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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
33/35

第三十三話

 自然豊かなこの動物園は一部を除き餌をあげ放題だ。おかげで直に動物と触れ合える事から、雄太はこの動物園がお気に入りだ。

 ハメを外しそうになる我が子を気遣いながらも、絵里の問いかけに一瞬眉間に皺を寄せた夫は

「おーい、危ないぞ!」

 こども達に声をかけ、やや小走りに絵里から離れた。

「どうして、そんな女がここに居るの?」

 それを追う絵里は重ねて訊くが、夫は無表情のまま答えようとしない。

「言ってよ!!」

 絵里を無視して夫は雄太と颯太に歩み寄るが、とぼけているのは明らかだ。絵里が苛立った声を浴びせると、雄太と颯太は自分が怒られていると勘違いした様に固くなってしまった。

「なんて声を出すんだ! 怯えてるだろっ」

 夫がそんな絵里を責めると

「あなたのせいじゃない!」

 負けじと言い返す絵里に夫は溜息をついた。颯太おぶい、雄太の手を引くと

「…ママ…?」

 絵里を置き去りにするかのように夫はズンズン進んでいくが、雄太は絵里を気遣い振り返る。夫は雄太の声に立ち止まったものの、絵里を見ようとはしない。

「むこうにカピパラがいるぞ。見たかったんだろう? …ママは大丈夫だよ」

 夫は雄太の気を引こうと明るく言うが

「…大丈夫じゃないわ」

 夫の態度にカチンときた絵里はふてくされたように呟いた。

「いい加減にしろ!」

 夫は怒りを露にした。その声に颯太は泣き出しそうな表情に変わり、雄太は立ち止まったまま動こうとしない。夫は舌打ちすると溜息をつき、近くのベンチに颯太を座らせると、あやし始めた。

「雄太!」

 夫がベンチから雄太を呼んだ。何やら言い含めた後、子ども達をそのベンチに座らせたまま絵里に歩み寄った。

「何が不満なんだ。俺に言うのは構わない。でも、今日みたいに子どもを連れて遊びにきてる先であれこれ言うなよ!」

「…家ではお義母さんにそう言われ、出先では子どもをだしにあなたにそう言われ…私、どうすればいいの!?」

 ややヒステッリクな絵里の態度に夫はうんざり気味だ。近くの売店へ視線を移した夫はそのまま絵里から離れると、間もなくお菓子と飲み物を手に戻ってきた。ベンチで待つ子ども達に手渡し

「むこうへ行こう」

 フードコートへ移動するよう促す。

 雄太と颯太を座らせると、夫は少し離れた席の椅子を引き、絵里にも座るよう目で合図をした。二人はテーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろしたが、夫は、背後に座る子どもを振り向き、気にかけながら

「何が言いたい」

 深刻な表情で絵里に訊いた。

 思いがけず改まって訊かれた絵里の視線の先には、あどけない颯太の顔があった。絵里は覚悟を決めたように真正面に座る夫を見据えると切り出した。

「…別れてほしいの…」

 絵里が言うと、夫は椅子の背にもたれたまま腕組みをして黙り込んだ。

 こんな風に冷静に話し合う機会は滅多に無い…絵里は、サオリの名前を出し勢いづいたのか、この場で夫の真意を問いただす事にしたのだ。見つめ合ったまま長い沈黙の時が過ぎる。

「………誰と?」

 夫は表情を変えずに尋ねた。絵里は静かな、しかし、キッパリとした口調で言う。

「サオリと」

「………サオリ、ね」

 毅然と言い放つ絵里の様子に夫は薄笑いを浮かべると、低い声で呟いた。目の前に居る絵里から顔を背けると、そのまま再び黙り込んでしまった。『離婚してほしい…そういう意味だと思ったのかしら』絵里はぼんやりと夫の心中を推し量りつつ、小さな顔にバランスよく配置された顔のパーツを、一つ一つなぞる様に眺めていた。

「サオリでしょ」

 強気な絵里は迷いを見せずに言った。考えるような顔つきで押し黙っていた夫が、低い声で呟いた。

「………仕事だ」

「深夜に女のマンションに行くのが、仕事?」

 動かぬ証拠を掴んだ気で居る絵里は、引導でも渡すような口調で言った。

「…は?」

 とぼける気らしい…そう感じた絵里は、思いあまって口走った。

「…今まで黙っていたけど、少し前に写真が送られてきたのよ」

「…写真?」

 怪訝そうな夫を前に、絵里は続けた。

「……匿名の封書が送られてきて……見たら、あなたが写っていたの。…レンガ色のマンションから出て来る写真よ」

「…」

 絶句しているのか、黙り込んだ夫は絵里を見つめた。夫に白状させるにはあの写真を使うしか無い…絵里はそう思い、咄嗟に嘘をついたのだ。

「……匿名ねぇ……どんな写真か知らないけど、ホントに俺?」

 夫は、淡々と訊いた。

「間違いないわ、あなたよ。…今まで、言い出せなくて……」

 絵里は俯くと口ごもった。そんな絵里に夫はうそぶいた。

「女のマンションだなんて決めつられても困るな」

「じゃ、誰の?」

「……写真を見ないと分からないよ」

「とぼけないで、確かにあなただったわ!………帰ったら見せてもいいわよ。…誰の家なの?」

 絵里は、夫の一挙手一投足を見逃すまいと睨む様に注意深く見つめていた。

「………関係ないだろ」

「関係あるわよ! 何言ってるの?」

 悪びれた様子も無くとぼけようとする夫に、絵里は思わず声を荒げた。

「周りは暗かったわ…夜、撮られた写真よ。あなた毎晩どこへ行ってるの? あのレンガ色のマンション…………どこかで見たような気がするんだけど…」

 シラをきろうとする夫にプレッシャーをかけるよう、絵里は写真で見た風景を思い出す演技をしながら思わせぶりな口調で言った。しかし、夫は毅然とした態度を崩さない。

「誰のマンションに誰と何時に何をしに行こうが君には関係ない」

 言うと、絵里の企みを意に介さぬような強い視線を向けた。

「……あなたって……そんな言い訳が通用すると思うの!?」

 堂々とした夫の様子に絵里は一瞬怯み、言葉を失いながら、強い調子で抗議した。

「言い訳じゃないよ! だってそうだろう」

「わたしたち、夫婦でしょ?」

 夫の言葉を遮る様に絵里が言った。

「……ああ、そうだ、夫婦だ」

「なのに、関係ないの?」

「関係ないね」

 夫は腕組みしたまま絵里を正面から見据えると低い声で言った。

「……どうして?」

「夫婦だったら全てを話さないといけないのか?  夫婦だったら仕事の内容までいちいち事細かに報告しないといけないのか?」

 夫はやや気色ばんで反論した。

「訊いてる事くらい話してよっ」

 はぐらかす夫に絵里の怒りは高まっていく。

「話してるよっ! 君が信じないだけだ!」

 夫の断固とした態度に絵里は二の句を告げられないまま、呆気にとられた顔で眺めた。

「………だったら疑われるような事しないで」

 目を見開き、喘ぐ様に言う絵里の言葉に夫は溜息をつくと、真後ろに座る子ども達の席を振り返った。おとなしく菓子を頬張る様を認めると、夫は思い直した様に絵里に向き直り静かに言った。

「……君が疑ってるんだ」

「…」

「…尾行したり、人の物を盗み見したりして、勝手にイライラしてるだけじゃないか」

「尾行なんかしてないわ!」

 何故、サオリの名前まで出しているのに夫は動揺しないのか…絵里の声は一段と高くなった。

「私があなたを尾行したと言うの? 変な事言わないでっ! 頭、おかしいんじゃないのっ?」

 絵里は狂言を見破られまいと、必死で夫を責めたてた。夫はうんざりした顔で上目遣いに絵里をまじまじと見つめ、深い深い、わざとらしい溜息をついてみせた。

「君がベッドの下にへそくり隠してるの知ってるよ。そういうのは報告しなくていいの?」

「それとこれとは別でしょっ?」

 絵里は顎を挙げ、夫を見下すような表情で吐き捨てる様に言った。

「どこが別なんだっ」

「話をそらさないでよっ!」

 妙に冷静な夫の様子に絵里の苛立は募る一方だった。写真という、動かぬ証拠を突きつければ夫は狼狽し、白状する…絵里はそう思っていた。しかし、夫は一向に怯まない。

「……へそくりするのが気に入らないのね。分かった、やめるわ。だからあなたもサオリと別れて」

 絵里は呼吸を整え、冷静さを装いつつ言った。

「………どうしてサオリだと思う?」

 女と別れてほしい…そうキッパリと要求する絵里を、夫は眼光鋭く睨みつけると低い声で尋ねた。

「それは……」

 絵里は芦崎から口止めをされた時の光景を思い出していた。思わず口を閉ざし、逡巡するす絵里を夫は更に追いつめる様に訊いた。

「どうして?」

 長い沈黙の後、絵里は呟いた。

「………聞いたのよ」

「何を?」

「……サオリだって…あなたが付き合ってるのはあの女だわ…」

「誰から訊いた?」

「……」

「食事にでも誘って聞き出したんじゃんないのか?」

 絵里の心を見透かした様に夫が言った。

「!!」

「…誰から聞こうと構わないよ。ただそうやってコソコソかぎ回って楽しいか? 悪趣味だよなぁ。…気が済んだ?」

 夫は既に芦崎から報告を受けている…そう感じた絵里は、軽蔑の色を浮かべながら非難する様に言った。

「あなたって、ひどい人。…騙してたのよね」

「さっきから聞いてると自分は被害者みたいだな」

 夫は終始落ち着き払っており、絵里の言い分を悉く(ことごとく)否定する。何をどう言えば夫の心に響くのか、絵里にも見当がつかず戸惑っていた。

「被害者だわ」

「…君は、結婚をしたっかたんだよな? ………君からキスをされて、迫られて付き合いが始まった…。付き合い始めたら今度は君は結婚したい、と言い出した。……君は好きな男と結婚をした。辞めたかった仕事を希望通り寿退社したんじゃないか。何が不満なんだ?」

「……」

「君は幸せだよ。これ以上、何が欲しい?」

 夫は目の前の絵里に視線を注ぎながら冷静に言った。

「……ひどいわ」

 なじる絵里の声をかき消す様に夫はたたみかけた。

「いい加減にしてくれっ。…そんなに不満なら無理に居てくれなくてもいいよ!………出て行け、とは言わない。でも、イヤなら引き止めないよ」

 恨みがましい視線を浴びせ鋭い口調で責める絵里に、夫は疲れた表情で言った。

「…あんまりだわ」

「俺は、君が何を求めてるのか分からない。自分の思いどおりにならないからと文句を言い、こどもの前でヒステリーを起こし、人の生活をコソコソかぎ回って……理解できないよ」

 冷ややかな視線を絵里に向けると突き放すように言い放ち、後ろに座る子ども達を振り向いた。

「君は母親なんだ。…出て行く気がないなら主婦として家をしっかり守れよ」

 夫は非情に言うと

「いい子だなぁ」

 おとなしく待つ雄太と颯太を明るい声で褒め、絵里を置いて立ち上がった。

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