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びーどろの団欒  作者: 小路雪生
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第十二話

 望美は明らかに夫の女性関係を疑っている様子だが、望美の思い過ごしという可能性だって充分にあるはずと絵里は話を聞いていて思った。

 絵里は心のどこかで望美を見下しているのかもしれない。そんな望美が絵里の知らない夫の情報を握り、波風を立ててている事が絵里の癇にさわるのだった。望美が夫の女性関係を詮索しているように映り、絵里の妻としてのプライドは少なからず傷ついていた。

 望美が左手に持ったソーサーに紅茶のカップを乗せると、絵里も同じようにソーサーにカップを乗せ同調してみせた。 一見すると仲良さそうに見える仕草だったが、絵里は静かに望美の瞳を見据えると一呼吸置いてから口を開いた。

「ねぇ…美容院、行ってる?」

 ふと絵里は望美の髪に視線を移しながら訊いた。

「美容院?…うーん、最近行ってないかも」

 望美は急に話題を変えられた戸惑いからか、口ごもるように答えた。

「髪って生活感出るのよね…私もパサパサで」

 絵里はそう言うと、カップの乗ったソーサーをテーブルに置きながら自分の髪に手をやった。しかし、シャンプーやコンディショナーの類は美容成分がたっぷりと配合された海外の高級品を愛用し、毎月欠かさず美容院に行ってはカラーもカットもプロ任せの絵里の髪は艶やかだった。

「絵里はいつも綺麗にしてるよ〜」

 望美は笑いながら絵里を誉めた。

「そんな事ないけど…こどもが居ると手入れも出来ないしね…」

 謙遜しながらも絵里は得意な気分だった。

 望美の夫はサラリーマンで最近マンションを購入したばかりだ。貧しくはないにせよ、余裕のある暮らしではなさそうだ。絵里は静かに微笑みながらそんな望美に勝ち誇った気分だった。

 絵里の夫は会社の経営が苦しいと言いながらも毎月の手取りは百万を下らない。左団扇の絵里にしてみれば望美の生活など圧倒している観がある。

「啓介が小学校に入ったらパートでもしようかと思ってるんだ」

 望美は他の者をやや下に見るような絵里の様子に慣れているのか、気にとめる風もなく言った。

「パート?」

「うん。…こども達だってこれから教育費かかるし、家に居ても時間がもったいないしね…絵里みたいに優雅じゃないから」

 望美は対抗心も見せずに下手に出るようにさりげなくヨイショした。

「優雅でもないわよ。うちなんておばあちゃんがいるし」

 誉められて機嫌をよくした絵里は先までの望美に対する否定的な感情を忘れたように、眉をひそめながら言った。絵里のように常におだてられ、自分中心でいられないと他者への嫉みが生じてしまう女は厄介だった。望美はそれを知っているらしく、絵里の攻撃の的にならぬよう避け、義母へその矛先を向けることに成功したようだった。

 どうやら望美の目撃情報はそれほど気にする必要はないらしい…いまひとつ説得力に欠ける印象の望美の話に振り回され、やきもきしていた絵里はその事にも腹だったしい思いを禁じ得なかったが、あまり拘るのも大人げないと心の中で密かに笑い飛ばすことにした。きっとあくせく暮らす望美のひがみ根性が見せた歪んだ情報に違いない…絵里はそう結論づける事で自らの心の平安を得ようとしていた。

 が、時計を見ると幼稚園のお迎えにはまだ早かった。絵里はポットの紅茶を注ぎ足しながら思案しつつ、望美の話を否定するつもりで再確認しようと尋ねた。

「…ねぇ、さっきの話なんだけど…ファミレスではどうだったの?」

 どうせ、体した話が出てくるはず無い…絵里は胸の内で呟きながら差し向けた話題に望美は

「おお、また話しが飛んだぞっ」

 ちゃちゃを入れながらも応じた。

「…うーん、瀧蔵さんはこっち向いて座ってたんだよね。…女の人は背中を向けてたかな。でも、二人とも妙に顔が近くて慣れ慣れしい感じで…瀧蔵さんも私なんかに会う時より素っぽい表情だったし…」 

 望美は記憶の糸を手繰るようにゆっくりと言った。

「望美は顔が見えるくらい近くに居てバレなかったの?」

 絵里は夫の不貞を知るため、というより、つまらない話を絵里の耳に入れたがる望美の真意を探るような気持ちで訊いた。収入も見た目も経歴も自分の夫を上回る瀧蔵に憧れ、嫉妬しているのだ…絵里は穿った見方をしているせいか、つい、望美への不信が滲み出るような訊き方になってしまう。それは絵里の思い上がりなのだが、当の本人はそんな自分の心に気がつかない。

「だーかーらー…離れてたけど、雰囲気がそうだったのっ」

 容易に信用しない絵里を相手にする事に疲れたのか、望美は憮然とした表情でやや投げやりに言った。

「…ふーん…でも、顔は見てないんだよね」

 絵里はそんな望美の反応を無視して念押しした。

「細かいパーツは分からないわよ。でも、遠目には綺麗な人だったような………色白の華奢な感じの人だったような気がする…同一人物かは分からないけど…」

「…」

 そこまで聞いた絵里は望美を見つめながら沈黙した。すると急に思い出したように望美が言った。

「そう言えば、どっちも黒い服着てたかも…女の人が」

「…ふーん…」

 絵里は興味なさそうに曖昧な相槌を打った。服装ではどこの誰か見当もつかない。絵里は食事前までの陰鬱な気分が甦ってきたように再び黙り込んだ。

 紅茶をゆっくりとすすりながら絵里は『色白の華奢な綺麗な人』というフレーズに何か引っかかっっていた。それが何故なのか、望美の情報だけでは手がかりが少なすぎてはっきりしない。しかし、望美は二人はまるで恋人のような距離間で接していたと言いたいようだ。普通の感じではなかったのだろう…絵里はそこまで考えると、絵里に合わせたように黙り込んでいる望美に向かって

「…颯太がね、ひきつけ起こした時、夫の携帯に架けたら繋がらなかったんだ」

 低い声で静かに打ち明けた。言い終わると絵里は無表情のまま望美の顔に視線を当てた。

「……」

 言葉を発しない望美と絵里はそのまま見つめ合うと、絵里が再びゆっくりとした口調で

「まぁ、最終的には泊まったホテルも分かったんだけど、ね。…でも、連絡着かないと気になって…」

 絵里はそこまで話すと俯き、言葉を失った。先ほどまで望美を打ちのめしたい気分だったがそこまで話すと絵里は急に頼りない気持ちになり、弱々しい表情を見せた。

 絵里の言葉に望美は押し黙ったままだった。しばらく考え込んでいた望美が

「……まぁ、心配してもしょうがないわよ。絵里の言う通り、疑えばキリが無いもんね。私もうっかり余計な事言うから悪いんだろうけど…。変なこと言ってごめん。…でも、もうちょっと厳しくしたほうがいいんじゃない? あんまり手綱緩めると、鳶に油揚げよ」

 望美は、悪巧みでもするような顔つきで絵里に忠告した。

 夫の小遣いは月十万だ。望美は「男にお金持たせると女に使うから止めた方が良い」と以前から絵里に進言していた。が、独身生活も長く、高給取りの夫から「東京に居た頃はもっと使っていた」などと言われると、さすがの絵里でも小遣いを減額するなどと言いにくかったのだ。

 絵里はそんな望美に軽く頷くと既に幼稚園のお迎えの時刻が迫っていた。すっかり話し込んでいた二人は伝票を持ってレジへ向かうと

「えー、いいよぉ…この間もだし」

「いいのよ、このくらい。誘ったの私だし」

 遠慮する望美を制し、絵里はさっさと二人分の会計を済ませてしまった。

 こんな時、絵里は自分が偉くなった気分になれるのだ。気前よくご馳走をするからこそ、望美も絵里の多少の皮肉にも堪えるのだろうし下手にも出るのだろう…そう感じている絵里は、人の心は金で買えるような錯覚を覚えるのだった。

 駐車場へ向かい、絵里の車の助手席に乗り込んだ望美が

「いつ乗っても乗り心地良いよね」

 感心したように呟いた。望美はこの車が気に入ってるらしい。絵里の車はベンツのVクラスだ。

 この車を購入する際、夫は「国産でいいじゃないか」と反発をしたが、結局絵里が「安全性も高い」と、無理に押し切ったのだった。安全性云々は言い訳に過ぎず、要は絵里の見栄でこの車に決めたのだった。夫もそのあたりの事は見抜いているようだったが、やりくりする絵里が買えると言うなら…と、購入を許可したのだった。

 絵里はいつになく誇示するようにエンジンを吹かすと車を発進させた。

 どんな女が相手でも潰してやるわ…虎の威を借るなんとやら…ベンツの威力を借りた絵里は世界中を掌握したかのような力が漲るのを感じ、荒々しいハンドルさばきで車を走らせた。

 絵里の様に虚栄心の強いタイプは怒らせると根に持ち、執念深い。いざとなれば他人を押しのけてでものし上がろうとする貪欲さがあった。

 『この生活が壊れるはずはない。どんな事をしても、何があっても絶対にこの暮らしは誰にも渡さない…』絵里は自らに誓うようにハンドルを切ると、こども達を迎えに幼稚園へ急いだ。

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