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━ なんだ、クリーニング屋のノロ安か… ━
小次郎は、うざったい気分で開けた薄目をまた閉じた。小次郎の心中では、店員安岡は、のろまのノロ安だった。いつも配達が遅れ、現れるのは得てして誰もいないときだったから、勝手にそう渾名をつけたのだ。ドラが現れなくなって随分、小次郎の生活は安定していた。それが、である。今来た安岡からとんでもない大ごとが広がろうとは…。このときの小次郎は知るよしもなく、長閑に欠伸をひとつ打って、ついでに毛並みをナメナメと撫でつけた。
春の桜も去り、小次郎は退屈な日々を事もなげに送っていた。それでも、毎日の里山家をひと回りする日課は続けていた。そんなある日の朝、どういう訳か、いつも玄関外では話さない里山が小次郎に声をかけた。
「どうだ小次郎。この辺りの春は自然が豊かでいいだろうが…」
『そうですね。確かに野趣、豊かです…』
小次郎はついうっかり、辺りを見回さず人間語で話してしまった。いつもは人の気配がないか確認してからでないと人間語では話さなかったのだ。それが、事の始まりとなった。丁度そのとき、クリーニング屋のノロ安が里山の家へさしかかったときで、家前に自転車を止め、入ろうとしていた。安岡は、おやっ? と訝しく思った。というのも、里山の家には里山と沙希代の二人しかいないことを知っていたからだ。 安岡は、音をたてないよう、玄関を窺った。