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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
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第三話

 絵里は、先程のやや深刻な望美の表情が気になった。

「何かあったの?」

 幼稚園の門がある路地から広い通りへ出る為、左右の往来を確認しながら絵里が尋ねた 。

「…ん? 何かって?」

「さっき…言いかけたじゃない」

「…ああ…」

 望美は終った話だと思っていたのか、絵里に訊かれると思い出したように相槌を打った。

 しかし、そう言ったきり考え込む様子で口を真一文字に結んだままだ。やがて車が途切れると五人を乗せた車は左折し、広い通りへ出ていた。

「………うーん…言っていいのかな…」

 望美の声は小さく、言い難い話なのか口ごもった。後ろの席ではこども達が幼稚園で覚えてきた歌を歌っており、車内は賑やかで、絵里はあやうく望美の言葉を聞き漏らしそうになった。

「何?」

 そんな様子をバックミラーで見遣りながら絵里が訊いた。

「……」

 それでも望美は前を向いたまま、なかなか言おうとしない。焦れったくなった絵里は

「もったいぶらないで言っちゃいなさいよぉ」

 長年付き合いのある気安さからか、冗談めかしてけしかけた。

 そんな絵里の言葉が躊躇っていた望美の背中を押したのだろうか。低いが、はっきりとした口調で、それまで溜めていた言葉を切り出した。 

「この間、崇福寺の近くの割烹から、女の人と出てくるところ見たんだ」

「誰が?」

 てっきりいつもの噂話だと感じた絵里は何気なく尋ねた。一つ目の交差点で信号待ちをしている時だった。

「…ご主人」

 望美は少し含みのある声音で答えると、運転する絵里の顔色を窺うようにチラリと見た。

「………うちの?」

 その瞬間、信号が青に変わった。絵里は話に気を取られながらもアクセルを踏み、ぼんやりとした口調で訊き返す。次の交差点を左折すると間もなく望美の家だ。

「…仕事でしょ」

 思いがけず夫の事を持ち出された絵里は戸惑いを感じていた。

「…うん。そう思ったんだけど…実は、前にも見たんだよね…」

 望美は自分で言いながら気まずいのか、左側の窓の外へ目を向けると、息を殺したように黙り込んでしまった。

「……前って…」

 絵里は曖昧な感じで呟くと、望美の住むマンションの前に車を着けた。

「……海岸通りのファミレスで…。夏休みに親戚が来てる時だったかな…子ども達、興奮してなかなか寝なくて。かなり 遅い時間だったんだけど、ぐずってしょうがないからドライブがてらみんなでちょっと、お茶飲みに寄ったんだ。その時に、奥の席に女の人と…あんな時間にあんな場所で女性と二人って不自然だな…って、気になってたんだけど絵里に言っていいのか、ちょっと迷って…」

 望美はジッと見つめながら、無表情に低めの声で淡々と言った。

「見間違いじゃないの?」

 絵里は、助手席の望美の顔に視線を当てながら、つられたように声をやや潜めて尋ねる。

「ううん。間違えるはず無い」

 確信を持っているのか、望美は真直ぐに見つめ返すと断言した。その様子は「勘違い」と誤摩化した先の作り笑いとは変わって、嘘は感じられない。真摯に見つめる望美と目を合わせると、それまで真剣に耳を傾けていなかった絵里から笑顔が消えていた。が、そこまで聞いても夫を信じきっている絵里には望美が言わんとする事が理解出来ない。

「……人違いよ、主人じゃないわ。そうだとしても、打ち合わせとか、仕事なんだと思うわ…たまたまよ」

 絵里は強い眼差しで見つめる望美に一瞬怯みながらも、思考をフル回転させると言葉を選びながら否定した。望美の口ぶりは夫が浮気していると疑っているようだ…絵里は、侮辱されたようで落ち着かない気分だった。

「……そうだよね」

 絵里の表情がやや固くなるのを見た望美は、急に労るような優しい声色になると取りなすように言った。

「ね、お家着いたから、ありがとって言いなさい」

 自らの発言で少し険悪になったその場を避けるように、後部座席の我が子に礼を言うよう促した。

 絵里は愛想笑いをするのも忘れていたが、望美がそそくさと車から降り、ドアを閉めようとした瞬間

「ねぇ!」

 急に引き止めると

「…今の、誰にも言わないで」

 絵里は咄嗟に口止めをしていた。

 望美は一瞬キョトンした表情で絵里を見つめていたが、絵里の真剣な顔つきを認めると何事も無かったような笑みを浮かべ

「うん。…じゃ」

 目配せするように応じ、マンションのエントランスへ入っていった。


 絵里は考えがまとまらなかった。しばらくその場でぼんやりしていると、突然、後ろから

「バシッ!」

 長男の掛け声とともに帽子が飛んできた。絵里が我に返ったように振り向くと、母の驚く様を見た雄太が声をあげて笑った。

「もうっ!」

 望美の言葉で物思いに耽っていた絵里は、それを雄太に邪魔をされると、ふてくされたように帽子を投げ返し睨みつけた。悪ふざけを咎められると思ったのか、しゅんとした様子で急におとなしくなった我が子を見ると、絵里はがっかりしたような悲しげなため息をついた。何が面白いのか分からないが、これでは真剣に考え事もできない…と、息子の様子にやや呆れ顔の絵里は、望美の言葉にむしゃくしゃしながら車を発進させた。

 突然、主人の悪口を言うなんて望美のやっかみなのだろうか…夫の悪口を吹き込もうとする友人が癇に触った。妙な噂を流されては困る…絵里は、夫婦の体面が傷つけられたように感じながら、先の話を真に受けないよう自分に言い聞かせ ると、ホームセンターへ車を走らせた。

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