トラック事故で死んで異世界に行っちゃおう部
その日も僕たちは誰もいなくなった体育館に集って、そこである異様な秘密の特訓に明け暮れていた。
参加者は僕を除くとひとりだけ、隣のクラスに在籍する中尾ゆかりさんという、一見すればとてもチャーミングな女の子だけである。
かわいらしい女子と二人きり、人気のない体育館で秘密の部活動。
きっとそれは、青春に恵まれることのなかった不幸な人たちにとって、僕のことを即殺したくなるムフフで羨ましけしからんシチュエーションなのだろうけど、当の僕自身からするなら、代わってもらえるなら今すぐにでも代わってもらいたい。
その理由は単純にして明白である。
何故ってそれは――と、危ない!!
「……うひゃうっ!!」
僕は猛スピードで突進してくる畳まれたマットを過積載にした手押し台車を、直撃寸前のところで身を捻って回避した。
すると案の定、体育館の奥から、ついさっき手押し台車を思い切りこちらに突いて寄越した中尾さんが肩を怒らせながら歩いてくる。
「違うっ! そうじゃないわ佐々木くん! 避けちゃったら意味ないってさっきも言ったでしょ! まったく何度言ったらわかってくれるのかしら!」
「うへぇ……ちょっ、勘弁してよ中尾さん、こんなのまともに食らったら死んじゃうじゃないかっ!」
「そーよまともに食らったら死ぬわよ。でもね佐々木くん、これはそのための特訓だって私最初に言わなかったかしら!」
「うぐ……たしかにそう、ですけど……」
「だったらあなたも死ぬ気でやりなさい! いいえ、死になさい!!」
そうどやしつけ、どこで調達したやら竹刀をバシィンと僕の肩先の床に叩きつける中尾さんの恐ろしき面相は、まさしくフルメタルな映画の鬼教官のそれであった。
まったくどうしてこうなった……。
僕はこのあまりに常軌を逸した修行から逃げるように、記憶の果てへと幾度目かの逃走をはかったのであった。
◇◇◇
僕とこの中尾さんという女子とのそもそもの出会いは一月前に遡る。
当時の僕は、どこにでもいそうな高校二年生の男子高校生だった。
平凡、モブ顔、十把一絡げ――まあ呼び名なんてどうでもいい。
ともかくそのときの僕の人生は、それが順調に継続する限り、ドラマチックな展開とは無縁の味気ないものであったと言えるだろう。
普通に高校を卒業すれば、普通に二流か三流の大学に入り、普通の規模の会社に就職して、普通に結婚して、普通の家庭を築く。
大いなる成功もない代わりに、大いなる挫折もない。
それはある意味刺激の少ない人生を歩むということなのかもしれないけれど、僕はそんな僕自身の人生に迷いもなければ、興味すらもそれほどなかった。
むしろ、生活が豊かになったせいで、世間の人々が色々と人生に求めすぎなのだ。
人生の意義や意味を拡大解釈したり、そこに自分らしいなにかを見出そうとしたり、そんないらぬことにエネルギーを使ってばかりいるから、一般的な道から外れてドロップアウトしてしまうのだ。不幸な道を歩むのだ。
そんなわけで、僕は人生を手堅く送ろうと思っていた。
どこぞのマンガの変態殺人鬼みたく、人の手を切り取って集めたりするような猟奇的趣味に目覚めなかったことを両親に感謝しつつ、この道を進んでいこうと思っていた。
だが安全完璧に思えた道にも落とし穴があったのだ。
人には自分に課せられた天運なるものがあることを見落としていた――。
青信号だった。
一定時間ごとに訪れる、横断歩道を歩くことのできる時間帯。
見慣れた通学路を行く僕も、学校へ行くためにためらいなくそこに一歩を踏み出した。
慣れた道。正しいタイミング。アクシデントなんて起こらない。
それはどこまでも確信めいていて、ある意味、僕の人生に対するスタンスが招いた出来事だったのかもしれない。
僕の身に、本来訪れるはずのない脅威が訪れたのはその一瞬後だった。
赤信号。疲れゆえの居眠り運転。大型トラック。
確信さえ持たなければ気付けたかもしれない。その走行音は大きく、ハンドルは不安定で遠くから大きく蛇行し、いつ歩道やガードレールに突っ込んでもおかしくない危うさを振り撒いていた。
なのに、だというのに、僕はそんな周辺状況よりも自分の確信を優先したせいで、その脅威から逃れるタイミングを完全に逸していた。
気づいたときにはもう遅く、僕は、手堅く進んでいた僕自身の人生がここで唐突な終焉を迎えたことを遅まきながら自覚したのである。
ぎゅっと目を瞑り、衝撃に備える。
途轍もない衝突が、痛みすらもたらさず僕の身体を貫くことを祈った。
だけどそれは思った以上に軽いもので――僕の身体はアスファルトの路面をころころと転がり、やがて停止する。
「あれ……生きてる……?」
うっすらと目を開けたとき、僕はそれを見た。
僕の身体の上に馬乗りになり、蒼い空を背景に、涙目になっている美少女の姿を。
ああ、そうか――このとき、僕はやっと悟った。
そうだ、僕は人生を諦めていた。それも人より一足以上も早く。齢十七にして既に老成してしまっていた。
僕はボク自身の可能性を信じてすらいなかった。いや、それどころかいつの間にか彼女の心すらも裏切っていたに相違ないのだ。
認めよう。最初からバラ色の人生を諦めていたことを。そして感謝しよう。事故に遭いかけたことで彼女と出会えたこの喜びを。
そう、この美少女は、ずっと前から僕の姿を見て、僕の姿を追って、僕に恋い焦がれて、今ここに命の恩人として駆けつけてくれたのだ。
じゃなきゃこんなベストなタイミングで僕の身体を身を呈して救い、今こうやって無事な僕の姿を認めて半泣きになんてならないからだ。
むしろそれ以外の可能性を思い浮かべるのがムリってもんだ。
――いいじゃないか、リア充。なっちまえよ、リア充。
僕の中でもうひとりの僕が囁く。フフ、それはあまりに甘美な響きだ。
そうだ、考えれば、僕だってリア充をやってみたかった。
放課後に制服デートをしたり、二人でひとつのジュースをストローで飲んだり、同じ柄のセーターを着たり、クラスのみんなからバカップルとかはやし立てられて「や、やめろよー」とか恥ずかしがりながら言ってみたかった。
そんな未来予想図がわずか数秒の間に写真にして何百葉と頭の中に浮かんだのだが、それはひとまず脇に置いておくことしよう。
えーと、まずは命を救ってくれたお礼だよな。
僕は顔面の筋肉を総動員し、妻夫●聡になった気分でこう言った。
「あの……命を救ってくれて、どうもありがとう。君、名前は?」
そうだ、ここで少女はぱあっと花咲くような笑顔を浮かべ、それから自分の名前を名乗って――。
「バカっ!!」
そう思った瞬間、ピシャリと頬を張られた。痛い!
だがまだだ、まだイケメン化を解いてはならぬ。
僕は自分に言い聞かす。そうとも、これもまだ想定の範囲内ではある。
なにせ僕が命を失いかけたのはさっきの今。
混乱せし少女は、きっと大事な人である僕の命が救われたことによって、感情が波打っているはず。
だからまずは危ない目に遭うようなことをした僕の頬を打ち、それから僕の胸板に顔を寄せてえぐえぐとぐずるように泣いたのち、僕のことをいとおしく抱きしめるに違いない。
僕はこのときそんなことを思い、イケメン化を解かずに再び顔を上げたのだが――。
そこには夜叉がいた。
でもって、夜叉の瞳は涙に濡れていた。
そして安堵ではなく、憤怒の形相を浮かべておられた。
あっ、あっれー!?
僕が予想だにしない美少女の表情の変化に戸惑いを隠せずにいると、今度は当の夜叉、ではなく美少女がとんでもないことを言い出したのである。
「あんたなんてことするのよ! あのトラックは私のことを撥ねるはずだったのに!」
認識訂正、僕はこの美少女のことを危険人物と把握することにした。
◇◇◇
――だが、いくら危険人物とはいえ命の恩人である。普通人を気取る僕としては、お礼をしないわけにはいかない。
そんなわけで、僕はあのあとつーんとおすまし顔を浮かべる美少女を半ば無理矢理ファミレスに誘い、とりあえずなんでも好きなものを頼むよう頭を下げてお願いすることにしたのである。
最初は寡黙だった少女も僕の再三に渡るお願いにほだされたのか、それとも単にお腹が空いてきただけなのか、メニューを手に取ると目を皿にするようにそれを吟味し、それからドデカいにも程がある態度で店員を呼びつけた。
「ゴージャスステーキ定食、フルーツパフェとチョコパフェ、それに杏仁豆腐盛り合わせ、あーあとこの苺ショートケーキをホールで……あのね、ホールよ? わかる? ひとつ丸々持ってこいって言ってんの。あんた店員歴どのくらい? そんなことでファミレスでやってけんの? 使えねーヤツって、同僚から裏で陰口言われてんじゃないの」
失礼千万にもほどがあることをおっしゃるこの美少女の胃袋は哀しきかな宇宙だった。でもって輝かしき僕の一月は死んだ(お小遣い的に)。
しかし一月分の小遣いが吹っ飛んだ甲斐はあったのか、お腹が膨れた少女はまだそれなりに不機嫌ではあるものの、怒りの表情はやや雪解けを迎えていた。
「で、なにが訊きたいの?」
「なにが訊きたい、とは?」
「あのねぇ……あなたそのためにここまで私を連れてきたんじゃないの? それとも、あんな超ジャストなタイミングで事故に遭いかけた人間のこと助けられるJKがこの世にいるとでも?」
心底呆れたといった表情で少女がそんなことを言う。
この瞬間までその発想はなかったが、そう言われればそうである。
「じゃ、じゃあ訊きますけど、どうしてあなたは僕のことを助けられたのでしょうか……」
するとこの美少女はフッと鼻を鳴らし。
「……愚問ね、そんなの、最初からトラックが突っ込んでくるのがわかっていたからに決まってるじゃない」
トラックが突っ込んでくるのを予期していた? ……まっ、まさかこの少女って、時を駆ける系だったり?
「あのね、今あなたがなにを考えているのか私にはうっすらわかるから一応言うけど、私別にタイムリープとかそういうラノベみたいな特殊能力が使えるわけじゃないからね」
「そ、そうっすか……」
何故だろう、ちょっと残念なんだけど。
「私が行ったのはそういう特殊能力じゃなくて、再三に渡る綿密なリサーチよ。あの暴走トラックはこの時間帯いつもあの道を通り、睡眠不足の運転手の手によりいつ事故を起こすとも限らない状態にあった。そして今日、あの場所で、予定では人を撥ねることになっていたの」
「人を、撥ねる……?」
「ええ、他でもない、この私をね」
ニヤリと口元を歪め、そして美少女はスッと自らのスマートフォンを制服のポケットから抜き出し、テーブル上に滑らせた。
そして軽快なタッチで画面を起動すると、やがて開いた一枚のページを僕の顔に向かって突き付けたのである。
そこに踊る文字を、僕は反射的に読んでしまう。
「えぇっとなになに……『トラック事故から始まる異世界転生』だって?」
それはとある大手小説創作サイトでつい最近話題になっている作品であった。そう言えばクラスの友人連中も何人か読んでいて、話題にしてるのを聞いたことがある。
これがさっきのトラック事故未遂となにか関係が……そう考え始めた矢先、僕は大変な事実に気付いた!
この女――くっ、狂ってる!!
僕がテーブルの下で握った拳のことなどよもや把握などしていないだろうが、このとき、美少女はにぃっと愉しそうに笑ったのだった。
「……そーよ。ようやく気付いたようじゃない。私は今日、あの暴走トラックに撥ねられてこの世からオサラバし、剣と魔法が跋扈する異世界に転生するはずだったの。あなたという邪魔が入らなければね!」
ヤバい! ヤバい! 薄々感づいていたけれど、今完全にハッキリしてしまった! コイツ本当にヤバい!!
ここは一刻も早くこの場所から立ち去り、この女に二度と関るべきじゃない! そうとも、僕の平凡普通な人生に、こんなエキセントリックな存在は最初から不要だったのだ!!
そんなことを思いつつ、僕が学生鞄片手にその場から辞去しようとしたところ、後ろから腕を引かれて案の定動けなくなったのである。
「ここまで聞いといて逃げようっての? ……あなた、名前は?」
「さ、佐々木啓介と申します」
「そう、私の名前は中尾ゆかりって言うわ」
ギギギ、と某マンガみたく段階的に首を巡らせて振り返る僕に、そうして中尾さんはニッコリと素敵すぎる笑顔を振り撒いて――。
「あなた、明日から私の訓練に付き合いなさい。私を殺さなかった責任、ちゃんととってもらうんだから」
そんな空恐ろしいことを言ってのけたのであった。
◇◇◇
「――ひゃうっ! ひゃうひゃうっ!!」
時計の針は巻き戻る。
現実から逃避し、過去のあるターニングポイントを回想していた僕は、またしても酷薄なる現実との戦いに身を投じていた。
「コラー! 佐々木くん、そこ逃げないの! 大人しくぶつかってド派手に吹っ飛びなさい!!」
「ちょっ、そんなの無理だってば! 死ぬってば!!」
「だから死になさいってさっきから言ってるじゃない! 壁に向かって吹っ飛んで! いい、頭からよ! 人体の急所その1を猛スピードでぶつけるの! そしたら苦しまずに死ねるわ!」
「いやでーす! 死にたくないでーす!」
僕は先程から某少年マンガのタンクローリーやロードローラーみたいに、中尾さんが押して寄越す過積載の台車の連撃を、身体に当たる限界スレスレでかわしていた。
思えば当初、僕の身体を使っていかに上手くトラックに撥ねられて死ねるかを実権していたこの特訓も、今やその意味が薄れて、単に中尾さんが僕に向かってオブジェクトをぶつけるだけの催しになっている。
最初の頃は痛くて辛くて嫌だった。
だって中尾さん、手加減とか一切してくんないし……。
でも最近、僕は思うのだ。
こうやって、僕に向かって過積載の台車を押している中尾さんはとてもいい表情をしているなって。
少なくとも、この特訓と称したモノが始まって以降、中尾さんは僕に異世界についての憧れを語ったりしなくなった。
その代わりに、放課後に僕のクラスまでやってきて、僕のことを体育館まで拉致……ではなく、連れてゆくようになったのだ。
最初の頃はわけがわからなかったけれど、きっとそれは、彼女にとっていい傾向なのだと思う。
そして、もしもそれに僕が協力できているっていうんなら、それは僕にとってもとても喜ばしいことだ。
だけど、いつかもし、また中尾さんが異世界に行きたいって思うようになったら。
今度もしまた、トラックに撥ねられて死んでしまおうとしたなら。
――助けよう、今度こそ。
僕が中尾さんにそうしてもらったように、今度はボクが中尾さんをトラックから救ってみせる。
何故ならそれが、これからも平々凡々な人生を歩いてゆく僕に待ち受けている最大の冒険で、命を救ってもらった僕の最大の恩返しなのだから。
「って、のわぁっ!!」
なーんて、浸っていたせいで、僕の背中に台車がぶつかり、盛大にクラッシュしてしまった。
「きゃっ! ちょっ、ちょっと佐々木くーん!!」
竹刀を投げ出し、慌てた声を出してこちらに駆け寄ってくる中尾さん。
あーあ、あのときは怒りながら僕を助けてくれたのに、こんなに慌てちゃって。
それでも心配させたくなくて、僕は即座に痛む身体を起こす。
「……あー、これくらい平気平気」
「しっ、知ってたわよそのくらい! 今度はちゃんと避け……当たって死になさいよねっ!」
そして思うのだ。
こういう青春ってのも悪くないもんだなって。
コメディ書いてたらラブコメになってしまった。
不徳の致すところであります。




