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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
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第九話

 その日、絵里は珍しく眠らずに夫が福岡の出張先から戻るのをリビングで待っていた。絵里は昨夜の事を思い出すと夫の顔も見ずに眠れる心境ではない。

 颯太の発作を思い出すとその時の自分の取り乱しように比べ、夫はさほど気にかけている風もないことが薄情に思えて仕方なかった。絵里はもっと夫に子育てに参加してほしかった。長男雄太が誕生した頃はお風呂に入れたりおしめを替えたりと、もう少し積極的だったように思う。が、颯太が生まれる頃には夫は忙しく、結婚当初の 〈 育児は夫婦で 〉 という絵里の思いは夫には通じなくなっていた。この頃ではこども達の世話は常に絵里任せになっていて意見さえ言おうとしなくなっていたが、それさえも絵里が折れてきたつもりだった。なまじっか口出しをされない方がやり易い…絵里は良い方向に考える事で夫へ理解を示してきたつもりだ。が、今夜ばかりはそんな夫がどうしても許せない。連絡がつかなかったことも本人に確かめなければ到底納得できそうにもなかった。

 深夜まで待っても帰ってこない夫に、出張の日くらい早く帰れないものか…絵里は苛立ちを募らせていた。

 しばらくすると、家の前からエンジン音が聞こえてきた。車庫でその音が止まるのを聞くと絵里は表情を引き締めた。今日はキツく言わなければ気が済まない…絵里は夫が入ってくるのを待ち構えていた。そこへ夫が静かに玄関のドアを開ける気配がし、リビングに入ってくると妻が寝ずに待っていた事に驚いたのか、少し目を見開いて

「…起きてのか…」

 言うと、上着を脱いだ。

「昨夜、どこに泊まったの?」

 絵里はすかず尋ねる。

「博多だよ」

 夫はキッチンへ行くと冷蔵庫から冷茶を出し、コップに注ぎながら答えた。

「博多のどこ?」

 絵里はキッチンまで夫を追いかけながら声の抑揚に気をつけながら尋ねた。奥の部屋には義母が寝ている為、あまり大きな声は出せない。

「…博多港の近くだよ」

 夫はコップを手にしたまま絵里の前を通り過ぎると、リビングのソファーにどっかりと腰をおろした。

「昨日、港の近くのいつものホテルに電話したら泊まってないって…」

 絵里は、夫の顔を見つめると落ち着き払った声で昨夜の出来事を告げた。

「…ああ…予約が一杯だったんだ」

 夫は、顔色も変えずに答える。

「どこに泊まったの?」

 絵里は隣に座ると尚も訊いた。

「…中州川端の駅の近くだったかな…急だったから名前はちゃんと覚えてないけど、会社に行って調べれば分かる」

 夫はワイシャツのカフスを外しながら淡々と答えた。

「連絡ぐらい出来ないの? 忙しいのは分かるけど、どこに居るのかくらい知らせられるでしょ? 急な用事の時に連絡がつかないなんて困るわっ。颯太、大変だったのよっ」

絵里は昨夜の心細さや戸惑いをぶつけた。夫は絵里が切々と訴える昨夜の出来事をや自分への愚痴を黙って聞いていたが

「…悪かったよ、これから気をつけるよ」

 くぐもった低い声で呟くように謝ると素早い身のこなしで立ち上がり、逃げるようにバスルームへ消えてしまった。

 そんな夫の後ろ姿を見ながら思わず絵里はため息をついた。クッションを抱えソファーに座り込んでいたが、お湯に浸かっているらしい夫を待つのに飽きた絵里は、先に寝室へと向かった。


 ベッドで横になりながらも、絵里のもやもやした気分は晴れない。

 どうやら、昨夜の出来事は絵里が自覚している以上にショックだったようだ。

 夫が自分を欺いてるとは思いたくない。しかし、宿泊先も曖昧な上に心底悪かったと思っている節が感じられない。口先では謝るが、颯太のひきつけの事も「体した事なかったんだろう」という思いが言外に現れていた。絵里が言いたいのは事の大小ではない。夫がさほど心配してない事もさることながら、いざという時に連絡がつかない事態の重大さだった。絵里には夫が無責任に思えたし、夜遊びでもしていたのではないか…そう考えると、どうしても穏やかな気持ちになれないのだ。スタンドだけのぼんやりとした灯りの中で不満を言い足りない絵里は、夫が寝室に来るのを待ちわびていた。

 そんな絵里がいる寝室へようやく風呂からあがった夫が入ってきたものの、背を向けるようにさっさと自分のベッドへ入ってしまう。

 絵里はゆっくりと起き上がると夫のベッドに腰掛け

「ねぇ」

 声を掛けた。

「…昨夜、何してたの?」

 更に低い声で尋ねた。が、夫は答えようとしない。今、床についたばかりなのだから寝ているはずはない。

「…ねぇ……したくないの?」

 絵里は夫を試すように甘えた声になると耳元で囁いた。

「…いい歳して何言ってるんだよ」

 夫は背をむけたまま口ごもるように答えた。

「歳なんて関係ないじゃない。夫婦なのよ…当然でしょ?」

 そのまま夫の布団へ潜り込もうと掛け布団の端を持ち上げた瞬間

「疲れてるんだ…寝かせてくれよ」

 夫はうるさそうに言うと絵里が入れないよう布団を引っ張り、自らの体に巻き付けるようにして、絵里との間に防護壁を築いてしまった。

 そんな夫の仕草に絵里は呆気にとられた。夫はまだ四十三歳だ、性欲が無いはずはない。健康を害した様子もなかった。絵里は、夫は出張の際に遊んでいるのではないか…直感的に、そう思った。

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