第三話
その日の恭介の一日は、空を削るように聳える山の峰から太陽が顔を出すよりも早く始まってた。
静まった宿屋の床から一人目を覚ました恭介は、すぐさま身支度を整えるとダンジョンを目指して出かけた。
昨日までの恭介であれば、目が覚めて太陽が窓から覗いていないとわかればすぐにでも二度寝を決め込んでいた。
しかし、昨日とは違って今日は共に行動する仲間がいる。こんなに早い時間からダンジョンへ出向くのは、万が一にも相手を待たせまいとする恭介なりの気遣いだった。
ただ単純に慣れない約束をしたせいでやきもきしすぎて寝ようにも寝られなかったというのも勿論あるが。
恭介がダンジョンの入り口である正門前に到着すると、街の住人のほとんどが未だ目覚めてはいない時間帯ではあったが、ダンジョン前にある広場では冒険者を狙った屋台や露店が早くも営業していた。
朝一のお客とあって何度か呼び込みの声を掛けられつつ、きょろきょろとあたりを見回してみるが、あの特徴的なピンク髪の少女の姿はない。
目的の人物を探すついでに一通りの屋台を回り、甘辛い味付けをした何かの肉をパンで挟んだ食べ物を買う。見た目が旨そうだからというだけでつい買ってしまったが、こういう屋台物には当たり外れがあるのでなんだか不安だ。
露店で購入した大ぶりなクラブハウスサンドらしきものを齧りつつ、待ち人が来るまで暇をつぶす。
食べた感想としては豚肉っぽい鶏肉というべきか、衝動的に買った品にしてはよくできている方だろう。野菜がないせいかさわやかさが足りない気もするが、商売のメインターゲットは冒険者。彼らはどちらかというとそこまで味にうるさくはないので、それなりの味で腹に溜まればそれでよいのだ。
問題は味よりも使用された素材の方なのだが、深くは考えないでおくに越したことはない。なぜなら地球出身の人間であれば顔をしかめることになりそうなゲテモノが材料だったりすることがままあるからだ。
事実、恭介と共にこの世界へと召喚された奴こと現在の勇者に至っては、当時割とお気に入りだった料理の材料である生物を見て気絶したことがあるくらいだ。
そういうことがあったため、恭介はできるだけ料理の仕込みや下ごしらえの工程は見ないようにしている。食事のときは無心であれ。決してこの食材は何だろうとか、この歯触りの正体はいったいなどと考えてはいけない。ましてや、味や食感からひょっとしたらあの生物の――というような想像なんてもっての外だ。確実にいま食べる飯がまずくなる。
もそもそと無我の境地で食事に勤しんでいると、半分程度が胃袋に収まった頃に横合いから肩に手を掛けられた。
「おはようキョウスケ! 今日はよろしく!」
元気いっぱいに話しかけてきたアルトは、そのまま恭介の方に顔を寄せるとすんすんと鼻を鳴らす。
だから距離が近いって。あんた一応は女なんだから異性に対して相応の距離をとってくれ。そうしてもらえないと困る。具体的には俺がキョドる。
「おう、こちらこそよろしく」
近寄られた分だけ距離をあけてから、挨拶を返す。
アルトの格好は昨日と同じく軽装鎧と細身の剣。違うところを上げるとするなら、腰につけたサイドポーチくらいだろう。
「ところでキョウスケ。なんか美味しそうな物を食べてるようだけど、なんだいそれは?」
「ん? これか? これは……なんかの肉だな。むこうにある屋台で買えるから、気になるならお前も買ってくればいいだろ」
食べかけの朝食の残りの断面をしげしげと眺めて見たものの、何かと問われて答えられるものではない。ぞれに、恭介としてはあまり自分が何を食っているのかを意識したくなかった。これで使用させている原料が巨大なムカデの肉とかだったらリバースカードの開帳は避けがたい。
ちなみに余談ではあるが、この世界のホットドックもどきに使用されている肉は巨大なミミズだ。味的にはとてもジューシイで旨かったが、生きてる状態から加工されていく様子を目の当たりにしてからはもう二度と口にするまいと恭介に決心させるほどの気持ち悪さだった。なんというか、たべたら頭に寄生されそうなビジュアルとだけ言っておく。
屋台のある方向を指して伝えたが、アルトは宿で朝食を摂ってきたからと言ってその場に留まった。
恭介もそれならいいかと思い、パンの残りを急いで頬張る。
徐々に冒険者や町の住人が増えてきて活気が増した広場の喧騒を眺めつつ、謎肉のサンドを咀嚼していると、視界の端にアルトの顔が映る。
ジーッという視線の先にはやっぱりというべきか、恭介の手があった。
「……味見してみるか?」
「えっ、いいのかい? 実はさっきからずっと気になってたんだよね」
見りゃわかるよ。
食べかけの部分と切り離すようにパンを千切ってからアルトに手渡してやると、満面の笑みを浮かべて謎肉にかぶりついた。
ひとしきり無言で互いに口を動かしていき、残った分がきれいになくなるころになったところで一息ついた。
「うん、なかなかいける味だったね」
「それはなによりで」
指に付いたタレをぺろりと舐め取るアルト。どうでもいいけどなんかエロいなそれ。
などと益体もないことを考えていると、
「おっ、アルトじゃん! また一人でダンジョンに潜るのか?」
ちょうど恭介たちの目の前を通り過ぎようとしていた冒険者グループに声を掛けられた。
声のした方には、革の鎧を着た、身軽な格好をした少年。
「おはようライル。今日は彼と一緒だから一人じゃないんだ。君の方こそいつものツレはいないのかい?」
「ああ、キース達なら朝飯がまだだからその辺で立ち食いでもしてるんじゃないかな。それにしても……」
そこで言葉を切って、ライルと呼ばれた少年は品定めするように恭介を上から下まで無遠慮に眺める。
「どうしたんだよアルト。いつも俺たちが声をかけてもなんだかんだ理由をつけてパーティー組まないくせに、こんなひ弱そうな奴とはパーティー組むのかよ?」
腕組みをして怪訝そうな顔になったライルは、そう言ってアルトに向き直った。
こいつ喧嘩売っているのだろうか? 俺が攻撃できないのはモンスターだけであって、対人戦なら遠慮なしにぶん殴れるんだからな。
何ともあけすけな物言いに内心でヘイトを高めていると、アルトは少しむっとしたように言葉を返した。
「ひ弱そうとはずいぶんな物言いだね。確かにキョウスケは戦闘はあんまり得意じゃないみたいだけど、罠を見切る腕前はたぶん君よりも上だよ? 相手の実力も推し量れないうちに評価を下すのは、注意力が必要な職である盗賊にしてはどうかと思うけどね」
「はあ? 俺がこんな奴に劣るって? 冗談はやめてくれよ。そりゃあ俺の言い方もちょっとだけアレだったかもしれないけどさ、なにもそこまで――」
「おいライル。朝っぱらからよそのパーティーに突っかかるんじゃねえ。すまねえなお二人さん。うちの馬鹿が迷惑かけたみたいで」
言い返そうとしてアルトに一歩詰め寄ったライルの肩を掴んで止めたのは、大剣を背中に差した大柄な青年だった。
不服そうにぶーたれるライルを引き戻し、済まなさそうに笑って頭を下げてくる。その青年の背後からはパーティーメンバーであろう、黒いローブを着た女性ととんがり帽子を被った少女がやってくる。
盗賊姿の少年を見た時には気が付かなかったが、この四人組には見覚えがあった。昨日の夕方に酒場から出てくるのを見かけた男女の組み合わせだ。ライルの頭を無理やり下げさせている青年が、おそらくはリーダーであろう。
青年を見たアルトは、口をへの字に曲げて不機嫌そうに目を細めた。
「ほんとだよまったく。まあ謝ってくれたからいいけどさ。んんっ、紹介するよキョウスケ。この人はキースって言って、顔は怖いけど親切ないい人だよ。キース、こっちはキョウスケ。今日はボクと一緒にダンジョンに潜るパートナーだよ」
そういってアルトは恭介にキースたち一行のメンバーを順番に紹介してくれた。
黒ローブの女の人はラーナという名で、姉御肌の頼れるお姉さん。アルトも何度か酔客に絡まれたときにとりなしてもらったとかで世話になっている御仁らしい。喧嘩っ早いのが玉に瑕らしいが。
もう一人の少女の方はリーンという見た目そのままの魔術師だそうだ。見てくれこそ恭介よりも年下のそれだが、使用する魔術のキレはピカイチで、何度もパーティーのピンチを救ったことがある才人とのこと。最近は少し活躍の機会が多いらしく、プライドが高くなり始めてめんどくさいと言ってアルトは苦手意識があるとか。
最後にライル。ややお調子者のケがあるが、基本的には素直ないい子とのこと。向こう見ずなところが直ってくれれば自分の苦労が減って助かるとはキースの言だ。
なんとも個性豊かな面々なのに纏まって行動できるのは、言わずもがなリーダーの資質のおかげだろう。なあなあで済ませずにキッチリとパーティーを律することができるからこそ、すぐに喧嘩別れになったりしないのだろう。
アルトによるそれぞれの紹介を聞いて、当人たちは一様に意義ありっ! と必死に手をあげて否定していたが、キースの何とも言い難い苦笑いが話の是か非かを実に解りやすく物語っていた。
とても苦労なさっていらっしゃるようで、ご愁傷様です。
苦労人の青年を思って心の中で合掌していると。
「それはそうとアルト。よければお前らも一緒に俺たちと入らないか? お前が言うにはキョウスケは荷物持ちと罠の警戒が主な役割なんだから、俺たちと組んで完全に後方に下がっててもらった方が二人で行くよりも安全だと思うぞ?」
「それはそうだけど、キースはボクに後衛を押し付けて、自分は前衛で好き放題暴れていたいだけなんじゃないの? ボクとしては後ろからチマチマ魔術で攻撃するのは嫌なんだけど」
キースがそれとなく共闘を打診するが、アルトは胡乱げな目でキースを見返した。
いやいや、いいじゃん後衛。モンスターの荒い息遣いと臭い息と無縁でいられるし、何より楽だし。
「大丈夫だって。お前にお守を全部押し付けたりしないからよ、なあ頼むって。キョウスケ、あんただって仲間は多いほうが安全に攻略できるってのには賛成だろ?」
「んーまあそれについては同感だけど、キースさん。あんたのお仲間はそれでいいのか? 言ったらなんだけど、俺は冗談抜きで戦闘は無理だから本当にただの荷物持ちだぞ。邪魔になるつもりはないが、それでも多少は連携に影響する部分もあるだろうし、メンバーに一応は確認取っておいた方がいいんじゃないのか? それでもいいっていうのなら、あとの判断はアルトに任せる」
とは言ったものの、キースの後ろを見やれば、そこにはすでに別に問題ないと言いたげな顔をした仲間連中が控えていた。一応は振り向いてそれぞれの意見を聞いていたが、満場一致で了解と言っているようだった。
以心伝心とはこのことかと思わず苦笑していると、その様子を見たアルトも苦笑して。
「さっき言ってたことは忘れないでくれよ?」
「当然だろ?」
そういって。キースとアルトはお互いに手を握った。