパナシェの方はウォッカがベースで、ドライ・ベルモットとチェリー・ブランデーが入る。かなり芳醇な味だよ。お酒だけで作るから、ロングのパナシェと違ってアルコール度数は20~30度あるから気を付けて」
「ロングの方ならいけそうだけど、俺なんかは間違ってショート頼まないようにしないとな!」
瑛太が肩をすくめて言った。
「あとウォッカで簡単なカクテルは、『ブラッディ・メアリー』が有名だね」
「やめて。あのトマトジュースのカクテルでしょう?」
蓮華が遮るようにてのひらを突き出すと、優が笑った。
「ウォッカにトマトジュースとスパイスを加えて作るのが『ブラッディ・メアリー』。ウォッカをジンに変えると『ブラッディ・サム』。ブラッディ・メアリーにレモンジュースと冷やしたビーフ・ブイヨンを入れた『ブラッディ・ブル』もあるよ」
蓮華の表情が強張っていくのを面白そうに眺めてから、続けた。
「トマトの赤色はリコピンで、強い高酸化作用があって癌や動脈硬化の予防に役立つって言われてるよね。トマトジュースをアルコールと一緒に飲むとアルコールの代謝が促進されるし、アルコールの血中濃度も約3割低下して、体内からアルコールが消えるまでの時間が50分も早まることがわかってるんだ。だから、蓮ちゃんが前に作った『レッド・アイ』も二日酔い予防にいいんだよ」
「そう聞くと、飲んだ方がいいような気がしてくるけど……」
蓮華が上目遣いになる。気が進まない様子には変わりない。
「大丈夫。今から作るのは『ブラッディ・シーザー』で飲みやすいよ。シーザーはユリウス・カエサルじゃなくて暴君で知られてるローマ皇帝ネロの方ね」
「ネロ?」
「ローマ帝国第5代皇帝ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス」
蓮華が驚いて瞬きをする。
「すごーい! 歴史得意なの?」
「いや、このネタのために慌てて覚えただけ」
優が笑ってみせた。
「その『ブラッディ・シーザー』は、トマトジュースじゃなくてクラトマジュースというのを使うんだ。はまぐりエキス入りのトマトジュースなんだよ」
「はまぐり!?」
蓮華と瑛太が想像がつかないとばかりに驚く。
「まあ飲んでみてよ」
ロンググラスに氷を詰め、目分量でウォッカを入れると、クラトマジュースの缶を開け、中身をそそいだ。
「シェイカーで作ってもいいんだけど、混ぜるだけでも美味しいよ」
「……目分量だったけど、大丈夫なの?」
「ここにある塩胡椒とウスターソースも適当に入れてみて」
「ええっ! どのくらい入れていいかわかんないよ~!」
「大丈夫。だいたいでも」
そう答える優にじろじろ疑いの目を向けてから、蓮華が適当にスパイスを入れ、少量だけ口に含んだ。
「あ、美味しい!」
目を見開いて、優と新香たちを見回す。
「ブラッディ・メアリーよりトマトスープっぽいのかな。美味しい! お酒が入ってるなんて思えない!」
「そうなんだよね。ウォッカはクセがないから飲みやすいんだけど、強いお酒だから、蓮ちゃんみたいにガブガブ飲む人は気を付けて」
慌てて蓮華がブラッディ・シーザーを口から離し、新香に預けた。
「もう一つ、『スクリュー・ドライバー』ってカクテルにも気を付けて。そういうのを頼んでくれようとする男にもね」
禁酒法時代のアメリカで、いかに見つからずに酒を飲むかの案として生まれたカクテル。
ウォッカをオレンジジュースで割り、混ぜるのにスクリュードライバーでかき混ぜて飲んだのが名前の由来だ。
無色透明のウォッカにオレンジジュースが入る。
「一見オレンジジュースで、口当たりが良くて、甘くて美味しい。アルコールっぽく感じられなくても10度以上はあるからね。これに、ガリアーノっていうバニラ味のリキュールが加わると『ハーベイ・ウォールバンガー』っていうカクテルになって、どっちもレディー・キラーだよ。ちなみに、ガリアーノは、以前、蓮ちゃんと行ったバーで、味が変わってしまったって聞いたから、当時の再現は出来ないけどね」
「きっと、美味しかったんだろうねぇ」
うっとりと思い浮かべながら、蓮華はブラッディ・シーザーを飲み切った。
優は出来上がったカクテルのロックグラスの方は蓮華と新香に渡し、氷の入った小さいグラスに作ったものは京香に渡した。
「スクリュードライバーだよ。味見程度だから。どうぞ」
「あ、ありがとう」
受け取った京香に微笑んだ。
「あらー? なんで、お酒あんまり飲まない京香ちゃんにも、わざわざ?」
蓮華がニヤニヤと、そして、瑛太もニヤニヤと優を見た。
「そうやって、紳士的に見せるの、いつもうまいよな!」
「瑛太くん、誤解招くからホントやめて」