第一話
ダンジョン。それは冒険の舞台となるさまざまな神秘や宝が埋もれている危険な領域の総称である。その様態は洞窟であったり人工的な建築物であったり、怪物の巣穴であったり、時には森や山道であったりと様々。ダンジョン内には獰猛な生物や罠、あるいは呪術的な仕掛けが施されていて足を踏み入れたものを容赦なく害するというのが常識だ。
実際、俺のいる通路の先には視界に入った生物は問答無用で噛み殺すことで知られているシャドウパンサーなる恐らくネコ科の猛獣がうろついているし、ついさっき通り過ぎた通路だって槍畑のオプション付き落とし穴が設えられた危険な場所だった。
冒険者たちの間ではここのダンジョンはクロノスの廃墟と呼ばれている。その昔多大なる武勲を打ち立てたクロノスという騎士がいて、当時の王家からここの付近一帯を領地として下賜されていたのだが、それを快く思わなかった同僚の騎士の奸計によって無実の罪で投獄。必死に王家への変わらぬ忠節を説いたが聞き入れられずに失意のうちに獄死してしまったとのこと。だが、よほど悔しかったのか後の領主となった彼を陥れた騎士を死霊となって呪い殺し、さらにはかつて捉えられていた監獄をその猛烈な呪詛によって変容させ一部を異界化させるにまで至った。
ことを重く見た国王の命によって多くの魔術師がこの地に派遣され、紆余曲折あってどうにか彼の呪いの及ぶ範囲を牢獄の内部へ封じ込めることに成功した。その牢獄がここというわけだ。
しかし、封印することができたとはいってもそれはあくまでクロノスの怨霊のことであって、異界化した影響で大量に湧くようになったモンスターの処理をするために冒険者たちが出入りする必要があった。
そんな封印指定の危険地帯へおいそれと足を踏み入れていいものかと思ってしまうが、すでにクロノス本人の怨念は長い時間をかけて消滅してしまったらしく、今では中に入ったからと言ってすぐさま取り殺されるような事態にはならないとのこと。そのようなこともあってこの廃墟は事実上は封印指定ダンジョンではなく、現在では冒険者たちの日銭を稼ぐための狩場と化していた。
扱いはダンジョンといえども元をただせば高名な騎士のお墓である。そんな霊験あらたかな場所に土足で踏み込んでは雄叫びや罵声をあげながらひたすらにモンスターを屠りつづけるというのはいかがなものか。俺がクロノス氏だったらこんな墓荒らし共は即座に呪殺しているね。安眠妨害も甚だしい。
呪いの影響はないと言っても一般人がおいそれと足を踏み入れることができないこの場所にどうして俺がいるのかというと、少し込み入った事情があった。
いろいろと小難しく例え話をするのも面倒なので簡潔に言おう。
俺の名前は小坂恭介。元日本の高校生でありかつ元勇者の従者で、今現在のジョブはダンジョンの中の人。あと、魔王の部下もついでにやってます。
……なんじゃそりゃ。
◆
恭介は小さくため息をついた。
ダンジョンの正門から地上――迷宮都市へと出ると、空いっぱいに雨雲が立ち込めていた。
歩道のそこかしこにある水たまりの深さから推察するに、まだ降り始めたばかりといったところか。雨の日特有のややカビ臭い空気を吸い込みながら、のそのそとおぼつかない足取りで宿を目指す。
懐にしまってある小袋はとても軽い。というかいつにもまして軽い。袋の中にはモンスターが落とす魔石がいくつか入っているが、この程度の量では宿で待っている彼女の機嫌がよくなることはないだろう。
身体は鉛でも含んだように重く疲れていたが、口やかましい同居人が宿で待っているかと思うととてもじゃないが宿まで走る気にはなれなかった。
この都市のダンジョンに潜り始めてからすでに三十回目の探索だった。結果はお世辞にも芳しいとは言えない。手に入れた魔石の重さがそれを物語っていた。
恭介が潜っているダンジョンの難易度が別段高いわけではない。駆け出し冒険者ならいざ知らず、第三級冒険者ですら危なげなく踏破することが可能と言われているほどだ。それなりに武器を振り回せるだけの体力と根性さえあればここのモンスターはさほど恐ろしい存在ではないし、それは恭介自身もよく理解していた。
しかし、恭介ではモンスターを倒せない。この世界へやってきて間もない頃はそうでもなかったが、今ではそれも過去の話。わけあって今ではいくら拳を振るおうが剣を突き立てようがモンスターを傷つけることは叶わなくなってしまった。もっとも、それはモンスターの方も同様ではあったが。
暗澹たる気分で歩を進めていたが徐々に雨足が強くなってきたこともあり、仕方なく近くの酒場にある軒先を借りることにした。
いそいそと壁際に身を寄せてそのまま体重を背にした壁に預ける。とめどなく振り続ける雨粒を見ながら黄昏ていると、酒場の方から楽しげな声を響かせながら数人の男女が連れだって出てきた。
軽装をした盗賊らしき少年を先頭に、身の丈と同等ほどもある巨剣を背負った青年、黒いローブをまとった剣士風の女性、それからとんがり帽子を被った魔術師らしい少女が続く。
冒険者だろう。
一番前を行く少年の浮かれた様子と話している内容から察するに、駆け出しであろうことが窺い知れる。後続の青年の背負い袋と少女が大事そうに持ち運んでいる小袋の膨れ具合から、今日の彼らの冒険が大成功であったことを物語っていた。なるほど初めての大収穫ともなれば気分が高揚するのも仕方のないことといえようか。
「やっぱりちょっかい出しとけばよかったかなぁ……」
宿を目指して遠ざかっていく彼らの背中を見つめながらぽつりと恭介はつぶやく。そしてすぐさま首をブンブンと振って邪な考えを振り払う。
馬鹿か俺は。そんなマネをしたらそれこそ人でなしだろうが。
恭介はモンスターに対して有効な攻撃手段を持たない。刃物を突き立てようとしても直前で見えない壁に刃が阻まれてしまうからだ。そんな恭介でも魔石を得る方法はある。モンスターに襲われたり罠にかかって命を落とした冒険者たちから回収する方法である。まあ、それをやろうにもここのダンジョンは難易度がとても低いせいでそういった不運な連中はそうそう現れないのだが。
ではどうするか? 答えは簡単だ。モンスターを引っ張ってくるなり罠まで誘導するなりすればいい。恭介はモンスターによって害されることはないが、襲われないというわけではない。つまり、適当に目についたモンスターからヘイトを稼いで引きずりつつ、近くに居合わせた冒険者にモンスターを擦り付けることが可能なのだ。
実際に何組かの冒険者はこの手を使って同業者から金品をせしめているのを目にした。ネトゲでもよくあるトレインと呼ばれる殺傷手段だ。
でも、ここはネトゲの中ではない。負傷すれば血が出るし、場合によっては本当に死ぬ。いくら金に困ったからと言ってそうホイホイと外道な手段に訴えられるほど恭介は肝が据わっていなかった。あるいは純粋だったともいえるのか。
恭介はそのまま彼らの笑い声が遠のくのをじっと待った。
惨めな気持ちだった。
自分は正しい道を選んだはずだ。
後ろめたいことはしていないと胸を張って言い張ることができるし、彼らを見逃したことに後悔はない。
だけど、この世界で生きていくうえで金銭として魔石は必要不可欠な品物だし、そうでなくとも宿で待っている恭介の相棒にはなくてはならない品物だ。
故に、自分にモンスターを倒せる力があればと願わずにはいられない。
やる気はある。この世界へやってきてからは実力のある師につき、これまでに経験したこともないようなきつい鍛錬を積みもした。剣術や体術のキレは第一級冒険者にも負ける気はない。
けれども、それではダメなのだ。自分は生きるために彼らと戦う術を捨てたのだから。現実は甘くはないのだ。
どうすればいいのか。
笑い声が遠くに消え去ってなお答えの出ない問題を抱えたまま、恭介は空を眺めていた。
「どうすれば……いいのかな……」
「君、どうかしたの?」
傍らで女性の声が聞こえる。
何の気なしに声のした方へ視線を向けると、頭一個分ほど下に可愛らしい少女の顔が恭介のことを見上げていた。
一言でいえば、それは可憐な少女であった。周囲の空気まで明るくしてしまいそうな華やかな桃色の髪、すっと通った鼻梁に髪の毛と同色の好奇心に満ち満ちた大きな瞳。はにかんだ口元にはちらりと八重歯がのぞいている。毛皮と金属製の装甲を組み合わせた軽量な鎧を纏った彼女は、あいにくの空模様とは打って変わって花が咲くような抜群の笑顔で佇んでいた。
「…………」
「あ、自己紹介した方がいいかい? いいよね? それじゃあいくよ!
ボクはアルト。これでも三級冒険者なんだ。得意なのは剣術で、魔術も少しなら操れるんだ。で、君は?」
どう返したものかと思っていると、恭介が口を開くよりも先に少女――アルトはそう口火を切った。
突然のことに面食らいながらも、どうにか笑みをつくって応じる。
「小坂恭介。見ての通りポンコツ冒険者だ。今日もうまくいかずに尻尾巻いてダンジョンから帰ってきたところだよ」
そう言って大仰に肩をすくめて見せると、思わずといったようにアルトは苦笑した。
「そっか、それは大変だったねキョウスケ……で、いいんだよね? コサカキョウスケなんて珍しい名前はこれまできいたことがなくってね。間違ってたらごめん。それで君はどうしてこんなところで黄昏ているんだい? 冒険者ならちょっとやそっとの失敗なんて日常茶飯事だろう?」
小鳥のように可愛らしく小首を傾げながら眉をひそめるアルト。まあ確かに彼女の言う通り、冒険者のダンジョン探索なんて成功よりも失敗の割合の方がほとんどを占めるだろう。実際、俺がモンスターを倒せなくなる前の時だって潜るたびに連日成功の連続だったことはほとんどなかった。しかし、自分が落ち込んでいる原因はそこではないし、馬鹿正直に自身の身の上をあって間もない他人に聞かせる気も起きなかった。
どう説明したものかと少し悩んだが、結局は適当に答えてお茶を濁すことにする。
「いやまぁそのぅ……俺はそんなに強くないし運もよくないから、一人で冒険を続けることにそろそろ限界を感じてきたのさ。かといってそんなに優秀じゃない俺みたいなやつをパーティーに誘ってくれるようなモノ好きもそうはいないしな。それでどうしたものかなぁって考えてここにいたのさ」
名前については恭介であっていることも付け加えておく。
ひとしきり恭介の言うことに耳を傾けたアルトはああそうか、と頷いて恭介の顔をまじまじと見つめてきた。
この説明で納得されてしまうと何となく悲しくなってしまうのだが、まあ仕方がないか。それはそうとそんなに見つめられると照れてしまうからやめてほしいのだけれども……。彼女いない歴=年齢の恭介からしてみれば彼女のような美人から見つめられることには慣れていないので、自然と顔の温度が上昇してしまうのは避けようのないことだと言えた。
見つめられるうちにいたたまれなくなってきてツイっと視線を逸らすと、後を追ってつつつっと目を合わせようとアルトの目が恭介の目を追いかけてくる。
逸らす、追いかける、逸らす、追いかける。何度目かのやり取りを経て、結局は恭介の方が耐え切れなくなって声をあげた。
「……ナニカゴヨウデショウカ?」
途中でおもしろくなってきたのか、今では彼女の桃色サラサラヘアーが視界いっぱいに広がるほどの近距離でジーっと見つめてきている。というかこの人距離感近すぎでしょついうっかり勘違いして告白しちゃう子が出てきちゃうレベルだよコレ。
そこまで言ってようやく満足したのか、ヒョイっと恭介から離れるとアルトは小さく「よし」っと頷いた。
恭介が胸中で何がよしなんだよ俺のピュアなハートで遊ばないでくれよとブレイクしやすいんだからともごもご呟いていると、唐突に彼女はビシッと恭介を指さして言い放つ。
「うん、それじゃあボクと一緒にパーティーを組もう!」
「……はあ?」
予想外過ぎて変な声が口の中からまろび出てしまった。いやナニソレ脈絡なさすぎるでしょというかなにがどうしてそうなるの?
恭介が固まっていると、アルトは腰に手を当てて胸を張って語り続ける。
「別にそこまで不思議な話じゃないだろう? 君はソロでボクもソロ、二人を隔てる障害やしがらみはないんだから、一緒に冒険すればいいじゃないか!」
そうのたまうと、彼女は屈託のない笑顔で快活に笑って手を差し出してきた。一点の曇りもないその笑顔の中には少女というよりも、どこか夢を語る少年のような何かを垣間見た気がした。
恭介は何かとても眩しいものを見ているような気がして目を細めつつ、おずおずと手を差し出――
「って、いやいやいやまてまてまて! なにがどうしてそうなるの? そもそもなぜに俺? 俺みたいなやつよりももっと優秀な冒険者は掃いて捨てるほどいるぞ?」
――そうとして慌てて手を引っ込めた。あっぶねー危うく努力、友情、勝利的なノリにあてられて安請け合いするところだった。
そもそも恭介が一人でダンジョンに潜り続けているのは訳あってのことなのだ。何の理由もなくソロ攻略をしているわけではない。おいそれと喋ってしまえる程度のことならさっさとほかの人間とパーティーを組んでしまっているまである。
ましてや彼女ほどのコミュニケーション能力があればどこのパーティーでも引く手数多であろうに、どうして恭介のような冴えない冒険者に声をかけたのだろうか。そこが不明瞭なままで仲間になるわけにはいかないだろう。最悪後ろからバッサリやられる可能性すらあり得る。
恭介が不信感を隠すことなくぶつけるが、アルトはと言えば、人差し指で頬をポリポリと掻くと、
「う~ん。なんで君を選んだか、かぁ……。なんとなく、じゃあ君はたぶん納得しないんだよね?」
形のいい眉をハの字にして問うてくる。当たり前だ。理由もなくあなたじゃなきゃダメとかどこの美人局だよ。
無言でうんうんと頷いて返すと、アルトは気恥ずかしそうに頬を染めて珍しく歯切れの悪い語り口で答えた。
「いやそのぉ……あはは。君が隠しているのか無自覚なのかは知らないけど、君ってダンジョンの中にある罠を全部避けることができるよね。君がここのダンジョンに潜るようになった日から何となく目にする日が多くてさ。すごいなって」
「ああ、そういうことか」
確かに恭介はダンジョン内に張り巡らされているトラップのすべてを事前に発動させるなり起動させずに通り過ぎたりして回避している。というか、恭介の能力を考えれば何の苦労もないどころかそれはできて当然なのだから、褒められたところでどうということはないのだが。
けれどもアルトは恭介の能力もそれを得たことによる代償についても知りえないのだから、彼女の目には恭介は完璧に罠を見切ることができる凄腕に見えるのかもしれない。そう思われていなかったら恥ずかしいのでうぬぼれはしないけれど。
「ボクはモンスターはどうにか倒せるんだけど、いかんせん罠の解除とかは門外漢だからさ。遅かれ早かれ盗賊系の人と組んで探索しようと思っていたところに君が現れたってわけなのさ。そういうことだからその、あれだ」
「ギブアンドテイク?」
「そう! それだよそれ!」
わが意を得たりとこくこくとことさらに頷いて見せてきた。
……見たところ言動に怪しいところはない。それどころかこんなに素直な子がよく今まで悪いやつに引っかからずに冒険者稼業を続けてこられたものだと心配してしまうくらいだ。
どうしよう。この話は確実に彼女の善意からきているお誘いだろう。他意はないはず。ならばありがたく組ませてもらうか? いやでもあれのことを他人に知られる訳には――
「もちろん報酬はきちんと折半するし、戦闘はボクに一任してくれて構わないよ?」
「ぜひともよろしくお願いします」
なにごともばれなきゃ問題はないのである。差し出された手を固く握って握手を交わし、誘われるままにパーティー結成の祝杯を挙げるべくアルトを連れだって恭介は酒場へと入っていった。
◆