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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
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第二十五話

 躊躇う絵里を見ていた母はやがて娘の瞳をジッと見つめると、低い声で言った。

「……もしかして…遼さん、浮気?」

 それを聞いた絵里は驚いた表情で思わず母の顔を見返した。母は少し目を伏せると小さな笑みを浮かべテレビに視線を移した。しかし、その顔は何もかもを悟ったと語っているようだった。

「なんでわかったの?」

「………顔に書いてあるもの」

 絵里が訊くと母は涼しい顔でお茶をすすると淡々と答えた。母親の勘は鋭い…絵里は返す言葉もなかった。

 やがて母は立ち上がると冷蔵庫から絵里の好きな枇杷ゼリーを持ってきて

「好きでしょ」

 そう言いながら絵里の前に置いた。

 絵里が実家を離れて以来、母は娘の好きな食べ物を買い置きするのが癖になっているらしく、こうして不意に訪ねても何かしら、絵里の好きな菓子などが出てくるのだった。

 絵里は最近食欲が落ちていたが、母の気遣いが嬉しくてゆっくりと冷えたゼリーのフィルムをはがした。スプーンでゼリーを崩し始めるとその様子を眺めていた母が

「…こんな事言うのは酷なんだけど……いつか、そんな事もあるんじゃないかって思ってたんだ…」

 俯き加減でしみじみとした感じで呟いた。

「どうして?」

「…だって、見ればわかるじゃない」

 母は目配せしながらひそひそ話をするように声を落した。

「どういう事?」

 しかし、母は答えず、そのまましばらく二人でゼリーを黙々と口に運んでいた。半ばまで食べ進めたあたりで母がスプーンを置くと、改まった口調で切り出した。

「…お父さんがね、初めて遼さんに会った時、お母さんに『絵里が苦労しなければいいけど』って心配してたのよ」

 組んだ腕をテーブルに乗せると、前屈みの姿勢で言った。それを聞いた絵里が

「お父さんが?」

 尋ねると

「…遼さんはいい人よ。私、よく掴まえたなって感心したもの。…結婚するならいいか…って言ってたんだけど。…でもねぇ、あれだけの人だものぉ…何も無いはずないわよね」

 母はため息まじりに「がっかりした」と、付け加えた。明るい母もやや深刻な表情だった。せっかく射止めた娘婿が女癖が悪かったと知り、予想していたといいながらも母はショックを受けているようだ。

 絵里は枇杷を口に入れながら呟いた。

「…最近帰って来なくて…」

「!? …本当?」

 母は一瞬目を見開いて驚き、身を乗り出すように訊いた。

「…開き直ったように朝帰りするの…」

「いつから?」

 母が険しい表情で尋ねた。

「……二〜三年前かな…」

 食べ終えた絵里はため息まじりに芦崎の話を思い出しながら答えた。

「今まで気付かなかったの?」

「……だって。仕事って言うから…」

「いくらそう言われたって分かりそうなものじゃない…どうせ、のんびりしてんでしょ?」

 母は、まるで絵里が監督不行き届きだとでも言いたそうな少し呆れた顔で言った。

「信用してたの!」

「あんたね…大事なものは離しちゃいけないのよっ そんな風だから盗られるの!」

「そんなんじゃないわっ」

 思わずムキになって反論する絵里に母は

「……朝帰りね…お義母さんは、知ってるの?」

 淡々と訊いた。

「…なんとなくはね」

 ふてくされたように俯いた絵里は小声で答えた。

「なんて言ってるの?」

「黙っていればそのうち帰ってくるって…」

「…あちらのお義母さんも…息子の事だから見ないフリしてるんでしょ?」

 母はため息をついた。

「…」

「…亡くなったお父さんって二号さんいたんじゃなかった?」

「うん」

 二人は向かい合わせに座りながら同じタイミングで頬杖をついた。

「血は争えないわね…遼さんに注意してくれないの?」

「……」

「…まったく…嫁だからって我慢させる気なのよ。…帰ってきちゃえば?」

「え?」

 母は静かな口調で絵里を見つめながら言った。

「ヘンな意地張って我慢する事無いわ。あんまり辛かったらここへ帰ってくればいい」

「お母さん?…」

「迎えに来るかしらね…」

 そう呟く母の顔は真剣だった。

「…」

「……カエルの子はカエルよ。浮気ならまだいいけど何年もそんな状態なら、お義父さんみたいになりかねないかもよ」

 母は怒っていた。吐き捨てるようにそう言うと

「他人の子だと思って失礼しちゃうわ…あんたに我慢させるなんて…」

 ぶつぶつと義母の悪口を言った。

「…切ないとは思うわ、お義母さんも…」

 絵里は思わず母から視線をそらすと、義母をかばうように呟いた。

「それにしたって!………まぁ、四十過ぎて遼さんも母親の言う事も聞かないか…お父さんに言ったら『ほら、みろ!』って言われるわよぉ」

 母は絵里を横目で見るとため息まじりに言った。

「…でもどんな女かしら…くれてやるのももったいないわね」

 母は思案するような顔つきで言うと、沈黙した。

「…さっき、玄関で顔見た時、てっきりお義母さんと喧嘩でもしたのかと思ったんだけど…。ねぇ、絵里、具合悪いんじゃない?」

 望美と同じ事を母に訊かれた絵里は、どうやらこの件で相当疲れているのだと実感するのだった。思わず苦笑いしながら

「さっき望美にも言われた」

 絵里が答えると

「そう…お母さん、遼さんに言ってあげようか?」

 母は、心配そうな顔で言った。

「やめて!…」

「だって、悔しくないの? バカにされてるのよっ?」

 深いため息をつくと頑固な娘に呆れたように言った。

「……お母さん、そんなに簡単な問題じゃないのよ……」

「…」

 母は、帰ってこい、と言ったり、そんな女にくれるのはもったいない、などと、言ってる事がころころと変わった。やはり解決策はなさそうだ…絵里はため息をつきながら、憂える娘を見つめた母も絵里と同じように心が揺れているのだと、感じていた。

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