民の声を忘れるな1-2
謁見の後、袁衰は徴栄を自治領の長を任せることを決めた。それは皇帝のためではなく、これからの、大きな歴史の流れをきっとつかめていたのだろう。
皇帝との謁見が済むと、徴栄と袁衰は帝都の屋敷へと戻った。
既に袁衰の下男が夕食の準備に取り掛かっていた。
屋敷に広がる、甘く優しいシチューの香りと窓から差し込む夕日、徴栄は思わず夕暮れの感傷に浸ってしまった。
「戻ったぞ。」
「・・・。あ、袁衰様、徴栄様、お帰りなさいませ。謁見はどうでしたか。陛下とお話しすることは出来ましたか。徴栄様。」
「ああ。」
「栄西。おまえは徴栄のことが心配でならないのだな。」
「はい。いや、決して徴栄様だけのことを考えているのではありません。無論、袁衰様に使える身でありますし。」
「わかってるさ。しかしな、もう徴栄は子供ではない。いつまでも幼い頃のままではないのだぞ。」
「はい。」
「・・・まだ夕餉の支度中であったな。それと、今日は大切な話がある。皆を呼んでおいてくれぬか」
「・・・はい。わかりました。来上がりますので、それまでお待ちください。それと、徴栄様。あとでお話を聞かせてくださいね。今日の謁見の儀、皇帝陛下のお話、楽しみにしてますよ。」
落ちかけの陽が賑わいの街を黄昏の街に染めかえる。カラスと赤子の鳴き声が、今日も平和であったことを告げてくれるような気がした。
バザールの賑わいはだんだんと大人びてくる。昼間には見えなかった猥雑な雰囲気が少しずつ広まっていく。
バルで賑やかに飲んでいる男どもが一日で一番楽しい時間を過ごす頃だ。
屋敷では遅めの夕餉が出来上がった。
大皿に盛られた品々と甘く優しい香りのするシチューが食欲をそそる。大皿に盛られた豚の角煮は、つやつやに煮込まれており、その脂ときれいな黄金色の肉を見る度に生唾が流れてしまう。
そしてグラスに酒が満たされると夕餉が始まった。
「袁衰様、徴栄様、謁見の儀、お疲れ様でした。」
「ああ。」
「徴栄様、お聞かせください。陛下はどのようなお方でしたか」
「そうだな・・・。」
言葉に詰まっている徴栄を見て袁衰は今日のことを話した。
「徴栄、そう深く考えるな。陛下は厳しくとも、心は優しいお方なのだ。」
「はい。しかし私にはその優しさを感じることができなかったのです。」
「なぜそのようなことを感じる必要がある。おまえはもうじき自治領の長になるのだぞ。そのような器では民をよき方向に導くことは出来ないぞ。」
「袁衰様、どういうことですか。」
「栄西、帝国本領での賊軍の悪さを知ってるか。」
「はい。巷のうわさで耳にしましたが、それは帝国本領の、しかもはずれの湖畔の話ではありませんか。」
「そうだ。然し帝国本領の問題を野放しにすることは出来ん。いつまでも好き放題にさせてはわが自治領にも支障をきたすからな。」
「しかし、帝国本領を守っているのは袁衰様一人ではないはずです。他の将軍ならいざ知らず、これから自治領は大変な時期を迎えます。その時期に、もし袁衰様に何かあったらどうするのですか。」
「わかっておる。今日はその話をするために、皆をここに読んだ。徴栄よ、決意は良いか。」
「父上、私は私の信じる道があります。しかし、今しばらくは皇帝陛下、そして父の下でもっと学ぶものがあると今日わかりました。」
「良いのだな。」
「はい。いつか父を超える存在になれるよう、努力します。」
「徴栄、よし。話そう。私は皇帝直々の命により、帝国本領保護のため、賊軍討伐に出る。」
「袁衰様。」
「栄西、そして徴栄の友である華華や鄭蔡に頼みがある。」
「なんでしょうか。」
「これから私は討伐のためにしばらくここをあけることになる。その間の守りや治政を徴栄に任そうと思う。それを支えてやってくれないか。」
「袁衰様、私どもでよければ、全力でお支えましょう。」
「この鄭蔡、全身全霊をかけてお守りいたしましょう。」
「徴栄よ、良き仲間がいてよかったな。お前にとって家族や仲間は魂に次ぐ宝ではないか。」
「はい。父上の名を汚すことないよう、精進してまいります。」
「いい面構えをしている。やはり、私の息子である。」
「袁衰様、時々はなき奥様も思い出してあげてくださいね。」
「ああ、わかってるさ。しかし不思議なものだ。こうやっていつかは息子に超される時が来る。それは自分自身の老いなのかもしれないが、とてもうれしいのだ。こうやって成長してくれることが、何よりも幸せなのだ。」
「袁衰様。」
「・・さぁ食べようじゃないか。せっかくのご御馳走が冷えてしまう。」
「さぁ、いただきましょう。徴栄様。」
酒がすすみ、程よく酔いが回ったころ、街はこの時期にしては珍しく冷えていた。遠くの家の灯りがゆらゆらと揺れる。街が静まる深夜、袁衰はわずかに外を眺めると、誰もが寝静まった屋敷から静かに去って行った。栄西も徴栄も、だれもが見送ることもなく、静かに突き当りに照らされながら帝国本軍と合流するため郊外へと向かった。