氷の皇帝の告白
戦場を包み込んでいた金色の光が、まるで役目を終えたかのように、ゆっくりと、優しく、空気に溶けていく。
荒れ狂っていた二つの魔法は完全に沈黙し、世界はあるべき穏やかな魔力の循環を取り戻していた。
だが、その中心にいた私は、もう立っているのがやっとだった。
(……力が、抜けていく……)
カイザーの手を握ったまま、私は馬上でぐらりと傾いだ。
全身の血が、一気に引いていくような感覚。
十九年間、魔力ゼロとして生きてきた私の器に、あの「調律」の力はあまりにも大きすぎたのだ。
「―――エリアーナ!」
意識が遠のく直前、私を呼んだのは、もう「氷の皇帝」の声ではなかった。
焦燥と、これまで抑え込んでいた何か激しい感情をはらんだ、カイザー自身の声だった。
ガシッ、と。
馬から崩れ落ちそうになった私の体を、力強い腕が横から抱きとめる。
カイザーは、自らの馬から飛び移るようにして私の馬に乗り上げ、そのまま私を彼の胸の中に抱き込んだ。
「……っ、しっかりしろ! 目を開けろ、エリアーナ!」
「……へいか……」
「黙れ。喋るな」
彼の声が、震えている?
私は、力の入らない目で、彼を見上げた。
彼の、あの凍てついていた瞳が、今は激しく揺れていた。
私という「宝」が、今、目の前で壊れてしまうのではないかと恐れるかのように。
「……あ……」
私は、彼の胸の中で、微かに笑おうとした。
(あったかい……)
あの「大地の裂け目」で感じたのと同じ、彼の心臓の音。
この温もりの中でなら、もう、眠ってもいいかもしれない。
私は、そっと目を閉じた。
「エリアーナ!!」
彼の悲痛な叫び声が、遠くで聞こえた気がした。
*
私たちがいる場所を中心に、絶対的な静寂が戦場を支配していた。
両国の兵士たちは、ただ呆然と、世界の崩壊を止めた「聖女」と、彼女を必死に抱きしめる「皇帝」の姿を見つめている。
その、静寂の中で。
ひときわ甲高い、何かが「割れる」ような音が響いた。
「……あ……ああ……」
リリアンだった。
彼女は、軍馬の上で、自らの両手を見つめていた。
彼女の手から、あの純白の「聖魔法」のオーラが、砂のようにこぼれ落ち、消えていく。
「ち、違う……! 私の……私の『聖魔法』が……!」
彼女が聖杖を握りしめても、もう、何の力も発動しない。
「調律」によって世界の魔力循環が正常に戻った結果、彼女がアストリアの大地から「前借り」していた力の供給が、完全に断たれたのだ。
「聖女」の奇跡は、ただの「枯渇」を招く「バグ」にすぎなかった。
魔力ゼロ。
いや、今まで強大な力を持っていた分、その喪失感は、魔力ゼロ以下の絶望だ。
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、見た。
カイザーの腕の中で、彼のすべてを懸けて守られている、私の(・)姿を(・)。
「……う……そ……」
嫉妬も、憎悪も、もう、そこにはなかった。
ただ、理解を超えた現実を前にした、子供のような「絶望」だけがあった。
「失敗作が……聖女に……?」
彼女が、人生のすべてを懸けて築き上げてきた「完璧な自分(聖女)」というアイデンティティ。
それが今、目の前で、音を立てて崩れ去っていく。
彼女が「失敗作」と見下し、虐げ、追放した姉こそが、真の「力」を持ち、すべてを手に入れていた。
「ああ……あ……あああああああああっ!!」
リリアンの絶叫が、静まり返った戦場に響き渡る。
それは「ざまぁ」などという生易しいものではない。
彼女の「世界」が終わった音だった。
彼女は、聖杖を取り落とし、そのまま馬から崩れ落ち、泥だらけの地上で、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。
父であるアストリア国王もまた、その場で震えていた。
彼もまた、リリアンと同じ現実を突きつけられたのだ。
自らが「国の恥」として捨てた娘が、世界を救う「調律の聖女」であり、今や敵国の皇帝が命を懸けて愛する「唯一無二の存在」であったことを。
彼は、最強の切り札を、自らの手で敵国に差し出したのだ。
「……エリアーナ」
両軍が見守る中、カイザーが、私の名を呼んだ。
私は、彼の腕の中で、かろうじて薄目を開ける。
彼は、私を抱きしめたまま、ゆっくりと軍馬の上で立ち上がった。
まるで、世界中のすべての人間に、その「宝物」を見せつけるかのように。
彼の声が、魔力を含み、戦場全体に響き渡る。
「聞け、アストリアの王よ。そして、我がドラゴニアの民よ」
彼は、私をまっすぐに見つめた。
その瞳には、もう「疑念」も「執着」も「戸惑い」もない。
ただ、溢れ出すほどの、どうしようもない「愛しさ」だけが、そこにあった。
「氷」が完全に溶けた、マグマのような、情熱が。
「この者は、『道具』などではない」
彼は、世界に向かって、そして、私一人の魂に向かって、宣告した。
「この者は、俺の『唯一無二の光』だ」
彼は、そっと、私の額に自らの額を押し付けた。
両軍の兵士たちが、アストリアの王が、そして崩れ落ちたリリアンが見ている、その前で。
皇帝は、ただ一人の女に、そのすべてを捧げた。
「―――お前を、愛している」




