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死体  作者: 齋藤優介
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 小学生の私は、つまり愛想ある愚行というものをできない人間だった。運動会の徒競走であれば、同列のメンバーに速い人がいれば最初からこまっちゃけて適当に走り、合唱コンクールであれば、声変わりで声が出ないなどありもしないことをぬかして、口を開けない合理化に走った。私にとって、感情の川は理性で制御すべき存在であった。今思えば、その理性でさえも川の含有物でしかなかったのだが、当時は、理性は所謂泥の堰のような存在であり、不安定ながらも水分に対立していた。堰は、川に有害物と判断したものが含まれていれば濾過して通過させるか、強引に流れを停止させた。しかし、そういう私の無駄に土で塗り固めた堰も恋の濁流の前では無力であり、最初のうちは必死で流れを押さえつけることができていた堰の間隙から徐々に漏れ出す。彼女の下駄箱に手紙を放り込み、階段裏に呼び出し、投げやりな告白した。投げやりでもそれが私の全力の感情だった。土の堰は、崩壊しかけていたが、無限の水分の圧力よって泥に代わり、中途半端なままその場で固着してしまっていたのである。しかし、私の全力の感情は全力の感情を以て拒絶された。私は、友達でいよう、と言った彼女の目を見逃さなかった。毒蛇とキスさせられるときの恐怖に襲われた目だ。ヒルが蠢く風呂に入れられた時の生理的な目だ。理性で拒絶されたならまだよかった。こいつと付き合うと友達に馬鹿にされるというのなら、原因の所在は彼女の人間関係であり、私ではない。そうではない、彼女は動物的な本能で私を拒絶した!堰は彼女の斧で叩き壊され、感情の濁流に耐え切れず崩壊した。代わりに残されたのは泥の山積物であり、新たに鉄の堰を造るには川が汚染されすぎてしまった。どうしてだか、私は誰もが大小違えど、斧を心の底に隠し持っているという単純なことを忘れていた。自分自身が斧を持ち歩いておきながら、他人が斧を持ち歩かないわけがない。皆が他人の斧におびえながら斧を持ち歩くというのが道理だ。ならば、どうしたら彼女は斧を捨ててくれるだろうか?斧を皆が一斉に捨てるか、一者に捧げるか、いずれも無理な話だろう。斧で殴り合えば、堰は強固になるなんて嘘だ。斧で殴れば、堰は間違いなく傷がつき壊れるに違いはない。そうだ。斧をすでに捨てた人を欲すればよい。誰だ、誰だ?答えはひとつ、死んだ人間だけだ。


 軍手ごしに包丁を持つ手が震える。死とは人類永劫の歴史の中で、誰一人として逃れることができないのは全くの真理であろうが、死に追いやることは、この頼りない一枚の金属があれば十分とは恐ろしいものである。とすれば、この金属一枚は、料理道具から周囲の環境を身に纏いて絶対の存在として鎮座している死に、彼女の死を要請するチケットに変化し、それゆえ私にとってそれはあまりに重すぎるのである。手の甲に垂れる水滴や、細長い葉の先端が妙にこそばゆい。証拠が残ることを恐れて新調したスニーカーは一日で、植物地獄の泥濘に憑りつかれてしまった。彼女が歩いてきた。一人だ。他に人影はない。恐怖と期待の濁流が迫ってきた。彼女の斧を奪い取れるのは今しかない。私は、茂みから飛び出した。

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