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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
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第十四話

 その晩も、夫の帰宅は遅かった。

 明け方に目を覚ました絵里は隣のベッドに居ないことを確かめると、今日こそはとことん話を訊こう…絵里は夫の帰りを待つことにした。

 いつもなら起床時間までもうひと眠りする所だったが、最近の絵里は夫の行動が気になって仕方ない。

 望美の目撃談のせいなのか、それとも、こども達にも手がかからなくなったからなのか…結婚してすぐにこどもが出来、絵里は安心していたのかも知れない。毎日慌ただしく過ごす生活にかまけ、すっかり夫との距離が遠のいて事に気がついたのだ。夫を愛する気持ちは結婚前も今も変わらない…しかし、夫は新婚当初はともかく、家庭を顧みることもなかった…絵里がそんな事を考えていると、朝になってようやく夫が帰宅する気配を感じた。

 いつもならそんな様子を気にもとめない絵里だったが、この日の絵里は布団から起き上がるとベッドに腰かけ、夫が部屋へ来るのを待っていた。時計は朝の五時を少し回っている。

 夫は絵里が寝ていると思っているのか物音を立てぬよう静かに寝室の扉を開けた。が、薄暗い部屋でベッドに座っている妻を見ると驚いた表情を見せた後、一瞬立ち止まった。

 が、夫は何も言わずに眉をひそめるような表情のまま絵里に一瞥もくれずに顔を背けると、そそくさと自分のベッドへ潜り、待っていた絵里に背を向けるように寝姿勢を整えた。

 絵里は夫と対峙する事を辞さぬ覚悟で帰宅を待っていた。このまま寝かす訳にいかない…

「どうして、こんな時間なの?」

 低い冷静な声で尋ねた。

「…仕事だよ」

 そう答える夫の顔は絵里からは見えない。が、その声に悪びれた様子はなかった。今からでは三時間も眠れないに違いない…絵里はそんな事を思いつつ

 「どうして昨夜、帰ってこなかったの?」

 静かな口調で問いかけた。

「……」

 絵里は黙ったままの夫に近づくと、体を軽く揺すりながら訊いた。

「どこ行ってたの? 酔ってもないわよね」

「……会社のソファーでうたた寝」

 仕方なさそうにくぐもった声で答える夫に

「…望美が……あなたが女の人いるところ二回も見たって…」

「…」 

 絵里は低い声で告げた。が、何も言わない夫を前に、怒りがこみ上げてきた絵里は、抑えていた怒りを爆発させるような勢いで

「答えて!」

 問い詰めた。

「……仕事だよ」

 やや興奮し、どすをきかせた声で問いただす絵里に夫は声色を変えず冷静に言った。

「仕事って言えば私が納得すると思ってるんだ…」

 絵里は馬鹿にされているような気分になっていた。夫の背中を見下ろしながら蔑むような調子で薄笑いを浮かべると、後ろに居る妻を見ようとしない背中に呟いた。

「誰なの? 女の人って」

 絵里は、確たる証拠を掴んでいるかのように自信たっぷりに言うと、夫の肩を力一杯倒し仰向けにさせた。力づくで攻められると予想していなかったのか、力を抜いていた夫の体は苦もなく天井を向く格好になった。

「仕事だよ!」

 絵里の粗暴で居丈高な様子に夫は怒りを露わにすると、絵里の力のこもった腕を払い除け言った。

「嘘つくのはいい加減にして! 会社に泊まった? こんなに近いのに帰ってこないなんておかしいわ!!」

 絵里がヒステリックに言うと夫は絵里を睨みつけ、即座に起き上がった。

「おかしいのはどっちだ! こんな時間に怒鳴って…俺と望美さんとどっちを信じるんだ!」

 絵里はそんな夫を上目遣いで睨みつけるといきなり夫に抱きつき、体中の匂いを嗅ごうとした。そんな絵里の振る舞いに夫は戸惑いながら呟いた。

「…ちょっと…やめろよ…」

 が、構わず絵里は夫の体にまたがると、這いつくばって鼻をクンクンさせた。振り払おうとする夫に絵里はすがるような声で

「…ねぇ」

言うと、甘えた顔をして夫の下半身に手を伸ばした。

「…やめろ!!」

 夫は薄気味悪いものを見るような目で言い放ち、自分の体に乗った絵里を容赦なく、はね除けた。そのはずみで今度は絵里が仰向けにされたが、夫は唖然とする絵里から目を逸らすと

「…疲れてるんだ」

 バツが悪そうに呟いた。冷たくあしらわれ堪えきれなくなった絵里は

「…あなた、今夜何してきたの?」

 髪を振り乱し、魂の抜けたような瞳で夫を見つめたままぼんやりとした様子で尋ねた。

 いたたまれなくなったのか、肩肘をつき力なく寝そべる妻を置き去りにするように夫はベッドから抜け出した。呆気にとられた絵里が

「どこ行くの?」

 声を掛けたが夫は部屋を出、階段を降りて行く。慌てたように絵里が後を追うと、玄関近くの客間に入った夫は押し入れから布団を出そうとしていた。

「……何してるの?」

 驚いた絵里は部屋の入口に立ったまま呆然として訊いた。それを無視し無言で布団を敷き終えると寝室の様子さながらに、絵里に背を向け布団に入ってしまった。

「……何、それ?」

 絵里は激しく傷ついていた。

 当てつけがましく客間に布団を敷いて寝ようとする態度に文句を言おうとするが言葉出てこない。

 何故こんな態度を取られるのか絵里には理解出来なかった。

 悪いのは夫なのに…絵里は心の中で呟くが夫には聞こえない。こうなると言っても無駄だ…一旦は襖を閉めようとしたが、しかし思い直すと夫の布団の傍に座り込んだ。

「どうしてこんな所で寝るの!?」

 絵里は思わず大声を出した。

「私達、夫婦でしょ?  どうしてなの?」

 絵里が必死な形相で問うた。

「ねぇ!」

 体を揺するが夫は何も答えようとしない。

「黙ってないで何とか言ってよ!」

 そう言う絵里は今にも泣き出しそうだ。

「…このほうがお互いゆっくり眠れるだろう。俺は疲れてるんだ。もう、寝かせてくれ」

 苛立っているのか夫は感情を抑えるような低い声で呟いた。

「……どうしてなの?」

 望美の言葉が脳裏をかすめた。

「女がいるのね…」

 思わず口走っていた。が、夫は無言で背を向けたままだった。

「…おかしいわ…私を抱かないなんて」

 絵里は涙声になっていた。悲しさと悔しと夫の冷たい態度、そして望美の目撃談…悔しさと悲しさに浸っているのか、すすり泣く妻に

「…セックスで愛情を計るのか? 夫婦の愛情っていうのはそういうものなのかな…」

 夫の声は飽くまでも冷淡だった。

「君は母親だろ。そんな事に拘るな。思春期のこどもみたいな事言ってないで大人になれよ」

 更に重ねた。

「大人? 母親? ……私、女よ」

 ぼんやりと呟く絵里に

「…話にならないな」

 夫は吐き捨てるように言ったのが最後、そのまま頑なに背を向けたまま一言も発しようとしなかった。

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