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陸軍幼年学校の生活

【服装寝室】


入学式は無事終了し、新しい生活が始まった。


私は第一訓育班、これが学科の時は二つに分かれ、

第二学班、寝室は一号室と決まった。


私達の担任教官は柴田少佐生徒監、担任下仕官は柴田軍曹、

両方同じ柴田さんだ。


第一訓育班から第六訓育班、学班は第一から第十二学班まで、

寝室は一号室から十二号室までとなる。



この寝室が二階にズラッと並び、真ん中に大きな自翌室があった。

会談は真ん中と両端にあった。


一階は生徒監室、下士官室、兵室(ラッパ手)、作業室等があり、

全体を生徒舎といった。


生徒舎は中庭を挟んで三つ、一~三年が入っていた。



一訓は一号室、二号室に全員が入った。

一室15名、両壁を頭にして16の木の寝台が並べられて居り、

寝台の隣同士が戦友と定められた。


毛布は戦友同士で協力して畳み、ベッドの上に重ねる、広げる。


これが朝晩の行事であった。



一室15名なのに16のベッドといったのは、

各部屋に「模範生徒」という三年生が一人ずつ起居し、

一緒に生活するためだ。


寝台の頭部分には、各自の棚があり、日常使うもの、

下着、上着、軍隊手帳、はぶらし等が並べられ、棚の上には剣道具が、各自に並べられていた。



すべて一流の対応ということか。





【あこがれだった制服】


軍服は、先ず第一装という、儀式、外出用。

襟と袖、肩にキンキラキンの装飾が付く。


もう一着は第二装で、一装のキンキラを取り、多少古くなったもので、日常着るもの。


第三装は運動着みたいなもので、訓練したり、作業したりする時用いる。


それに、襦袢シャツ、袴下(ズボン下)、軍帽(上が角ばった堅い第一装用、いわゆる戦斗帽)、

手とう(手袋)二種、ふんどし…。



それらがきれいに畳まれて、戸棚に重ねられていた。


だから、長身、体重関係なく

「軍隊は衣服を体に合わせるのではなく、体を衣服に合わせろ」と聞いていたのだが、


このことだな、と変に感心した。



しかし互いに交換したり、取り替えたりして何とか格好がついた。

それが終わったら、全てのものに(1/49輝)と筆で記名した。


我々は四十九期生であり、第一訓育班という意だ。



長い廊下の中央付近に自翌室があった。

ずらっと並んだ机の前の棚には、今日や書や手簿(しゅぼ)(ノート)、

日記帳、歩兵操典等がきちんと並べられ、私達を待っていた。


「寝室と自翌室、俺一人で準備するのに十日もかかったんだぞ」

と模範生徒は言った。



階下中央と両端出入り口に靴箱があり、編上靴(一、二装用)、常内靴(つっかけに似た靴)、

上靴スリッパなど、これもよく保革油が塗られ、きれいに並んでいた。

至れり尽くせりだった。




生徒内の日常は、すべて模範生徒の命令伝達、連絡、指導によって進められてゆく。


「きけー!」は命令で、立って気をつけの姿勢で聞かなければならない。


「そのままきけー!」は連絡事項で、今のままの姿勢で聞いてよい。





【学科】


教室棟まで学班ごとに行き、午前中四時間は、すべて学科だった。


すべてラッパによって始まり、ラッパで休憩し、ラッパで終わる。


国語、数学はもちろん、大部分が中学校とほぼ同じであった。


私は、因数分解が不得意で、別室で個人指導を受けたことがある。



外国語は学班によって、ドイツ語、フランス語、ロシア語に分かれ、

私達第二学班は、ロシア語を選ばされた。

英語はなかった。




ここで全然別のことを言うが、この時故郷の中学の同級生達は、

授業どころではなく、学徒動員で工場や作業に出ていた。


後になって我々は随分と得をした。



学科の初日に、教室に生徒監が来た。



「軍人の目的は、天皇陛下のために死ぬことである」と教え



「天皇陛下萬歳!天皇陛下萬歳!」


と幾度も唱えさせられた。


それが少しの間ではない。

その時間が終わるまでだから嫌になる時間だ。



天皇陛下の為に、いつでも死ねる者、


それが将校生徒の存在理由だ、と。



この教育はどんな時でも折に振れて行われた。


マインドコントロールの一種だと、後でオウム真理教事件の時に思い出した。





【ちょっと寄り道エピソード】


入学後二、三日経った頃、こんなエピソードがある。


新しい革の上靴を覆いて歩くので、夜間トイレに通う音がパタパタとうるさく、

特に一号室は、三訓までの寝室から全員通るところなので、みんなで苦情を出した。


翌日全員集ったところで、生徒監から

「わら草履が作れる者?!」との声がかかった。



私は父親からみっちり教えられていたので、父親の八割以上にはびっちりできた。


特にかかとの部分を多少小さく、形まで美しく仕上げることが出来たので、

「ハイ」と立候補した。


全学年で私一人だった。


藁打ちのための同期生数人を従え、午後の作業を休み、数日かけて各寝室二足ずつ、

計24足を仕上げたと思う。


夜は静かになった。


それ以来、私の風貌もあろうが、「オヤッサン」というあだ名を貰った。





【点呼・食事】


起床は六時だった。


朝、起床ラッパが鳴ると全員起床し、

隣の戦友と組んで毛布を畳み、服を着てトイレを済まし、外に出る。


これは模範生徒から速さを要求されるので、二、三日のうちには、

ほぼ全員が自然とラッパ前にトイレを済ますようになった。



中庭に出て、次のように整列する。


各班二列に並び、


「番号!!」

「イチ、ニ、サン……ケツ」


並列最後の者は、後に人が居れば「マン」、

居なければ「ケツ」と呼ぶ。


週番生徒は暗算して、今居る人数を把握する。


これは、予め調べておかないと大変なことだ。



風邪などで就寝許可をとっているものも居れば、トイレからまだ出てこない奴もいる。



一訓週番生徒「気をつけ!週番士官殿に敬礼!(かしら)左!」

二 〃                  中!」

三・四 〃                右!」


週番生徒は中央を向いて敬礼をし、生徒はそれぞれ週番士官に頭を向け注目する。


週番生徒「直れ!」


生徒監が一訓の前にやってくる、



「第一訓育班!総員60名、事故1名、現在員59名、事故は就寝許可1名!」


生徒監は二訓、三、四…と回っていく。



生徒監は台に戻って必要事項を伝えると、再び「頭ァ左・中・右!」を行って解散となる。



一年生が終わった頃は、二、三年生はとっくに終わって、みんな食堂に入って居る頃だ。




点呼が終わって朝食、一般社会では、米不足で配給、買出し等で、みんな腹が減っていた。


幼年学校でも食い盛りの私達には、少し物足りなかった。


入学式の父子会食のときにはおひつに残っていたのに、以後はやはり腹が減った。



しかし、それを言ってはいけなかった。

「品性下劣」と言われてしまう。


我慢した。


甘いものは更に少なく、時折饅頭が出たが、あんこは塩っぽかった。


食事が終わると外へ出て、号令の練習、これを号令調整という。

将校は号令が必須であり、魅力的な号令ができるように練習した。



後で父から聞いた話、柴田少佐生徒監は手紙をくれ、近状報告があったそうだ。


その中で、私の号令が良いと書いてあったらしい。




敬礼のやり方の図と詳細の説明がなされていましたが、図の挿入ができない(面倒な)ためカットしています。

手記の半分まできました。


次回は賀陽宮様の回です。

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