第二話
「なあキョウスケ、この都市を訪れた時に私がおんしに言ったことをよもや忘れてはおらんだろうな?」
「そりゃあモチロンですよ主殿」
あばら家より多少はマシという程度の安宿の一室で、恭介は自身の帰りを待っていた少女に詰問を受けていた。
人間離れしたと評するがぴったりな精緻な造りの貌で、ひきつった笑みを浮かべる恭介を虫でも見るように見下ろす瞳は深い蒼。見てくれはようやく大人の階段を上り始めた程度の幼女に近い少女といった風情だが、部屋に一つしかないベッドの上でふんぞり返る姿は妙齢の女を想起させる雰囲気を纏う奇妙な少女だ。
彼女の名前はカルナ。曰く、この世界の唯一神にして絶対神たる創造の女神で、ついでに魔王軍の幹部らしい。はじめに自己紹介されたときに、なんだか設定を詰め込み過ぎてかえってよくわからなくなった残念なキャラみたいだなとこぼしたら本気で怒られたっけ。
悪びれもせずに調子のいい返事を返した恭介を見下ろしながら眦をひくひくと痙攣させると、カルナはさらに続ける。
「ほおー、そうかそうか。忘れておらんと申すかおんし。では言ってみよ。私がおんしの命を救ってやった時に交わした約定の内容をな」
ぺしぺしと手元にあった肘置き代わりの枕を叩いてすごんで見せてくる。すごんだところで姿は小さな女の子である。微笑ましいと思いこそすれその姿が恐ろしく見えることはない。
「もしも忘れておったらおんしの生爪でも手慰みに貰おうかの」
「あはははははっ、主殿が冗談をおっしゃるなんて珍しいですなぁー!」
「……言っておくが本気だぞ?」
前言撤回。この人マジ怖い。
ふざけた笑みを即座に引っ込め、努めて神妙な顔になる。
「俺は人間側ではなく魔族側の存在であるから人間に対する同族意識を捨てろってことと、主殿のためにあらゆる手段をもって魔石を収集すること。どうですちゃんと言えたじゃないですか?」
「ああその通りだな、よく言った。その足りない頭で約束の半分も覚えていられたことに敬意を払って左手の爪だけでよいぞ? さあ手を出せ毟ってやる」
思わず見惚れそうになるほど冷たい笑顔を顔に張り付けたまま、恭介よりも少しだけひんやりとした手で恭介の手を掴むとおもむろに小指の爪を抓んでって痛たたたたたっ!?
「うおわアアアッ!? なにすんですかちゃんと言えたのに爪を剥がそうとしないで下さいよ!」
「たわけ! 私はおんしに人間に与するような真似は絶対にするなと口を酸っぱくして言い含めておいたのを忘れたか! 言ってわからんようなあほうに教えるには痛みをもって教訓とするほかになかろうが!」
「仕方ないでしょうがあんたの呪いじみた恩恵のせいでこっちはまともにモンスターすら倒せないんだから。少しくらい大目に見るのも主人の器量ってもんでしょうが!」
「やかましいわ! 己が約束を破った罪を棚に上げずに大人しく折檻されておれい!」
狭い部屋の中で必死に難を逃れようと逃げる恭介とそうはさせまいと追いかけるカルナ。あわや取っ組み合いに発展しそうになる寸前に下の階から罵声が飛んだ。
「おい、うるせーぞ! 静かにしろ!」
「「あっ、すいません!」」
第三者からの介入に二人そろって我に返って座りなおす。なにやってんだよ俺はこんな幼女相手に……。
ちらっとカルナの様子を窺うと、忌々しげにこちらを睨みつけてきた。いや、そんな目で見られてもあんたにも非はあるからね? 口に出したらまた揉めそうだから言わないけども。
「そりゃ今回のことに関していえば俺の短慮が悪かったよ。だけどさ、元から遠からず誰かと組んで魔石集めをするつもりではあったんだ。俺一人じゃダンジョンのモンスたちを倒せないし」
恭介がそう言うと、すぐさまカルナも口を開く。
「だから何度も言うようだがなおんし、前提から間違っておるのだ。おんしはモンスターではなく、のこのことダンジョンに足を踏み入れてきた冒険者どもの方を仕留めなければならない存在なのだぞ。それがどうして先ほどから己でモンスターたちを仕留めようとばかりするのだ?」
「あのなぁ。お前にゃわかんないかもしれないけど、人間はそうそう割り切れるわけじゃないんだよ。身体は人間じゃなくなっても心はまだ人間でいるつもりなんだよ」
身体は人間を辞めていたって心まで人間やめる必要はないだろう。思いやりの気持ちや慈しむ心さえあれば、そいつは人間になれるって教会の司祭の人が言っていたし。ちょっといいこと言えたんじゃないか俺?
「なんじゃ教会の連中の受け売りか? おんしの得意げなアホ面から察せるが、その説法は魔王の奴が人間をからかうためにでっち上げたでまかせだぞ。本気でそんなものを信じておるのであればお笑い草もいいところだろうて」
ほっとけよ。
これ見よがしにため息なぞ吐いて見せるカルナを無視して話題の転換を図る。
「俺の信条とか、んなこたぁこの際どうでもいいんだよ」
「そうじゃの、私としても本当にどうでもよいな」
「…………」
よし、こいつは後で簀巻きにして捨てて来よう。
俺はそう決心し、さりげなくシーツの端に手を伸ばす。
「それよりもおんし、明日以降の事をどうするつもりなのか説明せい。結局のところ私はおんしがアルトとかいう娘とダンジョンに潜るつもりということくらいしか知らぬのだが」
「説明もなにも、パーティー組んでダンジョンに行くってだけの事だろ? それくらいお前に会う前から何度もしてきたんだから、今更どうこう決めるも何もないだろ」
「たわけ。私が言いたいのはいつまで行動を共にするつもりなのかということだ。遅かれ早かれ私とおんしはいつかはこの街を離れていくのだから、いつまでもそやつと仲良しこよしの冒険者稼業なぞ続けられる道理もないであろうに」
カルナの主張は至極もっともなことだ。恭介たちがこの街に留まっている理由の大半はこの街の住人が恭介のと事を知らないからである。
恭介はちょうど一月前に戦死した扱いとなっている記録上の死人なのだ。実際は生きているとはいえ、死んだことになっている人間がホイホイ知り合いのいるかもしれない街に顔を出すわけにもいくまい。
というか恭介の知り合いの筆頭格は勇者御一行の面々なわけで、死んだはずの仲間が実は生きていて、しかも魔王軍の幹部に仕えているなんてことが知れたらそれこそ命の危機だ。最悪、カルナもろとも討滅されてもおかしくはない。
「とは言っても、そんなにすぐにはこの街を立つわけでもないだろ。お前とやりあったダンジョン跡から這い出してから、まるまる半月以上かけて辿り着いた迷宮都市だ。ある程度は魔石と金を稼いでから移動するって決めておいたの忘れたわけじゃないだろ。最寄りの迷宮のある街に行くにせよ、まだ路銀が心もとないのはお前も知ってるだろう?」
大した額が入っていないことを如実に物語る軽い財布と萎んだ魔石袋を見せつけてやると、カルナも苦々しい面持ちでうぐっと呻いた。
なんとか反論しようと枕を掻き抱いて言葉を探しているようだが、生憎とこのお子様はディベートとかの類にさして長けているわけではないので、最終的には口ごもる結果となった。
「まっ、そんなに神経質にならなくてもいいんじゃないか? 冒険者なんてのはその場限りの関係がほとんどだし、帰ってきたら即パーティー解散なんてことになっても不思議はないしな」
努めて明るい口調でおどけて言って見せるも、カルナの疑わしげな表情は変わらなかった。
「どうだかな。私にはおんしたち人間の考えはよくわからんし理解するつもりもないが、何が起こるかわからんのが人生なのであろう? これからおんしらがダンジョンで行動を共にするうちに情が芽生えんとも限らんのではないか?」
「は? 情ってどんな情だよ?」
カルナの言葉を受けて、今度は恭介の顔が懐疑的なものを見る目になる。
そんな俺の視線をすまし顔で受け流しつつ、カルナは口を開く。
「情と言っても愛情や恋慕の情ではない。まあそういう情が芽生えることもあるのだろうが、私が言いたいのは友情とかの類のそれだ。おんしとて身に覚えがあるのではないのか。曲がりなりにも勇者の奴らと組んで旅をしてきたのだし、困難な修羅場を乗り越え苦楽を共にしてきた者たちに対して、何かしら思うところがあったであろう?」
「そりゃまあそうだ。でなけりゃこんな不便な身体になってまで生き延びようとはしなかっただろうし。それがどうかしたのかよ?」
「……おんし。よもやわかっていて知らぬふりをしているのではあるまいな?」
「あ? 意味がわかんねえんだけど」
なんだというのだろう。付き合いが長ければ情がわいても不思議はないだろうに。
問いの意味を測りかねて首を傾げていると、カルナはやれやれと首を振る。
「わからんのなら自分でよく考えておけ。私は面倒だからもう知らん。だがな、人間とは情が湧いた者と行動を共にしたがる傾向にある。ダンジョンで死ぬかもしれん場面で重傷を負った仲間を見捨てないで助けようとする姿を何度も見てきたから知っている。おんしが付いてくるなといったところで、付いてくる奴はついてくるのだからな?」
「ようはアルトに情を移すなって言いたいんだろお前は。心配しなくても心得てるっての」
「……私が言いたいのは情を持たれないようにしろと言うことなのだがな……」
「何をごそごそ言ってんだよ? 言いたいことがあるなら聞こえるように言え。俺を罵倒するなら聞こえないようにしろ」
「ふん。私は慈悲深いから陰口など言わぬ。堂々と真正面から罵倒するからな」
それっきりこの話題には興味を失ったようで、カルナはつまらなそうに窓の方を向いて口を閉ざした。
慈悲深いなら人を面罵してやるなよ……。
思わず苦笑いを浮かべつつ、ベッドから離れて明日のダンジョン攻略に備えて荷物を整理する。
あらかたの装備品の手入れを終えたところで、窓に張り付いていたカルナがベッドから飛び降りてこちらによって来た。
「どうかしたのか?」
どこか思いつめた様子の神妙な表情のカルナ。自分が道具の整理を行っている間に何かしらの心情の変化があったのであろうか。
作業の手を止めて彼女と正対すると、びっくりするほど綺麗な少女の面がずずいっと距離を詰めてきた。
近い近い。何なの? 最近は至近距離で異性と話すのがトレンドなの? ナニソレ俺得な流行りじゃないですか。
「キョウスケ。言い忘れておったが、おんしとそやつがパーティーを組むのを認めてもよいが条件がある」
可愛い異性に近寄られてドギマギしていたが、いつになく真剣な主の姿を前にして気持ちを引き締める。
「明日はきっとこれまでよりも多くの魔石を手に入れてくるのであろう?」
「ええ、そのつもりでパーティーを組んで行動するわけですから」
そこで一拍間をおいてからカルナは厳かな声音でつづけた。
「それならば、明日は何か甘いものが食べたいのでそのつもりでいるがよい」
「はい。…………はい?」
おいまて今なんて言ったコイツは?
「そうか、私としてはこの宿の裏にある料理屋の糖蜜パイが望ましいぞ。いや、むしろそれ以外は認めん!」
言いたいことはそれだけだとばかりに豪快にベッドにダイブし、ゴロゴロと枕を抱えて鼻歌など歌い始める。しかもどうやらオリジナルの歌らしく、歌詞に甘味の名前がてんこ盛りの能天気な曲だった。
ええと、なんだ? つまりはきっちり稼いで戻ってきて自分にうっそりするほど甘い糖蜜パイを御馳走しろと言いたかったわけかなのか?
フリルだらけの蒼を基調としたワンピースの裾を盛大にパタつかせている様子を見るに、そういうことらしいと悟った。
恭介は小さくため息をついて手で目を覆った。
おお主殿。ちょっとでも真剣な話をすると思った俺の真摯な気持ちを返せ。
そうして、その日の夜も更けていった。
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