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昭和の前半・戦争の時代

読みにくい字や出てこない漢字があったため、合っているか微妙ですが…。

修正:ちなみに主人公=輝 


まず当時の世相、そして私の生い立ちをご紹介しよう。

これがなくては、このお話が十分理解して頂けないと思うからである。



私は、昭和五年(1930)、諏訪市で生まれた。

父は逓信省の技官で、諏訪と岡谷の間を行ったり来たりしていた。

幾度も引越しをした。


私の生まれた昭和五年から14才までの年表を列挙するので、ご覧を頂きたい。




5年・米価大暴落(豊作飢饉)についで生糸大暴落で、農村恐慌深刻化

  ・浜口首相東京駅で右翼青年に狙撃されて重症


6年・満州事変勃発(関東軍参謀ら奉天郊外柳条湖の満鉄線路を爆破)


7年・満州国建設宣言

・五、一五事件(犬養首相が官邸で陸海軍青年将校に射殺される)


8年・日本、国際連盟脱退を通告


9年・満州国帝政実施(執政派薄儀が皇帝となる)


11年・二、二六事件(皇道派の青年将校ら部隊を率いて首相官邸などを襲撃)


12年・盧溝橋事件(日中戦争始まる)

・南京占領(南京事件起こる。国内では祝賀の提灯行列)

・(この時、輝は小学校へ入学)


13年・国家総動員法発布


14年・ノモンハン事件勃発(ソ満国境で日ソ両軍が交戦:5~9月)

・第二次世界大戦勃発(独軍がポーランドに侵攻)


15年・(父要人出征)

・東条英機内閣成立

・太平洋戦争始まる(英米に宣戦布告、真珠湾奇襲攻撃、マレー半島上陸、マレー沖海戦)

・(父、満州より帰還)


並べられた年表というものは、面白いもので、注出されただけを見ると、

日本陸軍がだんだんと力をつけ、日本を操っていこうとする意図がよく見える。


軍国主義を標榜した日本は、様々なところでこれを表現し、宣伝をしていくのは当然であろう。


世の中には、戦争を謳歌するものが際立った。



私の小学校一年生の国語の教科書の内容。


一、二項(見開き)→サイタ サイタ サクラガ サイタ


三項目→コイ コイ シロ コイ


四項目→ススメ ススメ ヘイタイ ススメ


ここに軍国主義が出てきた。


修身の教科書には「キグチコヘイ ハ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセン デシタ」 

とあった。



唱歌でも、日露戦争で戦って旅順で勝った乃木大将の歌、「水師営の会見」など長い歌なのに、

一つの物語として、今でも口ずさめるということは、どういうことなのだろう。



ちょっとその内容を披露しよう。


「……敵の将軍ステッセル、乃木大将と会見の、所はいずこ水師営……

庭にひともとなつめの木……乃木大将は厳かに、みめぐみ深き大君(おおきみ)

大みことのり伝ふれば……きのうの敵は今日の友……」



この歌は教科書に載っていたとは思えぬが、何故覚えているのか、

多分繰り返し歌ったから覚えているのだろう。



軍国主義は、知らない間に我々の中に入り込み、血となり肉となってしまったのだ。




街にも戦争を謳歌するものが際立った。


「一億一心」「月月火水木金金」「八絋一字」「軍国の母」…等、

映画のポスター等で国民の目を戦争に向けた。


映画館はニュースを通じて、戦争をたたえた。



野外映画が盛んだった。

学校や公園などにスクリーンを張り、表裏画面から見た、


「加藤(はやぶさ)戦斗隊」「同期の桜」「予科練」「西住戦車体長」等々…



そうは言っても、世間はまだ平静に生活していた。


私の父は野球が好きで、しょっちゅう試合をやっていたし、

ということは同類の人が多かったということだ。


借家の前に、道を挟んでテニスコートがあり、母もテニスで夢中になっていた。


母は新潟の米がうまいからと、俵で買っていた。


映画「愛染かつら」はこの頃。


父に言われてサッポロビールを買ってきて、ふた裏のコルクを取ると"あたり"があった。


ふたを胸に付けて勲章とした。


ランドセルを背嚢に見立てて、戦争ゴッコばかりしていた。


時折、「出征兵士を送る会」というものに旗を持って出席した。


日中戦争(当時は支那事変と呼んだ)にゆく人を、のぼりを立てて盛大に見送った。



昭和十四年、父の転勤で上諏訪に引っ越した。


間もなく―――。



父が、出征する、


耺場の十数人で満州へ行くことになった。


いわば、耺場での長期出張だが、出征には変わりはない。


親戚中がいっせいに集い、どこからか酒を用意して祝をすませ、

一人ずつ汽車に乗り出て行った。


もうこの頃は、派手な出征送りは禁止され、ひそかにという感じで、

家族だけで上諏訪駅に見送った。



軍属判住官(尉官相当)という位置で、軍刀をあとから送った。


満州国牡丹江(ぼたんこう)省と、東安省というところから、父の手紙が届いた。

「水師営の会見」は祖父の手記で知りましたが、語呂がよくて結構好きです。

次回は太平洋戦争に突入します。

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